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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第2部:契約夫婦とブラック契約撲滅案件編

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第3話 タイムカードを持たない国で

 夜明け前の大神殿は、石の床まで眠そうな顔をしている。私が祈祷室へ向かう回廊の窓には、まだ朝の色が薄い。

 そこへ、足音がきっちりと等間隔で重なった。


「おはようございます、聖女殿。本日一日、業務量を記録します。……差し支えない範囲で」


 セルジュさんは書類バインダーを抱え、もう片方の手には、妙に立派な砂時計を持っていた。

 砂時計。神殿で? と口の中でつぶやく前に、ティオがわなわな震えながら叫ぶ。


「さ、砂時計まで用意してるんですか!? 宰相補佐さま、そこまで本気なんですか!」


「記録は武器ですから」


 淡々と言い切るのが、また怖い。私は苦笑して肩をすくめた。


「差し支えない範囲がどこまでかは、業務の後で一緒に考えましょう。たぶん、今日一日で境界線が消えます」


「承知しました。消えた境界線は、条文で引き直します」


 頼もしさと同時に、背筋が寒いほどの宣言だった。


 ◇


 聖女執務室に入った瞬間、ティオが今日の予定表を広げる。

 赤。赤。赤。余白のはずの紙が、血のような赤で埋まっている。


「午前は貴族家の家族祈願、午後は神殿幹部用の祝福、その合間に定例相談が……」


「その合間がもう合間じゃないね」


「はい……え?」


 ティオが顔を上げたところで、扉が叩かれる。叩かれる、というより、叩き続けられる。


「聖女様! 妻が今朝から咳が止まらず」

「聖女様! 旅の一行が通りがかったついでに祝福を!」

「聖女様! うちの息子の試験が今日で、念のため!」


 雪崩だ。予定表が紙一枚で受け止められる量じゃない。

 ティオは半泣きで私を見た。


「聖女さま、今日も予定外が山ほど……」


「予定外が常態化しているなら、それはもう予定ですね」


「言い方が冷たい!」


 ツッコミながらも、セルジュさんが小さく笑った。笑うと、余計に怖い。


「では、記録を開始します。まずは初回の対応から。砂時計、裏返します」


 さらりと宣言され、私は自分の世界に「勤務開始」の鐘が鳴った気がした。


 ◇


 最初は貴族夫人だった。香水と絹の匂いが先に入ってくる。


「聖女様、夫の出世に加護を。あの方は努力家でして」


「努力家でいられるのは、家が守っているからですね。確認します。ご本人の健康診断は」


「え?」


 夫人が瞬きをする隙に、私はメモ帳へ小さく書く。

 所要時間。緊急度。聖女がやるべきか。


 セルジュさんのペン先が、同じタイミングで紙を走った。見なくても分かる。彼は秒単位で世界を切っている。


 次は商人。次は農民。次は神殿の下働きの子。

 並ぶ人々の顔色はそれぞれ違うのに、抱えてくる言葉の型が、どこか似ていた。


「聖女様、少しだけでいいんです」

「聖女様、ついでで構いません」

「聖女様、皆さんそうしてもらってるって」


 私は笑ってうなずき、手を取り、祈りを流す。

 そのたびに、胸の奥でスイッチが切り替わる感覚がある。目の前の人だけを見る。泣きそうな声だけ聞く。大丈夫、と言える温度だけ残す。

 そして次の瞬間には、冷えた指でメモ帳に印を打つ。


 命に関わる。優先。

 これは神官で足りる。移管。

 これは「ついで」の皮をかぶった延長依頼。要交渉。


 農民の腕の中で、小さな子がぐったりしていた。

 私は膝をつき、額に手を当てる。


「大丈夫。息が浅いだけ。今、楽にするね」


「聖女様……」


 祈りは光になって、子の喉の奥の苦しさをほどく。母親の目に涙がたまる。

 私も、そこでだけは、心から息を吐ける。


 ……でも。


「この場をお借りして、ついでにうちの息子の出世を」


 背後から聞こえた声に、胃がきゅっと縮んだ。

 前の世界で聞いた、「会議のついでに法務も見といて」の声と同じ圧だ。


 私は振り返り、にこやかに言う。


「承りました。では、その前に確認です。息子さんの努力を保証する契約は、どなたが結んでいますか」


「え、契約?」


「ええ。努力は、成果の保証ではありません。保証したいなら、条件を詰めましょう」


 セルジュさんが、砂時計を裏返す手を一瞬だけ止めた。

 ティオは笑いをこらえている。ごめんね、私ももう、善意だけで飲めない。


 ◇


 夕刻。ようやく人の列が途切れたと思ったら、今度は書類の山が待っていた。

 机の上に積まれた羊皮紙は、神殿の白い天井より高い気がする。


「これ、今日の分だけですよね……?」


 ティオが自分の未来を見た顔をしている。


「今日の分だけだよ。昨日の分は、まだ下にある」


「下!?」


 そこへ、静かな足音。

 女司祭マリアンヌが、腕いっぱいに別の束を抱えて入ってきた。


「聖女様。贖罪労働契約の更新が、溜まっています。判を……」


 声は落ち着いていて、仕事だけが世界にあるみたいだった。

 束の端からのぞいた条文が、私の目に刺さる。


 無償。期間10年。拒否不可。

 奉仕という言葉の後ろに、鎖が見える。


「……マリアンヌ司祭。これ、罪の重さと、釣り合っていますか」


 司祭は一瞬だけ、呼吸を止めた。


「釣り合っている、と教わりました」


「教わった、だけ」


 私の声が少し硬くなる。けれど、彼女は逃げずに、視線を上げた。


「……はい。私も、ずっと、見ないふりをしてきました。仕事だから、と」


 その言葉が、痛いほど分かってしまう。

 仕事だから。皆がそうしているから。止めたら回らないから。


 机の向こうで、セルジュさんがペンを置いた。


「本日の記録、ここまでで既に、王宮の実務官が2日かけて処理する量に相当します」


「王宮の基準を持ち込まないでください。悲しくなる」


「悲しくなるのは、基準が存在しないからです」


 その返しは、刃物みたいに正しい。


 ◇


 夜。執務室の蝋燭が短くなるころ、頭の奥に、いつもの軽い声が落ちてきた。


《本日の聖女稼働ログ、見ます?》


(見ないと直せない、ってやつですね)


《えらい。はい、どーん》


 視界の端に、光の板がふわりと浮かぶ。

 棒グラフが真っ赤だ。真っ赤というより、怒っている。


《ねえ、この国、タイムカード導入しましょうか》


(導入するなら、休憩の定義も労働時間の上限も、セットでお願いします)


《手当も?》


(もちろんです。夜間の割増手当も)


 女神様が、くすっと笑う気配がした。


《じゃあ、次の会議の議題に入れておきます。聖女様が倒れると、ログが荒れるので》


(契約的に、ですか)


《契約的に、です》


 私は光の板を見つめながら、今日会った顔を思い出す。

 病気の子。泣きそうなティオ。黙々と判を押すマリアンヌ。砂時計を裏返し続けたセルジュさん。


 誰も悪意で私を削っていない。

 だからこそ、止めないと、同じ形で次の誰かが削られる。


「……明日、数字をまとめましょう。誰が、何に、どれだけ時間を食べられているのか」


 セルジュさんが、いつもの丁寧な声でうなずく。


「承知しました。差し支えない範囲の境界線も、まとめて提出します」


「境界線、返して」


「返します。条文にして」


 笑ってしまった。疲れているのに、笑えるのが不思議だ。

 私は立ち上がり、窓の外の暗い王都を見た。


 終電もタイムカードもない国で。

 それでも、明日からは、止める側の仕事を始める。


  ここまで読んでくださりありがとうございます!

 聖女の『タイムカードなき戦い』はこれからが本番。

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