帝国編:第十四話 鬼ごっこ
鬼ごっことは『鬼』と『子』に別れ,『鬼』は『子』を追いかけ,『鬼』に触れられた『子』は『鬼』となり,追いかける立場となる。まさにエンドレスゲーム。エンドレスなところに真の恐怖が隠されている。
戦略級精霊術師(以下単に戦略級と称す。)の本領はその術式規模である。その名のとおり、戦略的な視野を持たなければ世界に影響を与えすぎることになる。よって戦略級が全力でその術を使用することはほぼない。そうでなければ戦略級は無人の荒野をさまようことになることを知っているからである。戦略級は他の戦略級との交流(じゃれ合い、迷惑な喧嘩とも言う)を通してそれを自然と学ぶ。
デスポイアもそれをヒュペリオンとの交流を通して学んでいた。ましてやデスポイアに目の前の男を肉塊に変えるつもりは毛頭無かったので全力は出さない。しかし、それでも一般人と戦略級には天と地ほどの差があった。だからデスポイアの余裕も故無いことではない。しかし、目の前の男は厳密には『一般人』ではなかったのである。
デスポイアの土でできた手(以下単に土の手)は義弘をとらえることができずにいた。何故手の形状をしているのか?その形が一番彼女が操作しやすい形だからである。自分の一番身近なもので精密な操作ができるものは『手』であるのだから。
「えぇい、さっさと捕まりなさいよ!」
デスポイアは捕らえきれない男に苛立ちを隠せない。地面から無数に生える手の群れはかなり奇妙な光景である。その間をすり抜けるように時にはその上に乗り、逃げる影が一つ。
『・・・形状は人の手の形状に酷似。その大きさはほぼ均一。材質に変化なし。土の粒子を結合させている媒体は不明。敵性対象の体の動きと土の手の動きの連動性のパターン解析終了。予想地点を避け敵性対象に接近。体内脂質を消費中。早期の決着が望まれる。』
避けながらもじわじわと近づいてくる男に恐怖とともに喜びがあった。彼女はついに見つけたのである。遊んでも壊れないおもちゃを。
「避けてるだけでは私に触れることはできませんわ!」
彼女は伊達に一人旅をしていない。魔獣の撃退から食料の調達までやってきた。すばしっこい標的の捉え方は知っていた。逃げ道を絞っていき、罠にはめる。それで彼女はこれまで捕らえられなかった標的はいなかった。これまでは。
黒い影が土の手に乗り、それを足場に飛び出た。デスポイアはそこから距離をとった。デスポイアの周りには不自然なまでに土の手が無かった。黒い影が地面に降り立った瞬間、地面が消失した。正確には地面が砂に変化したのである。しかもそれはすり鉢状になっていた。いわゆる「蟻地獄」である。
「引っかかりましたわね!」
デスポイアが会心の笑みを浮かべて蟻地獄をドーム状に土を被せた。そこには一部の隙も無かった。
「さぁ、窒息死したくなかったら負けを認めなさい?」
彼女は勝ち誇った上気した顔をして土の塊を見下ろしていた。すると彼女の肩に何か触れる感触がした。彼女は反射的に振り返ると目の前にはこのあたりでは珍しい黒髪黒目の男が立っていた。
「なっ!」
彼女の驚愕に染まった様子を一瞥すると、おもむろに男は言い放った。
「これで私の勝ちですね。では、今後の私の身の安全は保障していただきます。」
言い終わるや否やきびすを返そうとする男の両肩をデスポイアはがっしりと両手でつかんだ。その手は肩に食い込んで離さない。
「ちょっとお待ちなさい!あなた何故ここにいますの!」
デスポイアは男に怒鳴っていた。このような状態を一般的に逆切れと呼ぶ。
「同様の質問を27分34秒前にお聞きしました。その質問にはお答えしたと記憶しています。」
男はあくまでも淡々と返答すると、
「だから何故あの土に埋まってないで外にいるんですの?」
「埋まっているのは私の上着(内容物:土)ですが、何か?」
「上着ですって!?」
「はい、そのとおりです。」
「では、あの罠を見破っていたというの?」
「はい、あなたの周辺地盤の振動特性の変化を感知し、地盤が砂上に変化したと判断しました。その砂状地盤の下に空洞が見られ、流砂が存在すると推測。このあたりの気候条件ではまず見られない自然現象であり、原因の推測は12パターン考えられましたが、存在の推測だけで十分であり、一定の質量を持った物体を放出することでその反力で空中での方向転換を行いました。結果、私は流砂には飲まれずここにいます。何か質問は?」
デスポイアは矢継ぎ早に淡々としゃべられその内容の半分も理解できなかったが、この男が自分の罠を見破り、逃れたのは偶然でないことは理解できた。
彼女が口をあけたり閉じたりしてる間に義弘は肩に乗っている手をどけ,世話になっていた屋敷のほうへさっさと歩き出しており、それに気づいたデスポイアはあわてて後を追い始めた。
『主人格覚醒まで12分42秒。先の行動で相当のカロリーを消費。覚醒時に警告と空腹感の緩和処置を行う。』
「ちょっとお待ちなさい!どこに行くのですか?」
デスポイアは義弘を見上げながら聞いた。
「これからお世話になっている屋敷に向かいます。遅くなると心配されますし。」
義弘はデスポイアの方を見向きもせず答えた.
「仕方がありませんわね!私も一緒に行ってあげますわ!」
「・・・」
「なんとか言いなさい!」
「それは私の関知する所ではありません。」
「じゃあ,勝手にしますわ。」
何故かうれしそうな笑顔を浮かべているデスポイアは義弘の横を歩き始めた。この後,頭が覚醒した義弘が地獄の筋肉痛に襲われた事は言うまでもない。
「・・・明日,温泉に入り直そう。そうしよう。」
筋肉痛に耐えながら屋敷の門を叩いた。若干足を引きずっているという情けない姿であったが,一刻も早く休息と栄養補給をしないと生命活動に支障を来す事であるし,気取っても仕方の無い所でもある。
「情けないですわね!それでも私との勝負に勝った男ですの?」
デスポイアがやれやれと首を左右に振りながらの賜りやがったので義弘は若干頭に来た。
「誰のせいでこんな事になったんだか。」
「そ,それは悪かったと思っていますわ・・・。」
義弘は予想外のしおらしい反応に戸惑ってしまう。うつむいて悲しげな表情を浮かべている姿を見ると理由無く罪悪感に捕われてしまった。
「あ,ああ。分かってるなら良いんだが・・・。」
「はい!」
デスポイアが年相応のまぶしい笑顔で答えると屋敷の扉がゆっくりと開いた。
「これはヨシヒロさま。お帰りなさいませ。お嬢様がお待ちに・・なっておいでですが,こちらの方は?」
屋敷の執事が普段の落ち着いた様子から一変して焦っているのが分かるくらいに狼狽を露にした。
「あ,はい。こちらはデスポイアさんです。」
執事に義弘が紹介するとデスポイアは先ほどまでとは態度が変わり落ち着いた様子で優雅に一礼して挨拶した。
「お初お目にかかります。ペルセポネの娘,デスポイアですわ。御当主によろしくお伝えくださいませ。」
執事は思わぬ来客に度肝を抜かれ,とりあえず応接間に通すことにした。
「これはようこそお越し下さいました。どうぞこちらの部屋でお寛ぎください。すぐに当主が参ります。」
執事は二人を応接室に案内しつつ,左手を後ろに回し,使用人にサインを送っていた。
(来客,最上級,旦那様,連絡,お茶,菓子,準備,急げ)
義弘は一刻も早く休みたかったが,ヘリオス=ニールセンに一言挨拶しなければ失礼にすぎるという理性がまだ残っていたため応接室でデスポイアとともに待つことになった。
屋敷が静かに騒然となるという矛盾した状態に陥っていた。ヘリオス=ニールセンは来客のあまりの大物さに半信半疑である。
(こんな一豪族の屋敷にデスポイア様がいらっしゃる?何の冗談だ?そんな馬鹿な話があるものか!いや,しかし語りなどする者がいる筈が無い。そんな命知らずがいる筈が無い。では本物。ヨシヒロ君と同道したという事だが一体どういうことだ?全く分からん!しかし,何の用事で?)
「ところでデスポイア,君なんでついてきたの?宿が無かった?」
義弘は未だに戦略級精霊術師とか神武将とかの意味を知らなかった。デスポイアはその気になれば,町中をあげて歓待される事もあり得るのであるからこの質問ははっきり言って常識を知らないとしか言えない。
「失礼な事をおっしゃいますわね。宿などどうとでもなります。私がここにいるのはあなたのそばにいるためですわ。あなた私に対する態度がだいぶぞんざいになっていません?」
義弘の頭には「?」がいくつも並んだ。全く分からないことになっている。自分の与り知らない所で何がどうなっているのか。
(IIS,何故だ?何があった。お前の状況説明じゃこの流れになるとは思えないんだが?)
『不明,判断不能。』
「自分を生き埋めにしようとした人に対して丁寧に扱う程俺の器はでかくないの。まったく,訳が分からん。何故そばにいなくちゃいかん。」
デスポイアは口を尖らせて驚きの言葉を吐いた。
「だってあなた,勝負の条件で私に安全の保証を求めましたわ。それは私に庇護を求めたという事でしょう?ならば私をそれを遵守する義務がありますし。それに私はあなたの事をもっと良く知りたいのですわ。それとも私がそばにいてはいや?」
「いやいやいや。確かに約束したけど,したのは俺じゃなくて,いやでもIISによる緊急時行動の際の行動主体はあくまで『俺』か。いや,そんなことはどうでも良い。それは拡大解釈ってもんじゃないか!そんな義務は無い!ただ危害を加えないでそっとしておいてくれるだけで良いんだ。別に君の事が嫌とかそういうことではなく・・・。」
義弘が焦って言葉を重ねてデスポイアをなだめようと苦心していると,それを見ていたデスポイアはクスクスと笑った。
「・・・ずいぶん仲が良さそうだね,ヨシヒロ君。お邪魔だったかな?」
義弘は主人の登場に心から感謝した。ああ,貴方からもこの利かん坊になんとか言ってやってくださいと心の中で叫んでいた。
「いえ,ヘリオスさんを心待ちにしてました!」
「そ,そうかい?」
「はい,それはもう!あ,こちらデスポイアさんです。」
「あ,ああ。デスポイア様。私はヘリオス=ニールセン,この辺りの地主をしております。」
デスポイアさん?と疑問に思いながらも主人は最高礼を小さな少女に向けて行った。
「ご挨拶痛み入りますわ。突然の訪問の非礼をお詫びします。」
義弘がこうして見るとやっぱりお嬢様なのだと再認識した。
「いえ,狭い屋敷ではございますがお寛ぎください。屋敷一同,デスポイア様のご来訪を歓迎いたします。ところでつかぬ事をお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ええ,構いません。」
「そちらのヨシヒロ君とはどういったご関係で?」
デスポイアは少し考え込むと何か思いついたのか,手を叩くと義弘の方を向いてニヤと笑った。義弘はいや予感しかしなかった。
「ヨシヒロさんとは互いの裸を見せ合った仲ですわ。」
その言葉に部屋の空気が凍った。いや,デスポイアだけがわざとらしく両手を頬に当てて下を向き首を左右に振っている。実際のところ,嫌がらせに言ってみたが予想外の恥ずかしさに本気で恥ずかしくなってそれを隠すための動作だったりするが,本人以外にその事は分かる筈も無い。義弘はテーブルの下で怒りのあまり握りこぶしを作って震わしながらこう思っていた。この野郎!と。
そうしていると扉がミシミシときしみ,重量に耐えられなくなって蝶番をはじき飛ばし,部屋に向かって倒れた.その上に大量の使用人に混じって,コレーも倒れ込んだ。
「お前たち聞き耳をたてていたのか!」
思わぬ闖入者は「ははは」と苦笑いをすると,「すみませんでしたー!」と風のように去っていった。
応接室には微妙な空気だけが残されていた。
『子』を捕まえても『鬼』は『子』にならず、『鬼』が増えていくというルールの場合,早く終わるが,最後に残ると自分以外の全員に追いかけられるという状況になる。
人によっては快感を感じるかもしれないが,通常恐怖を感じる。