戦闘編:第五話 いい嘘はWhite Lieと呼ばれる では悪い嘘はBlack Lie ?
嘘ばかりつく人間だと思えば、こちらは正反対を信じていればよい。
嘘と真実を使い分けるからやっかいである。
モンテーニュ[ミシェル・ド・モンテーニュ]
(16世紀フランスの思想家・哲学者、1533~1592)
「随想録」
帝国と共和国に明確な国境線は無い。ただ森があるのみである。そのため国境沿いに防壁が張り巡らされているわけではない。
小規模な監視砦がいくつも建てられ、昼間の天候のいい日は狼煙、夜間は火、連絡不能時は早馬を出す。防壁は各都市、町ごとにあり、そこに立てこもり援軍を待つのが常態となっている。
マニ領には大小あわせて12の町、53の村、そして主要都市テバイがある。そしてテバイを中心に街道が敷かれ、各町、村との連絡を欠かさず行っている。
その行き来が最近慌しくなった原因は今や子供でも知っている。皆、夜は家から出ずに不安に怯え、防壁の周りにはかがり火が夜の闇を照らしていた。自然皆口数は少なく、ただ家畜の泣き声や虫の音、時折赤子の鳴き声がただ響くばかりであった。
マニ領全体を包む静寂を最初に破ったのは、エオスがこれだけは避けられぬと無理をして林立させた簡易監視塔で見張りをしている男であった。
「てっ敵襲!西の森から敵襲!敵の数・・・不明。しかし、多いぞ!畜生!奴らかがり火も焚かずどうやって森を!」
西の森から軽装ながら急所を重点的に防御する防具を身につけた軍勢が溢れるように、しかし静かに姿を現していた。それはさながら蟻の巣を壊したときに兵隊蟻がわっと這い出てきた、そんな光景であった。
「すぐに合図と早馬を・・・・」
監視していた男の意識はそこで途絶えた。自分を殺した者の姿すら見ることは叶わなかった。
「なかなか目がいい兵を監視に当てていますね。関心、関心。どうやら基本的な帝王学は学んだようですね、エオス。あの小さかった子供が成長したものです。オジサンが褒めてあげよう。」
エピメーテウスがその影で以て監視塔の周辺の兵を軒並み蹂躙しながら、ゆっくりと歩みを進め倒れている監視兵の元までやって来て、睥睨した。おもむろにその死体の頭をつかむと無造作に自分の目線まで持ち上げ目を合わせ言った。
「見ているのでしょう、エオス?この目を通して。良い部下をもって幸せ者ですね。死後まで君の役に立とうとは見上げた忠誠心。あの兄の下から良く離れずに残ったものだ。久しぶりだね。もうすぐ君の元まで会いに行くよ。」
その目は口元ほどには笑っていなかった。そうしてエピメーテウスは無造作に手につかんでいたものを放り出した。
エオスは思わず後ずさる。自然体が震えだし、その震えは徐々に大きくなって全身を駆け抜けた。
「エピメーテウス・・・叔父様。そんな・・・。まさか・・・。」
エオスは吹雪の中にいるように自分の体を抱いていた。そうしている間にも共和国の兵はその歩みを止めるはずもなく。近隣の村を襲撃した。
エオスが自領の町、村に伝令を送り、共和国急襲を伝える間にも共和国は7つの町、32の村を陥落させていた。
共和国は軍勢をあえて分散させていた。それは常態では下策であるが、それでもなお領主軍の迎撃を跳ね返した。
理由は単純。分散さてもなお、領主軍を圧倒するだけの数を送ったのである。
単純だがそれは不可能とされてきただけの理由がある。それは補給である。それだけの人数を養うだけの食料、武器の補給が間に合うはずが無い。深い森が間にあるのだから運ぶのにどれだけの時間がかかることか。
共和国はこれまた単純かつ力技で解決する。森に道を作ったのだ。それも一夜で。
それを可能にしたのはリュカオンが共和国の軍の任務に公共事業を当てたことにある。彼が共和国を名目上統一した後、その軍を一本化した。その際の改革で軍の一部は公共事業を行ってきた。主に土木作業である。これは領内活性化と市民への人気取りと目されてきた。それだけでなくこういった使い方をしてきたのである。組織だった工事に手馴れていたのである。
組織だった行動で共和国と帝国は一本道で結ばれた。さすがに石やレンガで舗装された道ではないが、その幅は三頭立ての馬車がすれ違ってもなお余裕のあるほどで、その路面は滑らかにされていた。
森の出口には食料、武器の集積場が設けられ本陣もそこにある。総大将がそこが重要拠点であると認識している証左でもあった。
「テバイの街道の6割を掌握いたしました。」
「テバイ領の村落は抗戦の意思は無く皆、領主の下へと逃がしました。」
「抗戦の意思を示す町が未だ開門せず粘っておりますが、陥落は目の前です。」
リュカオンは静かに部下の報告を聞いている。今のところ予想外の報告が無いのか唯頷くのみである。報告にあがった部下はちらりと司令官の横の人物に目をむけ慌てて目をそむけそそくさと退出した。
「順調ね、リュカオン。」
戦場の本陣の天幕の下であるというのに、その格好は防御力に欠けるというか軽装であり、その体勢もうつ伏せで、その脚をぶらぶらとさせ、部下が報告に上がるたびにその視線を浴びている。
「順調すぎる。テバイの領主軍の反撃がお座成りすぎる。領内深くに誘い込むつもりか?」
男はまったく隣の存在に気をとられているそぶりを見せず、考えに没頭し始めている。
「あなたの使った手よね?でもそれは無いんじゃない?誘い込んだところですでに大勢は決しているでしょう?そういう風にあなたが計画したのだから。すでに街道を封鎖して各町が結束して反抗することはできない。足並みのそろわない軍勢に後背を衝かれても対応できるだけの練度と数に差があるのでわないかしら?ここの少女領主は軍をテバイに集結させるつもりでしょう。そのための時間稼ぎに過ぎない。そういう結論があなたの中にも出ているのではなくて?」
リュカオンは隣に目をやりため息をついた。
「お前は心まで読めるのか?」
「そういう匂いがしただけよ。」
「では、そろそろ分散させた兵力を集中させてテバイを叩くか。」
「でも、集結させるのが目的で誘っているのかも知れないわよ?」
「・・・パンドラ、お前は人を惑わせるようなことを。」
「これくらいで惑うような男の傍にいるつもりは無いのだけど?」
パンドラの眼光が普段無いくらいに輝く。
「まぁ、な。兵を集める隙を狙ってくるかもしれないが、大兵力が動いている形跡は今のところ無い。各軍団でそれぞれ対処できることだ。それに緊密に連絡は取り合わせてある。おのおの、三個軍団ごとが集結できるように訓練も積んできた。」
「テバイを攻めている間に他の領の軍が責めてくるかも知れないわよ?」
「それも織り込み済みだ。帝国は法で他の領に軍勢を持ち込むことは出来ない。その超法規的措置を採れる立場の人間は限られている。」
「十二神将・・・。」
「西の管轄はヘルメス、奴がどう動くかが鍵だ。」
リュカオンは腰の剣に思わず握り締めた。
「その・・例の秘策とやらは大丈夫なの?」
「こればかりは確かなことはいえないな。」
「ちょっと・・・。」
「しかし、自信はある。ヘルメスの動向を見定めることはこれで出来るはずだ。」
「ずいぶんな自信だこと・・・。そのためにエピメーテウスを連れて来たの?それに副官にも何かやらせているみたいだし。」
「まぁ、二人がこの作戦の要だな。」
「そう、エピメーテウスを貸してあげた礼はいずれしてもらうから・・・。」
「一応俺は共和国の全権を握る人間なんだが?」
「それはそれ、これはこれよ?」
「そうかい・・・。」
リュカオンは本日何回目になるか分からないため息をつき、本陣から北の方角にいるであろう二人の作戦の成功を心から祈っていた。
テバイの城門には大勢の避難民が押し寄せていた。彼らの受け入れ態勢を整えるだけでかなりの人手が割かれていた。
「・・・何故私がその責任者をやらされているのでしょうか?」
避難民の列の先頭には椅子に座り、机の上の書類に書き込みを続ける男がため息をついた。
「まぁ、仕方がないよ。ヤンは工房の主計係も兼ねてたし、その評判が良くて事務仕事をかなり任されていたからね。」
嘆息してイレーヌはヤンをなだめるように言った。
「私は技術者なのですが。」
「私だってそうだよ。」
イレーヌはかなりの速さで書類に名前と出身地と家族構成と持病の有無などの情報を書き込んでいく。
「あぁ、山に入って未知の鉱物との出会いに溢れていた数日前の平穏を返してください!」
嘆きながらもその手は休まず、横からイレーヌが渡してくる書類から居住区の指定と必要な物品の種類、量などを即決して書類に書き込んでいく。
「私だって道具を作ってないよ。油の匂いだって数日嗅いでない。溶接器具もグラインダーも無いけど、その分創意工夫に溢れた私の創作の時間を返してくれ!」
そんな不満を西に向かって叫ぶ二人を少し離れたところにいるテバイの官僚は呆然と見ていた。
テバイの一角にある『憩いの我が家亭』には通常の倍以上の客が詰め掛けていた。客といっても払う金を持たない客がほとんどであったが。
「トモエ、交代だ。少し休め。このペースじゃ体がもたない。」
「分かりました、店長!」
厨房は余りの需要の多さに皆目を血走らせている。その熱気の渦から少しはなれた休憩スペースにトモエは座った。
「ふぅ。」
トモエはため息をつく。次にはさらに深いため息をついた。休憩スペースといっても、、元々あった従業員ようのスペースも取られてしまって、今は店の裏の倉庫がそれに当てられている。
「食料の残りが不安だなぁ。」
倉庫の食料の貯蔵量にトモエは思わず不安をもらす。普段であればこの程度の貯蔵で十分なのだがあの消費量では・・・。城からの配分があるとはいえ、何時この食料が消えてしまうのではないかという不安に駆られてしまう。
「まず、調味料がねぇ・・・。ぜんぜん足りない。」
戦争中はまず、嗜好品から足りなくなるのは世の常である。他に優先されるものが通常より増えるからである。
「リチャードさん、無事かなぁ?」
ため息をつきながら、リチャードが派遣された西の地に向かって目を向けた。
「何故俺がこんなことを?」
リチャードは思わず言っても仕方の無い愚痴をこぼす。
「何故って自警団だからさ!」
自警団であることを誇りに思っていることがありありと分かる男がいた。その輝く少年のような目をした団長を見て二の句が告げないリチャードであった。余りの暑苦しさに思わず顔をしかめてしまう。
「もうちょっと損得勘定の感覚を養いましょうよ、団長。」
リチャードはこの団長をみて扱い易そうと高をくくって入団した自分を殴りたくなってきた。
「何を言うんだ、リチャード団員!市民の安全のために先行偵察を買って出るのは当たり前じゃないか!」
団長の白く整った歯列が輝いている。リチャードは思った。何時の時代のアメリカ人?と。
「なにも自警団会議で立候補しなくても・・・。」
「まったく、他の自警団の連中は腰抜けぞろいだ!先行偵察任務が要請されてすぐに手を上げないとはけしからん。」
二の足を踏まないあんたのほうが何かが欠如しているよ、慎重さとか、思慮深さとか。というか熱意以外になんか持ってるのか、この男。
「まぁ、引き受けてしまったからには何か情報を持ち帰りましょうか・・・。」
「うん!」
晴れやかな何の不安も無い団長の顔を見ていると何だか色々考えている自分がバカらしくなってくるリチャードであった。
「ふふふ。」
「何を笑っている?」
オウィディウスは隣の男が嫌いだった。その顔に張り付いた笑みが嫌いだった。
「いや、そこの森に隠れているらしい二人組みの会話が面白くてですね。」
「・・・確かにいるが会話など聞き取れる距離では無いぞ?」
本来見ることも叶わない距離である。それが見えるオウィディウスもけして常人でありえなかった。
「いえいえ、彼らの影の動きは見えますからそこから唇の動きを読めば・・・ねぇ。」
「・・・化け物め。」
「私からすればこのような自分の部族を巻き込みかねない詐術に加担するあなたのほうがよほど『化け物』ですが。」
二人の目線が熱い火花を散らしているがソレをまったく気にせずニュクスは話に入ってきた。
「んな事はどうでも良いんだよ!さっさと作戦やら言うのを始めようぜ!いやー、ただ暴れるだけで良いなんて楽な任務だな。」
能天気な男の言に先ほどまでの空気は雲散霧消し、二人は思わず笑みを浮かべる。
「そうもいかん。もっと目に触れるように暴れなくては。」
「そう、この作戦の要は出来るだけ多くの人間に目撃させて、信憑性のある『噂』を流すことにあるのですから。」
「良く分からんが派手に行けばいいんだろう?」
二人は唯ため息を吐くばかりであった。その背後には共和国の軍装とは異なる兵装をした一団がその号令を待ち構えて蠢いていた。
真実と虚偽は、言葉の属性であって、物事の属性ではない。そして、言葉がないところには、真実も虚偽もない。
トーマス・ホッブズ[Thomas Hobbes]
(イングランドの思想家・哲学者、1588~1679)
「リヴァイアサン」