戦闘編:第三話 濁流に流れ流されもうたくさん 季語なし 字余り
得たきものはしゐて得るがよし。
見たきものはつとめて見るがよし。
又かさねて見べく得べきおりもこそと、等閑に過すべからず。
かさねてほゐとぐる事はきはめてかたきものなり。
与謝蕪村(江戸時代中期の俳人・画家)
薄暗い洞窟を男が一人歩みを進めている。その歩き方は見るものが見れば戦場に身を置いてきたもの歩みであることが分かる。しかし、その身を包むものは甲冑ではない。礼服である。彼は軍人としてこの場を訪れたのではない。彼は一国の指導者としてこの場を訪れていた。
彼が洞窟を進むと自然に出来たとは到底思えない大空間にでた。そこは地下であるにも関わらず、湖があり、その中心部には小島があった。湖の湖面は不思議と青く薄っすら光っている。
彼の常人離れした視力はその小島に目的としている人物の影を捕らえた。その小島には橋が架かっておらず、小船も無い。さて、どうやって渡ったものかと思案していると、湖が二つに割れ、一筋の湖底が姿を現した。どうやら会う気があるらしいことに彼はほっと一息ついた。
「遠路はるばる良く来た、リュカオン。」
小島に着き、そこにひっそりと建てられた社に佇む小さな少女に恭しく礼をするが、驚きを隠し切れはしなかった。何故なら目の前の人物は伝承によればかれこれ200年以上生きているのだから。
「お目通り叶えて光栄です、カナリスの水巫女様。」
「ふむ、失礼だが茶は出んぞ。ここにはそういったものは無いのでな。」
目の前の少女がふっふっふと不気味な笑みを浮かべていた。
「いえいえ、持参しておりますのでお気遣いなく。」
「ここには竈も薪も無いぞ?」
「水出しの茶葉ですので。」
「・・・もう少し可愛げがあるほうが年長者には受けが良いぞ?」
「好かれるためにここに来たのではありません。」
「ほう?」
いかにも意外なことを言うといった態度で片眉をあげる巫女にリュカオンは苛立ちを覚えた。
「すべてご存知なのでしょう?水鏡の力をお持ちのあなた様ならば。」
「はて?ワシの水鏡は水のある場所しか見えんのでなすべては知らんよ。」
「人のあるところに水の無いところがいかほどありますか?人の生活圏はすべて網羅しているらっしゃるのでは?」
「・・・ふん、まぁおぬしがここに来た理由くらいは想像がつく。」
「話が早くて助かります。では我が方の窮状もご存知で?」
「帝国の動きがきな臭くなっておるようじゃな。」
「今年度中には我が共和国への侵攻が開始されると見ております。」
「まぁ、そういうこともあるじゃろうな。」
「・・・人事のようにおっしゃる。」
巫女は薄ら笑いを浮かべて嘲笑するように言った。
「まさしく。人事であるよ?」
「帝国と戦になれば多くの人間が死にます!」
リュカオンは激昂した。彼は人の力の限界があることを知っているので、どうにもならないことがあるのを知っている。それだけにどうにかできる力を持ちながら何もしようとしない彼女に本気で腹を立てていた。
「だからどうした。人は殺しあうがどうせ殺しつくすことは無い。同種に対してそこまで冷酷になりきれないのもまた人間だ。共和国は滅びるかも知れないが、元共和国の人間は生き残るぞ?」
「・・・そのような言葉遊びで私が納得するとお思いか?」
「思わぬし、納得させようとも思っては居らぬよ?ただそれでおぬしは何をしたい?」
「救える命を救いたい。」
「それでワシに対帝国戦の助力を請いに来たか?」
「そのとおりです。帝国の戦力に対してこちらの戦力は・・・。」
「おぬし、まだ軍人であるころの考え方が抜けておらぬようじゃな?いやまだ軍人だったか。総司令官?」
「今、茶化さないでいただきたい。」
「おぬしの救う命に帝国の人間の命は含まれては居らんのか?」
「・・・え?」
「だから、ワシが参戦すれば多少力にはなれるやもしれん。しかし、帝国の人間がその分死ぬぞ。」
「私は共和国の人間です。帝国の人間のことまで責任をもてません。」
「責任を取れないのならば戦などするな。」
「帝国の方が仕掛けて来るのです!」
「確証は無いな。勝手にお前がおびえているだけかもしれんぞ?」
「確証はありません。しかし、万一侵攻されればこちらはひとたまりもありません。一国の長としてその可能性のために無策ではいられません。」
「それで先制攻撃の準備か。」
「それ以外に方法はありません。長期戦になれば国力の差に押しつぶされるのはこちらです!早期に決着をつけるには先制攻撃で機先を制して、奇襲を以て敵大将の首を取るしか・・・。」
「だからお前は軍人なのだ、戦による解決法しか知らぬ。」
「時間が無いのです・・・。話し合いの場を作るのにも戦が必要なのです。」
「・・・もういい。お前の言いたいことは分かった。ワシも共和国には浅からぬ縁がある。帝国への攻撃には助力はせぬが、共和国に侵入した帝国兵の排除はしてやろう。それでいいか?」
「・・・分かりました。よろしくお願いいたします。」
「では、もう帰れ、小僧。ワシをこの穴倉から引っ張り出そうとした心意気だけは認めてやろうよ。」
巫女が言い終わるや否や、リュカオンは圧倒的水量に押し流され洞窟から流れ出した。まるで彼の現状を象徴しているようであった。
「お話はいかがでした?」
体中が水浸しになり服が水を吸っていて思うように起き上がれないリュカオンを見下ろしながら、初老の男がニコニコと笑い、着替えと布を手に持っていった。
「オウィディウスか、お前良く俺がここに流れてくると分かったな。」
苦笑いしながらムクリと体を起こし布を受け取って顔を拭いた。
「私も以前、水巫女にはお会いしたことがございます。」
「そうか。それでここに同じように流されたのだな?」
「そうです。気付けばここにおりました。」
「そうか。お説教を喰らってしまったよ・・・。」
笑いながら頭を振ると水しぶきが辺りに飛ぶ。時間は昼で水しぶきが陽光を反射しきらきらと輝いている。
「それは良いですな。気に入らなければ話すらさせてもらえず問答無用で流されますので。」
「・・・それは初耳だな。なぜ事前に言わない?」
リュカオンが服を脱ぐ手をピタリと止め、ジト目でオウィディウスをにらむ。
「私はリュカオン様を信じておりますから。」
相変わらずの笑みを浮かべたまま、濡れた服を受け取る。
「・・・まぁいい。結局、帝国侵攻には水巫女の手を借りることはできない。しかし、共和国へ帝国兵が侵入すれば排除はしてくれるそうだ。」
濡れた体を乾いた布で拭いながら事も無げに言う。
「・・・ほぅ、あの世捨て人がよく・・・。」
「というわけで帝国からの諜報員の侵入はとりあえず心配する必要は無くなった。」
「こちらの侵攻の時期を悟られずに準備に専念できますな。」
「そういうことだ。」
リュカオンが着替え終わると用意のいい副官の用意した馬にまたがり、共和国首都へと馬首を廻らした。その道すがら帝国への先行偵察の面子を思案していた。
(これまで帝国との国境を任せてきたマダマンテュスは外せないな。しかし、マダマンテュスは慎重な分、得られる情報が乏しくなる恐れがある。ツキと勘を兼ね備えた奴・・・。ニュクスだな。そうなるとニュクスのお目付け役であるエレボスを同行させるか。いや奴には西方の反乱鎮圧を任せていたな。お目付け役を変更するか。レアーが適任か。他のやつだと迎合して一緒に暴走するか、止めきれずに呆然とする奴しかいないからな。)
リュカオンが決めた面子での先行偵察で、今なら国境に戦力は集中していないことは迎撃に領主単体の攻撃しかなかったことから明白であった。彼女を抑えれば他はどうとでもなる。彼は帝国侵攻に戦略級精霊術師を三人派遣することに決めた。彼らが命令を素直に聞くかは分からないが・・・。
人間追い詰められると力が出るものだ。
こんなにも俺の人生に妨害が多いのを見ると、運命はよほど俺を大人物に仕立てようとしているに違いない。
シラー(詩人、思想家)