戦闘編:第四話 子は親を見て育つ どこを見るかは子供次第 どこを見せるかは親次第 見せたくないところほど良く見える
The first step is always the hardest.
始めは全体の半ばである。
プラトン
(紀元前4世紀・古代ギリシャの哲学者、前427~前347)
「法律」
共和国の軍靴が帝国の地を汚さなかった原因は共和国が分裂状態にあったこと以外にもあった。
それは共和国と帝国との間にある深い森である。けして人間に抜けられない森ではない。実際、少人数であれば比較的簡単に抜けられる。
しかし、軍隊は集団となることで初めて意思の伝達が出来る。密集隊形の卒業を可能にするには情報通信技術の発達を待たなくてはならない。そんな軍隊の特性上、部隊がバラケて仕舞う森での移動は非常に困難と言わざるを得ない。
それに森には一部、魔物も出現する。それも巧妙に擬態しているものだから人的被害も無視できないものになる。
もう一つ、皆口には出さないが森に入りたがらない理由がある。それは『森の民』の村が点在することにある。現在ではその数も減少したということだが、一小国くらいの人数が合計したらおり、森は彼らのホームである。しかも住人全員がなんらかの戦闘能力を持つという。
そんな彼らが帝国、共和国どちらかに加担すればそれは大きく片方に利することになるが、彼らが誰かの風下に立つことを許したことは無い。逆に森から出ることもまれである。
『森の民』が史実に登場するのは帝国建国時まで遡る。彼らは帝国建国時に何らかの功績があったようで初代は彼らと不可侵を約束し森での居住を許可したという。しかし、これはどうだろう?帝国の人間が彼らの特殊性を漠然と恐れたからでは無いか?彼らは戦闘時に体の一部を変化させて戦ったという。
その特殊性は長い歴史に埋もれるように忘れられていった。それを再び思い出させた者がいる。それがオウィディウスである。彼が表舞台に顔を出したのは16歳のときである。
戦場で彼の姿を見た人間は皆本能的にソレを恐れた。戦闘時の彼の体は2mを軽く超え、口には鋭い犬歯が列を成し、手には鋭い爪が鈍く輝く。その姿はまさに狼。傭兵としての彼の字が「人狼」となることに時間はかからなかった。
彼の活躍は彼を戦場での恐怖の代名詞にした。腕を振るえば幾人からなる隊列を崩し、その爪にかかれば胴を裂かれ血の雨が降る。それに何より彼はその脚力により、常人を遥かに超える速さで敵大将に接近し首を狩り採った。
彼の華々しい戦果はある日を境にピタリと終わる。彼が再び現れたときには彼は一人の若者の傍らにいた。その経緯を知るものは誰もいない。
その彼は『森の民』の村の一つを訪れていた。彼はリュカオンの命でここにいた。しかしその命令が徒労に終わることは彼が一番良く知っていた。何故ならそれは彼の一度捨てた故郷だからだ。それはリュカオンも知っているはずである。つまりこれはリュカオンの『里帰り』の命令であることは明白であった。オウィディウスは自分の若き主人の甘さとやさしさに思わず頬をほころばせる。
音も無く部屋に姿を現した人影に部屋の主の反応は閉じていた目を開いただけであった。その男はすでに老境に入って久しかったが、その威圧感は未だ健在であった。
「ご無沙汰しております、父上。」
おそらく一生頭が上がらないだろう男にオウィディウスは深々と頭を垂れた。
「よく顔を出せたものだ。お前はもはやこの村から出た者。つまりはよそ者じゃ。そのお前を仲間とは誰も思わん。」
男は苦々しく吐き捨てた。彼は成長した自分の息子の姿に一瞬、目を細ませた。
「・・・分かっている。俺の手は狩るべき獲物以外の血に汚れている。村の掟はことごとく破ってきた。」
オウィディウスはじっと自分の手を見る。そこには手の皺以外にも傷跡が無数に刻み込まれていた。
「そうか、そこまで落ちたか。それで底まで落ちて何を見た?」
「何も。何も無いことが分かった。」
「それを悟ればこそ我々は彼の国と距離をとってきたのだ・・・。」
「ああ、俺は間違えた、親父。」
「・・・戻っては来れんのか?」
「これまでしてきた事にけりをつけなければならん。」
「・・・。」
「俺は帝国に牙を向ける。」
「・・・死ぬな。」
「それは約束できない。」
オウィディウスは他の村の住人に気付かれないように村を出た。その目には涙など浮かんではいなかった。
戦争の時期を一番先に知る者はいったい誰だろうか?仕掛ける側の指導者だろう。ではその次は?それは実は商人だったりする。
物資の流通に目を配っている商人ならばその量と種類から戦争に必要な物資が運ばれていることに気付き、その規模まで推測する。
戦争の有る無しは非常に重要な情報である。これまでに無い統制を受けて荷を運べなくなるという負の要素があることもそうだが、なにより戦場が一大消費地であることが商人の関心を引くのである。つまり商売のチャンスでもあるということである。
当然、リュカオンはそんなことは先刻承知である。それゆえ隠すことに限界があることも。それでも彼は出兵の時期をぎりぎりまで隠した。そしてそれは半ば成功した。
その手法は実に単純である。少しずつ運んだ。そして必要量を分散して貯蔵し、それを軍勢を集結させると共に集めていった。
気付かれないくらいに分散させるということはその管理が複雑になるということである。それを実現させた財務長官がリュカオンの本陣天幕の下で、死んでいる。もちろん比喩である。
「・・・さすがに無理をさせすぎたか?」
リュカオンが深い眠りの底へと落ちていった部下を横目に見て言った。若干の罪悪感が見える。
「そうですね。彼の元で優秀な官僚が育ちつつあるとはいえ、いかんせん増え続ける案件を処理する人員が慢性的に不足してますからね。」
三十才くらいに見える髪を後ろに撫で付けた男が人事のように嘆息する。その顔には常に笑顔を絶やさない。この男の分厚い面の皮を剥ぎ取ってやりたい衝動にリュカオンは駈られるがぐっと我慢する。
「エピメーテウス、お前にも手伝って貰いたかったが帝国の内情に明るい諜報活動が出来る者がお前以外いなかったからな。長い間ご苦労だった。パンドラと積もる話もあるだろう。この後は好きにしてくれていい。」
リュカオンは本音を言えばこの男にその任務を任せるのには大きな不安があった。公にはしていないが彼の情報網に引っかかった出自に問題があった。
「それはお心遣い感謝いたします、リュカオン様。」
「それで、帝都の様子はどうだ?」
「相変わらずでございました。」
「そんな具体性の無い報告を聞きたいんじゃないぞ?」
リュカオンは肩眉を跳ね上げた。
「相変わらず腑抜けていると、言うことです。上層部は未だに西方への危機意識に目覚めてはいません。気付いているのはおそらくカイロスと、ヘーラーくらいでしょうか?明確な行動には出ていないようですが、この二人は確実にこちらの軍事行動を察しています。時期までは計れてはいないようですが。」
「それはどこから判断した?」
「さすがにヘーラーには近づけませんが、カイロスとその周囲になら私の『影』を紛れ込ませることは可能ですから。彼もヘーラーのことは無視できないようで良く調べていました。」
「不和の種があると?」
「かなり一方的な不和ですが。十二神将は基本的に共和国との戦に反対のようです。今は国内の整備と北方の支援に目を向けるべきだと考えているようです。」
エピメーテウスは肩をすくめて言った。
「かつての同僚のことは良く分かるということか?」
エピメーテウスは笑うばかりで無言である。何も話す気が無いときの彼の消極的な意思表示である。その様子に追求をあきらめため息を吐く。
「ヘーラーの元にはあのアレクシオスがいたはずだな?」
エピメーテウスは思わず目を丸くする。
「良くご存知ですね。」
「茶化すな。奴がこちらの鮮度のいい情報をヘーラーに送っているのではないのか?」
リュカオンが今、一番気にしているのはアレクシオスの動向であった。
「私もそれが気になったので調べましたが彼は今、弟子を連れて東へ向かっているそうです。」
「弟子?」
「何でも赤い髪の美女だそうで、あの小僧も相変わらずのようです。」
エピメーテウスの笑みが作りっぽさが抜けて本当に楽しそうに笑っていた。それを見たリュカオンが思わずぎょっとしてしまう。
「お前はアレクシオスを見知っているのか?」
「まぁ、彼を拾って育てたのは私ですし・・・。」
リュカオンは思わず悲鳴を上げそうになるのをなんとか耐え、言葉をつむぐ。
「お前が・・・子育て?まともに育つわけが・・・。だから変人なのか。」
「非常に失礼なことをおっしゃる。彼には元々変人の気質があったのですよ。まぁ、止めもしませんでしたが。」
「いや止めろ。」
思わずリュカオンは突っ込んでいた。
「戦略級精霊術師は基本的に自由でなくてはいけません。いや、自立・・・というべきかな?何者にも左右されないからこそ、その存在を皆受け入れられるのですよ。だから私は止めません。」
「・・・。まぁ、いい。本筋から外れすぎた。では、今西国境には戦略級は一人か。」
「正確には一人もいませんが。テバイの領主はまだ『洗礼』を受けてませんからね。」
「『洗礼』?」
「これは戦略級精霊術師の秘事に関することなのでこれは教えられません。」
相変わらずの笑みのまま人差し指を口元に持ってくる。
「・・・。今回の戦いに関係はしないのだな?」
「まぁ、しないでしょうな。」
「お前は何故その秘事を知っている?」
「たまたま知ったんですよ。」
「・・・。」
リュカオンはエピメーテウスに疑惑の目を向けるが、まったく意に介さず背をぴんと張りつつ受け流している。
「西方担当のヘルメスの動きは?」
「彼は相変わらず狸ですね。何も手の内を明かしてくれません。」
リュカオンが内心『お前よりもか?』と考えていると、その心の中をのぞいたのかのようにエピメーテウスはさらに続ける。
「私よりも一枚上手ですね・・・。自身の部下を駒のように泳がせている。一見、彼の部下はそれぞれがバラバラの動きをしていて一貫性が無いように見える。しかし、彼の意図通りに確実に事態は進行している。そういう男です。彼の意図はなかなか読めませんよ?あなたも彼を危惧しておいでなのでしょう?だから大規模な戦時物資の調整までも行った。」
「・・・そうだ。」
正直、リュカオンは彼の行動に後手後手で行動し、あせりの見える年若い領主はさほど注視していない。いくらかこちらが蠢動しても子揺るぎもしない西方十二神将をこそ彼は恐れた。
「彼の動かせる現有兵数一個兵団、5万。これは動きません。彼が周辺の諸侯の兵を糾合して15万といったところです。今のところ出兵の気配はありませんでした。まぁ、彼がこちらと同じ事をしていれば一概には言えませんが。」
「奴がこちらに攻めるとすればこちらが帝都へ向かう途中の補給線を絶ちにくるな。出来るなら早期に戦場に引きずり出して、後顧の憂いを絶ちたいところだが。」
「その為の種はすでに植えているのでしょう?」
エピメーテウスがその薄目を少し開ける。
「・・・その種は芽吹くか芽吹かないかはヘルメス次第だ。」
天幕の下、リュカオンは暗い笑みを浮かべた。
事件の渦中に入ってしまうと、人間はもはやそれを怖れはしない。
サン・テグジュペリ
(20世紀前半フランスの作家、1900~1944)