帝国編:第二十五話 輝きは過去に、苦悩は未来にある
私たちは過去の記憶によってではなく、未来への責任によって賢くなる。
バーナード・ショー
(ノーベル文学賞受賞作家。劇作家・劇評家)
もうこの町で出来ることは無いなと考え、テイアさんに挨拶を済ませて町を後にする。テイアさんは別れを惜しんでくれた。私も出来ることなら帰りたくない。あの親子に会いたくない。しかし、時の経過と共に負債が増えていくように感じるのだ。さて、どこに逃げようか。
・・・いや、逃げ切れる公算があるのならばとっくに逃げているのである。逃げれば損だ。それにすでにデスポイアに愛着を持ち始めている事を自覚している。あんなわがまま娘の面倒を他の誰が見るというのだろうか?それに周囲の期待を裏切れるほど肝が太くない義弘です。
人は既成事実化されると変化を受け入れやすくなる生き物らしい。彼も人間である。これも一つの『御縁』というやつなのであろうと納得しかかっているようだ。
それに近くにいた人と少し距離を置くと見方が変化するというのはよくある話である。それは近くにいるとどうしてもいいところより悪いところにも目が行くからである。
もちろん長く付き合おうと思えば悪いところも知っておいたほうがいいだろうが、毎日それに触れるというのはウンザリするものである。時には距離をとることも有効だ。
また、悪いエピソードも距離をとり、時間が経てば『思い出』になり、得てして『思い出』は美化される。義弘も例に漏れずデスポイアとの間にあった良いとはいえない出来事を『思い出』へと消化したようだった。
義弘は行きと同じ速度でアウストラリス・カストルムへと帰還した。帰還すると同時にUターンをしたくなる地響きを感じていた。門の前で立ちすくむ。動かない。動けないのではない。動かない。つまりは様子見である。何が起こっているかは数パターン推測は立ち、そのすべてにデスポイアが絡んでいることは言うまでもない。
ナノマシンを散布し、都市の中を探るとデスポイアが兵士と交戦中であった。正確には『交戦』などではなく一方的な蹂躙であったが。
兵士は全力でデスポイアの前進を阻止していた。その兵士はペルセポネ配下の兵士でその精強さでは帝国屈指である。基本的に国境沿いを任地とする兵は精強である。精強でなければ生き残れない。それに南国境の歴史は防衛戦の歴史といってよい。兵は防衛戦になれていた。
デスポイアの前進をとどめているだけでも驚嘆に値する。攻撃を受け流し、時には牽制にしかならない全力の攻撃を加える。けが人は後ろへと運ばれ治療を受けている。完全に一個の生き物として機能していた。
しかし、これが『城外』ではなく『城内』で行われていることが異質であったが。
感心しつつ様子見をしていると、兵の一角が崩され崩されたところから人がこちらに吹き飛ばされてくる。それに気付き、義弘は慌てて回避する。義弘が先ほどまでいた空間を人が嘘みたいに通過し、しかる後に地面を滑ってやがて止まった。
そして、防壁の穴から小さな人影が飛び出してくる。義弘にはソレが何なのか観測するまでも無く分かったが一応確認した。
その緑の髪は長く、波打つたびに光沢を放ち、その容貌は神々が造形したかのようである。久しぶりに会うデスポイアは少し輝いて見えた。その表情を見るまでは。
義弘は大きくため息をつき、その背中を若者らしくなく曲げた。彼は俯いている。恨めしそうに地面を見ているが、視線で無くなれば最早ソレは人間ではない。
回避するための行動をどうシミュレートしても結果は同じである。うつむきつつ自分に降りかかるであろう災害がやってくるのを待っていた。今度折られるのはどこの骨だろうか。頭蓋骨は御免こうむる。命に関わるから。
しかし、待てど暮らせど激痛が義弘を襲うことは無かった。神罰が下るのを待つ厳粛な神の僕のごとく粛々と待っていたのである。これを人は諦観と呼ぶ。
代わりにやってきたのはポフンという柔らかな音と衝撃というには小さい接触があるのみだった。
胸辺りに温かみと共に何かに濡れているのに気付くも、義弘がそれを涙であることに気付くには間があった。
デスポイアは泣いていた。それを彼の胸が受けていた。彼の思考は停止した。IISが警告をしてくれなければそのままであったかも知れない。なんとも効果的な精神攻撃を考え出したものである。さてはペルセポネさんの差し金かと被害妄想の入った考えが彼の頭によぎるが小刻みにしゃくり上げるデスポイアを見ればそんな考えは吹き飛ぶ。
「どこにいっていたのです?」
やっと体を離したかと思えば少女はそんなことを口走った。まだ目頭が赤く、泣きつかれたとき特有の精神的安定状態になっていた。
「どこってお前、そりゃ火の神殿まで行ってたんですよ。ペルセポネさんに聞いていたでしょう?」
義弘はテンパって思わず敬語である。彼は状況をまだ状況を把握できていない。彼はただ補佐官に会いに行っただけである。あわよくば辞められる可能性を探りにだが。
その意図はデスポイアにはばれていないと思っていた。だから、割と安心して帰ってきたのだがそこでデスポイアが暴れていたので『これは・・・ばれたな。』と考えた。
しかし、蓋を開けてみれば彼は無事で、どこに行っていたかを聞いてくる。彼は混乱していた。
「聞きましたけど・・・。なら何故私を連れて行ってくれなかったのですか?」
デスポイアの頬は若干膨れ気味である。怒っているが別段悪感情が生まれているわけではなさそうである。
「何故って・・・。個人的な用だったし・・・。」
「それでも私に一言言ってからでも・・・。」
「ペルセポネ様には言ってきたから良いだろう?」
「人づてに聞くのと直接聞くのでは違いますわ!」
「一緒だろ!」
「違います!私が嫌いになってどこかに行ってしまったのかと不安になるじゃありませんか!?」
どうやら嫌われるようなことをしている自覚があるらしい。
「・・・そうか、すまん。」
ここで謝ってしまうのが義弘君である。
「そうですよ。反省してください。」
機嫌が直ったのかデスポイアは義弘の胸に頬をうずめる。義弘はなんともいえず無言で空を見上げていた。
などというやり取りをしている後ろでは吹き飛ばされた兵士が担架で運ばれていき、誰もがやれやれといった風情で首を横に振って呆れ顔であった。
そして、彼の前にはこの後、修復工事をさせられることとなる彼女の破壊の爪あとが広がっていた。
義弘のいる南方から西方の地、テバイと共和国の狭間では人知れず事態は動こうとしていた。
「あれがこのテバイの主の根城かよ。しけてやがる。あれじゃあ、期待は出来ないぜ。」
赤髪の男がため息を吐いてテバイ領主のお世辞にも豪邸とはいいがたい館を見ていた。
「まだ傭兵のころの感覚が抜けないようね、ニュクス。我々は偵察に来ているのよ?」
「レアーか。分かってる。これは癖みたいなものだ。それに俺はまだ傭兵でいるつもりなんでな。」
「何故リュカオン様はこのような者に独立行動権をお与えになったのか、理解に苦しむわ・・・。」
「俺が強いからだろう?」
「お前が命令違反を繰り返すからあきらめたんでしょう?」
「それでも俺を首にしないあいつはいい雇い主だ。俺は暴れたいんだよ。でもおおっぴらにソレをやるには大儀ってのが必要でな。あいつはソレを俺に与えてくれる。俺はあいつの道に転がる石を取り除く。共生関係ってやつだ。」
「どうせエレボスの受け売りでしょ?あんたの頭でそんな言葉が出てくるわけ無いもの。あんたたち実はホモなんじゃないかってもっぱらの噂よ。とくにエレボス。あいつ女避けるし。」
「なんだそりゃ!俺は三国一の女好きだ!エレボスのアレは女嫌いって言うよりかは人嫌いだな。」
「でもあいつ中途半端にやさしいでしょ。それにあの見てくれなものだから勘違いしちゃう子がたくさんいるの。簡単になびかないから女の狩人心をくすぐるのかしらね?」
「そうだな。あいつの近くにいると複数の視線を感じる。半分くらい分けてくれねぇかな?」
「あんたは軽すぎるしあんた恋人いるから無理じゃない?」
「軽い!そんな馬鹿な!俺の一撃はかなり重いと思ってたけどな?それに俺は恋人いねぇ!」
「あんたは戦争と恋仲だって意味よ。」
「・・・」
ニュクスが何か言い返そうとすると影から人影が現れた。
「二人とも作戦行動中だぞ。」
「マダマンテュス、お前気配殺して後ろから近づくのやめろよ。うっかり殺しちまうだろ?」
ニュクスが剣を逆手持ちでマダマンテュスの首筋に突き当てていた。マダマンテュスの頬を一筋の汗が伝う。
「・・・気を付ける。」
「おう、そうしろ。」
「・・・久しぶりにあんたの異常性を見た気がするわ。普段は只の変なやつだけど・・・。」
「しかし、偵察任務ってのは暇だからいやだったが今回は只の偵察じゃないんだろう?」
ニュクスの口角が持ち上がり普通より発達した犬歯が見える。
「・・・ああ。敵勢力がどの程度力を国境に集結しているか調べるために・・・。」
「突っ込めば良いんだな?」
「ただ突っ込めば良いわけじゃないわよ?敵の主力を選んで攻撃しなきゃ意味が無いわ。」
「そのために俺がいるんだろ?」
「・・・そうね。あんたのそういうことに関しては鼻が利くもの。」
「ほめてるのか?」
「ほめてるわよ?」
「もっと褒めろ!」
「うん、無理。」
「二人とも・・・作戦行動中。」
「さっさとあの館を襲おうぜ?テバイの領主を襲えば強いのが確実に釣れるって!」
「嬉々として言ってるのが気になるけど一理ある。じゃ、目に見える形で襲わなくちゃね。」
「おう!そういうのは大得意だ!」
そう言うや否やニュクスは館に走り出していた。
「ああ、一寸待ちなさい!まったくエレボスの気持ちが良く分かるわ!」
「・・・追う・・・。」
「・・・しかたないわね。」
「ちと物足りねぇが、文句は言わんぜ!」
ニュクスの振り上げた剣がおもむろに振り下ろされる。それが平穏の終焉、動乱の幕開けであった。
歴史(の変化)に門を閉ざすことは出来ない。
歴史は戸を蹴破っても進入してくるからだ。
時流に乗らなければならない。
いや、それ以上に歴史を先取りしなければならない。
ゆっくり歩いていてはいけない。
走って歴史を迎えに行け!
マン・レイ
(画家・彫刻家・写真家)