戦闘編:第十四話 リュカオンとの会見 ~その結果~ そしてリチャードへ
馬の行きたい方向に馬を走らせるには手間も労力も要らない。
リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)
天幕の下、沈黙の魔力が支配するこの空間に、まったくその影響を受けない人物が一人。
彼女は隣の男の様子から只ならぬ事情があることを察していた。それでも所詮は他人事。そこまで感情移入する性格でもない。この沈黙を破るのは彼女であった。
「それで、これからどうするんですの、ヨシヒロ?」
「え?」
デスポイアに突然聞かれ、俺はとっさに返答に詰まった。
物理的に帰還可能な空間的移動だったのか、物理的に帰還が絶望的な次元移動なのか。自分の希望と現実の乖離に気付かされ、その間を交互にぐるぐる頭の中で回っている。俺は今、ほかの事を考える余裕は無かった。
「これからどうするのかと聞いているのですわ、ヨシヒロ。あなたの故国に帰るのですか?」
しばらくそっとしておいて欲しかった俺は、思わずデスポイアをなじろうとする。しかし、その目を見て俺はなじるのをやめた。その目には涙がたまっていたからだ。子供の涙ほど強力な武器も無いだろう。
「…無理だ。いや、非常に困難だ。世界一周しろって方が遥かに現実的だよ…。」
俺は自分でも不思議なくらい冷静に淡々と話すことが出来た。口に出すと受け入れがたい事実も、初めから自分の内にあった理のように思えてくる。
「そう…。では、もうあなたの家族にも友人にも会えないのですわね…。」
デスポイアの頬を一筋の涙が線を描いて頬を伝う。
「あぁ、もう…会えない。」
俺には家族はいなかったが友人はいた。離れて分かるが、あれはいいものだった。今更ながらに郷愁の念が湧き上がってくる。今、あの友人たちに無性に会いたかった。
「それでしたら…その…。」
「ん?」
「その私が…あなたの家族になって差し上げてもよろしいですわ!」
デスポイアが俺の手をがっしりとつかむ。その手は熱く、震えていた。顔は赤かったがその顔は真剣でその様子に俺は頬を緩ませる。
「あぁ、お前は…。」
デスポイアの顔が明るく華やぐ。
「お前は俺の『妹』(みたいなもの)だ!」
俺も努めて明るく彼女に言った。するとピシっとなにかにヒビが入る音がする。
「だ…。」
「『だ』?」
『だ』大好き、『だ』団子を頂戴、『だ』ダンスを踊りませんか、『だ』ダージリンストレートで、『だ』出汁には鰹節?
「誰が妹ですか!」
彼女が叫んだそのとき、俺の顎を衝撃が襲う。気付けば俺は天空に打ち上げられていた。皆、暢気に俺が打ち上げられているのを暢気に見上げている。
ちなみに俺の頭蓋骨はショック吸収剤と形状記憶合金における最新技術の結晶である。一番大切な部分であるから当然だ。しかし、技術者は顎の強度には触れなかった。
顎の強度が今後の課題だろう。このような想定外の衝撃を受けることもあるのだ。
うん。なにが言いたいかと言うと。
「ふがふがふが(しばらく喋れんは、こりゃ。)。」
俺はそれよりも着地のほうが心配である。何せビルの4Fくらいまで打ち上げられたのだから。
高い、高ーい。
…
いくらなんでも高すぎるわ!
ど、ど、ど、どうすればいいんだ。
考えろ、考えるんだ。義弘よ。
とりあえず、あのアマ一発殴るとか考えるのは後にするんだ!
俺の機械足は強度的にはもつ。しかし、足の付け根からは機械化されていない。そこから後は生身なのだ。とてもじゃないがもたない。
落下エネルギーをどこに逃がすかが問題だ!生身には極力伝えずに済まさなければ!
そういう考えから今日、デスポイアと俺の共同必殺技が生まれた。
名づけて、『アース=クラッシャー』。
その必殺技は大いなる自爆技だったのだ。
その日、共和国の陣に一人の人間のキックによる大穴が空いた。
結局、キックによる衝撃緩和。あくまでも緩和であったので、内臓に一部損傷が生じた。俺が穴の中から救助され、その記憶は無いがヤンさんに遺言のように頼んだという。
「後は頼みます」と。
「は。」
俺は目を覚ますと、ベッドに横たわっていた。恒例のデスポイアの攻撃、怪我(洒落に成らないレベル)、気絶、覚醒の流れである。
最近、気絶まで行かなかったから油断していた。そう、ベッドから体を起こして真っ先に目に入る緑の髪の少女である。彼女が災害そのものであることを失念していた。
「ふがふがふが(このやろう!奥歯がたがた言わすぞ!)。」
俺がデスポイアに食って掛かるが言葉にならず迫力もくそも無い。
「よ、ヨシヒロが悪いのですわ!まったく!」
言葉は伝わらずともなんとなく雰囲気は伝わるらしい。しかし、それでこの返答とは泣きたくなってくる。
「ふがふがふが(お前は反省という言葉を知らんのか!)。」
俺とデスポイアが不毛な会話を繰り広げるのを外野はただ見ているしかなかった。
外野とはリュカオンとの話を終えた三人である。
「…どうする?」
「どうしましょうか?」
「様子見が一番かも…。」
とりあえずこの茶番を見守ることに決めた三人であった。
折れるのはいつだって俺である。ついに俺は言い募ることの虚しさを悟った。俺が何も言わなければ彼女も黙るのだ。売り言葉に買い言葉なのだから。
「…。」
「…。」
「…何か言ったらどうなのです。」
「…。」
「…どうして何も言わないのですか?」
俺は何も言わないがその目だけはしっかりと見つめていた。
「…私が嫌いになったのですか?」
…今更だがなぜ俺はこいつを嫌いにならないのだろう?正直不思議である。論理的じゃない。こいつを嫌うだけの事はされてきたと思う。何故だ?俺は黙って首を横に振る。
「…それなら良いのです。」
彼女はほっとしている。良くはないぞ。果てしなく良くない。こんなことが続くのならば、命を賭けて逃げ出すしかない。
俺はこの少女を躾ける為に怪我人という立場を強調して反省を促すという小ずるい事を考えていると、呆れ顔の三人を見つけ噴出しかける。
「ふがふがー(いつからそこにー)!」
「起きた時から。」
だからなんで言いたいことが分かるという。
「勘よ。」
心まで読み出した巴さんからも逃げ出したい。
「まぁ、ここに集まったのは義弘君のお見舞いと後、私たちはここに残ることにした事を伝えようと思って。」
「ふが(え)?」
「ここから逃げるだけで邪魔をしなければ、ここから出てもいいってリュカオンさんが言ってくれたけど。でも、エオスさんはさすがに開放することは出来ないって…。」
「彼女には何かと恩義がある。放って逃げることは出来なくてね。」
イレーヌさん、相変わらず男前ですね。その男前成分いくらか分けてくれません?
「だから、我々は彼女の傍にいようと思う。君はどうする?」
「ふが…(俺は…)。」
俺はここに皆が心配で来た。戦がとりあえず終わって、安全なら…。
「ふがふがふが(俺はリチャードさんを探しに行くよ)。」
「リチャードさんを探しに行くって。」
巴が通訳してくれる。彼女がいないと今の俺は意思疎通もできないな…。
「ヨシヒロ…。君という男は…。(皆彼の事をすっかり忘れていたというのに、君は忘れずにいたんだね!)」
「…頼んだよ(リチャードなら大丈夫だろうけどな…)。」
「ふが(はい)!」
今の俺は顎に強制具をつけているため、いくら活き込んでも格好などつかない。
「…とりあえず安静にしていたまえ。」
ヤンの労わる目がなんとも言えなかった。
テバイの北方に位置する山村。正確にはそれを視界に捉えることが出来る場所。そこにリチャードはいた。
彼の傍らには悲鳴を上げようとするのをリチャードの手に押さえられている自警団の団長がいるのみである。
「こいつは…やばいな。あんな集団…。敵いっこないぞ…!」
リチャードは何時もの飄々とした態度など吹き飛んだようで冷や汗すら浮かんでいる。
「アンデッド軍団&クリーチャー軍団とは…。どこのハリウッド映画のパクリだ?」
リチャードの前には獣人の死体が村を蹂躙する光景が広がっていた。その光景は彼の想像する地獄そのものだった。
困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。
小林多喜二(作家・小説家)