共和国編:第二話 タイソンの戦い
白髪に赤い目とい異相の若者が滔々と流れる河を眺めていた。
正確には河を、ではない。河の対岸の軍勢をである。青年の背中はけして大きくはなかったがその背について行こうと思わせる何かが確かにあった。
「そのようなところに居られては敵の矢の的にされてしまいますぞ。」
白髪が混じり始めた初老の男が青年に気遣わしく話しかけた。
「オウィディウスか。それはないな。やつらは完全に気を抜いておる。こちらに気づきながらもどのような策を弄しようとも覆らぬ絶対的な兵力差があるのだから無理からぬことだが。」
「しかし、万一ということがございます。総大将ともあろう方がそのように軽率では困ります。」
「相変わらず心配性だな。万一があろうとお前がいればこの距離の矢などものの数ではなかろう?それに副将のお前がこのようなところにいてよいのか?」
リュカオンは幼さの残る笑いを顔に表し、副将の顔を見た。
「すでに準備は完了しております。・・・しかしあれでよろしかったのですか?定石では砦に立て篭もり、農閑期をやり過ごし刈り入れ時になってやつらが引き上げるのを待つのがよろしいのでは?」
「それまで裏切り者が出なければな。だがほぼ確実に苦しい篭城戦に耐え切れずサーマーンどもの甘い勧誘に負け、城門を開くは必定。しかも援軍の当てもない。援軍の当てのない篭城戦は無駄に犠牲者を増やすだけだ、違うか?」
そのようなことはない・・・とはオウィディウスに言うことはできなかった。サーマーン、エネタの周辺の都市国家はすべてサーマーンとすでに内々に取引しており、サーマーンが勝利した後の利権の分配は決まっている。二枚舌でこちらに援軍を送る用意があると言ってきている都市もあるが、果たして戦いが終わった後にどのような要求をしてくるか。軍事力の脆弱さ、政治力のない指導層、劣悪な経済状態が露呈してしまっている現在、この都市は他者にその運命を左右される立場となっているのである。
「ですが三万の軍勢に一万八千で攻め入るは自殺行為では?」
「ではこのまま彼奴らにどうぞお通りくださいとタイソンを渡らせるか。それでは芸がない。せいぜい嫌がらせくらいはさせてもらう。」
「いやがらせ・・・でございますか。」
「うん。渡河中はどうあっても無防備な姿をさらすからな。それを逃す手はない。」
「しかし、敵を減らすことはできますがその後が続きません。」
「嫌がらせが終われば逃げるさ。」
「どこに逃げるというのです。ここが我らの地ですぞ。」
「われわれの庭の中を逃げ回るのさ。こういうときに軍勢が自国民で固められている強みが生かせる。サーマーンの陸軍はほぼすべて傭兵で固められている。サーマーン傘下の領主どもが隊長をしてる・・・な。傭兵にとっての財産は兵士、装備、名声さ。兵士の損害が給金に見合わないと思えば戦闘に積極的にはならなくなってくるし、傭兵料の値上げを要求してくるだろう。値上げ要求の間は戦わないのがあの辺りの傭兵団の間じゃ当たり前だしな。その辺りの結束のなさがアチラさんの弱点。その点俺らはここ以外には行くところはないし、サーマーンの傘下に入った都市の末路は周知してあるしな、背水の陣で望む。」
「なるほど。・・・ちょっと待ってください。いったいどこでそのような情報を?」
「なに、サーマーンの傘下の領でちょっとな。市井の民の噂話も馬鹿にしたものではない。」
「総大将たる方がそのような間諜のまねなどせずとも良いのです!まったく命があったからよいものを捉えれていたらいかがなさるおつもりで!」
「そのときは俺の天命もそこまでということだろ。エネタにはまともな諜報員がおらんしな。役に立っておるのだから目を瞑れ。」
「まったくあなたという方は・・・」
「そろそれ本陣に帰ろう。やつ等のお食事がそろそろ終わる。」
「はっ!」
<サーマーン陣営>
「はぁ・・・」
目線だけで人が殺せそうな赤髪の男はなにやら苛立ってため息をついた。
「どうした、ニュクス。」
「気乗りしねーな。」
「なにがだ?」
「こんな弱いものいじめみたいな戦がしたい訳じゃねぇぞ、俺は。」
「あんたの戦馬鹿にも、こだわりが在ったんだな。」
「あたりきよ。戦って面白そうなやつじゃねぇとやる気にならねぇな。」
「俺としちゃ、楽勝な戦で損害が出ないで給料もらえりゃ万々歳だがな。」
「あぁ、分かってねぇ。分かってねぇよ、エレボス。そんなんで楽しいか?ぎりぎりの命のやり取りが面白いんじゃねえか。何のために戦士やってんだお前は。」
「あんたはそうだろうな。俺は金のためさ。俺には商才はねぇ、元手もねぇ。孤児がなる職業といや、他は大家の下男か、男娼か。でなきゃ野垂れ死にだ。」
エレボスはその優しげな目を若干曇らせた。
「なるほどな。だからか。お前が煮え切らない戦いをしてんのは。お前の力量ならもっと戦を楽しめると思うんだけどな。」
「楽しんでいるさ。俺なりに。」
「そうか。ま、お前の見てくれなら男娼でも引く手数多だっただろな。時々お前目当てで入隊してくるやつもいるみたいだしな。」
「殺すぞ。」
「おお恐.」
「これよりタイソン河を渡る!向こう岸に渡り、縄を渡せ。仮設橋を設置する!一番早く向こう岸に到着したものに金貨10枚を約束しよう。」
サーマーン軍総司令のありがたい号令により、エネタへの進軍が始まった。この号令に従い、争うように傭兵たちは河を渡り始めた。
「おっし!俺らも金貨10枚狙うか!」
ニュクスが元気よく言うとエレボスが大きくため息をついた。
「あほか。たった金貨10枚で命捨ててたまるか。しばらく様子見だ。」
「でもエネタの連中は見当たらねえぞ.この戦力差だ.逃げちまったんじゃねぇか?エネタの兵は弱っちくて有名だからな.」
「俺はそこが不気味だ.エネタの総指揮を取っているのはあの男だと聞く.リュカオンが渡河時に無策でいる筈がない.必ず何か仕掛けてくるぞ.」
「リュカオンか・・・.あいつは戦場じゃいつもあいつが良いとこで邪魔しやがる.すっきり勝たしちゃくれねぇだろうな.」
「そうだな.俺としてはあいつがもしこの戦場で生き残ってれば拾って傭兵団に加えたいものだが・・・.」
<エネタ陣営>
「・・・今だやれ.」
リュカオンが声を低くしてつぶやくようにある命令を下した.
その命令から数分後,第一陣が渡河し終えて第二陣が渡河している途中で河の水量が突如増し,鉄砲水がやってきた.
上流に土系精霊術師を密かに派遣し,河の水を徐々にせき止めさせ一気に解放したのである.
「今だ!岸に取り残されている第一陣に攻撃を集中!撃破の後,直ちに戦場を離脱.所定の場所に移動せよ!」
各部隊の隊長たちが部下へ命令を徹底させている.この奇襲は速さが要であると隊長たちはよく分かっている.その声に答えるように精霊術師の放つ炎や風がサーマーンの第一陣を襲う.その一斉集中砲火がやんだ後,混乱した敵集団にエネタの歩兵が突撃した.
エネタの主力は重装歩兵で長槍による整然とした突撃だが,今回は鎧を軽装にし,武装は槍ではなく弓と剣である.できるだけ三人一組で一人の敵にあたるように戦術を転換したのである.
<サーマーン陣営>
「おのれエネタの腰抜けどもが姑息なまねを!上流の物見は何をしておった!対岸の様子はどうなっておる!」
サーマーンの総司令が頭から煙が出そうなくらい顔を赤くしながら怒鳴り散らすと副官が努めて冷静に報告した.
「どうやら敵多数に第一陣が攻撃を受けている模様!河の流れが速すぎるため渡河不能!」
「水系精霊術師に命じてさっさと河の流れを鎮めよ!」
「恐れながらこれだけの水量を鎮められるだけの精霊術師が我が軍にはおりません.それにこの水量を今すぐ渡河可能な状態にいたしますと河の周辺住民に多大な被害が出ますが.」
「かまわぬ!河の流れを鎮めるのを最優先とする!」
「・・・!了解いたしました.水系精霊術師に命じ,河の流れを鎮めます.」
副官が息をのみながらも,命令を復唱した.
「早急にだ!」
「・・・早急に.」
「リュカオンのやつ,このような手段に出るとは.これではすぐに向こう岸に渡河することはできん!第一陣は全滅させられるぞ!」
エレボスがやや興奮気味に叫ぶと.
「ふん!面白くなってきたじゃねえか!ちょっと驚いたわ!じゃあちっくとこっちも脅かせてやろうか!」
リュクスが自分の人より大きめの犬歯が見えるまで口端を吊り上げ言った.
「なに?・・・まさか!待っ・・・」
エレボスが制止もはや遅く,リュクスがその身の丈もある大剣を振りかざして河に向かって走り出した.
「くそっ!あの馬鹿野郎・・・!いくぞ,野郎ども!大将の馬鹿に続け!」
「オオオオ!」
リュクスとエレボスが団長と副団長を勤める傭兵団「剣と盾」が一つの固まりとなってリュクスの後に続いた.
リュクスが河岸に到着するやいなや大剣を振り上げ,
「ぶった切れろや,こら!」
河の水に叩き付けた.
すると河が二つに切り裂かれ道が文字通り切り開かれた.
「はっはー!びっくりしたか,こら!」
「ったく,相変わらずデタラメだな.あいつは.おい!さっさと渡らねえと切れた水が元に戻っちまうぞ,急げ!」
そうして河の水が後ろから迫ってくる道を一団が疾走した.
<エネタ陣営>
「粗方片付きましたな.殲滅をお命じになりますかな?」
副将のオウィディウスは安堵のため息をついた.
「いや,ここまでにしよう.けが人がいた方がそれに時間が取られるかもしれん.あの総大将では無視して進んでくる公算が高いがな.それに無理を押して河の流れを操作して渡河を開始するかもしれん.そうなっては退却のタイミングを逸する.退却だ.」
「分かりました.退却!」
退却命令に皆,戦闘を終了し退却を開始した.その時.
「報告します!」
「申せ!」
「河の一部の水がなくなりそこからこちらに突撃する一団があります!」
「馬鹿な!あちらにこれだけの水量を精密に操作できる力量の精霊術師がいたというのか!あり得ん!カナリスの水巫女くらいだぞ!」
「それが轟音がしたと思えば河が二つに割れまして.その一団に後続はなく,既に河は元に戻りました.」
「どういうことか?」
突如として人垣が切り裂かれ人影が一人飛び出してきた.
<サーマーン陣営>
「なんだ,戦が終わっちまってる.こりゃいかん!大将が逃げちまう.本陣は・・・.あっち臭いな.」
リュクスは渡河し終えると少し小高い丘の上に向かっていった.
リュクスの突撃はこの世のものとは思えぬものだった.その一振りで触れていたものを紙切れのように切り裂いていく.今回の装備が軽装だったことを割り引いても恐ろしい切れ味である.その太刀筋は無造作の一言につきる.ただ振り回しているのである.その突撃を止められるものはいなかった.
「ははは,見つけたっ!」
リュクスは本陣の幕に向かって斬撃を放ち,本陣を粉々にした.
本陣のあった場所に土煙が立ちこめ,徐々にそれが晴れてゆくと,一人の若者の姿が現れた.目の前の若者を見てうれしそうに笑いながら切りかかっていった.
「よう,リュカオン久しぶりだな!カテナリーの戦以来か?相変わらずウサギみたいな白い毛と赤い目だな.」
「相変わらずデタラメなやつだ.俺の策をことごとく食い破るのはいつもお前だ.どうして本陣の位置が分かった?いくつか偽の本陣を作っておいたのだが.」
リュカオンがリュクスの剣をよけ,距離を取り間合いから外れる.
「勘だ!」
「相変わらず獣じみているな.俺を殺しにきたのか?」
「当たり前だろ.俺は傭兵だ.敵の将を討ち取るのが仕事だ.」
リュクスの剣は暴風のようにリュカオンを襲うがよけられ続ける.まるでリュクスの剣がどこを通過するか分かっているかのように.
「相変わらずよけるのがうまいな.それも『目』の精霊のおかげか?」
「ああ,おかげでこれまで生き残ってきたよ.お前の剣は直線的でよく『見える』.お前の剣は当たらなければ怖くはない.距離を取りつつ戦えばとりあえず負けはしない.」
「ふん.それはどうかな?お前,俺の『剣』の精霊の力を鎧や骨肉を切るだけと思ってやしないか?それは・・・間違いだ!」
リュクスは無造作にリュカオンに向かって一直線に突きを放った.
「何を・・・っつ!」
リュクスはリュカオンと自分の「距離」を切り裂き,リュカオンの目の前にリュクスの剣先が現れた.リュカオンは紙一重で下によけるがリュクスはそれを読んでいた.
「これで仕舞だ!」
リュクスの大剣が目の前に迫ったとき,
「リュカオン様!」
リュカオンを目の前に狼の頭と爪を持ったヒトだったものが抱えていた.
「オウィディウス.すまない.」
「いえ,かまいません.ワシは御身の盾となることが使命でございますれば.」
狼の目が優しい光をたたえてリュカオンを見ていた.
「『人狼』オウィディウス.知ってるよ.『森の民』で傭兵をやってた変わり種だってな.エネタで教官になったとは聞いていたが.会えてうれしいぜぇ.」
口調こそ軽いがリュクスは全身に冷や汗をかき始めていた.
「ふむ.お前のような若造がワシを知っておるとは.」
「あんたの武勇伝聞かないで傭兵やってるやつはいないよ.あんたと戦うのも面白そうだ.」
「そうか.リュカオン様を害しようとした御主を死合うにやぶさかでないが・・・」
後方からエレボスのリュクスを探す声が聞こえる.
「どうやら御主の迎えが来たようだ.ここはお互い引かぬか?」
「ふん!分かった.だが約束しろ!必ず俺と勝負すると!」
「確約はできぬな.御主が死んでおるやも知れぬからな.」
「ぬかせ!」
リュクスが剣を振るおうとすると,
「ではな.」
オウィディウスはリュカオンを抱え,林の中に消えていった.
「ちっ!次は必ず仕留める.」
この戦いで結果は
死傷者数:
エネタ側 150人
サーマーン側 3000人
残存兵力:
エネタ側 17850人
サーマーン側 27000人
いまだエネタの不利は覆ってはいない.