戦闘編2:第一話 格好をつけたり、見栄を張ったりするけど、意外と格好よくなかったり、見栄よくなかったりする。
臆病は文明人のみの持っている美徳である。
芥川龍之介『続野人生計事』
「畜生!なんだあれは!・・・化け物どもめ!」
闇夜に帝国兵の悲鳴に近い叫び声が響き渡る。彼は一隊を率いる隊長であったが部下は皆、物言わぬ死体となっている。
その死体に目をやり、無言で詫びる。自身ももうすぐ後を追う事になると心の中でつぶやく。
彼の眼前には彼の身長をはるかに超える巨体の獣の頭が3体。獣の種類は多様であり、牛・猿・豚であるが体は筋肉を纏った堂々たる体躯である。
ただし、その体には無数の剣、槍が突き刺さっており、もはや更なる攻撃を叩き込む場所が無いほどである。
これは彼の仲間たちの功績の証とも言えるものであるが、それをあざ笑うかのように突き刺さった武器がぶつかり合い音を立てる。
牛頭が最後に残った男に手に持った大きな斧を振りかぶる。疲労に震える体を何とか動かし、なんとか直撃を避けるものの斧の軌道を逸らすために使った剣が音を立てて割れる。
もはやこれまでと彼が目をつむると、三体の化け物どもは体を向き直り、もはや彼など眼中に無いかのように去って行った。
「リチャード隊員!我に続け!あの化け物どもを叩くぞ!」
自警団の団長が腰の剣を抜き放ち、突然駆け出し、大声を出す。
「ちょっと!勝手に巻き込まないでくださいよ!ってもう走り出してるし・・・。」
俺は走り出す、団長の姿を呆れた目で眺め、俺が付いていくことをまったく疑っていない背中が見える。
「・・・やっぱりこういうタイプは苦手だ。」
俺は首を振って何かを払い落とすように立ち上がると、無謀な突撃をする団長の首根っこを引きずって逃げるために駆け出した。
俺は三体の化け物が立ち去った時点で逃げるべきだったのかもしれない。しかし、気になった。化け物が止めを刺さずに立ち去るなど何か大事が起こったに違いないと考えた。
化け物が立ち去るような原因がわかれば、ここで死んでいった仲間たちの死も報われるという気持ちがあった。
化け物たちの跡を追うと、その先には明らかに着慣れていない鎧を身にまとった、素人丸出しの二人組が目に入った。
「くそ!単に新たに獲物がいたからそちらに行っただけか!」
彼らを救おうと駆け出すが体力の限界を迎えている俺の脚は思うように前に進んでくれず、脚がもつれ転んでしまう。口に土が入り込み、砂利が口の中で音を立てる。
「くそ!この程度の距離を走れんとは!」
先ほど俺を囲んでいた以上の化け物を二人組を取り囲もうとしていた。
「・・・団長。止まんないで下さいよ。我に続けって活き込んでたじゃないですか・・・。」
剣を振り上げたまま硬直している団長の肩をたたくと、団長はびくりと体を震わせぎこちない動作でこちらを振り返った。
「リチャード隊員。近くで見ると大きいな…。」
「そりゃ、遠くのものは小さく見えるのは通りですが…。言いたいことはそれだけですか?」
俺はこの団長を見限るか見限らないかの瀬戸際まで来ている。俺の中の悪魔が『置いて行かないとお前も死ぬぞ』とささやく。
「あぁ、しかし遠くから見ると何とかなると思ったんだよ…。」
「…。」
俺はよし、『お世話になりました』と踵を反そうと決心すると団長が何かを見つけた。
「む!リチャード隊員!あそこに倒れているのは人ではないか?」
「さぁ?どうでしょう?」
嘘である。俺の目にも倒れているのが人で、さらに言えば帝国の兵士であることが見て取れた。正規の兵士で倒せない化け物に立ち向かうこの男の気がしれない。
「助けに行かなければ!」
「…そう言うと思ってましたよ。」
「そうか…で?!」
「で?」
「どうやって助ける?」
「ノープランかよ!しかも俺に丸投げかよ!どんな無茶ぶりだよ!」
思わず敬語の仮面が壊れる。
「しかし、見捨てる訳にはいかんじゃないか。私は力がないが、卑怯者にはなれない。」
「…。」
力がないことは分かっていたんだな。でも、なら首を突っ込むなと言いたい。そして巻き込むなと言いたい。
「…どうだろうか?もし、無理なようなら君は逃げて私だけで…。」
「だぁあぁ~もう!」
俺は思わず頭を抱えて叫ぶ。こいつは断りにくい物言いをしやがって!
「ど、どうしたんだね、リチャード隊員?」
「わかりました、団長!」
「う、うむ!」
「私がどうにかしますから団長はその辺に隠れていてください、邪魔ですから。」
「じゃ、邪魔かね…?」
「邪魔です!」
「う、うむ。分かった、隠れる。」
団長はその重そうな鎧を脱ぐとこから始めるべきだと俺は後で言ってやろうと心に決めながらのろのろと隠れ場所を探し始める団長を眺めている。
そして大きくため息をつく。これは難儀なことになった。正直気が進まない。1ドルの価値もない行為。それをこれからやることに罪悪感に似た感覚すらする。
「でもやらないと俺はカッコ悪すぎる。それだけはいただけんからなぁ…。」
俺は体をほぐすようにぶらぶらと揺らしながら、倒れている兵士の手前にいるゾンビ集団へと歩みを進めた。
俺は倒れながら鎧を脱いでいた。立ち上がろうとしても鎧の重さすら俺の体は支えることができなかった。
鎧の留め金を何とか外していると、二人組のうちの一人が鎧を脱ぎながらこちらに近づいてくる。確かにこの化け物たちに鎧は動きの妨げでしかない。一撃を食らえばたとえ鎧越しであろうと鎧の下の肉まで易々と砕くだろう。
それ自体は賢明と言えるが、化け物に立ち向かうのは下策である。逃げろと言いたいが、肺は空気を大きく吸おうとすると悲鳴を上げるかのように痛む。
俺が痛みに顔を顰めていると化け物のうちの一体が男に向かって一歩進み出て棍棒を振り上げ横に薙ぐ。
その棍棒は吸い込まれるように男の頭に向かっていく。男の頭が吹き飛ばされたかのように見えた。俺はその光景に思わずうめき声をあげる。
しかし、一撃を食らったにしては男はまだ立っていた。血も噴出していない。俺がいぶかしく思っていると、男の頭がありあえない角度でまがっているのが見えた。
「…あまりの威力に首の骨が折れたか。」
顔に苦い表情を浮かべると、その男の頭が元に戻った。
「ふー、これやるの嫌なんだけどな。」
首を元の位置に戻しながら、周囲の様子を覗う。化け物たちの動きがぎこちなく揺れている。化け物でも動揺するのだと感心していると、化け物たちが同時に構えを取り始めた。
「まるで何かに操られているって感じだな。」
俺が化け物の中をすり抜けるように歩くと、牛頭が斧で襲いかかってくる。俺の運動神経ではよけきれない。斧は当然のように俺の腕に当たる。
当たった斧はそのまま、牛頭のほうへと返っていき眉間に直撃した。
「俺の筋肉と皮膚の伸縮性と強度を舐めてもらっちゃ困る。」
俺の変身能力の根幹を支えているのは筋肉と皮膚が自由に伸び縮みできるからだ。骨の関節の数はもはや数えきれない。変身時はその関節が自由に組み合わされ、形態を変えるのだ。
そのおまけとして、俺の体のショック吸収力は半端じゃない。ただ、衝撃を吸収している姿は途方もなく格好悪い。それが難点である。
俺はゾンビどもの壁をすり抜け、倒れている兵士の元までたどり着いた。
「無事か?」
男は驚いた顔でこちらを見ている。俺のあの姿を見たやつは大概そういう顔をする。
「あ、あんたはいったい…?」
「説明は後だ…。とりあえずこの場は逃げるぜ。」
俺は脇に腕を通し、結構重いその体を何とか持ち上げると、団長が隠れている場所まで逃げることにした。
「俺に肉体労働は似合わないんだけどな…。」
俺は脚をばねのように弾ませ、飛び跳ねながら森の中へと逃げ出した。
多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える。
ラ・ロシュフコー(箴言集)