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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

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第9話 「武勲」と「死亡率」のバランスシート

 昨日の怒号が、まだ耳の奥で反響していた。

「聖女が働けないなら、誰が傷を癒やす!」

 騎士団幹部会のあの言葉は、私を責めたいのではなく、怖がっている声だった。けれど怖さは、条文の裏で人を殺す。


「リディア、こちらです」

 セルジュに促され、私は騎士団本部の地下へ降りた。石段は冷たく、油灯の匂いが濃い。奥に広がるのは、棚、棚、棚。巻物、帳簿、石板。戦歴の海。


「ここ、神殿書庫よりカオスですね……」

 ティオが泣きそうな顔で、腕いっぱいの帳簿を抱えた。今日の彼は聖女執務室ではなく、契約書庫からの助っ人としてここにいる。誠実さが服を着て歩いてるみたいな子だ。


 セルジュは淡々と机を拭き、帳簿を並べた。

「本日は決算を出します。武勲と戦死率、その両方で」

「……今日の案件、数字で殴る日ですね」

 口にしてから、自分で笑いそうになって飲み込む。笑っていい場所じゃない。ここは、数字の墓場だ。


 帳簿を開くと、まず目に飛び込んでくるのは金色の文字だった。

『武勲、獲得。黒狼の群れ、討伐。』

 その下に、端へ追いやられるように小さく書かれている。

『戦死、24名。』

 私の視界には、契約の痕跡が薄く重なって見える。剣の形をした、冷たいタグ。命を捧げる前提の線。


「これ、項目が揃ってませんね……」とティオが眉をひそめる。

「揃っていないのが揃っているのが、現場です」とセルジュが言い、さらさらと分類を始めた。

 任務名、戦果、投入人数、帰還人数、戦死、重傷、再投入回数。紙の上で、人が生きたり消えたりする。


 ティオは途中から、完全に写経の顔になった。

「聖女さま、これ全部……?」

「全部」

「……はい……」

 返事が小さすぎて、もはや祈りだ。


 ある程度、数字が揃ったところで、セルジュが私を見た。

「女神に、可視化を依頼できますか」

「うちの上司、今日も残業ですけどね」

 心の中でだけ謝って、私は祈る。


 羽音がした気がした。

 空中に光の板が2つ、ぱっと開く。左には任務ごとの戦果指数の棒グラフ。右には同じ任務の戦死率の棒グラフ。左だけ見れば、撤退禁止条項が導入されてから右肩上がりで、騎士団は優秀に見えた。

 でも右は違う。導入後から、棒が急に跳ね上がる。真っ赤。私の脳裏に、あの日の「聖女稼働ログ」の形が重なった。働かせたら勝てる。燃やしたら明るい。そういう曲線。


「……これほど、似るものなんですね」と私は呟いた。

 セルジュが小さく頷く。

「数字は、嘘をつきません」


 そのとき、ティオが指で1箇所をつついた。

「ここの任務だけ、戦果も高いのに戦死率が低いです」

 光の板の中に、異物のように沈んだ棒がある。


 帳簿をめくり、巻物を探し、埃まみれの紐をほどく。出てきた記録には、冷たい1文があった。

『隊長、敵増援を見て独断撤退。武勲を逃す。左遷。』

「……撤退した隊長、ですね」とティオ。

 名前はエルンスト。30年ほど前、国境の黒い峡谷で撤退を命じた男。公式記録の語り口は、まるで罪状だ。


 けれど、数字は別の物語を言っていた。

 撤退で生き残った兵たちは、その後の大きな戦で何度も武勲を上げている。再投入回数が、綺麗に積み上がっている。国としての利益は、むしろここが最も高い。


「逃げた卑怯者として処分された判断が、最も投資効率が良い」

 セルジュが淡々と言って、私は胃の奥がきゅっと縮んだ。命を投資と言うのは冷たい。けれど冷たい言葉でしか、止められない仕組みもある。


 セルジュは石板を引き寄せ、線を引いた。

 左に「武勲(短期利益)」。右に「生存騎士数・再投入回数(長期利益)」。

「1度きりの大勝利より、何度も帰ってきてくれる兵のほうが、国としては得です」

 私が言うと、ティオが目を丸くした。

「得……」

「うん。生きてるって、価値がある」

 口にした瞬間、羽ペンが石板の上にうっすら銀色の文字を落とした気がした。

『撤退判断評価指標(仮)』


 昼前、私たちは資料を抱えて地上へ出た。光が眩しくて、少しだけ現実に戻る。戻った先に待っていたのは、騎士団長室の空気だった。


 ロラン団長は立ったまま、こちらを迎えた。背が高く、鎧のような礼儀正しさをまとっている。その後ろに、数名の幹部がいる。視線が硬い。レオン派、というやつだ。


「セルジュ殿。聖女殿。今日は何を持ち込まれた」

「数字です」とセルジュが即答した。


 幹部の1人が鼻で笑う。

「戦場を机で裁く気か」

「裁くためではありません。責任の所在をはっきりさせるためです」

 セルジュの声は丁寧で、切っ先だけが鋭い。


 ロラン団長が腕を組む。

「武勲には代償が伴う。覚悟なき者に剣を持たせるつもりはない」

「撤退を許せば、腰の引けた隊長が増える。国境は守れぬ」

 昨日の信念が、そのまま立っている。


 幹部が追い打ちをかけた。

「殿下は腰抜けの軍などお望みにならない」

 その言葉が、部屋の床に落ちる。呪いみたいに。


 私は息を吸って、吐いた。

「撤退禁止条項のある国は、人を使い捨てにする国と同義です」

 ロラン団長の眉がわずかに動く。


「前の世界で、私は工場の事故統計を見ていました」

 場違いな単語に、幹部が怪訝な顔をする。でも続ける。

「成果だけで管理職を評価すると、事故はおまけになります。大事故が起きて、評価制度が変わりました。事故を減らすほど昇進する。そうした瞬間、現場の空気が変わったんです」

「無茶をさせた上司」から「人を無事に帰らせた上司」が褒められるようになった。私はそこを、噛み砕いて置いた。


 セルジュが補足する。

「評価指標を変えれば、覚悟の形も変わります」


 私は光の板を呼び出した。空中に2枚、あの棒グラフが浮かぶ。

「撤退禁止条項の導入前と導入後。戦果は上がっています。でも、戦死率は」

 真っ赤な棒が、導入後から跳ね上がる。


 ロラン団長の喉が動いた。

「……これほどまでに」

 彼の視線が、数字の向こうを見ている。名前のない兵の顔を、数えている。


「1度の大勝利のために、もう戻らない兵を何人差し出したか。これが、騎士団の現在の決算です」

 セルジュの言葉は、怒鳴らないのに重い。


 沈黙のあと、ロラン団長が小さく呟いた。

「……もし、あの時『退け』と言えていたら、と考えたことはある」

 幹部たちが息を呑む。私も、息が止まる。

 彼の信念が、初めてひび割れた音がした。


 会議は結論を出さないまま終わった。出せるはずがない。価値観は条文より重い。でも、ひびは入った。ひびが入れば、そこにインクが染みる。


 ロラン団長たちが去ったあと、私は石板の隅に小さく書いた。

「案:撤退を判断した隊長に、武勲とは別枠の生存評価を付けること」

 羽ペンが、その1行だけ強く光った気がした。遠くで、世界契約ノートのページがめくれる音を想像する。


 その日、騎士団の戦歴の片隅に、小さな余白が生まれた。

 そこに何を書くかで、この国の「武勲」の意味は、きっと変わっていく。


 ここまで読んでくださりありがとうございます!

 「数字で殴る」回、楽しんでいただけたら嬉しいです。

 面白かった・続きが気になると思ったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークをぜひお願いします。

 感想も大歓迎です!次回、ひび割れた価値観が動き出します。


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