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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

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第40話 夫婦契約、世界標準へ

 公正契約大神殿の奥、いつもは使われない特別調印室は、妙に静かだった。

 石壁は冷たいのに、私の耳だけ熱い。心臓の音が、契約書の白い余白にまで染み込みそうで怖い。


 テーブルの上には、分厚くなった私たちの夫婦契約ファイル。

 追補、覚書、余白の走り書き。何度も二重線で消して、書き直して、そのたびに少しだけ呼吸が楽になった紙の束だ。


 視界の端に、いつもの神々しいテロップが浮かんだ。


『本日のアジェンダ


1. 夫婦契約・最終読み合わせ

2. 世界契約テスト利用許諾条項の追記

3. モデルケースNo.001として登録

※当事者の照れは仕様です』


「仕様にしないでください……」


「異議申し立ては受理されません」


 向かいのセルジュさんは、真顔で書類を整える。

 相変わらず冷静すぎるのに、私の名前を呼ぶ声だけ、少し柔らかい。


「では、最終確認です。条文一覧」

「はい……お願いします」


 ページをめくるたびに、過去の自分が小さく出てくる。

 市場で、休み方を忘れた私がぽろっと言った。「普通でいいんでしょうか」。

 そのとき彼が返した。「普通であることを保証するのが契約です」。


「《休日デート義務/最低月1回》」

「うっ……」

「次。《休ませる義務(夫婦版)》」


 仕事の予定表より先に、休みの予定を入れられた日。

 私は抵抗して、でも結局、救われた。休むのは怠けじゃない、と条文が言ってくれたから。


「《喧嘩になりそうなときは、お茶を飲む義務》」

「それは、もう忘れてください……」

「忘れません。効力が高い」


 その淡々とした評価が、逆に恥ずかしい。

 私は咳払いで誤魔化して、次のページへ逃げた。


「《怖かったこと申告義務》」

「……これは、助かりました」


 怖いと口にするだけで、少し生きやすくなる。

 言葉にしたら、彼が動いてくれる。条文が、私の背中を押してくれる。


「《嫉妬の申告義務》」

「やめてください、声に出さないで……!」

「条文です。存在を否定できません」


 私は机の端のポットを見つめた。

 ここにお茶があるだけで、まだ戦える気がするの、ずるい。


 最後のページに辿り着く。

 あの条文。私が一番、震えたやつ。


「《別れるときの逃げ道保証条項》」


 セルジュさんの指が、ほんのわずか止まった。

 でも次の瞬間には、いつもの速度で言う。


「あなたの逃げ道は、常に必要です。継続のためにも」

「……はい」


 逃げ道があるから、ここに居られる。

 それを分かってくれる人と、私は夫婦をしている。


 テロップが、また光った。


『確認完了。

次:世界契約テスト利用許諾条項、追記しますか?』


 胸の奥がきゅっと縮む。

 世界標準。世界。そんな言葉、私の手には大きすぎる。


「……でも、こんな継ぎ接ぎで出して、世界標準なんて呼ばれたら、プレッシャーで倒れそうです」


 セルジュさんは、あくまで業務会議の口調で整理した。


「世界契約ノート側のラベルは、現時点ではテストケースです。

完成品としてではなく、更新を前提にした運用ログとして提出する。

そう扱えば、あなたの肩に乗る重さは減る」


『はい、試験運用ってラベル、大好きです。

失敗も含めてログにしておけば、あとから世界標準にするときの参考資料になりますからね』


 女神様の声が、軽くて、でも変に頼もしい。

 私は息を吐いて、余白を指さした。


「じゃあ……この余白の一部を、私たちの言葉で埋めましょう」

「確認します。文言案を」


 羽ペンを取る手は震えたけれど、セルジュさんの手が隣に来る。

 私が書きたいのは、格好いい正しさじゃない。

 守る目的だけは、ぶらさない、という小さな約束だ。


《本契約に記載された条文および運用ログを、公正契約大神殿および世界契約ノートにおける研究・標準化のために利用してよい。

ただし、その利用は当事者および将来の契約当事者を守る目的に限る。》


 書き終えた瞬間、空気がふわりと変わった。

 見えない場所で羽音がして、光が一筋、紙の上を走る。


『世界契約ノート:夫婦契約モデルケースNo.001 登録準備中』


「……数字、付けないでください。現実味が増します」

「増したほうが、運用します」

「運用しないでください」

「運用します」


 書記官が、銀のペン軸を差し出した。

 仮登録のときには使われなかった、正式調印用のペンだ。


 サイン欄の前で、私たちは一瞬だけ固まった。

 誰が最初に書くか。たったそれだけで、なぜこんなに胸が騒ぐのだろう。


「先に書いてもいいですか。

世界標準のテストケース第一署名者、聖女って、後からきっと笑えるので」


 セルジュさんの口元が、ほんの少しだけ緩む。


「もちろん。では私は第二署名者として、このモデルケースの継続運用責任者を引き受けます」

「責任、重くないですか」

「重いのは、あなたが背負ってきました。今度は、私が持ちます」


 銀のペンが紙に触れた。

 私の署名が走るたび、見えない場所にも同じ光が転写される。

 次にセルジュさんが書く。筆圧が静かで、でも迷いがない。


 最後の点を打った瞬間、視界いっぱいにポップアップが開いた。


《夫婦契約モデルケースNo.001

ステータス:テストケース→世界標準候補

同期先:公正契約大神殿契約書庫/世界契約ノート》


「……終わった?」

「始まりました」


 セルジュさんの言葉は、怖いのに、甘い。


♢♢♢


 契約書庫の前室。

 書記官が写本版を作り、背表紙に小さくラベルを貼った。


《アルシオン王国・聖女リディア/宰相補佐セルジュ

夫婦契約モデルケースNo.001》


 私はガラス越しに棚を見つめる。

 隣には、聖女勤務契約、騎士団契約、セルジュ家家族契約。

 どれも、誰かを追い詰めた紙で、でも今は、守るために書き直された紙だ。


(ここに置かれるということは、うちの夫婦契約も、誰かの契約を書き換えるときの参考資料になるんだ)


 セルジュさんが、そっと隣に立った。


「契約書庫にあるものは、どれも一度は誰かを追い詰めた紙です。

ですが今の棚は、守るために書き直された紙が増えてきました。

ここに一冊追加されることは、誇るべきことだと、私は思います」


「……誇っていいんですね、私たち」

「はい。胸を張ってください」

「その言い方、仕事の報告みたいです」

「報告です。結論として、あなたはもっと褒められるべきです」


 私は笑って、でも少しだけ泣きそうになった。

 守るための条文を積み上げてきた先に、こんな会話が待っているなんて、知らなかった。


 頭上に、女神様の日報がふわりと重なる。


『本日付け、公正契約大神殿契約書庫。

新規登録:夫婦契約モデルケースNo.001。

タグ:《休ませる義務》《撤退権》《家族契約アップデート》《嫉妬の申告義務》《別れるための条文》。

備考:甘さレベル、世界標準候補。』


♢♢♢


 私は、神界のオフィスで椅子にだらりと座った。

 ええ、私です。公正契約の女神。今日は残業なし。たぶん。


 机の上の世界契約ノートを開いて、ペン先で《夫婦》タブを軽く叩く。


『休日デート義務、休ませる義務、怖かったこと申告義務、嫉妬の申告義務、別れるときの逃げ道保証。

……うん。可愛い顔をして、世界規模で致命的なブラック契約を止めてくれる条文ばかりですね』


 ページの余白に、小さくメモを書き足す。


《適用範囲拡張案:

・血族単位契約への応用

・自己犠牲努力義務国家への転用

・老後契約ドラフトへの流用》


 ふと、ノートの端がちかちか光った。

 覗き見。遠くのレイヤー。やれやれ、嗅ぎつけが早い。


 雲の向こうの誰かが、こちらのログをなぞっている。

 光の粒が1つ、2つ、増えていく。


「見てるだけなら無料ですけどね」


 私はわざと独り言みたいに言って、ペン先を鳴らした。

 すると光の粒は、気まずそうに一瞬揺れて、少し距離を取った。


 最後に、ノートの表紙を指でとん、と叩く。


『この夫婦の一件が、世界の標準を変えるかもしれませんね。

己を捧げる者は守られる側、という定義を、世界中の条文棚に貼り直すきっかけになるかもしれません』


 まあ、世界って広い。

 だからこそ、まずはこのくらい小さくて甘い条文から、始めましょうか。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

夫婦契約がついに世界標準候補に。次回は、ログを覗き見していた「誰か」が動きます。

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