戦闘編:第一話 ケチると碌な結果が待っていない でも大きな買い物はケチるが吉
私はチャンス到来に備えて学び、いつでもすぐ仕事にかかれる態勢を整えている。
:リンカーン(アメリカ第16代大統領)
その日は昼間から夢を見ているようだった。それは目の前の光景が常識を逸脱しすぎていたからである。しかしその光景は圧倒的な存在感を持っていた。私の忠勇なる部下たちの命が散っていくのだから。まずその悪夢の始まりからして冗談みたいだった。
その男は西の森からやってきた。西の森は魔物の蠢く危険地帯と『森の民』の住む比較的安全な地帯に分かれているが、ソレがやってきたのは魔の森の方からだった。そちらからやってくるものは大抵ろくでもない。必然魔の森の方面はテバイの兵士の質、量ともに一番多く集められている。
しかし、テバイの前領主の行ってきた放蕩三昧のおかげでテバイの財布はほとんど空。その領主を見限って有能な軍人は早々に辞めている。
現在の領主が継いでからは何とか体裁を保てる程度には回復したが、他の国境沿いに位置する辺境領に比べれば紙の様な防衛力である。
国境沿いの防衛力に難があるなど国家の安全保障に大きな問題がある。そのような事態を帝都の首脳部は傍観した。政争の混乱があったことは理由にはならないだろう。何故ならすでに政争が主要人物の全滅の結果を残して10年前に終結しているのだ、10年あればいくらでも対策を講じることが出来る期間である。
それは皆その余裕が無かったからである。飢饉があったのだ。他の領地のいつ来るか分からない敵に備えて金と食料を消費する出兵をする領主はいなかった。飢饉が過ぎてからも食料生産量は低空飛行を続け、西の脅威は無視され続けた。
話に上ることの無いものの存在はその期間に反比例するように人々の記憶から消えてゆく。西の脅威も最早過去のものと考えられていたのである。
それも故ないことではなかった。西の『共和国』は分裂しており、統一的な帝国への侵攻は無いという見解が一般的であったからである。
襲撃当日、エオスは書類に目を落としながらも,テバイ全域の光景を机の上に据え置かれた複数の鏡に映し出していた。
視覚とはすなわち光情報である。彼女の『光』の精霊術はその光情報を鏡へと伝えていた。
しかし,彼女一人で領域全体を網羅する事は困難である。そのため,彼女は自分の臣下を各所に配置し,その目で見ている光景を鏡に断続的に映し出している。
それはさながら監視カメラのごとき光景であった。この光景を毎日見る事で,エオスは自分の行っている事の責任とそれによって引き起こされた結果を見ている。
もちろん監視の意味もあるが,それよりも彼女は自分の行った結果を確認せずにはいられなかったのである.その日課により彼女は今回助かることになる。
現在の帝国の共通認識としては,共和国統一間もないリュカオンが帝国を刺激するような事はしないと考えていた。
しかし,彼は主導権を握るには先制する必要があることも,それを効果的に行う必要がある事を知っていた。それに帝国の宰相にカイロスが就任したという情報を掴んでおり,帝国との衝突を不可避と判断した。
そう判断してから彼が行動に移すまでが異常に速かったので,帝国の首脳部は彼の行動の転換に付いていけなかったのである。
彼女の監視網に引っかかる三人の人影があり,その人影は明らかにテバイの住民,まして森の民ではなかった。彼女は彼らが共和国の密偵であると判断した。それだけに直接的な脅威ではないと考えた。
しかし,この判断はその後の彼らの行動により誤りであった事が分かる。人影が一人,信じられない速さで迫り,彼女の部下を一刀両断した。
彼女の部下は抵抗のそぶりくらいは出来たようであるが,それを紙を引き裂くような手軽さでいとも容易く破り捨てた。
彼女は鏡に映る光景をただ呆然と眺めていたのではない。彼女は部下の一人一人の顔を知っている。その家族を,友を知っている。それを切り裂き,さらにはつまらなそうな目でその死体を見るその姿に静かに怒りを貯めたいった。
「手応えがねぇ。これなら反乱鎮圧の方がまだ手応えがあったぜ。」
ニュクスは剣にこびりついた血糊を一振りで地面へと吹き飛ばす。不思議と剣には一点の曇りもなくなっていた。
「きゃあぁぁぁ!」
テバイの街に女性の悲鳴が遅ればせながら発せられる。町中で突然人が殺され,その剣が自分に向くのではないかという恐怖の悲鳴であった。
しかし,彼女の予想は外れ,彼女に剣が向けられる事はなかった。むしろ彼女には騒ぎ立ててもらった方が彼の目的には好都合であったのである。
先ほどの悲鳴に街の自警団が集まってくる。それを見てニュクスの笑みは深まっていった。
「団体さんでお着きだぜ!レアー,マダマンテュス!さっさと来ないと俺が独り占めしちまうぞ!」
そうして彼は自警団の方に更なる突撃を敢行した。傍目には無謀でも彼の仲間は別の心配をしていた。
「あいつ一人に任せるとここの領主の首を取りかねないわ。そこまではリュカオン様も求めてはいらっしゃらない。」
「そうだな。止めなくては。」
「・・・あいつを?私たちが?」
「・・・それが我々の任務だ。」
レアーは無言で天を仰ぎ,その声が届きはしないと分かっていても,遥か西方で反乱鎮圧に向かっている彼の相棒に助けを求めた。
ニュクスが突進をかけ,先頭にいる男を斬った。またその手応えのなさに落胆しかけるが,その考えはすぐに戸惑いへと変わる。手応えがなさすぎる。しかし,斬った男は確かに死体としてそこにある。
少し考えていると後続が追撃をかけて来たのでまとめて横一文字に切り裂くがまたしても手応えが無い。さすがに不可解に思えた所,彼の同僚がやっと追いついた。
「一人で突撃しないでよ。」
「・・・。」
「なぁ。」
「なによ。」
「こいつら手応えが無さすぎるんだが・・・。」
「強さ自慢?」
「いや,そのままの意味で・・・。斬った感触がしない。」
「あんたの剣は鉄でもバターみたいに切り裂くでしょう?」
「いや,まったく・・・無いんだ。」
「そんなはず・・・,ねぇ死体は?」
「何を言ってる?そこに・・・,ねぇな。」
先ほどニュクスが斬って捨てた筈の死体が消えていた。
「なに?幽霊と戦っていたとでも?」
「まさか!そんな筈は無い!斬った感触はしなかったが,血は出たし死体だって確かにそこにあったんだ。」
「無いじゃない。」
二人が話をしている所が妙に明るくなり始めていた。
「なぁ,暑くないか?」
「確かに,暑い。」
マダマンテュスの黒の甲冑が煙を立てて,燃え始める。
「何!?」
「一体何が!?」
反射的に彼らが上を見た事が彼らの命を救った。彼らの頭上には第二の太陽と言って差し支えない。光球が生まれていたのだ。
「なんじゃありゃ!」
三人は得体の知れないそれから距離を取った。その光球はそれに気づかないのかそのまま大きさを増していく。
「あれは・・・。そうか,ここの領主の・・・。」
「そういえば『光』の精霊術師だったわね。あれはエオス=ゲルギオス=マニの仕業ってことかしら?」
「・・・おそらくは。しかし,こんなものは見た事が無いな。」
「おい,『光』の精霊術は索敵と夜の提灯代わりにしか使えない戦闘に不向きな術じゃなかったのかよ!」
「戦闘に不向きな精霊術も戦略級ともなればその規模が大きくなるだけ戦闘にも用いる事が出来るという事か。これは報告に無かったわね。」
レアーがマダマンテュスに非難のまなざしを向ける。
「・・・済まない。テバイの領主の能力については噂程度の情報しか入手できなかった。」
「・・・まぁ,いいわ。この能力を開戦前に知る事が出来てラッキーだと思いましょう。それでアレ・・・どうする?」
「動かないな。しかし,無視も出来ない。」
レアーが光球を指差した瞬間,その光球から光の束が彼らの足下を狙って次々と放たれ始めた。
「おいおい,マジかよ。」
「・・・撤退。」
「これはまずいわね。」
彼らが光線を避けるため死のダンスを踊りながら,光球との間に障害物がある所までなんとかたどり着いた。
「威力偵察に来たら厄介なものを引き当てちゃったわね。」
レアーは大きくため息をつく。
「だから言っただろ?領主の館を攻めにいけばでかいのが引っかかるって。」
ニュクスがまるで褒めろと言わんばかりに胸を張る。
「限度があるし,それに領主を攻めればそれを助けに軍勢が来るって事だと思ったのに・・・。これじゃ,お姫様が自力で撃退しちゃうじゃない!お姫様なら大人しくしてろっての!」
「厄介なものを本番前に見つけるのが威力偵察の目的だ。想定とは違ったが目的は達したな・・・。」
「そうね・・・,撤退しましょう。」
「えぇ,戦わねぇのか?あんな楽しそうなの滅多にお目にかかれねぇぞ?」
信じられないものを見る目をニュクスはしている。それを見た二人もまた,信じられないものを見る目で彼を見た。
「「お前(君)一人でやれ(やりなさい)」」
「隠れてもムダよ。私の見鏡の前に隠れる事など無意味!それに障害物もすべて貫通できる威力がこの技にはあるのよ!これでチェックメイト!」
エオスが少々興奮気味に光線を放とうとするが,その瞬間彼女はある考えに取り付かれてしまった。
(ちょっと待って。ここは町中よそれで家とか道とか壊した日にはその修理の費用がまた嵩む。彼らと光球の間には家三軒。まてまて,力加減はそこまで出来ないから彼らと光球の直線上にある建物すべてに被害が出るとすると・・・。)
彼女の優秀な頭脳は被害総額が試算されそこから導かれた結論は・・・。
街から出ないと攻撃できないわ!
「なんか知らんが,無事に撤退できたな。」
「テバイ領主エオス、噂とは違い甘い女なのかもしれないな・・・。」
「なんにせよリュカオン様に報告だ。」
三人は来たときの倍以上の速度で帰っていった。次に大量の軍勢と共に再来する日も近い。
エオスは自己嫌悪に陥りしばらく頭を抱えていた。
悪の根源をなすものは、金そのものではなくて、金に対する愛である。
:スマイルズ『セルフ・ヘルプ』