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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

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第35話 女神からの公式依頼:夫婦契約、見せてもらえます?

 執務室の隅に、湯気の立つポットが鎮座している。

 数日前、私たちは喧嘩になりかけて、このポットに救われた。


 夫婦契約の追補欄には、あの夜の勢いのまま、こう書いてある。

「喧嘩になりそうなときは、お茶を飲む義務」

「怖かったこと申告義務」


 目につくところに置いておくと、意外なくらい効く。

 言い返す前に、まず湯を沸かす。口が尖りそうなら、カップに逃げる。


「おはようございます、リディア様」


 書類の束を抱えたセルジュさんが入ってくる。いつもの丁寧語、いつもの冷静な顔。

 なのに、ポットを見る目だけが少し柔らかい。


「おはようございます。……お茶、淹れます?」

「業務開始前に、条文順守ですね」


 その言い方が、なぜか胸に刺さる。条文が、恋文みたいに聞こえるから。


 そのとき、視界の上に、ぴしゃりと光る枠が落ちてきた。


『公正契約大神殿 宛

 正式依頼書/至急』


 嫌な予感しかしない。


『依頼対象:夫婦契約(リディア&セルジュ)

 提出先:世界契約ノート(試験運用)

 目的:テストケース登録』


「……えっ。うちの、夫婦契約?」


 声が裏返る。セルジュさんは文字を追うだけで状況を把握し、眉をほんの少し上げた。


「世界契約ノートのテストケース。つまり、我々の夫婦契約が雛形候補になる、という理解でよろしいですか」


『はい。現場サンプル第1号として』


 女神様の声が脳内に滑り込む。淡々としているのに、やたら楽しそうだ。


『人を削らない働き方の条文と、壊れない夫婦の喧嘩ルール。

 その両方が同じ契約に入っている。珍しいし、重要です』


「ちょっと待ってください!」


 私は椅子の上でのけぞった。


「休日デートの最低月1回とか、寝坊したときの罰金とか、そういうのも全部ですか……?」

『もちろん全部です』


 即答だった。


『休ませる義務も、ポスター前で思いついた小さな工夫も、怖かったこと申告義務も。ぜーんぶまとめて、ログで』


 耳まで熱い。私が今、聖女であることより、妻であることの方が恥ずかしいなんて。


「女神様……公開する気ですか」

『段階的に。研究用に原本を預かり、匿名化や抽象化をして各国へ。いわゆる試験運用です』


 セルジュさんの目がきらりと光った。官僚の好きな響きだ。


「では、提出前提で棚卸しが必要ですね。どれを世界標準候補にし、どれを当事者限定にするか」

「棚卸しって、家計簿みたいに言わないでください」

「本質は近いかと。約束の収支を確認します」


『提出期限:暫定で3日。遅延理由は恥ずかしい以外でお願いします』

「理不尽!」


 叫んだ私を見て、セルジュさんが改まって言った。


「本日の業務外タスクが1つ増えましたね、リディア様。今夜、夫婦契約の総点検会議をお願いしてもよろしいでしょうか」

「……はい」


 断れない。というか、断りたくない。

 私たちの継ぎ接ぎの1文が、誰かの命綱になるかもしれないのなら。


『本日夜:夫婦契約棚卸し会議/参加者:当事者2名』

 女神様のポップアップが、勝手に予定を確定させた。



 夜。公邸の書斎兼リビングに、夫婦契約ファイルがどさっと置かれた。

 追補と覚書と、女神様の落書きメモまで挟まって分厚い。


「議題。夫婦契約・世界標準化に向けた棚卸し第一次会合を開始します」

「物騒なタイトル禁止です……!」


 私が抗議すると、セルジュさんは真顔で頷いた。


「では、夫婦契約・大恥かき大会に改題します」

「そういう方向に振らないでください!」


『会議体名称はお任せします。格好良いの、好きです』

 女神様は完全に面白がっている。


 セルジュさんが淡々とページをめくる。


「追補。《休ませる義務(夫婦版)》」

 市場のざわめきと日差しが、ほんの少しだけ蘇る。

 私が「こんなに普通でいいんでしょうか」と呟いて、彼が「普通を保証するのが契約です」と返した日。


「追補。《休日デート義務/最低月1回》」

 神殿前のポスター。ブラック契約に注意、の文字を見上げて笑ったカフェの時間。


「追補。《寝坊時の罰金》」

「……読み上げなくても」

「条文ですので」

「罰金が甘いものを奢るって、世界標準にしなくていいです!」


『教材としては興味深いのですが……当事者の同意が優先ですね』

 女神様のひと言が余計に刺さる。


「追補。《喧嘩になりそうなときは、お茶を飲む義務》」

 ポットの湯気。2つのカップ。先に謝るのが悔しくて、でも言葉が尖るのが怖くて。

 その夜の私は、条文に逃げた。


「追補。《怖かったこと申告義務》」

 ここだけ、指先が止まる。

 怖い、と言えた瞬間。セルジュさんは責めずに、ただ隣に座り直してくれた。


 彼が、別の紙にさらさらと線を引いた。


「分類案です。世界標準候補、運用ログ参考、プライベート扱い。まず《休ませる義務》は世界標準候補」

「そんな……あれ、私のための1行だったのに」

「だからこそです。あの1行が、聖女契約も騎士団契約も家族契約も救ってきた。次は世界を救います」


 さらっと言う。大きいことを、息をするみたいに。

 私は誇らしくなって、同時に怖くなった。


「……でも、こんな継ぎ接ぎで出して、世界標準なんて呼ばれたら、プレッシャーで倒れそうです」

「世界契約ノート側のラベルは、現時点ではテストケースです」


 セルジュさんは業務会議の声で整理する。


「完成品としてではなく、更新を前提にした運用ログとして提出する。そういう扱いにしませんか」

『はい。試験運用ってラベル、大好きです』


 女神様が援護してくれて、私の肩から力が抜けた。

 完璧じゃなくていい。失敗も修正も、記録していい。


 セルジュさんが、夫婦契約の末尾の余白を指さす。


「では、この余白の一部を、世界契約テスト利用許諾に使ってもよろしいでしょうか」

「……はい。私たちの失敗と成功を、教材として使っていいって、ちゃんと書いておきたいです」


 ペン先が紙に触れ、インクがにじむ。


『本契約に記載された条文および運用ログを、公正契約大神殿および世界契約ノートにおける研究・標準化のために利用してよい。ただし、その利用は当事者および将来の契約当事者を守る目的に限る』


 書き終えた1文を眺めながら、私はぽつりと言った。


「……守る目的に限るって、この世界が忘れがちな1行ですよね」

 セルジュさんが、そっと私の指先に自分の指を重ねる。


「忘れられないように、私たちが最初の脚注になりましょう」


 その言い方が、甘いのに、真面目で。

 私は笑って、頷くしかなかった。


 銀色のペン軸が、ふっとテーブルに現れる。

 同時に、女神様のポップアップ。


『正式調印用具:貸与。署名をどうぞ』


「……準備が良すぎません?」

『役所仕事は段取りが命です』


 私たちは顔を見合わせて、また笑った。


「先に書いてもいいですか。テストケース第一署名者、聖女って、あとで絶対笑えるので」

「もちろん。では私は第2署名者として、継続運用責任者を引き受けます」


 サインが乾くたび、羽ペンのUIが同じ形を光でなぞった。


『世界契約ノート:夫婦契約モデルケースNo.001 登録』


 数字が付くと、急に現実味が増す。

 胸の奥が、くすぐったくて、熱かった。


 最後に、控えめな枠が開いた。女神様の管理者ログらしい。


『本日付け、世界契約ノート更新。

 案件名:夫婦契約アップデート・テスト運用。

 モデルケースNo.001:リディア&セルジュ』


『次回検討:嫉妬したときの安全な振る舞い義務/別れるときの逃げ道保証』


「……ちょっと待ってください。今、嫉妬って書いてありませんでした?」

「確認します」


 セルジュさんが真顔でページをめくり直す。

 私は、ポットに視線を逃がした。


 今夜は、先にお茶を淹れておこう。

 どう考えても、次の議題は熱い。


ここまでお読みくださりありがとうございます。夫婦契約が世界標準のテストケースに……当人が一番恥ずかしい! 次回は女神の爆弾議題『嫉妬の安全条文』で、またお茶が減ります。続きが気になったら、ブクマと広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援していただけると励みになります。


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