戦闘編:第十一話 Puppetry:①操り人形、②見せかけ
人間は生まれながらにして自由である。しかし、いたるところで鎖につながれている。
ルソー(フランスの啓蒙思想家)
追記:2011/9/23(金)
感想で、戦闘編:第十一話と第十二話で矛盾点のご指摘がありましたので、修正いたします。
執筆時に戦闘編:第十一話と第十二話でタイムラグがあり、よく読み返さないまま書いてしまったのが原因です。
すでにお読みになった方にはご迷惑をおかけするかとは思いますが、修正が少なくてすむ方法をとらせていただきました。
ご了承ください。
エレボスは大きく息を吸い込み、大きく吐き出す。それから手を開いては閉じて、首を左右に振って体に入っている余分な力を抜く。
これはエレボスが強敵に立ち向かう際に必ずやる動作である。動かない右腕は邪魔にならないように体に固定している。
周りにいる共和国の兵はその様子を見て歓声を上げる。この動作をして後、エレボスは必ずその相手を討ち取ってきたからである。
その動作に兵は勝利の予感と、エレボスの余裕を感じ取っていた。
しかし、エレボスに余裕など微塵もない。エレボスは自分を英雄視していない。ニュクスなどのように何故か一本の矢も当たらないような、一部の選ばれた人間以外は生き残るのにいくつもの工夫がいる。
エレボスの予備動作にはいくつもの意味がある。そういった細かいことの組み合わせで彼は自分の体、武器を自在に扱う技術を身につけた。
そんな努力をあざ笑うかのような圧倒的な暴力がエレボスを襲う。それを『盾の精霊』の力で防ぐも、エレボスは勝機を見出せずにいた。
「…なんで俺の周りにはこういう化け物じみた連中で溢れてるんだ?」
初撃を防ぎきった男が土煙の奥で苦い顔をする。そのとおりです!俺もちょうど創思っていたところです。まじで周りが迷惑するんですよね!
「化け物とは失礼な男ですわね!」
デスポイアが憤慨しているがその様子に恐ろしさは微塵も感じられない。
「そうだ、違うぞ!」
俺は思わず声を張り上げてしまう。その声にデスポイアはうれしそうな顔でこちらに振り向いた。
「化け物なんてなぁ…。化け物なんてなぁ…。そんな生易しいものじゃないぞ!俺の全身の骨という骨はなぁ、すでにこいつによって粉砕されている!気をつけろ!」
拳を振り上げ同じく苦労をしている男に力説する。デスポイアが何故かずっこけたのが見えたので助けに歩み寄る。
「大丈夫か?何もないところでこけるなんて…。ドジだなぁ。」
デスポイアが地面に倒れ付したままこちらをにらみつけてくる。
「どうした?あぁ、ほら!折角の髪が土で汚れてるじゃないか。折角きれいなのに。ほら、立ちなさい。」
デスポイアの両脇に手を入れ、ひょいと持ち上げて立たせる。彼女の長い髪についた汚れを手で払っていく。
「…まぁ、いいですわ。こんなことはさっさと終わらせて温泉に入りましょう。」
デスポイアは恥ずかしそうに髪で顔を隠している。まぁ、きれい好きのデスポイアからすれば、さっさと旅の汚れを落としたいだろうと納得する。
「おぅ!さっさと終わらせよう!」
エレボスは先ほどからのやり取りに目を疑っている。これが戦略級精霊術師か?戦略級はもっと傲慢で、誰の意見も聞かないような、そういう存在ではないのか?
俺の勝機はおそらくこの男にある。そうエレボスは思った。こいつの弱点はこの男だと。
そう考えてからのエレボスの行動は早い。エレボスはヨシヒロに向かって突進した。
「させませんわ!」
デスポイアは突進するエレボスに向かって土の壁を作り上げるが、エレボスはそれを盾で突き破る。
エレボスは風のようにヨシヒロに接近すると備え付けられた剣を盾から伸ばす。それをヨシヒロに突きつけようとする。
しかしエレボスの思っていた場所にヨシヒロはいなかった。ヨシヒロはエレボスの横に佇んでいる。
エレボスは考えていた。何故だ?完全に虚を突いたはずだ。読まれた?どうやって?土の壁で完全に死角だったはずだ。見えていたはずは…。
…こいつも何らかの精霊術師?それならばこいつを補足するのは骨が折れそうだ。まずはその正体を突き止めなければ…。
「あ、俺は精霊術師じゃないから。」
目の前の男はそんなことを言い始めた。何故こいつが精霊術師だという俺の考えを知りえた?まさかこいつの精霊術は…。
「だから俺は精霊術師じゃないって…。」
やはりそうだ。こいつは心を読む。心を『見る』のか『聞く』のか知らんが、俺の行動は筒抜けと見ていいだろう。
心が読めれば戦略級精霊術師を操るのもたやすいということか…。
「恐ろしい男だな…。」
「だから、俺はね…。まぁ、いいやもう。」
俺は見知らぬ人に恐ろしい男呼ばわりされてしまいました。まったく心外である。どう考えても言った本人のほうが恐ろしい男である。
何なんですか、ただの盾でデスポイアの一撃を防いでる時点で十分あんたも化け物のお仲間です。
それにしても、大概で精霊術師と思われてきた経験から先に釘を刺しておこうと思えばどうやら図星だったようだ。
こちらをかなり警戒している。正直、俺は戦闘技能なんてこれっぽっちもない一般人なんだからそんなに警戒しなくても…。
「パンドラ!頼む!」
エレボスが声を張り上げながらも、ヨシヒロから目をそらさない。
「仕方ないわねぇ…。まぁ、私もその子に少し興味があるし…。」
パンドラは微弱ながらヨシヒロに動きを鈍らせるようにその『誘惑』の効果を徐々に高めていたのだが、まったく効果が現れていないのを不思議に思っていた。
パンドラは精霊術による精神制御を始める。それはまったくの逆効果だったが…。
ヨシヒロは問題なく盾男(私命名)に相対しているようですわね。まぁ、私の補佐官なのですからそのくらい当然ですわ!
デスポイアはフンと鼻息を荒くして、ヨシヒロのほうを見ている。そのヨシヒロの様子が急におかしくなった。
どこがというと難しいのだが、雰囲気がどこか違っている。この雰囲気には覚えがある。そう、出会ったときの…。
「ヨシヒロ!」
『脳内に外部からの干渉を感知。嗅覚機能から脳内物質を操作されている可能性アリ。63号戦術化学兵器と類似するも効力大。63号戦術化学兵器およびそれに類似する兵器は国際条約違反兵器であり、違反者の拘束、排除は防衛省所属HEL被検体DG03に義務づけられています。倫理規定項目A001からD999を限定解除開始。限定解除終了。ナノマシン体外射出開始。敵性行為対象を判別中。匂い物質の濃度の濃い領域を発見。以後この個体を敵性対象と認定。対象の無力化または排除を行う。戦術プログラム起動。対象のデータ不足。主人格の記憶から敵性対象がもう一人存在。よってルート05を採用。実行に移す。』
ヨシヒロは夢の中にいた。まるで映画館の中にいるような感覚。そのスクリーンには美女と100人に言って95人は同意し、5人は絶世の美女だと訂正する美人が写っていた。その顔は驚愕に染まっている。
この状態はIISによる自動制御システム。ということは俺は奴らの思惑通りに動かされるってことか。胸糞悪い。
ヨシヒロがふらりと体を揺らしたかと思うと、その姿はエレボスの視界から消えた。驚愕に一瞬体が固まるが、体は自然と死角の防御に移っていた。
エレボスの左手が防御姿勢をとろうと動くが、それ以上に速い蹴りがエレボスの後頭部を襲った。
エレボスの脳は揺さぶられ、体から力が抜ける。追い討ちをかけるように跪くエレボスの顎は蹴り上げられる。
それで舌をかまなかったのはエレボスの長年の習慣の賜物である。
エレボスの体が宙を舞って地面に落ちる。その重々しい音があたりに響いた。そしてヨシヒロは更なる無力化をエレボスに強いるため歩み寄る。
エレボスの左腕はあっけなく折られた。
パンドラは呆然と見ていた。自分の精霊術が通用しなかったのも驚いたが、エレボスが負傷しているとはいえ、成す術なくやり込められることに驚きを隠せない。
術を仕掛けたとたん、青年の表情が消え、常人をはるかに超えるすばやさでエレボスの背後に回った。その動きは『人狼』と呼ばれるあの獣人と比肩するとさえ思えた。
パンドラは自分の人を見る目に自信がある。青年は一見どこにでもいる人間に見えた。そう思っていた。しかし、一瞬で豹変した。
「…自信なくすわ。」
パンドラはただそう呟いた。
「あれは…。」
ヤンは目の前の光景に思わず唾を飲む。
「…。」
イレーヌも同様に考えている。アレに覚えがあるのだ。
「これが…。噂だと思っていました。日本政府が機械化小隊の編成を行っているという。それが義弘君だったとは…。巴さんといい、日本はいったい若者に何を…。」
ヤンはヨシヒロを憐憫の眼差しで見つめた。
「ふっふっふ。これが私の補佐官の真の実力ですわ!早々にお引きなさい!」
デスポイアが勝ち誇った顔で仁王立ちしている。
その言葉に兵士の間に動揺が走った。エレボス将軍がやられた。ここは引いて大勢を立て直した方がいいのではないか?
兵士はちらりとパンドラの方を見る。兵士とパンドラの目が合う。するとパンドラはただ微笑んだ。つられて兵士たちも笑みを浮かべる。
「行きなさい。」
パンドラの言葉と共に、兵士の体はその意思とは別に突撃を開始した。その目に色はなく、うつろである。兵士の形相は険しさを増し、鬼のような形相である。
それを迎え撃つは同じくうつろな目をした表情のない青年。しかし、その青年は微動だにしない。ただ手を前に掲げただけだった。その一動作の後、糸が切れたように兵士が倒れ伏した。
「な!」
パンドラは思わずうめく。操っていた兵士がこうも簡単に…。
パンドラの行っていた操作は、恐怖をつかさどる脳の一部の活動を弱らせ、攻撃性を司る部位を活性化させることであった。
ヨシヒロはナノマシンを散布し、その攻撃性を司る部位の活性化を助長しただけである。
著しい脳の活動の偏重は活性化している部位以外の活動に支障をきたすことになる。もし、他の部位も活動させたままそんなことを行えば、血中の酸素濃度、糖分濃度が急激に低下し、こうなった。
そんなことはパンドラは知らない。そんなことは感覚的に調整してきた。それを外部から狂わせる存在などいなかった。
ヨシヒロはゆっくりと慎重にパンドラに近づく。パンドラは思わず後ずさる。その足は若干震えていた。
「っこ、来ないで!」
パンドラは子供のように首を左右に振り、目には涙を浮かべてただ後ずさる。
それでもヨシヒロは歩みを止めない。パンドラはこれまでに感じたことのない恐怖に体が動かない。
それを見ていたデスポイアがなにやら言っているが義弘の耳には届かなかった。
ヤンとイレーヌはヨシヒロのほうへと歩み寄ろうとしたそのとき、領主の館で歓声が上がる。
領主エオスを捕らえたことを叫ぶ歓声であった。
人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
夏目漱石(作家)
追記:2011/9/23(金)
感想で、戦闘編:第十一話と第十二話で矛盾点のご指摘がありましたので、修正いたします。