第14話 戦う者を守る条文
王宮の小会議室は、窓の外だけが平和だった。
光の差す王都の屋根瓦とは裏腹に、机の上には真っ赤な棒グラフが2枚、撤退ラインを書き込んだ地図、そして2重線だらけの旧契約書が並んでいる。
「……数字は嘘をつきません」
セルジュが淡々と言い切り、紙束を指で揃えた。黒髪をきっちり結んだその横顔は、いつも通りの仕事顔なのに、今日はどこか『怒っている』のが分かる。
ロラン団長は椅子に背を預けず、背筋を張ったまま。指先が、例の2重線に触れそうで触れない。
ティオは書記官席で、羽根ペンを握りしめて青い顔をしていた。私も、つい自分の掌を見た。ペンを持つ手が、誰かの足を止めるかもしれない日が来るなんて。
「損耗率がこの数値に達した時点で、自動撤退とする」
セルジュが新しい条文案を読み上げる。
「負傷者の治療と再配置を前提とした休養条項を追加。さらに、撤退判断を下した隊長を評価する条項……」
「待て」
硬い声が割り込んだ。レオン派の騎士幹部が、机に拳を置く。
「撤退など、国軍の恥。戦場で足を止めた者が評価されるなど、前例がない」
「前例がないのは、守る仕組みがなかったからです」
私は笑わず、怒りもしない。前世の職場で学んだ『感情は交渉の餌』だ。
「第13話の北の森戦、死者は0でした。でも重傷者は出た。あれを『成功』と呼ぶなら、次は『傷を減らす成功』を契約で作れます」
「聖女がそんな……」
別の騎士が唸る。
「聖女が休むなら、誰が前線の傷を癒やす。癒やしが足りぬのは、現場の責任ではない!」
大神官長アグナスが、珍しく視線を逸らさなかった。
「……聖女の稼働を前提に、騎士を消耗させるのは、神殿の怠慢でもあります」
その言葉に室内の空気が変わる。大人が、自分の責任を言葉にした瞬間は、いつだって重い。
クロード宰相が鼻で笑う。
「『誰が癒やす』と言うなら、答えは簡単だ。癒やしの需要が爆発しないように、戦死と重傷を減らす。国益だろう?」
レオン派の騎士幹部は、なおも食い下がった。
「ではこの条文、『損耗率』の算定は誰が決める? 現場が勝手に数字を弄れば――」
「条文は、生きて帰ってくる人のためにありますから……!」
ティオが、思わずぽろりと零した。自分で言って自分で固まり、耳まで赤くなる。
でも、彼は逃げない。息を整え、続けた。
「損耗率は、騎士団と神殿、官僚の3者が同じ帳票で管理します。契約に『帳票の整合』が条件として入っているので、1者だけでは改ざんできません」
私の脳内で、女神の声が小さく鳴った。
『ティオくん、えらい。今の文、後で太字に……いや太字禁止でしたね。』
室内に、短い沈黙が落ちる。
そして全員の視線が、玉座側のグスタフ王に集まった。
国王は、旧契約書の「前線保持のため、撤退を禁ずる」ページに引かれた2重線と、新しい条文案を見比べる。迷いが、ほんの少しだけ瞳に残っている。
けれどその迷いは、ロランの手の震えを見て消えた。
「この国は、長く『命を捧げる』者に頼りすぎてきた」
王の声は、静かで、だからこそ逃げ場がない。
「だが、これからは違う。戦う者を守る条文を、すべてに優先する」
ロラン団長が息を呑んだ。
王は続けて、彼をまっすぐ見た。
「撤退命令を出した団長を、私は恥じぬ。生きて部下を連れ帰った将こそ、王として誇りたい」
その場で、何かが上書きされた音がした気がした。呪いに似た誇りが、国の言葉で塗り替えられる音。
会議が散ったあと、廊下の窓際でセルジュが私の歩幅に合わせる。
「……『撤退権という勇気』、国の言葉になりましたね」
「ええ。ここから先は、『世界契約の言葉』に翻訳する段階です」
彼はそう言って、私の肩からずれかけた外套を直した。指先がほんの瞬間だけ触れて、仕事の温度が、ほんの少しだけ人の温度に変わる。
◇
午後の王宮大広間は、軽い公開イベントの顔をしていた。
騎士団、神殿、官僚、市民代表。人の数だけ視線があり、視線の数だけ期待と不安がある。
前列に並ぶ騎士たちの胸元の加護タグを見て、私は息を止めた。
剣の文様だったはずの印に、北の森戦以降、うっすら盾の輪郭が浮かび始めている。今日の調印が終われば、きっと完全に『守るための印』になる。
書記官席でティオが新しい契約書を何部も並べている。隣に、女神から預かった「世界契約ノートのミニ写し」までこっそり置いていて、彼の本気が伝わってくる。
セルジュが前に出た。
「本日採択される騎士団契約改訂案の要点を朗読します」
朗々と、でも余計な飾りはなく。
撤退判断を下した隊長の評価条項。
基準以上の損耗率に達した部隊の自動撤退規定。
負傷者の治療、再配置を前提とした休養条項。
戦死率の定期開示。
若い騎士が隣と目を合わせ、小さく笑った。
「……生きて帰って、また戦えるんだな」
年配の騎士は唇を噛み、「若い頃、これがあればな」と誰にも聞こえない声でこぼす。
ロラン団長が礼をして、短く言った。
「本日ここに、『命を惜しまず戦え』としか書かれていなかった契約を、『生きて守るために戦え』と書き換える」
視線が、ほんの瞬間だけ私に来る。
「私が足を止める決断をしたとき、その足を支えてくれたのは、彼女たちが作った条文と、陛下の言葉でした」
調印の瞬間、王が署名を終えると同時に、空中にふわりと羽ペンが現れた。
女神の道具だ。誰にでも見える『公正』の演出。
その羽ペンが、契約書の「戦う者を守る条文」の段落に、ぱちん、と光る羽根印を押す。
私の視界だけが、ほんの瞬間だけ別の層に重なる。
騎士たちのタグに、光る2重線が走った。剣の刃先が音もなく折れ、代わりに丸みを帯びた盾の縁へ変わっていく。
『はい、騎士団『命捨て契約』削除処理、完了っと。 この『戦う者を守る条文』、世界契約ノートの『戦時条文テンプレ』にドラフト登録しておきますね』
女神の脳内SEが、仕事の完了報告みたいに軽い。
ティオがその言葉を聞き取り、震える手でメモを取った。
「世界契約ノート:戦う者保護条文案」
◇
儀式のあと、王都は静かに変わっていく。
騎士団詰所の掲示板に新契約の写しが貼り出され、若い騎士がその前で「撤退命令を出した隊長を笑ったら罰」という1行を指でなぞる。
北の森戦の撤退ラインが引かれていた丘には、記念碑の基礎石が置かれた。私はロランと並んで銘文案を眺める。
「ここで足を止めた勇気を忘れない、か……」
「忘れないために、書きます。紙は、忘れないですから」
紙の上の1行が、誰かの足を止める理由になる。
それを卑怯と呼ぶ国から、守るための勇気と呼ぶ国へ。
今日の調印は、その1歩目にすぎない。
『本日、アルシオン王国、戦時契約レイヤーを『命捨て仕様』から『生存優先仕様』にアップデート。次は──世界の番ですね。』
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
撤退は恥じゃない、守るための勇気。王国の条文が1つ書き換わりました。
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