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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

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第37話 別れるための条文も必要です

 夫婦契約ファイルの束が、机の上で小さな山になっている。

 紙の匂いって、安心するはずなのに。今日は、なぜか心臓に悪い。


「市民向け、夫婦契約ひな型の最終確認を行います」


 セルジュさんが、いつもの淡々とした声で宣言する。

 隣でティオが、羽根ペンを構えたまま目を輝かせた。


「わあ……ついに一般向けですか。『休日』とか『家事』とか、ほんとに夫婦っぽいですね」


「夫婦っぽい条文ほど、生活を守ります。侮らないでください」


「はい、師匠!」


 師匠じゃないけど、つい笑ってしまう。

 机の上には、いくつかのフォーマット案が並んでいる。


 ティオが読み上げる。


「第1条『休日の確保』。第2条『家計の見える化』。第3条『親族との距離感』。第4条……ええと」


 彼がちらっと私を見る。


「第4条『感情の申告』。嫉妬、怖かったこと、不安……その、例として」


「例です。例」


 私が咳払いすると、視界の端で金色のテロップがぴこんと跳ねた。


『※テストケース夫婦仕様のため、甘さが世界標準より高めです』

『ただし、甘い条文ほど人命を救うことがあります』


「女神様、余計な補足は要りません」


 返事の代わりに、テロップがもう1つ増える。


『【契約健全性チェック】

・報酬条項 あり

・休養条項 あり

・紛争解決条項 あり

・解消条項 なし(要検討)』


 ティオが首をかしげた。


「解消条項って、離婚のことですか?」


「離婚、というより……契約を終える手順です」


 私の声が、思ったより乾いていた。

 この世界でも、言葉にしないと、いつの間にか逃げ道が消える。


『脱退条項がない契約は、赤マークです』

『始め方と同じくらい、終わり方も大事ですからね』


 女神様の言い方は軽いのに、胸の奥に刺さる。


 セルジュさんがペン先を止めた。紙の上で、黒い線が途中で途切れる。

 私は、あえて笑ってみせた。


「一般用フォーマットなら……入れておいた方が、親切だと思います。もし、どうしても続けられなくなったときに。安全に終われるように」


 ティオが目を丸くする。


「そこまで書くんですか!? 夫婦って、ずっと一緒じゃ……」


「ずっと一緒でいたいからです」


 口にしてから、少し恥ずかしくなる。

 でも、逃げ道があるから選べる。閉じ込められたら、選ぶことが怖くなる。


 セルジュさんは、公務の声で言った。


「理屈としては正しい。労働契約にも解約条項があります。……ただ、夫婦契約に明記する前例は乏しい」


「前例がないなら、作ればいいだけです」


 ティオが、うっかり爆弾を落とす。


「一般用に入れるなら、2人の夫婦契約にも同じ条文、入れるんですよね?」


 空気が止まった。

 私の指が、紙の端をつまんだまま動かない。


 セルジュさんの視線が私に向く。いつもなら落ち着く灰色の瞳が、今日は少しだけ、硬い。


「……そうなります、よね」


 なんとか笑って答えると、女神様が楽しそうに追い打ちをかけた。


『※テストケース夫婦、いよいよ解消時シミュレーションフェーズに突入

観察ログの保存容量を増やしておきます』


「増やさなくていいです!」


 セルジュさんが静かに会議を畳んだ。


「本日のところはここまでにしましょう。解消条項については、今夜、当事者間で協議して追記案を作成します」


 当事者間で協議。

 その言葉が、安心と、怖さを同時に運んでくる。


♢♢♢


 夜。寝室のランプだけが、机の上の紙を照らしている。

 昼のフォーマット案と、私たちの夫婦契約書。並べると、妙に似て見えた。

 似ているのに、怖いのは、私の方だ。


 セルジュさんはベッドの縁に腰を下ろし、契約書を指で叩いた。


「確認します。あなたが提案したいのは、『別れるための条文』ですね」


「……はい」


「縁起でもない、と言うべきでしょうか」


 怒ってはいない。むしろ、声が静かすぎて怖い。


「セルジュさん。私、別れたいわけじゃありません」


「分かっています」


 即答された。なのに、彼の指先がほんの少し震えている気がした。


「でも……逃げ道がない契約は、私は、だめなんです」


 胸の奥にしまっていた言葉が、するりと出てきてしまう。


「前の婚約契約も、神殿の奉仕契約も、『やめる』って書いてなくて。書いてないだけで、みんな『やめちゃいけない』って思って、黙って壊れていく。私も、そうでした」


 セルジュさんが息を吸う音がした。


「あなたは、もう壊れません」


「壊れないように、条文が欲しいんです」


 私は膝の上で指を組んだ。手が冷たい。


「もし、私が怖くなったら。もし、あなたが私を嫌いになったら。そんな日が来ないように努力はします。でも、来たときに、鎖で引きずられたくない。……引きずりたくもない」


 言い終えた瞬間、頭が妙に冴えている。法務の癖だ。


 セルジュさんはしばらく黙って、そして、少しだけ笑った。自嘲が混ざった、苦い笑い。


「なるほど。『出ていってもいい』と書いておかないと、あなたは『閉じ込められた』と感じてしまう」


 私は、こくりと頷いた。


「私が出ていく前提みたいで、嫌ですか?」


「嫌です」


 即答だった。

 その短さに、胸がきゅっと縮む。


「ですが」


 彼は、私の手の上に自分の手を重ねた。あたたかい。


「あなたを鎖で縛るくらいなら、私は最初からあなたに触れない方がましだ。……そういう契約は、二度と結びたくない」


 視界が滲んだ。


「ですから、条文化しましょう。あなたの逃げ道が、常に開いていることを、契約で保証します」


 私が驚いて顔を上げると、セルジュさんは真顔のまま続ける。


「ただし、逃げ道を作るのは、あなたを遠ざけるためではない。あなたが『ここにいたい』と選び直せるようにするためです」


『はい、今の台詞、保存しますね』

『恋愛条文としては甘いのに、構造としては世界規模で有用です』


「女神様、黙ってください!」


 セルジュさんが机に契約書を広げ、ペンを取った。

 私は隣に座り直す。2人で、同じ紙を覗き込むのは、いつだって少しだけ照れる。


「文言を整理します。まず『申告権』」


「心身か、生活の安全のために、継続が困難だと判断した場合……」


「相手方と女神へ申告する権利を有する。次に、申告を受けた側の義務」


 彼は一瞬迷ってから、言った。


「『引き止める義務』ではなく、『安全に解消する手続きを共に整える義務』」


「……それ、優しいです」


「あなたが泣く姿を、交渉材料にしたくありませんから」


 ひどい言い方なのに、私の胸はじんわりあたたかい。


「あと、『どちらかだけが悪い』って書き方は、禁止したいです」


「同意します。契約上は、罪ではなく構造の問題として扱う。感情は……その後で、あなたが私に叱ってください」


「叱りません」


「では、私があなたに謝ります」


「それも、条文にします?」


 私が言うと、セルジュさんの口元がほんの少し緩んだ。


『【世界契約ノート・新規候補】

名称案:脱退支援義務条項

保存っと』


 テロップが静かに光る。

 私は、書かれていく文字を見ながら、呼吸が楽になっていくのを感じた。


 最後にセルジュさんがペンを置き、私を見た。


「確認します。この条文があれば、あなたは自由ですか」


 自由。

 その言葉の重さに、私は笑ってしまった。


「たぶん、はい。だから……私は、ここにいます」


 セルジュさんの目が、少しだけ柔らかくなる。


「結論として、私は毎日あなたに選ばれたい」


「……毎日ですか」


「毎日です。あなたが逃げ道を確認しても、まだここにいる、と言えるように」


 彼は私の指先を取り、そっと口づけた。

 その仕草が、契約書よりもずっと、私の心を縛る。


「セルジュさん」


「はい」


「逃げ道があるなら、私は、もう逃げなくて済みます」


 彼の腕の中で、私は小さく息を吐いた。

 ランプの光が、紙の余白を照らしている。

 まだ書ける。まだ選べる。だから、続けられる。


 視界の端に、小さなログが一瞬だけ浮かんだ。


『世界契約ノート更新:脱退支援義務条項、登録候補』


ここまで読んでくださりありがとうございます。逃げ道があるから選べる——そんな夫婦の条文、あなたはどう受け取りましたか。続きで2人は「選び直す」覚悟を試されます。面白かったら広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると励みになります!


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