第21話 公開討論:「聖女の仕事とは何か」
公会堂の扉が開いた瞬間、熱とざわめきが顔にぶつかった。
王都の昼はいつも賑やかだけれど、今日は少し違う。人の声に、期待と悪意が混ざっている。
「聖女権威検証契約に基づく公開討論」
壇上の背後に掲げられた幕の文字が、やけに大きい。
席は三角形。王家側、神殿側、そして聖女席。まるで私が、矢印の交点に置かれた印鑑みたいだ。
胸元の小さな契約書メモ帳を指先で押さえ、深呼吸する。
大丈夫。言葉は感情で投げるものじゃない。条文みたいに、落ち着いて置けばいい。
観客席から、小声が飛ぶ。
「例のポスター……見た? あの、さ」
「『お前を愛するつもりはない』ってやつだろ」
「聖女に向かって……王太子さまが、だって」
やめて、とは言えない。もう街中に貼られている。子どもが替え歌にして笑うほどに。
でも、その軽さが救いでもある。人は、神殿や王家の言葉より、日常の実感で判断するから。
「リディア」
私の名を呼ぶ低い声。振り向くと、セルジュが少し後ろに立っていた。
今日、彼は壇上には上がらない。けれど目線だけで、私の背中の支柱になってくれる。
「緊張しているように見えませんね」
「見えてるなら、あなたの観察眼が怖いです」
「業務上、必要な範囲です」
……そこ、いつも「業務上」で誤魔化す。
笑いそうになって、私は喉の奥で息を整えた。
やがて、司会役のクロード宰相が壇上中央に進み出る。
淡々とした声が、公会堂の天井に反響した。
「本日の論点は3点に絞ります。
1つ、聖女は誰のために働く存在か。
2つ、聖女の権威を検証する『聖女権威検証契約』の解釈。
3つ、その契約に照らし、王太子・聖女双方の職務遂行に問題があったかどうか」
……2点目が、わざわざ議題に乗った。
ここから先、逃げ場がなくなる。つまり、相手も同じ土俵に立つしかない。
「では、王太子殿下。先に」
レオンが立ち上がる。よく整った金髪と、国民が慣れ親しんだ笑顔。
その笑顔が、今日はやけに硬い。
「民よ。私は王太子として、この国の安寧を守る責務がある。
聖女は王国の象徴であり、王家の隣にあってこそ、民に安心を与える存在だ。
聖女が王家から距離を置けば、国は分裂し、不安は増幅する。
だからこそ、聖女は王家と共にあるべきだ」
拍手が起こる。何割かは、安心したい人の手だ。
続いて、ルミナリア系の司祭が一歩前へ出た。声は澄んでいるのに、言葉が冷たい。
「真に公正な聖女とは、自身の身を削ることすらいとわない者。
その尊い奉仕があってこそ、民は信仰を捧げ、国は救われるのです」
尊い。奉仕。身を削る。
その3語の並びが、私の前世の書類棚を勝手に開ける。
『やりがい』『感謝される仕事』『自己成長』
よく似たラベルを貼られた案件が、だいたい燃えていたのを知っている。
クロードが視線を向ける。
私は立ち上がり、一礼してから、ゆっくり口を開いた。
「私は、聖女を『契約で定められた職務を果たす、1人の労働者』と考えています」
ざわっ、と空気が跳ねた。
聖女が自分で労働者と言った。その事実が、奇跡より驚かれるのは……少し滑稽だ。
「聖女の仕事は、奇跡を見せることだけではありません。
契約の立会人であり、人と神の約束を、公正に運用する者です」
私はメモ帳を開き、視線を落とさずに言葉を並べる。
日報のように。誰でも分かる順番で。
「朝は祈祷。午前は農民の地代契約の相談。
昼は騎士団の労働条件の確認。午後は貧民救済の配分契約。
夜は……神殿内の奉仕契約の見直し案と、行政から上がる改定書類の監査」
観客席のどこかで、誰かが小さく笑った。
『聖女ってそんなに働いてるのか』という、笑いと驚きが混ざった音。
「そのどれにも、『王家のため』とだけ書かれた契約は1つもありません。
契約にはいつも、『この国で生きる人々のため』と書いてありました」
「だが、王家こそが国を代表し――」
レオンが口を挟む。私は視線を逸らさない。
「では、その『代表』の責任も、契約で明らかにしておきたいですね」
一瞬、拍手が止まり、代わりに喉を鳴らす音が増える。
反論したい人ほど、言葉が見つからない顔になる。
クロードが、机上に置かれた紙束を取り上げた。
例のポスターの写しだ。隅の細い文字を読み上げる。
「『聖女権威検証契約 第○条に基づき、本情報を公開する』……でしたか」
その瞬間、客席の端から、すっと立ち上がる影がある。
セルジュだ。黒髪の官僚は、声だけで場の温度を下げる。
「補足します。その条文は『聖女側の不正が疑われた場合、関係するログを公開してよい』と規定しています。
……もちろん、『聖女側に限る』とは、どこにも書いていません」
ざわめきが、さっきとは違う方向に渦を巻く。
『あれ? じゃあ、命令した側も?』という気配が、波みたいに広がった。
私は、静かに頷いた。
「ならば同じ条文に基づき、聖女への発言ログだけでなく、
『聖女に命令した側』のログも、すべて公開するべきではないでしょうか」
言い終えた瞬間、私は自分の心臓が遅れて跳ねたのを感じた。
これを言えば、次は条文の全面開示になる。
つまり、隠れた一行も、誰の目にも見える場所へ出てくる。
クロードは短く息を吐き、まとめに入った。
「本日のところは、『聖女の仕事は誰のためか』について2つの見解が明らかになった。
次回、契約文そのものを公開し、条文に即して議論を続ける」
……引き分けの形を借りた、次の一手の宣言。
レオンの顔色が、ほんの少しだけ青い。
壇を降りた瞬間、私は膝の力が抜けそうになった。
公の場で、聖女が『労働者です』と言い切るのは、想像以上に体力を持っていかれる。
公会堂のロビー。人の流れが外階段へ向かう中、私はセルジュに小声で言った。
「今の、怒られますよね……人前で、労働者ですって」
「いいえ」
彼は一瞬も迷わず返した。いつもの、業務口調のまま。
「自分を労働者と認める行為は、『自分を守る契約の当事者になる』ということです。
アルシオン王国にとっても、極めて有益な発言でした」
……ほんと、褒めるのに熱がないのがずるい。
でも、その無色の言葉が、私には一番効く。
そのとき、階段の下から澄んだ声がかかった。
「アルシオンの聖女様。少し、お時間よろしいでしょうか」
振り向くと、異国の仕立ての外套を着た女性が立っていた。
眼差しが鋭いのに、笑みは柔らかい。書類を切るための刃を、礼儀で包んだ人の顔。
「ウェルナ商業都市連合、法務局のイルダと申します。本日の討論、とても興味深く拝聴しました」
「リディアです。遠路はるばる……」
「こちらこそ。噂以上でした」
イルダは私の胸元のメモ帳を一瞬だけ見て、楽しそうに目を細めた。
「『聖女を1人の労働者と定義する』発想は、契約として非常に扱いやすい。
いずれ、世界規模の契約見直しの場が持たれるなら……ぜひ、そのときも今日のように、
当事者の言葉で話していただきたい」
世界規模。
その単語が、足元の石段を少しだけ冷やした気がした。
私の背後で、セルジュが半歩下がる。外交の距離だ。だけど、私の影がぶれない距離でもある。
「……私にできるのは、条文を読むことだけです」
「ええ。それが一番強い武器です」
イルダはさらりと言い切った。
その言い方が、なぜか心地いい。奇跡より、紙のほうが世界を動かす。そんな国の人だ。
ふと、ロビーの柱の影に、白いドレスの裾が揺れた。
ミレーヌだ。顔は見えない。けれど、見なくても分かる。
彼女は今、誰の言葉を信じればいいか分からない顔をしている。
敵で、被害者で、そして……まだ、ここにいる人。
私は息を吸って、胸のメモ帳を閉じた。
次は、契約そのものを開く番だ。言葉の切り取りじゃない。条文の順番を、正しい順番に戻す。
「セルジュ」
「はい」
「次回、ちゃんと休憩時間、条文に入れましょう」
「賛成です。あなたの稼働停止条項は、最優先で」
階段の向こう、冬の光が眩しい。
私はその眩しさを、逃げずに見た。
次の討論は、もっと痛い。
でも、痛みの場所がはっきりしているなら、治せる。
条文は、そういうふうにできている。
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