第24話 他国の神、こちらを見ている
王宮の外交応接室は、香の匂いが薄くて、逆に緊張が濃い。
窓の外では、大神殿前の掲示板が豆粒みたいに見えた。誰かが「ブラック契約注意!」の試験ポスターを貼って、別の誰かが慌てて剥がしている。落ち着け、みんな。貼るのも剥がすのも仕事だ。
テーブルの真ん中には、新しく巻き直された巻物が置かれていた。
『聖女独立・公正監査契約(正式版)』
昨日まで、端のほうにうっすら残っていた銀色の痕跡は、今朝はほとんど見えない。紙が呼吸して、知らない層だけ吐き出したみたいに。
『他国神レイヤーの接続、ほぼゼロですね。ログだけ、向こうの女神様がかき集めておいでですけど』
(ログを、持ち帰ってるんですか)
『ええ。怒ってるときほど、証拠集めは丁寧です』
笑えない。
私は指先で巻物の縁をなぞり、消えかけた銀を確かめた。
「緊張している?」
隣でセルジュが、紅茶のカップを私に寄せた。音も立てないのが、彼らしい。
「してません。たぶん」
「たぶん、が付くあたり、している」
苦笑しそうになって、私の肩が少しだけ軽くなる。
扉が開き、クロード宰相が入ってくる。続いてアグナス大神官長。最後に、白い光の意匠をまとった男たちが、礼をして席へ。
ルミナリア系司祭と、その随行の若い司祭。若いほうは目線を上げたまま、指先だけが硬い。
司祭が巻物を広げた。声は丁寧で、温度だけが冷たい。
「アルシオン王国における聖女職の運用方針変更、承りました。ゆえに、我らより通告がございます」
彼は1度だけ息を置く。儀式みたいな間だ。
「貴国における『聖女独立・公正監査契約』の新解釈は、我らが『己を捧げる光の教義』と整合しがたく」
紙が擦れる音が、やけに大きい。
「『己が身を捧げる者』を、守られるべき側と定めた条文により、我らが神の『公正なる光』は、貴国の監査に介入する余地を失いました」
つまり、口を出せなくなった、と。
私は喉の奥で息を呑む。公正って言葉は、どこの国でも便利に使われる。だけど便利な言葉ほど、握った側の都合で刃になる。
司祭はそのまま続けた。
「本日をもって、ルミナリア系神殿は、アルシオン王都における『聖女監査』業務から手を引きます。併せて、王都拠点を当面閉鎖し、必要な者のみ本国へ帰還させます」
丁寧な言葉で、決裂の札が置かれた。
クロード宰相が、淡く息を吐く。
「閉鎖とはまた、思い切りましたな。公正のための仕事が消えるのは、惜しい」
皮肉が香の代わりに漂った。
セルジュは表情を動かさないまま、返す。
「本契約は、我が国の聖女と労働者を守るための国内運用ルールです。他国の神々に、自己犠牲の義務を負わせる意図はありません」
そこで1拍。
「ただし、聖女の自己犠牲を条件に権威を移す条文は、今後アルシオン国内では全面的に無効とみなします」
若い司祭の指先が、ぴくりと跳ねた。
震えている。怒りじゃない。怖さに近い震え。
ルミナリア系司祭の口元が、わずかに引きつる。
「国境の内側で完結する、と?」
「ええ。国境の外からどんな神が覗き込もうと、この国の働き方は、こちらの条文で決めます」
その言葉が、応接室の空気をまっすぐにした。
私は胸の奥で、勝手に拍手をしたくなる。本人は絶対にしないタイプの格好良さが、彼にはある。
アグナス大神官長が、静かに杖を床へ置いた。
「我らは公正を標榜する女神のもと、信仰と労働を守る契約を整えたいだけだ。神殿の威信のために、聖女をすり潰す気はない」
昔なら、言えなかった言葉だと思う。
司祭は首を傾け、淡々と返す。
「我らが『光の女神』もまた、公正を尊びます。ただ、そのためには、誰かが身を削る覚悟が必要だとお考えなのです」
『誰か、って大体いつも1番立場が弱い人なんですよねえ』
(やめてください、正論が刺さります)
私は若い司祭の手元を見た。祈りの所作が染みついた指。硬い皮膚。白いローブの袖口の内側に、かすかな擦り切れ。
この人も、身を削る側だ。削らせる側じゃなく。
ルミナリア系司祭が、最後の1文を落とすように言った。
「『己が身を捧げる者』を守る条文は、いずれ『公正さ』そのものを歪めるでしょう」
その瞬間、私は反射で言い返しそうになって、飲み込んだ。
歪むのは公正じゃない。歪ませてきた仕組みが、光の当たり方を変えられて、形が露わになるだけだ。
セルジュが、私の沈黙を知っているみたいに言う。
「歪むのは、自己犠牲を前提とした権威構造です」
司祭は答えず、礼をした。
撤退の儀式は、驚くほど簡素だった。署名の確認、封蝋、そして形式的な祈り。
扉が開き、彼らが退室する。
その背中を見送ったとき、廊下の床石の目地に、うっすら走っていた銀色の筋が、すっと色を失っていくのが見えた。
銀は、物理の世界からも退いていく。まるで、接続が切れた証明みたいに。
(契約の1行を消したら、世界のどこかで、誰かの神さまの仕事も揺らぐ)
喉の奥が乾いた。
国内の条文が、国境を越えた宗教と政治に触れている。その現実が、今日いちばん怖かった。
◇
その夜、私は大神殿の屋上にいた。
風が冷たくて、王宮の香よりずっと正直だ。髪が乱れても、誰も怒らない。そういう場所が好きになった。
夜空の端に、銀色の光が浮いていた。
数日前、雲の端を走っただけの細い線が、今は輪郭を帯びている。光の裂け目みたいに、静かに、こちらを見ている。
『向こうの神、かなりご立腹みたいですよ』
女神様の声が、頭の内側で苦笑した。
『ログを集めて、怒りを整えて、次に備える。人間も神も、やることは似てますね』
(次って……何ですか)
『会議です。世界契約サミット。言葉で殴り合うだけの戦争を、条文に封じるやつ』
私は空を見上げたまま、息を吐く。
(私たちの国の話じゃ、終わらないんですね)
『終わりません。だって、あなたが書いた1行が、他国の神の権限を削った。ほら、世界案件です』
(嬉しくない称号です)
女神様が、少しだけ真面目な声になる。
『でも、あなたは知ってしまったでしょう。自己犠牲を美徳にする仕組みは、神の名でも人の名でも、同じ形をしてるって』
(……はい)
『なら、直し方も同じです。定義して、責任を結び直して、逃げ道を潰して、休む権利を書く』
私は笑ってしまう。泣きそうなほうの笑いだ。
(条文って、ほんとに人を救うんですね)
『救いますよ。だって、救わないと私が過労死します』
(神様にも過労死があるんですか)
『あります。神のブラック案件、笑えません』
銀色の光が、1つ瞬いた。
見られている。けれど、ただ覗かれて終わる気はない。
(見られるなら、こちらも見返します。国境の外の神様にも、条文で返します)
『いいですね。怒っている神様ほど、会議に来てくださるんですよ。条文で殴り合う場さえ用意できれば、まだ話はできます』
私は手すりに指を置き、冷たさを確かめた。
足元の石は揺れない。揺れているのは、世界のほうだ。
銀の光の輪郭が、ほんの少し、近づいた気がした。
その気配に、私は目を逸らさない。
次は、世界を相手に契約を書く番だ。
ここまで読んでくださりありがとうございます!聖女制度の「国内ルール」が、ついに国境の外へ波及しました。空の銀の裂け目、その視線の正体は…?次回は『会議』という名の条文バトルが開幕します。続きが気になったら、ブックマーク&広告下の【☆☆☆☆☆】で評価、感想1行でも頂けると執筆の燃料になります!




