第6話 タイムカードのない三年間
あの夜から三年分のログが、静かに、でも容赦なく積み上がっていった。
《聖女様の稼働ログ、現在一〇九五日連続稼働ですね。記録的です》
(記録って、本来はうれしい方向で更新したいんだけど)
頭の中で女神様にツッコミを返しながら、私は机の予定表をめくる。
この世界にはタイムカードはない。その代わり、公正契約の女神が、私の働いた時間と案件を、黙々とログに変えていく。
日付がめくられるたびに、その裏で、見えない稼働ログの束が厚くなっていく。
季節と案件だけが、静かに入れ替わる。
春には祭祀の準備と祝福予約。
夏には災害と病と、不作の相談。
秋には収穫祭と税・地代の契約見直し。
冬には貧しい人たちへの救済と、寒波対策の祈祷。
カレンダーは変わっても、私の予定表の埋まり方は、ほとんど変わらなかった。
◇
春。大神殿前の広場は、儀礼の練習をする神官たちと、参拝客の列であふれていた。
「安全祈願は列に沿ってお願いします。寄進の契約書は、あちらの机にどうぞ」
私は進行表を片手に、もう片方の手で契約書をめくる。
安全祈願の祝福。寄進に紐づく契約。万一の事故の責任所在。
《祭りの成功条件、だいたい全部『聖女が倒れないこと』で埋まってますね》
(条件の書き方、おかしくないですか)
やがて王家の馬車が広場に入ってきた。
「この度の祭祀における聖女の働きに、王太子として感謝する」
祭壇の前で、レオン殿下がそう告げる。
視線は、私ではなく、民衆の方へ向いていた。
(……名前じゃなくて、役職に向かって話しかけてる感じ)
「恐れ入ります。皆さまの祈りがあるからこそ、務めを果たせております」
私は教科書通りに頭を下げる。
《はい、『聖女として感謝する』ログ、春祭バージョン一件登録っと》
(女神様、バージョン管理しないで)
◇
夏。豪雨と土砂崩れの後の村は、ぬかるみと崩れた石垣の匂いでいっぱいだった。
「大きな怪我をしている方からお呼びください。順番に治療します」
私は袖をまくり、ひとりずつ手を取って祝福を流し込む。
「非常時ですからねえ。こういうときこそ、聖女様に頑張っていただかないと」
「有事のときぐらい、徹夜覚悟で……」
背後で、神官たちが気安く口にする。
(出た。有事だから仕方ない、ってやつ)
前の世界でも、似たような言葉を何度も聞いた。
締切前だから。相手が厳しいから。今だけだから。
《ログ的には、非常時モードに切り替わってますけど》
(非常時モードって、どれくらいまで続くの)
《世界契約上は『必要と認められる期間』ですね》
(その『必要』を決める人たちが、仕事を減らしてくれないのが問題なんですよ)
ひとり治療を終えるごとに、別の人が待っている。
仮設の机には、支援契約の紙束が積み上がっていた。
「家を失われた方々への支援については……こちらにお名前を」
私は条文を走り読みする。
災害に便乗したひどい契約ではない。分割払いの負担も、いちおう現実的だ。
《ここ最近ではだいぶマシなほうですね。被災者搾取タグ、ほぼ点灯してません》
(タグの名前が物騒すぎる)
◇
秋。収穫祭の飾り付けが終わった大神殿の前で、私は別の意味で頭を抱えていた。
「今年の収穫税の率について、もう一度ご説明を」
「聖女様、うちの村は本当に豊作でしてね。ですから、その……」
豊作の年にだけ増える徴収。凶作の年には相談に応じる、と書かれた契約文。
一つ一つの案件を見れば、前年よりはマシになっている。
徴収の上限が決まっていたり、凶作時の免除条件が明確だったり。
「いい契約になりましたね」
そう言うと、農民たちはほっとした顔で頭を下げた。
《改善ログ、順調に積み上がり中です》
(聞こえはいいけど、ログが増えるたびに、私の机も埋まっていくんだよね)
一つ一つは、「いい契約」だ。
問題は、その一つが、何百、何千と積み上がっていること。
祭りのクライマックスで、今年もレオン殿下が姿を見せる。
「今年も、聖女として民のために尽くしてくれたことに、感謝する」
去年とほとんど変わらない言葉。
違うのは、「今年も」という一言が増えたことくらいだ。
(レオン定型文秋バージョン、っと)
私は内心でカウントしながら、口元だけを上げた。
◇
冬。冷え切った路地で、私たちはスープと毛布を配っていた。
「順番にお配りしますから、押さないでくださいね」
「小さい子どもと、お年寄りを前に」
私は祝福で火を灯し、少しでも暖かさが長く持つように祈りながら、救済対象の名簿に目を走らせる。
その背後では、見習い聖女たちが必死についてきていた。
「こちらの列をお願いします」
「小さい子は、こっちで預かりますね」
書類を抱えて走る子。列を整えながら笑っている子。
その中に、前に見かけた髪型の子がいるような気がして、私は一瞬だけ目を留めた。
彼女たちの目は、まっすぐだった。
聖女様の負担を減らしたくて、と本気で信じている目。
それが、少し怖かった。
《見習い聖女ログも、順調に増えてますね》
(その言い方だと、すごく危ないものが増えている気がするんだけど)
《危ないですよ?》
さらりと返されて、私は小さく息を飲んだ。
少なくとも今は、誰も死んでいない。
その事実を、私は何度も心の中でなぞりながら、夜の施しを続けた。
◇
「前任の聖女様の話、ですか?」
ある日の休憩時間、ティオがぽつりと切り出した。
「はっきりしたことは、誰も教えてくれないんです。ただ……過労で倒れた、って噂はあります。神の元に召された、とも」
曖昧な言葉だけが、ふわふわと宙に漂う。
「大神官長は、『よくあることだ』って」
よくあること。その一言で、前の世界でも多くのことが片づけられていた。
《世界契約ログ上でも、前任聖女様は『奉仕契約の履行中に、神の元へ』という扱いですね》
(それってつまり、働きすぎて倒れた、ってことじゃないの)
《条文的には、そう読めなくもないですね》
背筋に冷たいものが走る。
(この契約は、歴代の聖女を、ずっと同じようにすり減らしてきたってこと)
私が今歩いている線の、少し先に、「よくあること」として処理された死がある。
「……聖女様?」
ティオが心配そうに覗き込む。
「大丈夫。ただの考え事です」
私は笑って首を振り、手元の書類に視線を落とした。
◇
その夜、私は聖女寮の自室の窓辺に座り込んでいた。
机の隅には、今日も更新された予定表。
ページの端には、小さく女神様のメモが光っている。
《本日の稼働ログ、一四時間二〇分。体調タグ、黄色寄りです》
(寄り道しないで、さっさと赤にして止めてくれてもいいのに)
《それをやる権限は、今の世界契約には入ってないんですよねえ》
(世界契約、便利なようで不便ですね)
自分で言って、苦笑が漏れる。
終電のない世界。
タイムカードのない奉仕契約。
可能な範囲で、という言葉に、上限がつかない働き方。
(前の世界と、何が違うんだろう)
問いかけるたびに、私は同じ答えを用意した。
少なくとも今は、誰も死んでいない。
そう自分に言い聞かせることで、ぎりぎりのところで立ち止まっている。
《聖女様》
女神様の声が、少しだけ真面目な調子で呼びかけた。
《本当に、誰も死んでいないうちに、何か条文を変えたほうがいいかもしれません》
「……そうですね。でも、今はまだ、仕事がありますから」
私は苦笑して、膝を抱え込む。
前の世界と同じ働き方を続けたいかと聞かれたら、答えは、もう知っている。
《ログは、いつでも読み返せます。
だからこそ、ここから先の数行を、そろそろ書き換えてもいいのかもしれませんね》
(その書き換え、どうやったらできるんでしょう)
《それはまた、別の夜に》
女神様の声は、そこでふっと途切れた。
私は窓にもたれかかりながら、目を閉じる。
少なくとも今は、誰も死んでいない。
その言い訳が、あと一話も保たないことも知らないままに。
ふっと胸の奥がざわめく回でしたが、ここまで読んでくださったあなたの時間が、少しでも物語の灯りになれていたら嬉しいです。
聖女の三年間は、ただの過去ではなく、これからの物語を揺さぶる伏流そのもの。次話から、その水面がいよいよ波立ち始めます。
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