第17話 監査委員会という名の吊るし上げ
黒枠のビラは、朝の空気にやけに似合わない。
数日前まで、あれはただの噂の燃料だった。誰かが貼って、誰かがはがして、また貼られる。そんな程度だと思っていたのに。
今日は違う。
王都アルシエル中央広場。石畳の端に、黒枠ビラの隅へ、端正な書体の新しいお触れが重ね貼りされていた。
「聖女祝福の公正さを確かめるため、第三者による祝福監査委員会を設置する」
「市民代表募集」
「公開審問」
文字が綺麗すぎて、逆に怖い。
『第三者って便利ですよね。誰が選んだ第三者かは、小さな字でしか書いてませんけど』
頭上の残光が、いつもの軽口を落とす。
私は紙の下のほうを目で追った。委員の選任方法。確かに、小さい。注釈の奥に「王城推薦」「神殿推薦」が見える。
背後で、洗濯かごを抱えた主婦たちが囁く。
「順番の決め方が分かるなら、いいことじゃない?」
「聖女様だって完璧じゃないものね」
露店商が、わざと聞こえる声で笑った。
「公正なら困りませんでしょう。監査ってやつは、悪いことしてる奴だけ怖いんですからな」
期待と、うっすらした敵意。混ざると毒になる。
大神殿に戻ると、廊下が戦場だった。
神官たちが記録簿を抱えて走り回る。
「過去3年分の祝福ログを出せ!」
「貴族案件と庶民案件を色分けしろ!」
ティオが青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「聖女様、提出対象に、優先判断のメモまで入っています。あの…あれ、全部……」
「ええ。私の字、読まれるのね」
「読まれます! しかも公開です!」
背筋が伸びる。前の世界で、監査の名が鳴ったときの空気を思い出す。机の上の資料が、突然証拠に変わる瞬間。
廊下の奥を、見慣れない紋章の書記官が通り過ぎた。ローブの裾に、白い光の意匠が一瞬だけのぞく。
ルミナリア。別の国の、別の神の匂い。
ほどなく、王城からの正式文書が届いた。セルジュが封蝋を割り、淡々と読み上げる。
「委員長、レオン王太子殿下。委員、アグナス大神官。貴族院代表。商人ギルド代表。市民代表数名」
一拍置いて、彼は続けた。
「そして信仰に通じた第三者として、ルミナリア系司祭」
私は口角を上げた。笑うしかない。
「第三者って言うわりに、刃物の数が多いですね」
「構成だけ見れば、聖女に厳しい側が多数派です」
セルジュの声は冷たいのに、私の肩にかかるものを測る秤みたいに正確だった。
『結論が決まっている会議ほど、公正な手続きって言葉が好きなんですよね』
女神が言って、私はため息を飲み込む。
地下会議室へ続く石段の前で、セルジュが足を止めた。重い扉の取っ手は冷たい。
「本来、あなたをこんな場に立たせる前例は作るべきではありませんでした」
「でも、作られちゃった」
「ええ。できてしまった前例は、条文でねじって取り返すしかない。私は中で記録に徹します」
私は指先で契約指輪の内側をなぞる。
「じゃあ私は、言葉を選ぶ。あとで条文化してもらえるように」
「それが最善です」
セルジュの目が一瞬だけ、熱を持った。
「倒れないでください。今日のあなたは、明日の祝福でもあります」
「…労働者保護条項ですね」
「今のも、条文にします」
私が笑って返す。
「それ、条文にします?」
扉が軋んで開く。
◇◇◇
ろうそくの火が、石壁に揺れていた。長机の片側に委員たち。中央にレオン、その隣にルミナリアの司祭。アグナス大神官は端で、いつもより小さく見える。
反対側に、私が1人。背後にセルジュ。ペン先が光を反射している。
「聖女リディア」
レオンの声は王家の声だった。
「国民は不安を抱えている。疑われたままの聖女を、いつまでも隣に置いておくことはできない。だからこそ、ここで白黒をつけねばならないのです」
ルミナリア司祭が柔らかな笑みで資料を開いた。
「ここ3年間の祝福件数。王族・大貴族向けがこちら。庶民向けがこちら。数字だけ見れば、偏っているようにも見えますね」
数字は便利だ。顔を消して、物語を作れる。
私は静かに言った。
「大規模災害や疫病、戦時の支援要請は王城経由で集約されます。町の治癒班が回している案件は、ログに上がらないものもあります。数字は入口の形で変わります」
「つまり」
司祭が滑らかに挟む。
「声の届きやすい場所が優先されている、と」
「届きやすい場所は、責任の範囲も大きい。私は責任の重さで順番を決めました」
商人ギルド代表が紙束を叩いた。
「では具体例を。貧民街の倉庫火災の日、侯爵家の婚礼祝福を優先した件」
「その火災は神殿の治癒班が現場に向かっていました。婚礼祝福は既に儀式の途中で中断できない段階だった。中断すれば参列者の加護が弾け、負傷者が出る」
「侯爵家」「婚礼」
その単語だけが、説明より先に残る。
私は淡々と答え続けた。淡々としなければ、負ける気がした。感情を見せれば、それは動揺という見出しになる。
ルミナリア司祭が、少しだけ声を強める。
「真に公正な聖女は、自らの身を削ることすらいとわない。たとえ倒れても、誰も見捨てなかったと胸を張るべきでは?」
その言葉に、過去の私が一瞬だけ頷きかけた。奉仕は尊い。自己犠牲は美しい。そう教わってきた。
でも、今の私は首を横に振る。
「倒れた聖女は、翌日に誰も救えません。私は神の器である前に働く人間です。今日救う人と同じくらい、明日も働ける自分を守らなければならない労働者です」
ろうそくの火が、一斉に小さく揺れた気がした。
重い沈黙のあと、アグナス大神官が口を開く。
「公正さを聖女1人に背負わせてきたのは、神殿の怠慢でもある。勤務体制を整えず、無理をしてくれる前提で運用してきたのだからな」
司祭は話を切り替えるように1枚の契約書を掲げた。
「本日の手続きは、この聖女権威検証契約第…条に基づき行われました。第三者監査の公正さは、我らが光の女神の名において保証されます」
紙の末尾。ごく細い一行。銀色がかったインクの署名。
その瞬間、袖の内側で女神の羽ペンがぴくりと震えた。
『このサイン、うちの署名レイヤーじゃありませんね。別の神の契約です』
女神の声が、急に冷える。
セルジュが、私の背後から小さく言った。
「後ほど、インクと条文構造を詳しく教えていただけますか」
『もちろん。あれ、国内問題の顔をしてますけど…向こうの神が指を突っ込んでますね』
レオンが机を叩く。
「では聖女リディア。あなたは、本委員会の判断に従うと誓えますか」
私は息を吸う。吐く。誓いの言葉は、刃にも盾にもなる。
「私は、公正に見える物語ではなく、救える現実に従います。判断が公正であるなら、条文で示してください。私は条文に従います」
扉の外へ出た瞬間、地下の冷気が背中から離れた。階段の上に、薄い昼の光が見える。
『さあ、監査の次は世論戦ですね。言葉って切り取りやすいですから』
女神が言う。
私は光へ向かって歩きながら、銀色インクの感触だけを心に残した。
これは王都の問題じゃない。もっと遠い、眩しい場所から伸びてきた指だ。
それでも私は、今できることをする。
「セルジュ。次の条文、用意できます?」
「既に。あなたが倒れないための最優先条項を」
「…頼もしい」
地下会議室の扉が、また静かに閉まった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!次話、監査の裏で動く「別の神」の影がさらに濃くなります。リディアとセルジュは“条文”で逆転できるのか。続きが気になったら、ぜひブックマークで追跡&広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると執筆の励みになります!




