共和国編:第六話 サーマーンの傭兵
夜半,二人の男が天幕の下で顔を合わせにらみ合っている.いや正確に言えばにらみ合っているのは二人だけだがその片方に大勢が一方的な視線を向けているのであるが.
「おい,こんな夜更けに訪れた招かれざる客をもてなす作法を知っとるか?」
髭は豊かだそれに反比例するような頭の毛髪事情の男だ.顔つきや表情には傭兵らしい所は無くそこらの酒場を探せばいくらか見かける顔ではあるが,額から頬まで伸びる大きな傷跡が迫力を倍にしている.そんな男に笑顔で言われると怖いものがある.サーマーン最古参,最大級の傭兵団『弓持つケンタウロス』の隊長であるケイローン=アトスである.
「いや?知らないな?教えてくれよ.」
「なに,難しいことじゃない.」
「飯でも食わしてくれんのか?」
「食わしてやっても良いがもっと良いものを食わせてやるよ.」
「何を?」
「こいつだ」
その手に握られているのは鈍く光っている長さが振り回すのに手頃な良く切れそうな金属であった.
「それは,食いたくないな.いくら鉄の胃袋と呼ばれた俺でもそれは胃もたれしそうだ.」
「そういうな.食わず嫌いは良くない.若いうちは色々食って大きくなるもんだ.」
「いやいやいや,それ食らったらもう他のもの食えないから大きくなれなくなるから.」
「ふん,仕方ないな.で,何用じゃ?」
急に笑みが消え眼光が鋭くなる.
「俺に付いてもらいたい.」
リュカオンは何の躊躇も無く言った.一気に場が静かになる.
「それはエネタの下に付くと言うことか?」
「いや,このリュカオンを信じて付いてきてほしい.」
「ほう.付いていって何の得がある.我々は傭兵だ.利が無ければ動かんぞ.」
「サーマーンの傀儡である現状に満足しているのか?」
その一言に一気に場の空気が冷え、刺すような視線がリュカオンが射抜き、さっきで空間がゆがむような熱気が生まれた。
「ふくじゃないか、若造。じゃあお前が新しいご主人様って訳か?」
「そうじゃない。俺ごときに操られるような奴らじゃないだろう?」
「お世辞で持ち上げても、うんとは言わんぜ?」
「本心だ。」
「ふむ.しかしただの若造についていくのは格好がつかんでな.ついていくだけのものを示してくれんかの.」
この狸じじいめ・・・.やはりそう来るか.
リュカオンは心の汗を流しながら答えた
「わかった.先攻しているサーマーン貴族たちだが全滅させてみせよう.」
「なに?」
一気に場の空気が揺れる.それは比喩ではない.本当に揺れているのだ.
空気だけではない.地面そのものが揺れているのだ.
「・・・何をした?」
先ほどまで浮かべていた不敵な笑いが苦笑いのそれに移行する.
「サーマーン貴族の部隊を奈落の底へと落とした.」
「馬鹿な!そのようなことは不可能だ!土系精霊術師が何人必要だと・・・,いやまず精霊術師の支配領域から言ってもそこまでの深さへの干渉は行えないぞ.土系戦略級精霊術師は居なかった筈だ.」
「ああ,ああ.その通り.不可能だ,普通は.しかし,地の利がそれを可能にした.また我が国の産業形態からもそれを可能にした.」
周りを囲んでいた傭兵隊長の一人が呻くように言った.
「・・・炭坑か.」
リュカオンはうなずき,
「その通り.エネタ都市部までの地下は縦横無尽に坑道が張り巡らされており,もはやそれは平原中に広がっていると行っても過言ではない.もちろん普通に移動する分には問題ないようにしているが,坑道を知り尽くしている土系精霊術師が少しいじればバランスが崩れ,上部の土は坑道に流れ込む.巨大な落とし穴の出来上がり.」
「・・・」
傭兵一同はまったく言葉を失ってしまった.
真っ先に正気を取り戻したのはケイローンである.
「くくく,まったくお前という奴は.ワシの想像を超えおるわ.」
「じゃあ.」
「ああ,まさかこれでもこやつにサーマーンを覆せんという奴はおらんだろうな?」
「「おおお!」」
天幕の中から森中に響き渡るような雄叫びがあがった.
天幕はでの喧騒はやがて外に波及し,サーマーン首都への進軍準備で慌ただしくなったがその中で一人,無表情で黙々と作業している人間が居る.ティトノスがさらわれた時そばに居た少年兵である.ティトノスがさらわれてしまったことに責任を感じて落ち込んでいたのでその様子に違和感を覚える人間は居なかったが注意深く見れば彼の目の白目の部分が真っ黒に塗りつぶされていることが分かっただろう.
「なるほど.やはりこうなりましたか.やれやれ,あの方の深慮遠謀には脱帽させられる.正直,このような結果になるとは半信半疑だったのですが.リュカオンとやらの力量を図り違えていました.これなら内部からの助けは必要ありませんね.ではこれで少年から『影』を抜いてあげましょう.これは長時間入れておくと健康によろしくありませんからね.」
明らかに少年の浮かべる表情でない.嫌らしい笑いを浮かべながら一人ごちた.
「あれ?なんで僕はこんなところに?・・・?」
少年の疑問は夜の闇へと消えていった.