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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

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第33話 国と家を繋ぐ、一本の条文

 翌朝。宰相府の執務室は、相変わらず「静かな戦場」だった。

 地図、封蝋、書類の山。昨日までの家族会議の熱が、ここでは一気に冷たい紙の匂いに変わる。


「座れ。……その顔、寝てないな」

 宰相クロードは机から目も上げずに言った。


「寝ましたよ。たぶん」

「たぶんって何だ」


 隣でセルジュさんが、いつもの無表情で頷く。

「リディア様は規定時間を確保しました。私が確認しました」

「確認って、枕元で監査でもしたのか」

「監査ではありません。観察です」

「言い方」


 若手文官たちが、咳払いで笑いを飲み込んだ。私は椅子に腰掛けながら、胸の奥がじわっと熱くなるのを誤魔化す。

 昨夜まで、あの家の食堂で署名を集めていたはずなのに。今日はそれが、国の机の上に並んでいる。


 クロードが、机の中央に2冊の写本を開いた。

 古い方は、灰色の紙に鉛みたいな文字。新しい方は、真新しい羊皮紙に黒々としたインク。


「……まさか、宰相補佐の実家の家族会議の議事録を、国の契約ログに上げる日が来るとはな」


 その皮肉が、なぜか祝福みたいに聞こえてしまって、私は小さく息を吸った。

 セルジュさんの指先が、机の端でわずかに震える。気づいたのは、たぶん私だけだ。


「本題だ」

 クロードのペン先が、新契約の冒頭を叩く。


「第一条。ラグランジュ家は、国を支える人材と家族としての生活を両立することを目的とする」


 若手文官の1人が、思わず声を落とした。

「……家そのものじゃなくて、人材になってる」


 セルジュさんが淡々と補足する。

「これまでの契約は、家族ごと国庫預かりでしたから。人間そのものではなく、育った能力や経験を国に返す形に変えました」


 私は心の中で、その一文を何度も噛む。

(国の駒、じゃない。国に守られる人材)

 あの人の父が言った「家は国の駒箱だ」という呪いが、文字の上で、すこしだけ言い換えられていく。


 クロードは別の束を取り出した。数字の表と、線が引かれた報告書。

「騎士団の戦死率推移。聖女の稼働時間推移。……お前らが入れた撤退権と勤務時間制限の結果だ」


 私は背筋を伸ばす。数字は、嘘をつかない。

 線が、ほんの少しだけ下がっている。費用の項目も、じわじわ減っている。


「……ふむ。守られる側を明文化した契約は、短期の武勲を減らす代わりに、長期の国益を増やすわけか」


 若手文官が恐る恐る尋ねる。

「宰相閣下、これはラグランジュ家だけの特例として扱うべきでしょうか」


「いいや。特例などと書けば、他の家が真似できなくなる」

 クロードは即答した。

「この契約は、国と家の関係を見直すための試験運用例として登録しろ」


 そして私とセルジュさんに向き直る。

「聖女殿。宰相補佐。あなた方の個人契約が、国の標準を変え得ると証明してみせた。……面倒な前例を作ってくれたな」


 皮肉の形をした賛辞。喉の奥がきゅっとなる。

 セルジュさんは、淡く笑った。

「光栄です」

 私は、頷くのに必死だった。


「……ところで」

 クロードが書類を閉じた瞬間、空気が変わった。

「聖女と宰相補佐の夫婦契約も、いずれ見せてもらうことになるだろう。国と神殿の契約を改訂するなら、そのプロトタイプが必要だ」


「ふ、夫婦……!」

 顔が一気に熱くなる。若手文官たちが、今度は咳払いすら忘れて固まった。


 セルジュさんは、なぜか少し嬉しそうだ。

「承知しました。必要な条文化は、随時」

「随時って……!」


 そのとき、頭の中に羽根が落ちるみたいな感覚がして、女神の声が響いた。

『いいですね、それ。夫婦契約は、私としてもぜひ世界契約の参考に……』

(やめてください、今ここ、国の執務室です!)

『国の執務室だからこそ、ですよ?』

(怖い!)


 クロードは、私の動揺を見抜いたように肩をすくめた。

「写本は持って行け。大神殿のアーカイブに登録して終わりだ。――以上」


♢♢♢


 昼前。行政区の石畳を抜けると、視界の先に大きな橋が現れた。

 契約大橋。国の役所側と、大神殿の神域側を、一本の道で繋いでいる。


 私は胸に写本を抱える。紙1枚の重さが、今日はやけに現実的だ。

「落としたら、どうなるんですか」

「落としたら拾います」

「そういう意味じゃなくて……」


 セルジュさんは、少しだけ歩幅を落として私に合わせた。

「失効はしません。正本は既に登録済みです。これは儀式の写しです」

「儀式……」

「国がこれを国益として扱うと決裁した。その決裁を、神殿の棚にも載せる。……橋は、その境界です」


 橋の上は風が強い。外套の裾が煽られて、私は写本をぎゅっと抱え直した。

 下を流れる川の音が、遠い拍手みたいに聞こえる。


「噂、広がりそうですね」

 橋の手前で、パン屋の店員が客に言っているのが聞こえた。

「ラグランジュ家が契約を変えたってさ。国に逆らったのか、って」


 私は眉をひそめる。

「逆らった、って……」


『人間の噂って、だいたいラベル貼りですよねえ。反逆とか、美談とか』

 女神が軽口を挟む。頭の中で。


 セルジュさんが、いつもの仕事の声でまとめた。

「逆らってはいません。国が求めるのは結果です。家族が潰れて供給が止まるより、回復して戻ってくるほうが長期の戦力になります」

「……数字の人」

「はい」

「でも、その数字のために、私を守ってくれたんですよね」


 セルジュさんの目が、少しだけ揺れた。

 彼は橋の欄干を見つめたまま、ぽつりと言う。

「生き残った者は、盤面を見続ける役目だと……昔は思っていました」


 その言葉に、胸が痛くなる。

 盤面。駒箱。減っていく駒。

 私は、息を吐いて笑うふりをした。

「じゃあ、盤面を見続ける役目の人に、休憩時間を入れる条文が必要ですね」


「それもいつか条文にしましょう」

 自分で言って、自分で恥ずかしくなる。でも、セルジュさんが少しだけ口元を緩めた。


「……はい。必ず」


 橋の向こうに、大神殿の白い尖塔が見える。

 国と神殿。仕事と生活。駒と人。

 その間にあるのは、たった1本の道と、たった1行の条文だ。


♢♢♢


 大神殿のアーカイブ受付は、相変わらず静かだった。

 書記官が写本を受け取り、封蝋を確認し、淡々と棚番号を告げる。


「ラグランジュ家・新家族契約写本、受領。……試験運用例として登録、ですね」

 書記官は一瞬だけ目を丸くしてから、すぐに職務の顔に戻った。


 外に出ると、日差しが少し柔らかくなっていた。

 肩の荷が、紙と一緒に棚へ収まった気がする。


「帰りましょう、リディア様」

「はい。……あの」

「何でしょう」

「夫婦契約、って……見せるんですか」


 セルジュさんは、真面目な顔のまま、当たり前みたいに言う。

「必要なら」

「必要って、誰が決めるんですか」

「宰相閣下と、女神様と――」

「私ですよね!」


『当然です。編集長はあなたです』

 女神が楽しそうに言う。やめて。


 私は深呼吸して、写本のなくなった胸元を押さえた。

 今日、国の現実担当が言った。

 家族を守ることが国のためになる、と。


 なら。

 私がこの人の生活を守ることも、きっと、どこかで誰かの未来に繋がる。


『本日の女神日記。国と家を繋ぐ条文、1本追加。次は夫婦契約ですね』


 頭の中の声に、私は小さく笑った。

 逃げ道も、休憩も、喧嘩も、きっと条文にできる。

 だって私は――この世界で一番面倒な前例を、もう作ってしまったのだから。


読了ありがとうございます。新条文が動き、次は神殿側へ……そしてセルジュとの『夫婦契約』はどうなるのか。続きが気になったら、ブックマークと評価で応援して頂けると励みになります!


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