戦闘編2:第二話 フルアーマーを着ていた小悪魔
あなたの人生がかけがえのないように、あなたの知らない人生もまたかけがえがない。人を愛するということは、知らない人生を知るということだ。
灰谷健次郎(児童文学作家)
先ほどまでの戦闘での疲れか、俺の背中からは規則正しい寝息が聞こえ始めている。自分の体を支えない人間の体は大変重い。しかも鎧がまだ半分身に着けられているためさらに重い。
「…俺は筋肉キャラじゃないんだぞ?」
汗が頬を伝うのを感じながら、森の中の高い湿気の中を一歩ずつ足を進める。どうやらあのゾンビどもは見た目ほどは鼻が利かないらしい。
「それにしても…。」
俺は後方で息を切らしながらも何とかついて来ている存在に目を向ける。そこにはいつも着ていたフルアーマーの装備を外して、髪を短く切りそろえた女がいた。
「…まさか女だったとは。ずっとフルアーマーだったから気づかなかった…。俺ともあろうものが。」
俺は自身の嗅覚の衰えを感じていた。主に異性に対しての。
「何か…言った…か…。」
「いえ、何でもありませんよ…団長。」
できるだけ彼女の方を見ないように意識しながら、俺は懸命に前に進む。あの化け物どもがもし人海戦術で俺たちを探し始めたとすればこのペースではいずれ追いつかれる。
できるだけ進まなければ。テバイへ。
俺は気づくと森の中の泉近くに寝かされていた。何とか体を動かそうとするが、ほんの少し指先が動いただけだった。
「ん?起きたか?」
男が洗った顔をこちらに向け、布でその顔を拭う。
「今、休憩中だ。うまいこと泉があったからな。」
俺は何とか首だけ男の方に向ける。
「助成…感謝する。この礼は必ずや…。」
「あぁ、しっかり頼むぜ…。労働ってのは報われないとな。」
男はニヤッと笑うと泉の対岸に目をやった。
「本来はそういうのはあそこの団長に言ってくれるのがいいんだがな…。」
男の声に苦みが混じる。
「見たところ自警団の方のようだが…。貴殿が団長ではなかったのか?」
「あぁ、俺はしがない団員さ。ただ、今の団長は…見ないほうがいい。」
「怪我…でもされたのか…?」
俺は心配になってきた。見たところこの男に怪我はないようだが、もしや私のせいで団長殿は…。
「…その方がましだったかもな。」
「そ、そのように深刻な状態なのか…。」
「あぁ、深刻だぜ…。このまま安全にテバイまでたどり着けるか分からねぇ…。」
「それは…。」
私は自分の顔が青ざめるのを感じた。私は共和国国境の状況を後方の部隊に伝えなければならない。
「実はな…。」
私は唾をのみ込んで、男の次の言葉を待つ。その言葉を冷静に受け止めるここの準備をしながら。
「団長は…女なんだ…。」
「…は?」
男の言葉は私の心の準備などものともせず私を混乱させた。
「だから…どうなのだ?」
「だから…女なんだぞ?」
「それでどうして無事ですまないことになる?」
「俺は最近めっきり女っ気のない生活をしてきた…。」
「…それで。」
「俺はこの道中に手を出さないでいる自信がない…。」
男が頭を抱える様子を冷たく眺めながら、恐ろしく冷えた頭で冷静に思った。『早く体を治さなければならない』と。
私は突然背筋に寒気が走る。
「…疲れがたまっているのか、いかんな。風邪をひかないようにしなければな。」
体を抱きしめるように手を交差させ、反対の腕の二の腕を掴む。
「それにしてもリチャード隊員の様子が普段とは違って取り乱しておったな…。」
私は先ほどの泉に着いたときのリチャードの様子を思い出して思わず笑う。
『だ、団長は泉の向こう側で休んでいてください!』
『何故だ?同じ場所で休めば…。』
『なんででもです!団長が行かないのでしたら、私が対岸に行きます!』
『う、うむ!分かった!対岸で休むことにするよ。』
思い出すと若干のさみしさを感じる。彼はこの任務中ずっとそばにいたのだ。それに…。
「やはり嫌われた…かな?」
それはそうだ。これまで男として振る舞ってきたのだ。事情があるとはいえ、彼を騙してきたことに変わりはない。『裏切られた』と思われても仕方あるまい。
「それとも呆れられたか…。」
先ほどの村では情けないところばかりを見せてしまった。
「これでは団長失格です…、父上。」
私は天にいるであろう父の方を見た。
俺は迷っていた。今の俺は明らかに異常だ。いつもの俺じゃない。
これはあれだ…。男だと思ってたのが実は女だったから驚いて、対応がぎこちなくなってるとかそういうあれだ!
そもそも、俺の女のタイプはボン!キュ!ボン!あんなすらっとした肢体をした、童顔の女なんて…。
しかも、正義感が強くて何かと俺に無理難題を吹っかけてくる団長なんて…団長なんてなぁ!
だから、このもやもやは決して、アレではない。よく巷で言われているアレではない。
そもそも、俺はこれまでアレをしたことはない。女性経験は豊富な方だが。基本的に俺は自分が大好きだ。そんな俺が他人を…。
「…好きなのか?団長殿が…。」
「まさか!俺はホモじゃない。男は守備範囲外だ!」
俺は思わず叫んでいた。
「…団長は女なんだろう?」
「そうだ、そうなんだよな…。実は男っていうどんでん返しな落ちはないかな…。どうせなら隠し通してほしかったぜ…。」
俺は再び頭を抱える。
「…無理やり手籠めにするのは騎士として捨て置けんが、ようは惚れさせればよいのではないか?」
「いや、だからこれは一時の気の迷いでだな…。」
「…そうか、これ以上は何も言うまい。」
俺は兵士の言葉を反芻する。
『ようは惚れさせればよいのではないか?』
そもそも俺は自警団を丸ごといただこうと思って入団したんだ。あいつを俺に惚れさせれば、その目的を半ば達成したようなものじゃないか?それも大変穏便だ!これまで男だと思ってたから、思いもつかなかった解決法だ!
俺は別にあいつをどうとも思ってない。あいつを俺に惚れさせることはあくまで俺の野望のため。
俺は自分を納得させるように何度もうなずいた。
対岸で、どうやら兵士が覚醒したようで何やら話し声が聞こえる。男同士だとあんなにも簡単に話が弾むものなのか…。
「…私の男の振りではあのように打ち解けることはできなかったな。」
いつも私が男らしいと思って取り続けた言動は周りの男たちに受け入れられることはなかった。
「…ふぅ。しかし、リチャード隊員にはばれてしまったな…。どうしよう。黙っていてくれるかな…。」
私がしゃがみこみながらため息をついていると、頭上に大きな影が差す。
「団長、どうしました?どこか痛みますか?」
リチャードがこちらを心配そうな目でこちらを見ている。
「リチャード隊員、私は大丈夫だ。」
私は団長として威厳ある態度をとるために立ち上がり胸を張る。するとリチャード隊員が微笑みながら近づき私の髪に触れてくる。
「美しい栗毛の髪ですね、触ってもいいですか?」
私の肩口で切りそろえた髪を持ち上げ口元まで持っていく。
「もう触っているではないか?どうしたリチャード隊員、なんだか少し気持ち悪いぞ?」
リチャード隊員の体がまるで石のように動きを止めた。顔は笑顔のまま固まっている。
「リチャード隊員?疲れているのか?これからの相談があるのだが…。リチャード隊員?おーい。」
リチャードの前で手を振るも反応がない。まるで屍のようだ。
優れた結果を得るためには、二、三、のきわめて重要な目標にフォーカスし、単に重要なものは脇によけておかなくてはならない。
スティーブン・R・コヴィー(思想家)