迷風
「台風百六十四号ですが、『迷風』へと進化する模様です」
とある二十世紀をモチーフにしたバーのカウンター。ナツオは昔のテレビ――確かブラウン管という名前だったはずだ――から流れる天気予報で聞き慣れない単語を耳にした。カウンターの一番端に腰かけたナツオは、いかにも都会から来た若い観光客の風貌をしていた。青と白を基調とした全身パーツが今風だ。
「迷風?」
ナツオが店内を見回しながら、ポツリとそう呟いた。誰に聞いた訳でもない、独り言である。気弱な彼は、こうした見知らぬ場所で初対面の相手に気軽に声を掛けることが苦手なのだ。幸い、来店客はナツオを含めて数えるほどしかいない。誰もが田舎丸出しの恰好で、一目で旧式のパーツを使っていると判断ができてしまうほどだ。
「お客さん、『迷星』は初めてですか?この惑星特有の災害ですよ」
バーテンダーの衣装を身に纏ったアンドロイドのマスターが、ナツオのジョッキに真っ黒の液体を注ぎながら言った。大男のマスターは、全身をゴツイパーツで着飾っている。その体に見合わない小さな黒のサングラスがトレードマークのようだ。一見すると、バーのマスターというよりは危ない組織の構成員のような見た目。しかしここは、かの有名な惑星専門ガイド『オイルシュラン』にも掲載されている、列記とした一ツ星バーなのである。
「……台風が多いとは知っていましたが、迷風なんて……初めて聞きましたよ」
年季の入ったジョッキを軽く回しながら、オイルの香りを嗅ぐ。中々香高く好印象。それから軽く一口いただく。この店一押しのオイルとだけあって、濃厚で喉越しも良い。
――こんな田舎のバーが一ツ星だなんて絶対嘘だと思っていたけれど……これは中々、いやかなり美味いのでは。
バーの雰囲気も合わさって、これほどまでに美味しく感じるのか。先日訪れた他惑星の三ツ星バーのオイルよりも、実はこういった隠れたバーの方が美味しいのかもしれない。
――いや、惑星中心部から飛んできて疲れてるせいだ。その時間と労力のせいで、美味しく感じてしまっているだけに違いない。こんな田舎のバーが三ツ星以上なんてありえない。
そう自分に言い聞かせるナツオ。だが、一口飲み込んだ後に喉が渇いていたせいもあってか、一気に飲み干してしまった。
――くう、この全身に染み渡る感覚がたまらない。
口の端から零れるオイルを手で拭い、空になったジョッキをテーブルにドンと置く。「かあ~!」と心の底から出る満足感が、つい漏れ出してしまった。一杯目だというのに、ナツオの真っ白な顔はすぐに赤く染まってしまっている。疲れ気味だった翼のパーツに活力が宿る気がするから、オイルの飲み過ぎはパーツに悪いと分かっていても止められない。
「いやー美味い!マスター、もう一杯貰えるかい」
あれだけ心の中で否定していたのに、すっかりオイル酔いしてしまったナツオは上機嫌でそう告げた。ナツオの豪快な飲みっぷりにマスターはニヤリと口角を吊り上げる。小さなサングラスがキラリと輝いた。
「お客さん、いける口ですか?」
ジョッキを煽る仕草をするマスターに、ナツオはうんうんと首を縦に振った。
「疲れた体にはオイルが一番ですよ。『迷星』での大きな仕事がやっと終わりましてね。本社がある『第五新星』へ帰る前に、迷星のバーを回ろうとしてるんです」
「なるほど。惑星のバー巡りが趣味なんですね?」
「まあ、そんなところです」
本当は半分趣味で半分は違うのだが、ナツオは曖昧に笑うに留めた。
「迷星のような田舎惑星だと、バーも転々としていて移動が大変でしょう」
「はは、都会に比べればねえ」
辺境にある田舎惑星『迷星』での仕事は、都会生まれ都会育ちのナツオにとってはつまらない内容だった。普段は気の弱いナツオだが、仕事が退屈だったストレスと、オイル癖の悪さから態度も口調も次第に悪くなってしまう。マスターから二杯目を受け取ったナツオは、今度は一口ずつ味わうようにジョッキを傾けた。
テレビからはニュース番組が終わり、大昔に流行っていた歌唱番組の再放送が流れている。人間という、今では極端に数が減ってしまった珍しい生物――おそらく女だろう――がバラードを歌い上げていた。
「でも残念ですねお客さん。『迷風』だと旅行どころじゃないですよ。道路が迷路みたいになりますから。私は気象について詳しくはないんですが、突然空間がねじれて方向感覚を失うんですよ。今日は大人しくホテルスタンドに帰って充電するのが吉ですね」
マスターは漆黒のサングラスを鋼鉄の指で直しながらそう言った。マスター曰く、迷風は突如として濃厚な霧が立ち込めたり、迷路のような巨大な壁が現れたりするらしい。数々の科学者が原因を解明しようとしているようだが、詳しいことは分かっていないようだ。
――迷路のような台風ねえ。迷路っていっても地上だろ?俺には関係ないね。
むしろそんな面白い現象なら、是非この目で確かめてみたいものだ。ナツオはマスターに「俺は平気なんですよ」と自慢の翼パーツを指差した。会社から支給された、最新型の翼である。第五新星人なら誰でも羨む最高級パーツを見せびらかしながら、ジョッキを傾ける。
「ほら、迷星だとこの翼、珍しいでしょ?乗り物は空を飛んでるみたいだけど、都会じゃこうやって個人で飛んでるだよね」
「翼ですか……」
大きなジョッキが邪魔をして、マスターが苦笑いしているのをナツオは見逃していた。
「いやあでもね、もう明日の昼には帰らないと仕事に間に合わないんですよ。だから今からここを出て、次のバーに行こうと思って。ナビゲーションアプリも最新式だし、台風程度じゃ道に迷う訳ないですよ!しかも~空を飛ぶんだから迷風なんて余裕余裕!」
「カカカ!おぬし、迷風を舐めちょるやろ」
ナツオとマスターとの会話に、突然横やりが入った。ナツオの隣に一つ座席を開けて座っていた、田舎特有の強い訛り口調の旧式案内型アンドロイドだ。
「爺さん、今の時代には爺さんが想像もできない最新技術ってのがあるんだよ」
「そんなの無駄じゃい。若造、そっちこそ『第五新星』なんて都会から来よって。これだから都会もんは嫌なんじゃ。最新だのハイテクノロジーだの、自然を舐めちょる。調子に乗って物言わぬジャンク品になるのがオチじゃわい」
「なんだと爺さん!?」
ナツオはジョッキをテーブルに叩きつけた。普段は温厚なナツオだが、オイル酔いもあってか気が強くなっているのである。
「二人とも喧嘩は止してください。お客さんも落ち着いて」
せっかくオイルの味も雰囲気も良いバーで飲んでいたのに、客が失礼だと台無しだ。これは一ツ星の価値もない!ナツオは一気に残っていたオイルを飲み干すと、脳内アプリでお代を支払い立ち上がった。
「ごちそうさんマスター!」
「おお若造、もう帰るのか」
「誰かさんのせいでね!」
「お客さん!すみません。良ければ別の席を用意しますよ。危険ですから、どうか今から外に出るのは――」
大慌てでナツオを引き留めるマスター。だが、ナツオは隣の老アンドロイドを睨みつけた。
「いいや、もう結構!このまま次のバーに向かいますよ。俺が正しいってこと、コイツに証明してみせます」
ビシっと機械の指で老アンドロイドを差すナツオ。顔は怒りと酔いで真っ赤に染まっていた。
「おーそうかい!んで、どうやって証明するんじゃ?」
「それは俺がこの店を――」
「ほれ、これがワシの連絡先じゃ!登録せい」
ナツオが言い終える前に、老アンドロイドが通信を寄こしてきた。脳内の連絡管理アプリに、見慣れない形式のファイルが送信されている。流石は老アンドロイド。使っているアプリが何世代も旧式らしい。冷静なナツオであれば、こんな不審なファイルを受け取りはしなかっただろう。
「なんだよこの旧式ファイルは!面倒くさいなあ!ちっ!バーに着いたら連絡してやるよ!」
頭にオイルが回ったナツオは、そのファイルを勢いで実行してしまった。そのままバーの木製風金属ドアを勢いよく開けて、ナツオは外に飛び出した。
「なーにが迷風だ。何も起きないじゃないか!」
会社から支給された機械の翼で夜空の空路を飛行中、ナツオは勝ち誇ったように吐き捨てた。バーに入る前は大雨や暴風が吹き荒れていたのだが、今は嘘のように晴れている。ナツオのような飛行型アンドロイドは地上の道路ではなく、空路を飛ぶ。真下には点々と小さな街の明かりが見えた。宝石箱をひっくり返したような都会の光景とは大違いだ。
――次のバーの調査が終わったら、こんな田舎惑星とはもうおさらばだ!
気になるのは、昼にはあれだけ地元人が乗り物に乗っていた空路に、夜の今はナツオ以外誰もいないことだ。空中に浮かぶ空路を照らす電灯が、不気味に揺れている。
「このまま次のバーまでひとっ飛びだ!」
バーでオイルを飲みながら、爺さんに動画を送りつけてやろう!ナツオはオイル酔いで上機嫌になり、ふらふらと夜の迷星を飛行する。
だが、ナツオは気が付いていなかった。迷風とはつまるところ台風の進化系。台風には、『目』という概念が存在することを。
「おかしい……ナビ通りに来てるのに、一向に近付かない!」
いつからか、最新型高性能ナビゲーションアプリが意味をなさなくなっていた。真っすぐ進んでいるはずなのに、気が付けば元の位置に戻ってきてしまっている。
「こんなに見晴らしがいいんだぞ!?」
迷風とは道路が迷路のようになるものだと、ナツオはその言葉通りに受け取っていた。道路とはつまり、地上を走る道のこと。迷路も地上にあるイメージだ。空路を走るナツオには、全く関係がないものだと思い込んでいた。現に、こうして空を飛んでいるナツオには、迷路のようなものは見つからない。見晴らしの良い、星々が輝く夜の空を飛んでいるだけだ。
その時、ピーという電子音と共に、ナビゲーションアプリがエラーを吐いた。
「嘘だろ!?まさか、これが迷風だとでもいうのかよ!」
飛んでも飛んでも、一向に景色が変わらない。見晴らしが良いのに、霧の中を走っているかのようだった。ナツオは知らなかった。空路であろうが道には変わりがない。むしろ、迷風本体は空にあるのだから、本体に近いほど迷風の影響力は強くなるということに。
心臓パーツの鼓動が速くなる。体調の異常を感知するアプリが強いストレスの警告を発していた。
いつからだろうか、オイル酔いは完全に覚めていた。
さらにナツオにとって悪いことが起きた。迷風は、元々は台風である。さらに勢力を増した迷風は、迷路だけではなく暴風雨も伴ってきたのだ。『目』から徐々に外れてしまい、本格的な嵐に見舞われてしまった。
「だめだ!こんなの、まともに飛べない!」
暴風で吹き飛ばされそうになるナツオ。翼のコントロールが徐々に困難になってきていた。
――こんな高さから墜落だなんて、シャレにならないぞ!
だが、これはあくまで序章だった。迷風の恐ろしさは、こんなものではない。
迷風が牙を剥く。空中の夜空を照らしていた直前上に並んでいた明かりが、一斉に消えたのだ。
「嘘だろ!暗くて、何も見えない!」
暗視アプリを起動しようと試みるも、翼の制御で手いっぱいだ。
漆黒の夜空に取り残されたナツオ。すると次の瞬間、ナツオは信じられない光景を見た。消えていた明かりが宙に灯った。それはいい。だが、一直線上に伸びていたはずの明かりは、ぐにゃりぐにゃりとあらゆる方向へ伸びていた。更に、まるで意思を持っているかのように動きだす。それは中に浮かぶ光の壁のように連なっていく。
「なんだよこれ!これが迷風!?」
ナツオが移動すれば、光の壁がナツオを囲い込む。光の壁の間隔はどんどん狭くなり、ナツオは本当に迷路に閉じ込められているような感覚に陥った。あれだけ見晴らしがよかった空が、今では壁に覆われてしまっている。暴風が化け物のような唸り声を上げ、身体に吹き付ける豪雨がエネルギーを奪っていく。風が奏でる不協和音、金属を軋ませるような轟音が、ナツオの精神を蝕んでいく。逃がさない。そう迷路が告げているかのようだった。
「うわあああああ!」
恐怖に陥ったナツオ。そこに追い打ちの突風が吹き荒れた。バランスを崩したナツオは、そのまま風に流され――ぐるりと天と地が逆さになった。地上の迷路では地面に脱出口はないのが一般的だろう。幸か不幸か、空中の迷路には落下という第二の出口が存在した。しかし、これは迷路的にはもちろん失格だ。そのペナルティは重いものとなる。この高度からでは、どれほど頑丈なパーツで身を固めているナツオであるとはいえ、無事では済まないだろう。
刻一刻と迫ってくる地面。翼はまったく機能しない!
――もうダメだ!
ああ、こんなことならば、ムキにならずにあの二人の忠告を聞いておくんだった。
諦めたナツオが後悔を口にし、頭から地面に衝突する――
「やれやれ、これだから都会もんは!マスター!」
「お客さん!うおおおおおおお!」
ナツオの身体がドスンと何かに衝突した。全身に衝撃が走り、ナツオは意識を失い……はしなかった。パーツがバラバラになるほどの高度から落下したにも関わらず、鈍い痛みが走っただけで命には別条がないようだ。
「あれ、俺……」
「お客さん、大丈夫ですか!」
なんとナツオはバーのマスターに空中で受け止められていたのだった。あれだけの衝撃にもかかわらず、筋骨隆々としたマスターによるダイビングキャッチにより、ナツオは命を救われたのだ。なぜマスターが空中に浮かんでいるのか。命の危機に陥っていたナツオには、思考がまだ追いついていなかった。
「間に合って良かったのお。ケガはないか小僧」
「爺さん……」
マスターに抱えられて地面に立ったナツオ。相変わらず地図関係のアプリケーションはエラーを吐いているが、生命機能を司るパーツやアプリケーションにエラーはないようだった。翼も激しい風の影響で損傷してしまっているようだ。
「ああ、本当に良かった!」
「マスター……ありがとうございます」
「お礼ならばこちらに。彼が万が一のことがあるかもしれないからと、ここまで案内してくれたんです」
「おい、それは言わない約束じゃろうが」
老人は照れくさそうにそっぽを向いていた。
「爺さん、ありがとうございます。そして、すみませんでした。ムキになったから、こんなことに……。それに、どうしてこの場所が」
そう、ここは迷風のど真ん中。ナツオの位置は最新技術ですら把握できないのだ。
「話は歩きながらで。とりあえず、この危険な場所から帰りましょう」
ナツオがハっと気が付くと、そこは恐らく草原だろう。多数のロボットやマシンが眠っている。ただのスリープではない。どれもが大きく損傷している、いわば機械の墓場である。周囲は濃厚な霧が立ち込めていているので、ここがどこかは分からない。アプリも機能しない今、ナツオにはなすすべがない。
「よし歩けるな坊主。ワシについてこい」
迷いなく歩きだす老アンドロイドに、ナツオは思わず声を上げた。
「アプリもないのに、どうやって帰るんですか!?」
「大丈夫ですよお客さん。ベテランの彼に任せてください。危険ですから離れないように。――今度こそ死にますよ」
マスターのゾっとする低い脅しのような声に、ナツオは小走りで老アンドロイドの横に追いついた。
「迷風はの、風の流れや迷路の構造にパターンがあってな。今回の迷風ならばここに犠牲物が辿り着くんじゃ」
老人の話では、過去の経験からナツオが落ちてくるのならここになると判断したようだった。一歩間違えば自分もこうなっていたかもしれない。背筋が凍る思いに、オイル酔いしていたとはいえムキになっていた自分を深く反省するナツオ。
「それにの……小僧の位置じゃが。ほれ、ワシが渡したファイルがあるじゃろ。あれで追跡した」
「あ……」
冷静な判断が下せないまま実行してしまったファイル。どうやらそのおかげで命拾いしたらしい。
「迷風の中でも大体の位置が分かるんじゃ。といっても大昔に作られた案内型アンドロイド用アプリじゃがな。現在地が分かったところで、迷風の突破には何の役にも立たんポンコツじゃが……今回は役に立ったようじゃな」
ムホホと笑う老アンドロイド。改めてナツオは彼に感謝した。
「それに位置が分かったところで、ここまで辿り着くには足がないじゃろ。……いや、翼かのお」
ニヤリと笑う彼の視線の先には、マスターの背中があった。そこには先程ナツオを助けていたときにはあったものがなくなっている。「見せてみい」という老アンドロイドの視線に、マスターは照れくさそうにパーツを展開した。そこには、マスターの巨体を支えるだけの大きな翼が風に揺らめいていたのだ。
「ど、どうして翼が!?」
翼は都会の第五新星では一般的でも、迷星などの田舎では普及されていないはず。マスターはポリポリと頬をかきながら、ぽつりとつぶやいた。
「お恥ずかしながら、都会に憧れがありまして。形だけでもと、都会で流行っている翼を取り寄せていたんですよ」
「おかげでバーの売り上げのほとんどは翼に消えたらしいぞ」
どうやらナツオは、マスターの翼による飛行術と老アンドロイドの巧みなナビゲーションにより、一命を取り留めることができたのだった。
――本当に、この人たちがいなかったら俺は……。
「おっと下を向いていてはぶつかりますよ!」
「うわあ!?」
マスターの忠告で顔を上げたナツオの目の前に、霧の中から急に現れたのは壁だった。天にまで伸びるのではないかと思うほど高さをもった壁である。その壁は幻ではない。よく観察すれば、それはありとあらゆる機械のパーツが重なり合って建造されていた。迷風とは、暴風で巻き上げた機械のパーツや残骸を、迷風の意思によって迷路のように組み上げている超常現象なのかもしれない。ナツオも、二人がいなければ迷風に取り込まれ、この壁の一部とされていたのだろうか。
「ここは、右に曲がるのが正解じゃな」
ナツオが身震いしていると、老アンドロイドは迷いなく右に方向転換した。
「どうしてこんなに迷いなく進めるんですか?位置は分かっても迷風の突破は難しんじゃ」
「慣れじゃ」
「慣れ!?」
「ワシくらいになるとな、迷風の規模や発生時期から大体の脱出ルートは把握できる」
「……すげえ」
「長年案内型アンドロイドとして仕事してたからのお。迷風を攻略できなきゃ仕事にならんかったわい。人がどんどん他惑星に引っ越してからは、案内の仕事もなくなったがのお」
迷いなくどんどん進む老アンドロイド。その瞳はどこか悲しそうであった。
数十分掛けて辿り着いたのは、なんとマスターのバーだった。
「え、なんでバーがこんな近くに!?結構遠くまで飛んでいたと思ってたのに」
「おそらくですが、迷風に翻弄されてバーの周りをグルグルと回っていたのでしょう。さあ、どうぞ中へ」
こうして辿り着いたバー。付けっぱなしのブラウン管テレビからは、歌唱番組の司会者が終わりの挨拶を告げているところだった。老アンドロイドがいたテーブルの上には、飲みかけのオイルが注がれたままだ。どうやら急いで追いかけてくれていたらしい。その事実に、グッとナツオの胸に熱く込み上げるものがあった。
死と隣り合わせの緊張感から解放されたナツオは、フラフラとバーテーブルの椅子に座る。どうやら身体パーツの損傷よりも、精神的なダメージの方が大きかったようだ。
――ああ、ここにこのバーがあって……二人がいてくれて、本当に助かった。
「ふう、何とか生き残れたわい。マスター、オイルを頼む。小僧のおごりでな」
にやりと笑う老アンドロイド。
「もちろんです!迷風が過ぎるまでの食事代は俺が払わせてもらいますよ!」
ジョッキに注がれていくオイル。マスターに自分の物は薄めでと苦笑いしながら告げるナツオ。一ツ星でありながら田舎の迷星にあるバーは、来客が少なく売り上げもそれほど見込めないだろう。グラスに注がれたオイル。薄めだが良い味を出しているそれをチビチビと口にしながら、ナツオはとあることを心に決めていた。何か恩返しができないか。自分にできることといえば――。
視界の隅に映るとあるアプリケーション。『オイルシュラン』という、都会ではメジャーなアプリケーションだが、それはインストールできる一般のものとは異なるアイコンをしていた。
「マスター、この店についてもっと詳しく教えてください。特に、オイルについて」
後日、第五新星に本社がある惑星ガイド『オイルシュラン』の最新号が発行された。そこには、『迷星』でのとあるバーが紹介されていた。普段は気弱な匿名の審査員が、熱弁を奮うほどの一押しだという。コメントにはこうある。
こわもてのマスターが経営する二十世紀のとある惑星をモチーフにしたバー。濃厚なオイルの風味、のど越しがたまらない。常連客も親切な方ばかりで雰囲気もグッド。ただし、迷星特有の災害『迷風』にはお気を付けを。案内型老アンドロイドのお世話にならないように。
驚くべきことに、そのバーの評価は一ツ星から三ツ星に昇格されていた。田舎の惑星で三ツ星は前代未聞。田舎のバーには一ツ星が最高評価というのがミシュシュランの通例だったのだ。
この評価を受けてか、迷星への注目度が一気に高まった。それは迷風の解明へとつながり、被害者の減少と更なる観光客数の増加をもたらすのだった。
そのバーには大きな翼がインテリアとして飾られていた。来店客に尋ねられたマスターはこう話している。
「都会に憧れて翼を買ったのですが、今は人々で溢れるこの惑星が誇りです」
「何を格好つけてるんだ」と老アンドロイドがジョッキに注がれたオイルを口に流し込んでいた。彼の右腕には『案内人』の腕章が。迷星の中心部からやや外れたこのバーまで、送迎を担当しているらしい。
「小僧め。おかげでゆっくりとオイルを飲む時間が減っちまったじゃねえか」
カカカと笑う彼の視線の先には、時代外れのブラウン管テレビの横に置かれた古風な木の写真立て。正式なミシュシュラン審査員として、スーツ姿で再度バーを訪れたナツオが映っていた。写真立ての中の三人は、ジョッキを掲げて笑っていた。照れ隠しの笑みと、本当の笑顔が混ざったような表情だった。




