第9話 「武勲」と「死亡率」のバランスシート
昨日の怒号が、まだ耳の奥で反響していた。
「聖女が働けないなら、誰が傷を癒やす!」
騎士団幹部会のあの言葉は、私を責めたいのではなく、怖がっている声だった。けれど怖さは、条文の裏で人を殺す。
「リディア、こちらです」
セルジュに促され、私は騎士団本部の地下へ降りた。石段は冷たく、油灯の匂いが濃い。奥に広がるのは、棚、棚、棚。巻物、帳簿、石板。戦歴の海。
「ここ、神殿書庫よりカオスですね……」
ティオが泣きそうな顔で、腕いっぱいの帳簿を抱えた。今日の彼は聖女執務室ではなく、契約書庫からの助っ人としてここにいる。誠実さが服を着て歩いてるみたいな子だ。
セルジュは淡々と机を拭き、帳簿を並べた。
「本日は決算を出します。武勲と戦死率、その両方で」
「……今日の案件、数字で殴る日ですね」
口にしてから、自分で笑いそうになって飲み込む。笑っていい場所じゃない。ここは、数字の墓場だ。
帳簿を開くと、まず目に飛び込んでくるのは金色の文字だった。
『武勲、獲得。黒狼の群れ、討伐。』
その下に、端へ追いやられるように小さく書かれている。
『戦死、24名。』
私の視界には、契約の痕跡が薄く重なって見える。剣の形をした、冷たいタグ。命を捧げる前提の線。
「これ、項目が揃ってませんね……」とティオが眉をひそめる。
「揃っていないのが揃っているのが、現場です」とセルジュが言い、さらさらと分類を始めた。
任務名、戦果、投入人数、帰還人数、戦死、重傷、再投入回数。紙の上で、人が生きたり消えたりする。
ティオは途中から、完全に写経の顔になった。
「聖女さま、これ全部……?」
「全部」
「……はい……」
返事が小さすぎて、もはや祈りだ。
ある程度、数字が揃ったところで、セルジュが私を見た。
「女神に、可視化を依頼できますか」
「うちの上司、今日も残業ですけどね」
心の中でだけ謝って、私は祈る。
羽音がした気がした。
空中に光の板が2つ、ぱっと開く。左には任務ごとの戦果指数の棒グラフ。右には同じ任務の戦死率の棒グラフ。左だけ見れば、撤退禁止条項が導入されてから右肩上がりで、騎士団は優秀に見えた。
でも右は違う。導入後から、棒が急に跳ね上がる。真っ赤。私の脳裏に、あの日の「聖女稼働ログ」の形が重なった。働かせたら勝てる。燃やしたら明るい。そういう曲線。
「……これほど、似るものなんですね」と私は呟いた。
セルジュが小さく頷く。
「数字は、嘘をつきません」
そのとき、ティオが指で1箇所をつついた。
「ここの任務だけ、戦果も高いのに戦死率が低いです」
光の板の中に、異物のように沈んだ棒がある。
帳簿をめくり、巻物を探し、埃まみれの紐をほどく。出てきた記録には、冷たい1文があった。
『隊長、敵増援を見て独断撤退。武勲を逃す。左遷。』
「……撤退した隊長、ですね」とティオ。
名前はエルンスト。30年ほど前、国境の黒い峡谷で撤退を命じた男。公式記録の語り口は、まるで罪状だ。
けれど、数字は別の物語を言っていた。
撤退で生き残った兵たちは、その後の大きな戦で何度も武勲を上げている。再投入回数が、綺麗に積み上がっている。国としての利益は、むしろここが最も高い。
「逃げた卑怯者として処分された判断が、最も投資効率が良い」
セルジュが淡々と言って、私は胃の奥がきゅっと縮んだ。命を投資と言うのは冷たい。けれど冷たい言葉でしか、止められない仕組みもある。
セルジュは石板を引き寄せ、線を引いた。
左に「武勲(短期利益)」。右に「生存騎士数・再投入回数(長期利益)」。
「1度きりの大勝利より、何度も帰ってきてくれる兵のほうが、国としては得です」
私が言うと、ティオが目を丸くした。
「得……」
「うん。生きてるって、価値がある」
口にした瞬間、羽ペンが石板の上にうっすら銀色の文字を落とした気がした。
『撤退判断評価指標(仮)』
昼前、私たちは資料を抱えて地上へ出た。光が眩しくて、少しだけ現実に戻る。戻った先に待っていたのは、騎士団長室の空気だった。
ロラン団長は立ったまま、こちらを迎えた。背が高く、鎧のような礼儀正しさをまとっている。その後ろに、数名の幹部がいる。視線が硬い。レオン派、というやつだ。
「セルジュ殿。聖女殿。今日は何を持ち込まれた」
「数字です」とセルジュが即答した。
幹部の1人が鼻で笑う。
「戦場を机で裁く気か」
「裁くためではありません。責任の所在をはっきりさせるためです」
セルジュの声は丁寧で、切っ先だけが鋭い。
ロラン団長が腕を組む。
「武勲には代償が伴う。覚悟なき者に剣を持たせるつもりはない」
「撤退を許せば、腰の引けた隊長が増える。国境は守れぬ」
昨日の信念が、そのまま立っている。
幹部が追い打ちをかけた。
「殿下は腰抜けの軍などお望みにならない」
その言葉が、部屋の床に落ちる。呪いみたいに。
私は息を吸って、吐いた。
「撤退禁止条項のある国は、人を使い捨てにする国と同義です」
ロラン団長の眉がわずかに動く。
「前の世界で、私は工場の事故統計を見ていました」
場違いな単語に、幹部が怪訝な顔をする。でも続ける。
「成果だけで管理職を評価すると、事故はおまけになります。大事故が起きて、評価制度が変わりました。事故を減らすほど昇進する。そうした瞬間、現場の空気が変わったんです」
「無茶をさせた上司」から「人を無事に帰らせた上司」が褒められるようになった。私はそこを、噛み砕いて置いた。
セルジュが補足する。
「評価指標を変えれば、覚悟の形も変わります」
私は光の板を呼び出した。空中に2枚、あの棒グラフが浮かぶ。
「撤退禁止条項の導入前と導入後。戦果は上がっています。でも、戦死率は」
真っ赤な棒が、導入後から跳ね上がる。
ロラン団長の喉が動いた。
「……これほどまでに」
彼の視線が、数字の向こうを見ている。名前のない兵の顔を、数えている。
「1度の大勝利のために、もう戻らない兵を何人差し出したか。これが、騎士団の現在の決算です」
セルジュの言葉は、怒鳴らないのに重い。
沈黙のあと、ロラン団長が小さく呟いた。
「……もし、あの時『退け』と言えていたら、と考えたことはある」
幹部たちが息を呑む。私も、息が止まる。
彼の信念が、初めてひび割れた音がした。
会議は結論を出さないまま終わった。出せるはずがない。価値観は条文より重い。でも、ひびは入った。ひびが入れば、そこにインクが染みる。
ロラン団長たちが去ったあと、私は石板の隅に小さく書いた。
「案:撤退を判断した隊長に、武勲とは別枠の生存評価を付けること」
羽ペンが、その1行だけ強く光った気がした。遠くで、世界契約ノートのページがめくれる音を想像する。
その日、騎士団の戦歴の片隅に、小さな余白が生まれた。
そこに何を書くかで、この国の「武勲」の意味は、きっと変わっていく。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
「数字で殴る」回、楽しんでいただけたら嬉しいです。
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感想も大歓迎です!次回、ひび割れた価値観が動き出します。




