共和国編:第四話 仕事も責任も一人で背負ってはいけませんよ
<エネタ陣営>
エネタの本陣の周りには非常に人が少ない。リュカオンはエネタの軍をあえて分散させ、その指揮は各隊の長に任せていた。
エネタは土地柄として平原が少なく山や森が多い。主要な産業は鉱山経営と林業、畜産、加工業である。共和国の一都市国家となる前は一山岳部族の集まりに過ぎなかったのを時の共和国の総帥に攻められ降伏の後、共和国に組み込まれた歴史がある。
そのためかエネタには制度化されているわけではないが二つの派閥が出来上がっている。もともと山岳部族であった「原住民」と「移住者(殖民)」が互いに過剰な干渉を嫌い居住地すら分けて暮らしていた。しかし仲が悪いわけではなく移住者は技術と文化を、原住民は資源や食料を供給し相互扶助で暮らしていた。
今エネタ軍を構成しているのも基本的にこの二つの集団に分かれている。普段都市で生活し、集団で
事に当たることに慣れている「移住者」は長槍による集団戦法を行う重装歩兵となることに抵抗はないが(そもそもこの戦法自体、基本的に共和国共通である)、いつも各家族ごとの小集団で狩りや家畜の世話を行っていることの多い「原住民」にとって集団戦法は不得手であるため、基本的に兵役時はそれぞれの武装で先鋒を務め、敵の陣形が乱れたところを突くという戦い方をすることが多かった。
今回の戦法の転換はこの「原住民」にとって水を得た魚のようにピタリとあっていた。森や山に各分隊が息を潜め待機している様は獲物を待つ狩人そのものといえよう。「移住者」は司令官の作戦のため本陣から離れたところに行かされていた。
「あれだけ擾乱攻撃を行ったのにもう陣容を調えたな、サーマーンは。有能な士官がいる。」
リュカオンが感心しつつ、一人ごちていると、
「落ち着いている場合ですか。態勢を立て直されたらいまだに我が軍より数で勝っているのはサーマーンの方ですぞ。いかがなさる心積もりでいらっしゃるのですか?」
先の戦闘で破けた上着を新しくしたオウィディウスが言葉ほど心配しておらず確認するようにリュカオンに語りかけた。
「基本的な考えは変わらんさ。サーマーンの主力たる傭兵の戦線離脱を誘導する。まともに当たっては負けるからな。ただそのための戦術は考え直す必要がありそうだ。意外だったな。傭兵の間のサーマーンに対する不満が小さいとは。楽勝で勝てるわけではないと思わせなくてはな。」
「では?夜襲をかけますか?」
「そうだな。ただ普通にかかったところで効果は知れている。工夫するか。」
「工夫で・・・ございますか。」
「あぁ、風系精霊術を使えるものに伝えよ。どんなに微弱でもよい。交代でサーマーン陣地付近で音を拡大させて銅鑼を鳴らせとな。」
「サーマーンの軍勢を寝かさぬお積りですか?」
「それもあるが、狙いは別にある。」
リュカオンが意地の悪い笑いを顔に浮かべていた。
<サーマーン陣営>
サーマーンの陣地は野営の準備を整え、見張りを分担して行っていた。これは副官ティトノスの調整の名人技と努力をほめるべきであろう。彼の他にやる人間が居らず、しかも彼にはそれができてしまったのがこの状況を作り上げたという見方もできる。
「とりあえずこれで進行準備は整えられたか・・・。私の仕事はこれで終わりかな。」
ティトノスがやっと一休みしようとしたその時、陣地に轟音が響き渡った。
「いったいなんだ!」
副官に準備を一任(丸投げ)して一足早く休んでいた総司令が飛び起きて轟音の正体を探るように命令した。
轟音の正体を探るべく斥候が出て行ったが半数がエネタの兵に殺されるか山中で遭難した。幾人か戻ってきた人の証言から山中に分散して布陣しており、その分隊が風系精霊術を用いて音を大きくしているということが分かった。
「この音をどうにかしろ!眠れんではないか!山狩りを行う。」
総司令の発言はたとえ自分が眠れないから言っているとしても、確かにこの音をなくさないことには兵に疲労がたまり、厭戦気運を高めてしまう。しかし、
「夜間に山狩りを土地勘のない我らが行っては遭難者が多数出ます。どうかお考え直しください」
夜の森には夜行性の獣もおり、敵兵が潜んでいる森で捜索を行えば極度の緊張状態を強制され、最悪気が振れる者も出るくらいの難仕事である。しかも渡河直後で疲労の直後である。音を無視してとりあえず寝てしまうほうがまだマシであろう。
「いや、山狩りを行う。我らがサーマーン軍の勇士は夜の山を恐れるようなものは一人も居らん!そうであろう?」
「・・・御意。」
大抵のサーマーン人は大昔の話だが帝国の進行に対し単身玉砕したという歴史があり、それに誇りを持っていた。この場でそのように言われ山狩りに反対しようものなら臆病者のレッテルを貼られてしまう。戦場において臆病者について行く人間はいない。仕官にとってそれは避けなければならず、この司令官の一言により結局山狩りが行われることが決定した。
山狩りは結局、行うことになったが差配はティトノスが行っている。夜間に山狩りを遭難者を出さずに行うには大量の松明の確保、捜索範囲の決定と捜索範囲の分担など行うことは多い。こういう細かい差配をやらせたら彼の右に出る者はそうはいない。しかし、彼にも人としての限界というものがある。この夜それが表出することになる。
探索は本陣を中心に放射状に行われ徐々に捜索範囲を広げて行った。しかし未だ敵兵と接触したとの報告はあがってきていない。ティトノスがそのことを不信に思い始めたそのとき、
「敵襲・・・!」
本陣で敵襲を告げる声が聞こえてきた。
「敵襲だと?いったいどこから?いやそれよりも敵の狙いは?狙いはまさか!総司令か!」
ティトノスの敗因はこの目的を読み違えたことによる。
ティトノスがわずかな供を連れ、馬を駆る。彼はいつも供をあまりつけなかった。それに兵の大半は山狩りに出るか、本陣の総司令の元にいたのだから彼のともをする人間は限られた。
ティトノスが馬上から一瞬で姿を消した。いや暗い中でも月明かりで鈍く光るいぶし銀の毛をたなびかせる狼男が気絶したティトノスを抱えていた。
「ばっ化け物!ティトノス様を放せ!」
まだ幼さの残る騎士見習いの少年が勇敢にも狼男に向かって行った。
「ふむ、この男よほど慕われておるか、この子供が勇者であるか。しかし力が伴っておらんな。」
狼男は少年を軽く蹴り飛ばし、夜の闇に消えて行った。
ティトノス誘拐の報はすぐに本陣に届けられた。
本陣の天幕には大規模傭兵団の団長、サーマーン士官が集まっていた。
「ティトノス殿が敵に拐されたと・・・」
「わざと捉られたのではないか?総司令とよく意見が対立して居ったし。」
「副官が総司令に対し慎重論を唱えるのは職務のようなものだ。そんなことで離反するような男ではないわ。」
「ティトノス殿の意思かどうかはこの際問題ではない!ティトノス殿がいなくなった現在、誰がその代役を行うというのだ。」
サーマーン士官は口々に言い合っていたが結局は使い勝手のいい調整役がいなくなってその穴を誰が埋めるか、その押し付け合いに終始していた。それを静かに聴いていた一人の傭兵団の団長が口に出した。
「ティトノス殿は我々の求めるところ、必要なものをよく分かっておいででした。我々がこの戦争に雇われているのも適正な報酬がしっかり支払われるからです。適正な報酬が支払われる間は我々も進軍をともにしますがそれがなされない場合は戦線離脱もやむ終えません。そこは分かっていただきたい。」
傭兵団の売り物はその勇名と命である。そこに適正な報酬が払われなければ何故、命を張らなければ成らないのか。傭兵には戦死しても、捕虜になっても何の補償もないのだから報酬には敏感なのである。
「この守銭奴が、誇りはないのか!戦線離脱など、我らを脅すつもりか。傭兵風情が!」
サーマーン士官がざわめき天幕は喧騒に包まれた。傭兵団の団長たちはもはやなにも言うことはないとばかりに席を立った。
「やれやれ、いい稼ぎ口だと思っていたがこの戦場ははずれだったかな。」
「そうだな。あの様子では我らを戦場の何でも屋とでも思っているのだろう。」
「とりあえず、山狩りに出ている連中に退却を命じるとするか。あの抜け目ない小僧のことだ、ティトノス殿がいなくなって統制が取れなくなった隙を狙うだろう。」
「そうだな。あの小僧、弱点を見抜くのが上手い。我々がティトノス殿に対する信用でまとまって居ったのを。」
「そうだな。やつも傭兵をよく知っておるわ。やつに雇われるのも良いかも知れんな。」
「今のその発言は傭兵の信用問題になるぞ、気をつけられよ。」
「ふん、単なる戯言よ。あやつがせめて執政官になったら考えてやっても良い。今ではまだまだ。」
傭兵団の団長たちは孫の成長を夢想するかのように天を仰いだ。
<エネタ陣営>
「もう少し混乱するかと思ったが、整然と引いて行ったな。あの狸爺どもめ。簡単に隙を見せちゃくれないか。」
「リュカオン様、求めすぎは禁物ですぞ。特に戦場では。」
「分かっている、しかしもう少し打撃を与えたかったものだ・・・。今宵の戦はここまでとしよう。兵に休息を与えよ。」
「すでに。」
「・・・仕事の速い副官を持って幸せだよ、私は。」
「お褒めに与り光栄にて。」
残存兵力:
エネタ側 17850人
サーマーン側 25000人(行方不明者数:多数)