第6話 聖女の休日は、国の安全保障案件
王宮の小会議室に入ると、窓の外がやけに賑やかだった。
神殿を眺めに来る市民だ。私が「稼働停止」してから、祝福が止まるとどうなるかを、この国は初めて実感したらしい。
会議机の中央には、光の板が置かれていた。
女神が写し取った「聖女稼働ログ」。棒グラフは前より少しだけマシ。でも、赤がまだ目立つ。
「……前よりはマシですけど、それでも、普通とは言えませんよね」
書記官のティオが、消えそうな声で呟く。
私は深呼吸した。数字は、言い訳を許してくれない。
「ここまで出てしまった以上、善意ではごまかせません。今日は、条文で守りましょう」
向かいには、神殿保守派の神官たち。表情だけで、もう反対の準備完了だ。
「聖女様が『断る権利』など持てば、信徒の信仰が揺らぎますぞ」
「我らは代々、神に身を捧げてきた。奉仕に上限など……」
その隣で、大神官長アグナスは黙っていた。
前話の、あの告白の余韻。彼の沈黙が、今日の空気をほんの少しだけ変えている。
私は、わざと頭を下げなかった。
ここで「すみません、でも休ませてください」と言えば、また同情で終わってしまう。
「……申し訳ありませんが、『聖女に無理をさせたくない』だけで終わらせるなら、次の聖女も、騎士も、神官も、同じ目にあいます」
神官たちの眉が動く。
私は、言葉を続けた。
「問題は働き方ではなく、契約の設計です。守る仕組みがなければ、誰かがまた壊れます」
「読み上げます」
セルジュが淡々と、新しい聖女勤務契約案を手に取った。
彼の声はいつも丁寧で、冷たいくらいに整っている。だからこそ、言葉が刃になる。
「聖女は、健康を著しく害するおそれがある場合、祝福を延期、または拒否できる」
保守派が息をのむ。
「聖女を管轄する王家および神殿は、十分な休養日を与える義務を負う」
「義務……だと?」
誰かが吐き捨てるように言った。
そのとき、宰相クロードが椅子にもたれ、わざとらしく肩をすくめた。
「現行契約のままでは、聖女が倒れた瞬間に国家インフラの一部が崩壊します。これは王家と神殿の問題ではなく、国の安全保障の問題です」
安全保障。
その単語が会議室に落ちた瞬間、空気が一段重くなった。
神官たちの反論が、少しだけ慎重になる。感情論が、ロジックに押し返される。
議題は、最後の棘へ移る。
「非常時にはこの限りではない」
その1行が、過去の聖女たちを何度も徹夜へ引きずった。だから、ここは鍵付き非常口にする。
セルジュが、条件を読み上げた。
「王と大神官による共同宣言が必要。宣言期間中も、聖女の連続稼働時間に上限を設ける。終了後、必ず長期休養を付与する」
「そこまで縛って非常時と呼べるのかね」
クロードが、わざとぼやく。
返事をしたのは、グスタフ王だった。
「……そこまで縛らねば、非常時の名が泣くということだろう」
王の声は低く、妙に真っ直ぐだった。
王は続ける。独り言みたいに。
「昔の神殿との約束も、そろそろ見直すべきかもしれんな」
私の背中に、ぞわりと何かが走る。
それは、次の案件の匂いだった。けれど今は、目の前の決着だ。
王は契約案を最後まで読み、ペンを取る直前で言った。
「聖女の健康は、国防である。この国の契約に、その一文を刻もう」
私は、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
守られることが、初めて「わがまま」ではなく「方針」になった瞬間だった。
そして午後。
調印室の大窓から差す光が、机に並んだ契約書のインクを淡く照らしている。
書記官たちが手際よく紙を揃え、端には修正跡だらけの下書きが山になっていた。
その新しい契約書の最後に。
誰の目にもわかるくらい、やけに大きな余白がぽっかり空いていた。
「……この空きスペースは、書き漏れかね?」
クロードが眉をひそめる。
私は一歩前に出た。
「いいえ。聖女の働き方も、祝福の需要も、時代とともに変わります。そのときに、追加で守る条文を書き足すための余白です」
契約は、一度で完璧にするものじゃない。
更新し続ける前提で作る。それが女神の教えで、私の救いでもある。
その瞬間、天井のどこからともなく、ゆるい声が響いた。
《よいですねえ、その余白。世界契約のテスト欄に、ぴったりです》
「テスト欄……?」
私は思わず天井を見上げた。
視界の端が、ふわりと白くにじむ。
一瞬だけ、現実の契約書の上に、神域の「世界契約ノート」が重なって見えた。
真っ白なページの端に、薄い文字が浮かぶ。
《聖女は、健康を著しく害するおそれがある場合、祝福を延期、または拒否できる》
鉛筆で書いた下書きみたいに、まだ淡い。
この国で運用され、機能したら本採用。そういうことだ。世界は、意外とちゃんと試験運用する。
「では、署名を」
ティオが声を震わせながら告げる。
グスタフ王、アグナス、そして私の順に、ペンが走った。
署名のたびに契約書の文字が淡く光り、天井の契約レリーフが応じるように震える。
私が名前を書き終えた瞬間。
手首に、誰にも見えない鎖のような光の輪が現れて、すっとほどけて消えた。
軽い。
指先から肩まで、ずっと張り付いていたものが、やっと外れたみたいだった。
《はい、拍手。では本稼働、再開します》
女神の気配が、小さな拍手みたいに残る。
その言葉が、あの日の「稼働停止宣言」と対になって、胸の中でカチリと噛み合った。
数日後。
王都のあちこちに、新契約の内容が掲示されていく。
神殿前の掲示板では、「聖女様のお休みの日」がカレンダーに赤く塗られた。
下町の酒場では、「休みが増えたら祈願が遅くなる」とぼやく声に、「倒れられるよりずっといいだろ」と返す声が混じる。
そして商人の1人が、目をきらきらさせて言った。
「これ、他の職種の契約にも応用できませんかね」
契約オタクの芽は、こんなところにも生えているらしい。
神殿の高台から王都を見下ろすと、街のざわめきが遠くで波のように揺れていた。
隣で、セルジュが静かに言う。
「本日をもって、聖女ブラック残業案件は、ひとまず第一段階クリアですね」
「……まだ、ここがスタートラインですけど」
私は苦笑した。肩の力は抜けているのに、背筋だけは伸びている。変な感覚だ。
セルジュは私を見ずに、けれど確かに私へ向けて言った。
「明日は休日です。契約上、休ませる義務を履行します」
「義務、ですか」
私がそう返すと、彼の口元がほんの少しだけ緩む。
「はい。抜け道は作りません」
遠くで鐘が鳴った。
余白は空いている。だからこそ、これから書ける。
国の条文も、私たちの条文も。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
新契約で「休日」を手に入れた聖女ですが、余白に忍び寄る次の火種……。
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