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「連載版」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第1部:白い結婚案件・全貌編

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第16話 契約破綻の宣告

「女神様、契約違反の有無を、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 自分の声が、本堂の天井に届くくらい澄んでいたのを覚えている。

 女神様の羽ペンが、私の頭上でふわりと回転した。さっきまでいたずらっぽく揺れていた光が、少しだけ硬い色に変わる。


《では、形式通り、条文とログを突き合わせて確認いたしましょう》


 ゆるい声色のまま告げられた一言で、空気がきゅっと締まる。

 祭壇の上に浮かんだ光の契約書が、ゆっくりと配置を変えた。左側に王太子レオンとの婚約契約書。右側には、さきほど会場にさらされた発言ログの板が、何枚も重なって並ぶ。


(さっきまで「ただの晒し」みたいだったのに)


 今、ログたちは、証拠の顔をして静かに光っていた。


《第二条。双方は互いの名誉と信頼を損なう行為を避け、公私において尊重をもって接すること》


 女神様が条文の一部を読み上げる。

 同時に、右側のログ画面に、短い光の断片が次々と再生された。


『便利な聖女だな』

『君の感情は、職務の邪魔になる』

『お前を愛するつもりはない。役割を果たせばそれでいい』


 時系列がわざとシャッフルされたクリップ集。

 王宮の廊下、執務室、馬車の中。あちこちの景色の中で、レオンは同じような目をしていた。


(これでも「互いの名誉と信頼を守っている」と言えるだろうか)


 胸のどこかが、冷静にチェックを始める。仕事で契約書を読む時と同じ癖だ。


《ログとの照合の結果、本条の履行状況は……》


 一拍おいて、女神様は淡々と言い切った。


《王太子側の継続的な不履行と判断されます》


 本堂の空気が、ざわ、と揺れる。


《続いて、第五条。聖女の健康と安全を守るため、王太子および王家は、その負担を適切に調整すること》


 スクロールした条文のそこには、「聖女の健康と安全」という言葉が並んでいる。けれど、その周囲のタグは薄くかすれ、ほとんど光を持っていなかった。


《こちらは……そもそも実効性のある条文が欠如している状態ですね》


「欠如、ですか」


 思わずつぶやくと、女神様は小さくうなずいた。


《聖女奉仕契約、労働規程、婚約契約。そのどこにも、「休息」「上限」「危険な命令を断る権利」といった文言が、十分な形で記載されていません》


 泉のほとりで聞かされた評価が、そのまま拡声されている。


《総合すると、本婚約契約は、「信頼条項の不履行」と「聖女保護条項の欠如」により、このまま継続するには危険な状態にあります》


 一瞬、本堂全体が静まり返った。

 私は、その静寂の中で、指先がかすかに震えているのを自覚する。


(あの夜、こっそり聞いた診断が……)


 今は、国中に向けて読み上げられている。


     ◇


「……女神よ」


 沈黙を破ったのは、王の低い声だった。

 王グスタフ陛下は席から立ち上がりかけて、重い視線を祭壇に向ける。


「そこまでの断言を、今この場で行う必要があるだろうか」


「契約の見直しであれば、後日、王宮と大神殿で協議の場を設けることもできよう。今日ここで結論を急ぐのではなく、まずは内々に――」


(出た。「後日」「協議」「内々に」)


 三年間、何度も聞いてきた言葉の組み合わせだ。


(この人は、「今すぐ決めない」という決定だけは、いつでも迷いなく下せる)


 自分で考えたくせに、ひどく嫌な真実だった。


 女神様は、眠たげな目を細めたように見えた。けれど、その声だけは、いつもより少しだけ硬い。


《グスタフ王。本日は、「神前確認式」です。》


 王の眉が、わずかに動く。


《形式通りであれば、ここで三年間の履行状況を確認し、継続の可否を判断するのが本来の手順です》


 第12話の日、神殿側の会議で何度も聞いた「形式通り」の言葉が、頭の中で裏返る。

 あの時は、「前例通り何もしない」ための盾だった。

 今は、「ちゃんと確認する」ための刃になっている。


《加護ログによれば、聖女リディアの稼働状況は、この三年間すでに許容範囲の上限を超えています》


 女神様の意識が、私の方へそっと向けられるのが分かった。


《――聖女は、限界です》


 その一言が、本堂の奥まで届いた音がした。


《これ以上の先送りは、契約違反の放置と見なされます》


 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 自分でさえ「まだ頑張れる」と言い聞かせてきたラインを、神様に明示されたショック。

 なのに同時に、どこかでほっとしている自分もいた。


(限界って、言っていいんだ)


     ◇


《では、世俗法の観点からも確認しておきましょう。宰相補佐セルジュ・ラグランジュ》


 女神様がさらりと名前を呼んだ瞬間、視線が一斉に移動する。

 控えの列に立っていた黒髪の官僚が、ゆっくりと一歩前に出た。


 セルジュは、いつも通りの無表情に見えた。けれど、その指先だけが、握っていた書類を少し強く折り曲げている。


(緊張してる……?)


 そう思った途端、女神様の声が、ふっと遠のく。


 ほんの数瞬だけ、場の焦点が彼に切り替わった気がした。


 セルジュ・ラグランジュは、胸の内で静かに息を整えた。

 頭の中では、王国の婚姻法、貴族法、契約法の条文が、高速で並び替えられていく。

 これは聖女個人の問題ではない。王家が「契約不履行を放置した前例」を作るかどうかの分岐点だ。

 そして同時に、ここで合法的な出口を示せなければ、あの人はまた自分を犠牲にしてしまうだろう。


 表に出すべきなのは、個人の好悪ではなく、法の筋道だけだ。

 彼は祭壇の少し手前で足を止め、深く一礼した。


「宰相補佐、セルジュ・ラグランジュにございます。世俗法の範囲で、お答えいたします」


 女神様の気配が、ふたたび私の耳に戻ってくる。


     ◇


 再び、私の視点。

 セルジュの声は、いつもの事務的なトーンだった。


「王国法においても、一方の継続的な義務不履行が認められる場合、婚姻契約の解消は「違法」とはされておりません」


 ざわ、と小さな波が広がる。


「ただし」


 セルジュは、淡々と前置きする。


「神前契約を伴う婚約で前例がない、というだけです。条文とログがこれだけ明確に揃っている案件は、むしろ法としては「扱いやすい部類」かと」


 扱いやすい、という言葉に、人々の顔が一斉に揺れた。

 これまで「離婚=スキャンダル」とだけ理解していた空気が、「法律上はあり得る選択肢」へと静かに塗り替えられていく。


(私の事情なのに、国のルールの話になっている)


 女神様の羽ペンが、ふわりと回転した。


     ◇


 婚約契約書の余白に、二本の新しい行が浮かび上がる。

 薄い光の線が、ゆっくりと言葉の形を取っていく。


《以上を踏まえ、取れる選択肢は二つです》


 女神様の声が、本堂の隅々まで届く。


《一つ。改善案つきで再契約すること》


 余白の一行目に、「聖女の休息」「安全」「拒否権」といった文字が、試案のように並んでいく。

 その横に、小さく「王太子側の行動計画提出」と書き込まれるのが見えた。


《聖女の休息と安全を保障する条文を追加し、王太子側の具体的な行動計画とセットで再署名する案です》


《もう一つ。契約を解消すること。いわゆる神前離婚ですね》


 二行目には、「祝福の再調整」「名義の整理」「政治的義務の分離」といった言葉が並んだ。


《祝福、名義、政治的義務の整理を行い、双方を別の契約関係へ移行させる案です》


 どちらも、泉のほとりで聞かされたメニューと同じ。

 けれど今は、世界の前に正式な選択肢として提示されている。


《どちらを選ぶかは――》


 女神様は、そこでわざと一拍置いた。

 次の瞬間、会場の視線が一斉に、私へと突き刺さる。


(逃げる場所は、もうどこにも残っていない)


 けれど。


(「私がどうしたいか」を決める場所だけは、目の前にまっすぐ差し出されている)


 指先の震えが、少しだけ収まる。

 女神様の声が、最後の一文を告げた。


《契約の最終決定は、当事者の合意で》


 その「当事者」の中に、自分自身が含まれている。

 その事実を、ようやく飲み込めそうになったところで、私の視界は、静かに次の決断へと向かっていった。


第16話まで読んでくださりありがとうございます!

「契約破綻」を突きつけられたリディアの選択、皆さんならどうするか想像していただけたでしょうか。

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