戦闘編:第六話 天恵と天災は紙一重
Dream lofty dreams, and as you dream, so you shall become.
Your vision is the promise of what you shall one day be; your ideal is the prophecy of what you shall at last unveil.
気高い夢を見ることだ。あなたは、あなたが夢見たものになるだろう。あなたの理想は、あなたがやがて何になるかの予言である。
ジェームズ・アレン(イギリスの思想家)
テバイの領主は毅然としていた。決してその背を曲げる事無く、目線は泳いではいない。表情を消してしまっている彼女の顔の皮の裏側では様々な思考が、感情が錯綜していた。
領民を避難させるべきなのではないか?
包囲されてからでは遅い。
しかし、非難させてその後、領民は帰ってくるのか?
こんな魅力の無い領地に帰ってくる者がいるのか?
それに共和国の軍勢がここまで到着するまでに避難は完了するのか?
すでに都市機能を圧迫するまでに避難民が溢れてしまっている。
人減らしをしなければ、生活が成り立たぬ。
何故、援軍はまだ来ない?
見捨てられた?これまで帝国へ税を払い続けて来たのだ。それで援軍が来ないのでは詐欺ではないか?
ヘルメスのエロ親父。私自身が泣きつくのを待ってるんじゃなかろうな?
いやいや,さすがに・・・ない・・・わよね?
それに,エピメーテウス叔父さま敵に付くとは、厄介、というかこちらの手のうちは読まれるでしょうね。
私のような小娘ではやはり太刀打ちできないのか・・・。
テバイ領主、エオスには苦悩する時間は潤沢には残されてはいない。最終的に彼女は領民の一部を他領に避難させる事を決断した。
彼女とて帝国の領主としての責任を果たさなくてはならない。
すなわち、帝都への防壁としての役割を。
帝都アスンシオンに共和国襲来の報がもたらされたのは、襲撃から五日後の事だった。そのときには既にテバイ領の奥深くまで侵入を許していた。
謁見の間、その中央に位置する一段と高い場所に座する若者が虚ろな目をその膝下に向けている。彼が何を見ているのか誰も知らない。そのガラス玉のような目がただ目の前の情景を映しているだけであった。
今現在彼の目に映っているのは騎士団の使者である。騎士団は全員が騎馬隊により構成されているので,その職務内容は伝令に多用される。その中でも皇帝に謁見を許される人間は限られている。彼はその騎士団長である。その騎士団長の報告の声が謁見の間に低く響く。
「やはり来たか!」
共和国の侵攻を予想していただけに宰相のカイロスは憤りを隠せない。こめかみには目に見えて血管が浮き出ている。
独自の情報網で共和国の動向を探っていた彼はまず、自領の兵の進軍準備を整えていた。彼の宰相として出来る事は意外と少ない。辺境領に対する宰相の権限は非常に限られている。帝国がその領地を広げすぎたおかげで、帝都からトップダウンに指令を下す事は、命令の時間差が生じ過ぎ問題視され、辺境領ではその領主と担当の十二神将の命令が最優先される。
宰相の権限が直接及ぶ地域は帝国の直轄地のみとされた。後は帝国法における、議会招集権限とその議決権、臨時法の制定のみである。
彼はその性格から即時即決即時速攻をモットーとしているのでその状況がもどかしくて仕方が無いのである。しかし、彼は帝国の現状を憂える人間の一人であり、場当たり的な対処しか出来ない一領主の立場から、帝国宰相となり抜本的な改革を行おうと意気込んで来たは良いが、彼の意見に賛同する人間は上層部には少なかったため、意思決定の遅れが決定的となっているのである。
「ヘルメス卿はどうしている?」
なんとか気を鎮めたカイロスは騎士団長に聞いた。
「マニ領,領主エオスからの救援要請は届いている様です。マニ領周辺の領主軍を糾合している状態です。おそらくは戦線が伸びきった所をたたくつもりでしょう。」
騎士団長の態度は落ち着いており、その堂々たる体躯に似つかわしい重厚な声色だった。
「現在,どの程度の兵が集まっているのか?」
「それが,今だ分散して配置しているようで、迎撃の為にどの程度の兵を集めているのか掴めていないのが現状です。」
「ヘルメス卿は何を考えている!?各個撃破の餌食にされたらどうするつもりだ!」
列席している貴族の中から避難の声が上がる。
「それは分かりませんが、ヘルメス卿がその可能性に気づいていないとは考えにくいです。おそらく兵力を集中する事がためらわれる何かがあるのでしょう。」
「その何かとは何だ!」
「そこまでは分かりかねます。」
静寂が場を支配した。あまりに状況が不可解だった。帝国の迎撃が異様に進んでいない事が。ヘルメスの手堅い戦いぶりはよく知られているが、あまりに慎重すぎる。何を恐れているのか、それがその場の誰にも分からないのだ。
「・・・ヘルメス卿だけでは不安だ。誰か別の十二神将を派遣すべきではないか?」
「誰を派遣するというのです?西はヘルメス卿一人で担当してましたから。北は今,寒波の対応で手一杯で期待は出来んでしょう?東は遠すぎます。では,南・・・ですか?」
「南の十二神将で今手隙の方がいらしたか?」
「南は今、安定している。下手に人員を動かさない方が良い。」
「しかり。特にペルセポネ卿にこれ以上功績を立てさせては、手に負えなくなります。」
「ペルセポネ卿さえ居れば南は大丈夫でしょう。アプロディタ卿はいかがですか?彼女の手腕ならば戦後処理まで任せる事が出来る。」
「そうだ,アプロディタ卿ならば適任だ。彼女ならば無用な野心を抱かず責務を果たしてくれるだろう。」
「彼女が進軍準備を整え,到着するまでにマニ領が落ちているという事も考えられますが?」
「その時はマニ領は見捨てる。帝都を守る事を最優先にする。押し返して森の向こうへ押し返せれば、経過はどうでも良い。これを期にマニ領の領主を交代すべきかもしれませんな。これからは子供に任せておける領地ではなくなります。」
「そうですな。」
御前会議に集まった広大な領地を持ち、帝国の要職を歴任して来た老人たちは明日の夕食を決める気軽さで人選を決めた。
「ちょっと御待ちください!」
カイロスが老人たちの会話に立ち入った。
「何だね、カイロス卿。」
これは仮にも宰相の地位にある人間に向ける言葉ではない。現在のカイロスの発言権の無さを示していた。
「それでは不十分です。もっと全力で事に当たらねば帝国は負けます。」
老人たちは顔を見合わせ、大笑呵々した。
「カイロス卿、少々敵の姿を大きく見過ぎではないか?」
「さよう,さよう。共和国と我が国では国力の差で十倍ともいうでは無いか。」
カイロスがその肩をがっくりと落とす。
「その認識は改めていただかなくてはなりません。帝国の国力は飢饉の影響と内乱によって大幅な減退を強いられました。反して共和国はリュカオンを執政官に迎え、各都市を糾合し、富強な国へと作り替えております。その国が全力を持ってこちらへと牙を向けているのですよ!例え我々が巨龍であっても,鋭い牙を持った狼にのど笛を噛み切られれば死に至るのです!」
「それはどこから得た情報かね?」
老人がカイロスを試すように聞き返す。
「私の密偵の独自な調査による情報です。」
「ほう、君のご自慢の密偵とやらは共和国の侵攻を報告してはくれなかったのかね?」
「それは・・・。」
「どうやら、まだまだ信頼できる部下が育っていないようですな、カイロス卿。」
「まぁまぁ、カイロス卿はまだ御若いのですから・・・。」
カイロスはその拳を血がにじむまで握りしめた。
「陛下、それでよろしいですか?」
カイロスを差し置いて老人が臣下を代表して訪ねると皇帝はただ、首を縦に振るだけだった。
「では、アプロディタ卿を派遣することとする。これは勅命である。」
それで御前会議は終了した。
誰一人、帝国が負けるとは、口にしなかった。
まったく危機感のない会議にいらだち、割り当てられた部屋に戻り,一人になるや壁をたたき考えつく限りの悪態をつくと、直轄領の西境界まで自領の兵を移動させるように命令させた。
一方,その頃南辺境領の城塞都市、アウストラリス・カストルムでは・・・。
「すばらしいスムーズさで神殿が出来てくもんだな。」
義弘はデスポイアの神殿建設現場で独白した。
神殿の建設現場では、石材が運び込まれ、着々と地面に書かれた図面通りに作られていっている。すでに彼にする事は殆どない。
「思えば,資材集めに苦労すると思えば必要な物は素直にくれるし。親切だな,ここの人は。」
彼に「くれ」と言われて、大抵の商人はびくびくしながら「例の事はどうか内密に・・・。」と腰を低くしながら了承するのだが、義弘の回答は大抵、「何が?」である。
「人集めには信心深い方々が集まって手伝ってくれるし、宗教ってすごいなぁ。」
ちなみに,働いている彼らは街の職人たちであるが、義弘が帝国の『組合』のマスターの資格を得ていると聞き、少しでも何かを得ようと何かと義弘に質問してくる。義弘も神殿作りには必要だと考え,地面の水平を測る為に『水準器』や水はけの悪い土地の水を除去する為に『ポンプの原理』などを提案すると彼らはすぐにそれを実践した。義弘はこれで良いのが出来そうだとうなずいていたという。
そんな視察中にペルセポネ様に呼ばれた。彼はまた何ぞ難題を吹っかけられるのではないか・・・そんな不安に駆られた。
「順調な様ですね。」
ペルセポネ様は大変上機嫌のようである。その笑顔がいつもより深いようだ。それにしても相変わらず年齢不詳のお母様である。一回その体組織を念入りに調べてみたいものだ。そうすれば人類永遠の夢が実現するかもしれない。
「まぁ,思ったよりは順調に進んでますね。お嬢さんの妨害・・・わがままが無ければもっと早くできると思うのですが。」
「まぁ、十分ですよ。私の予想を超える速さで工事は進んでいます。胸を張ってよいですよ?」
「はぁ。」
この人がこんな口調のときは何かある,そう義弘は予感した。
「ところで。」
「はい。」
「ヨシヒロさんは西からいらしたのよね?」
「はい,そうですが。」
「今,西が大変な事になっているのはご存知?」
「いいえ?」
最近は工事に付きっきりでろくにここに来てなかったからな。そのせいかデスポイアには2割増でひどい目に遭わされたが。思わずこのあいだ負わされた傷口に手を当てる。
「そう、今ね共和国が侵攻して来ているらしいの。」
ペルセポネはまるで『今日,お隣に引っ越してらっしゃるらしいの。』とでも言うかのような気安さで爆弾を投下した。
「今,なんと?」
義弘は思わず聞き返した。その内容が彼の想像を超えていたからである。
「だから、共和国が攻めて来たのよ。」
その落ち着きに義弘は思わず激高しかける。
「なん・・・で,そんなに落ち着いているんです?!すぐにでも救援に向かうとか・・・。少なくとも警戒くらいはしなくては・・・。」
義弘の言葉をペルセポネは静かに聞いていた。そしておもむろに言った。
「私がその程度の事もしていないとでも?」
義弘は思わず姿勢を正してしまう。時々、この人が見せるこの目が義弘は苦手だった。獅子の目だ。その奥に燃え盛る炎を見た気がする。
「いえ,失言でした。御許しください。」
「いえね、共和国が攻めてくるくらいありえない話じゃなかったのよ。貴方、カイロスってご存知?」
義弘は内心、話が飛ぶ人だ・・・と思った。
「いいえ。」
「そう、この国の宰相よ。そのくらい覚えておきなさい。その宰相が筋金入りの愛国心溢れる人間でね、何を考えたか共和国への侵攻を考えたのよ。」
「何故そのような事を?」
「さぁ、でもそれで帝国の現状が何か変わると思ったのかしらね?現実主義者で通っている彼が実は夢想家だったって事かもしれないわ。でもね、それはどうでもいいの。それで共和国は追いつめられちゃったわけだから、座して待つのでなければ当然・・・。」
「討って出ての先制攻撃。そして早期決着。」
そのとおり、とでも言うかのようにペルセポネは拍手する。
「それは彼が就任した時点で分かっていた事よ。時期はさすがに読めなかったけど・・・。こちらに攻め入ったときの対策は採っているわ。ただし、こちらから兵は出さない。」
「何故!?」
「私たち十二神将にも一応、縄張りって物があってね。あちらにはヘルメスって言ういけ好かない狸がいるから任せておく訳。」
「それでも・・・。」
「私に兵を出せと?正当な理由も無しに?貴方は私に命令できる立場にいるのかしら?」
義弘はぐっと言葉に詰まる。
「・・・あそこには仲間がいるんです。出会ってから間もないけれど、大切な仲間なんです。御願いします。力を貸していただけないでしょうか。」
「今度は泣き落とし?中々有効だけど、やっぱりだめね。それは出来ないわ。」
義弘はペルセポネを懇親の気力を振り絞って睨みつけるが、ペルセポネは揺るがなかった。
「・・・分かりました。では少し暇を頂きたい。」
「駄目ね。」
『即答かよ!』という声を義弘はこらえながら言葉を続けた。
「何故です!」
「貴方はデスポイアの補佐官でしょう?補佐官が離れては駄目。」
「・・・分かりました。」
義弘は努めて冷静に言った。分かってなどいなかったが、その場では分かったと言うしか無かった。
ペルセポネの部屋から退出すると、デスポイアが待ち構えていた。
「お母様と何を話していたのです?」
思わずここを離れられない元凶に腹がたち、何も出来ない自分への失望とこんな小さな子供に腹を立てた自分に対する憤りで口から熱い息を吐く。義弘は何の力も無い、何も出来ない、仲間が危険な目に遭っているというのにとそう思っていた。デスポイアはギョっとしていた。それを義弘は不思議そうに眺めていた。
「・・・何故、泣いているのです?」
義弘は顔に手を当てて目から熱いもの流れてくるのを感じた。慌てて涙をぬぐい去る。それは彼のなけなしのプライドがそうさせた。
「・・・義弘、屈みなさい。」
義弘はデスポイアの命令に思わず睨んでしまうが、その真摯な目つきに思わずたじろぎ、気づいたときには言う通りに屈んでいた。すると義弘の頭を暖かい物が包んだ。
「男が泣いている時にはこうすれば落ち着くとお母様が言っていましたわ。」
だからお母様、貴方は何を自分の子供に教えているのかと義弘は思った。
「・・・これ、いつもやってるのか?」
「私はそんな事はいたしませんわ。お母様もこの手段は大事なときにとっておけとおっしゃいましたし。」
「・・・そんな大事な物は俺なんかに使わないで大事にとっておきなさい。」
義弘がデスポイアを引き離そうと動くとデスポイアはさらに義弘の頭をぎゅうと抱え込んだ。
「今がその時だと考えたからこうしているのですわ!」
義弘はそれを振りほどこうと動くが不思議と体に力が入らない。
「私はきちんと話を聞きますから話して下さい、ヨシヒロ。」
義弘はためらいつつ話を噛み砕いて説明した。仲間が故郷を思い出す唯一の縁だと言う事,彼らを救いにいきたい事、すべてを。
彼女はそれを頷きながら真剣に聞いてくれていた。すべてを理解は出来なかっただろう。しかし、彼の抱える漠然とした孤独と無力感は理解した。
子供に何を言っていると、義弘は首を回して,デスポイアの方を見ると彼女は優しく微笑んでいた。
「貴方は貴方の思っているほど何も出来ない人間ではありませんわ、義弘。貴方は知らず知らずのうちに、様々な物を与えて来ているのです。」
彼女の抱え込む手が緩み顔を上げると彼女の手は彼の頭をなでていた。それは労るような手つきだった。
「それならば、やる事は一つですわね!」
デスポイアは改心の笑みを浮かべ、義弘の腕を掴むと屋敷の玄関の方へと歩き出した。突然の行動に義弘は目を白黒させる。
「お、おい!」
「貴方は私の補佐官なのでしょう?ならば私に付いてきなさい!」
デスポイアは鼻息を荒くしながら玄関の扉を荒々しく開け、使用人を驚かせた。
「どうする気だ!」
「決まっているでしょう!」
義弘の背中をデスポイアは思いっきり押し、地面に立たせるや否や、西の農村から彼をさらった時と同様に大地を動かして運んでいった。
「西に向かうのですわ!」
義弘は懐かしい風を感じながら、以前とは違いこの引っ張られる感じを心地よく感じていた。これが・・・このエネルギーこそが彼女だと。天災は時として天の恵みをもたらす事を彼は思い出していた。
おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大をみのがしがちである。
岡倉天心(明治の美術家・美術評論家)『茶の本』