表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/44

第11話 撤退権という勇気

 王都騎士団本部の詰所の広間は、今夜だけ半分酒場だった。

 鎧が壁に立て掛けられ、机には大皿料理と樽酒。笑い声は賑やかなのに、私の目には別のものが見える。

 騎士たちの肩に貼り付く、剣の形の光。命捨てタグ。先日の白い撤退ラインの鎖の気配が、まだ足首のあたりで鳴っている。


「今回は死人を出さずに済んだ。誇っていい」


 ロラン団長が杯を掲げた。若手は声を張り上げる。

「団長に乾杯!」

「団長が止めてくださったおかげで、俺たちの脚はまだついてる!」


 団長は頷いたけれど、杯を握る指は強張ったままだった。笑顔の裏に、立たなかった足の後悔が残っている。


 私は隅の席で薄めた葡萄酒を口に運ぶ。聖女としてここにいるのは、相変わらず落ち着かない。無事を祝うほど、危うさが浮き上がる。


「聖女様、騎士団の酒はどうです?」


 包帯の腕を振り回し、カイルが笑う。元気そうに見せているけれど、目だけがときどき遠い線を探している。


「強いですね。私の舌が先に撤退しそう」

「撤退!」


 周りが笑った。そこへ乾いた声が刺さる。


「撤退など、恥をさらすだけだ」


 レオン派の幹部騎士、ガルド隊長だった。背筋は鎧を脱いでも戦場のまま。

「そうだぞカイル。殿下も腰の引けた軍などお望みにならん」

「……はい」


 返事が遅れる。笑いが一瞬で萎んだ。

 中堅の騎士が苦笑して場を繋ぐ。

「まあ、命を惜しまず戦うのが義務だからな。そういう契約だ」


 義務。契約。

 便利な言葉だ。責任も恐怖も、同じ箱に詰められる。


 カイルが、助けを求めるみたいに私を見る。

「聖女様は……前線、怖くないんですか」

「怖いです。すごく」


 正直に言ってから、私は笑ってみせた。

 そして、軽い調子のまま重い話を持ち込む。逃げたら、たぶん私はまた黙る側に戻るから。


「前の世界の……仕事の話なんですけど。部下が倒れそうで、上司が『いったん止めよう』って言ったんです」

「良い上司じゃないですか」

「でも次の日、臆病者って陰口を叩かれて、左遷されました」


 どっと笑いが起きた。最初は。

 けれど笑いが切れた瞬間、誰かが気づく。ここにも同じ構図がある、と。


 ガルド隊長が鼻で笑う。

「なら、その世界は弱い。戦えぬ者は上に立つ資格がない」

「弱かったのは、上司じゃなくて……評価の仕組みです」

 私は言い切った。

「成果だけで褒めて、止める判断を罰する。そうすると……誰も止められなくなる」


 そのとき、入口がきぃ、と鳴った。夜気が流れ込み、酒の匂いが少し薄まる。


「失礼します」


 セルジュさんとティオが入ってきた。ティオは羊皮紙の束を抱えて息を整えている。

 セルジュさんは周囲に一礼して、淡々と言った。


「数分だけ。本題に入ります」



 壁に2枚の紙が貼られた。左が戦果、右が死亡率。

 数字の線は、言い訳を許さない。


「撤退命令が一度も出なかった任務と、途中で退く決断をした任務では、死亡率が明確に違います」

 セルジュさんが指で示す。

「戦果の増減より先に、こちらが跳ね上がる」


 ティオが記録を読み上げた。

「撤退を進言したのに、前団長の怒りを買って左遷された隊長がいます。記録上は職務不適格。ですが帰還した戦力は過半でした」

「……そんな話、あったな」


 ざわめきの中、セルジュさんが1枚の紙を掲げた。

「条文案です。撤退命令を出した隊長の評価条項」


 私はその瞬間、命捨てタグの縁に、うっすら盾の影が重なるのを見た。まだ薄い。でも、形が違う。


「隊長が事前に定めた撤退基準に従い退却命令を出し、部隊の生存率を一定以上保った場合、その判断を武勲として記録する」

「撤退が武勲だと?」

 ガルド隊長が噛みつく。

「腰抜けが得をする世の中にする気か」


 私は椅子から立った。床の感触を足裏で確かめる。前へ行く足じゃない。止まるための足だ。


「前に進めと言う勇気は、分かりやすいです」

「……」

「でも、退けと言う勇気は分かりにくい。だから罰されやすい。だから、誰も言わなくなる」


 私は息を吸って、言葉を選ぶのをやめた。

「止めたほうがいいと分かっていて、何も言わない方が、私は怖いです」


 沈黙が落ちる。

 私はセルジュさんの紙を指した。


「撤退できる権利をください。撤退権という勇気を、条文で守りたい。今日、そのお願いをしに来ました」


 ロラン団長が杯を置いた。木の音がやけに大きい。


「……あの日」

 団長は自分の膝を見た。

「退け、と命じようとして。足が前に出なかったことがある」


 誰も笑わない。

 団長の声は、不器用に、でも真っ直ぐ続いた。


「臆病者だと思っていた。だが……もし、あの時退けと言えていたら、と考えたこともある。墓標を、いくつ減らせたか」


 セルジュさんが黙って条文案を渡す。団長は紙を受け取り、しばらく目を落としたまま動かなかった。


「撤退を命じることが逃げではなく、部下を生かす責任だと言うのなら」

 団長が顔を上げる。

「その責任を果たした者を守る条文があってもいい」


 若い騎士が恐る恐る声を出した。

「団長がそう命じるなら、俺は従います」

 別の若手が続く。

「生きて帰って、また戦いたいです」


 その言葉が、胸の奥を叩いた。生きて、また守るために戦う。


 ガルド隊長が唇を引き結ぶ。

「国境は誰が守る」

「守れます」

 セルジュさんが即答する。

「これは腰抜けを甘やかす条文ではありません。責任を取る勇気を、数字と文字で支えるための条文です」


 カイルが拳を握りしめ、ようやく頷いた。

「……次は、団長の声を聞きます。俺、勝手に線を越えない」

「そうしろ」

 団長が小さく笑う。

「生きて帰れ。その方が、次の剣が振れる」


 命捨てタグが、ほんの少しだけ薄くなる。代わりに盾の影が濃くなる。仮でも、形は形だ。


 頭の奥で、かすかな紙の音がした。世界のどこかでページがめくれたみたいに。


『ようやく、退く勇気の話になりましたね』


 女神様の声が、脳内でぼそっと鳴る。

 私は笑いそうになるのを堪え、セルジュさんに小さく頷いた。


「では」

 セルジュさんが場を締める。

「明日、試験運用としてこの基準を持って出動します。北の森で魔獣の動きが不穏です」


 笑い声の代わりに、剣が床を擦る音がした。

 誰もが自分の足を確かめるように立ち上がる。


 私はその背中を見送って、胸の中で言葉をもう一度噛んだ。


 撤退権という勇気。

 それは逃げ道じゃない。

 生きて守るための、最初の一歩だ。


ここまで読んでくださってありがとうございます!撤退する勇気が、誰かを生かす盾になる。そんな回でした。続きでは北の森で新たな不穏が動きます。面白かったらブックマークと評価で応援してもらえると、次話の執筆が加速します。感想も大歓迎です!



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編掲載中!
よろしければ応援お願いします!
婚約破棄?上等、封印証拠で公開監査し監査公爵と溺愛契約
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ