表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/65

第20話 ミレーヌの告白と、歪んだ信仰

 ロウソクの火は、嘘をつけない。

 机の上の写し。厚い羊皮紙。端正な文字。署名欄に並ぶ黒いインク。

 そして末尾だけ、光にかざすと、かすかに銀色へ滲む一行。


 わたくしは指先でそこをなぞり、喉の奥で息を詰めた。この一行は、祈りの言葉の顔をして、祈りじゃない。


 扉が控えめに叩かれた。


「ミレーヌ。起きているか」

「はい、お父さま」


 父は部屋へ入るなり、余計な前置きもなく言った。


「王宮が、契約末尾を問題視し始めた。大神官長も気づいたらしい」

「……そうですか」

「だが殿下はまだ、公正だと仰る。明日の討論で押し切るつもりだ」


 父の声は乾いていた。家を守るために乾かした声。わたくしは頷く。


「家は、今、微妙な立場だ」


 その言葉だけで、胸の奥の古い鎖が鳴る。

 名誉は重い。責任はもっと重い。守るためなら、誰かが疑惑を背負わねばならない。


「陛下も殿下も、家を守るためなら、誰かに疑惑を背負わせねばならぬ立場だ」

「ならばせめて、その誰かは我が家から……ということですね」

「そうだ。世論が王家を飲み込めば、我が家も沈む」


 父は言い切って、視線を紙へ落とした。銀色の一行へは、見て見ぬふりをするように。


「わたくしが、浮き輪になります」


 父の返事を待たず、わたくしの指先が銀色を撫でた。

 冷たい光が、まぶたの裏を反転させる。


◇◇◇


 薄暗い礼拝室。壁には光の聖女の絵があり、その足元には膝をつく人々のモザイク。

 わたくしはそこに立っていた。父の隣。殿下の隣。司祭の向かい。


 礼拝室の外で、弟妹の足音が小さく駆けた。笑い声が遠くて、眩しい。

 あの子たちの未来に泥を塗らせたくない。そう思うたび、胸の鎖は「当然だ」と鳴った。


 司祭は穏やかに微笑み、巻物を差し出した。

 表題は、聖女権威検証契約。字面だけなら、誰も反対しないはずの言葉。


「真に公正な聖女は、己の身を削ることすらいとわない」

 祈りの顔をした断罪が、室内の空気を固くする。


 殿下が一歩、前に出た。いつもの、正しい顔で。


「疑われたままの聖女を、いつまでも隣に置いておくことはできない」

 その言葉は、優しさの形をして、切り捨てるための刃だった。


 わたくしは頬の内側を噛んだ。殿下を責めたくない。殿下もまた、王家という鎖を首にかけている。だから、わたくしが代わりに。


「殿下。あの言葉はもう、陛下のものではありません」

「ミレーヌ?」

「口にした瞬間から、紙に書かれた瞬間から。人の手に渡り、武器になります。だから……わたくしが持ちます」


 殿下の瞳が揺れた。けれど揺れは、決断を止めない。


「君は……強いな」

「強くなくては、守れませんもの」


 司祭が羽ペンを差し出した。先端のインク皿は黒いのに、光を受けると銀が潜む。

 わatくしは署名欄へ、震える手で名前を書いた。


 その瞬間、巻物の末尾が息をした。読めない文字が、読む前から心へ入り込む。

 わたくしが何かを差し出したのだと、体が先に理解した。


 でも、引き返さなかった。

 引き返さないと、わたくしが選んだのだと、言い聞かせた。


◇◇◇


 回想から戻ると、机に突っ伏したくなるほどの眩暈がした。

 けれど背筋を折れば、銀色の一行がただの呪いに見えてしまう。だから、姿勢を正す。


(利用されたのではない。わたくしが望んで選んだ道)

(そう言い続けなければ、家も、殿下も、守れない)


 窓の外で、若い侍女たちの噂話が揺れた。


「聖女様も、ミレーヌ様も、どちらが正しいんでしょうね」

 わたくしは小さく笑い、鏡の前で髪を整える。


「どちらも正しいと思わせるのが、明日の仕事ですわ」


 告知チラシの赤い文字が目に入る。公開討論会。

 銀色の一行は、ロウソクの火にまだ濡れていた。


◇◇◇


 大神殿の控室は、静かすぎて心臓の音が目立つ。

 私は椅子の背に触れ、指先の震えを押さえた。扉の向こうには、群衆のざわめき。


 そこへ、ミレーヌが入ってきた。

 侍女も護衛もいない。選んだのだろう、この短い「空白」を。


「リディア聖女殿。少し、よろしいかしら」

「……ええ。話すことがあるなら」


 彼女は椅子に座らず、窓辺へ立った。外の白い光を背負って、影の輪郭だけが濃くなる。


「あなたは、あの契約の末尾を見たのでしょう」

「見ました。見えない一行のことなら」

「わたくしは、見えていました。最初から。……ただ、見なかったことにしました」


 喉が鳴った。私は言葉を選ぶ。怒鳴れば、彼女は鎧を固める。


「どうして、そこまでして」

「自己犠牲が、美徳だからですわ」


 迷いのない口調で、背筋が冷えた。


「ルミナリアの教義が混ざった家で育ちました。願いには代償を。罪には罰を。……聖女は、国のために削れるほど公正だと」

「その公正は、誰のための公正ですか」


 ミレーヌは微笑んだ。笑みの形だけで、温度がない。


「皆のため。国のため。王家のため。家のため。殿下のため。……そして、わたくし自身のため」

「最後のそれが、一番苦しいでしょう」


 彼女の指が、窓枠を掴んだ。指先が白い。


「苦しいのは当然です。苦しくない献身など、価値がありませんもの」

「違う」

 私は思わず声を強め、すぐに息を整えた。


「公正を数字で証明し始めた瞬間から、それは誰かの武器になります。あなたが削って証明した公正は、あなたを削るために使われる」


 ミレーヌの目が、ほんの少しだけ揺れた。


「武器にされても構いませんわ。わたくしは、そういう役目ですもの」

「役目で人を壊す仕組みは、信仰じゃない。契約です。そして、悪い契約です」


 私は胸元の紙束を指で叩いた。守られるための条文。

 あの夜、セルジュが言った。「結論として、あなたはもっと守られるべきです」と。


「私は、守られる側だと決めました。契約に書いたからです」

「……羨ましいことを仰るのね」

「羨ましいなら、あなたもそうすればいい」


 ミレーヌは、すぐに首を振った。


「わたくしが守られたら、誰が罪を背負いますの。誰が、殿下を、家を……」

「あなたがいなくなる前提で設計された契約なら、まずそこが間違っています」

「いなくなる前提?」

「末尾の一行は、あなたが限界まで自己犠牲を達成した瞬間、誰かが得をする仕組みに見えた」


 ミレーヌの顔色が少し抜けた。けれど、次の瞬間には貼りつけた笑みが戻る。


「神がそう望むなら、わたくしはそれに従います」

「神を口実にしないでください。少なくとも、私が仕える女神は、あなたの命を望みません」


 沈黙。控室の外で、誰かが咳払いをした。


「リディア聖女殿。あなたは優しい。……だから危うい」

「危ういのは、あなたです」


 言い返した瞬間、ミレーヌの瞳の奥で、何かが小さく欠けた気がした。

 守られる側だと知ってしまうことが、怖いのだ。鎖が外れたとき、自分が空っぽになるから。


 ノック音がして、扉が少し開いた。セルジュが顔を覗かせる。

 彼の視線は一瞬だけミレーヌを測り、すぐ私に戻った。


「そろそろ時間です」

「はい」


 ミレーヌは背筋を伸ばし、私をまっすぐ見た。


「今日の討論で、わたくしはあなたの敵として壇上に立ちます。けれど……もし神が本当に公正なら、被害者としてのわたくしも、どこかで見ていてくださるでしょう」


 そう言って、彼女は扉の向こうへ消えた。


 私は残った空気を吸い込み、胸の内で結び直す。


(彼女を敵としてだけ裁つ討論にはしない。自己犠牲を前提にした仕組みそのものを裁く)


 セルジュが小声で言った。


「議題の軸は、聖女の仕事ではなく、聖女をどう守るかにしましょう」

「ええ。守られるべき人を、守られる側へ戻すために」


 外から、討論会開始のアナウンスが響く。

 私は光の差す廊下へ一歩踏み出した。


ここまで読んでくださりありがとうございます。ミレーヌの告白で、信仰が祈りから契約へ変わる瞬間が見えてきました。次話、討論会の壇上でリディアは「守られる側」を取り戻せるのか。面白かったと思っていただけたら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援してもらえると嬉しいです!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編掲載中!
よろしければ応援お願いします!
婚約破棄?上等、封印証拠で公開監査し監査公爵と溺愛契約
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ