サファイア王女の白い結婚
※途中、視点変更アリ
「ようこそ、可愛いお姫様。 私は君だけを妻として愛し、慈しむと誓おう」
──それは、今から四年前のこと。
ルシャール王国第二王女であった私サファイアは、ノシュテット王国第三王子であらせられるマルクス様の元へと嫁ぎました。
この結婚は政略であり、祖国であるルシャールと大国ノシュテットを繋ぐという、王女たる自分の役割を忘れたことはありません。
ですが、祖国や家族から離れることに不安は抱かずにいられませんでした。
兄と祖国の一団に守られながら船で海を渡り、そこから馬車でようやく着いた王宮。陛下の謁見は待たされることもなかった上に丁重に労われ安堵致しましたが、マルクス様はいらっしゃいませんでした。
なんでもマルクス様は私の為に、王都の端にある古城を改装してくださったのだそう。陛下は私にそちらへ行くように、と仰いました。
マルクス様は戦場から帰還しているところであり、予定より移動に時間が掛ってしまったので直接そちらへ向かわれているのだとか。
兄は帰国の予定を遅らせ私に付き添うと言ってくれたのですが、私はそれを固辞しました。
心細いけれど、私の婚姻はまだ内々のモノで、正式にお披露目されるのはまだ少し先のこと。港から王宮へ向かう時ならまだしも、あまり物々しい警備でノシュテットを移動するのは今後に差し障るのでは、と思ったのです。
どのみちここはもうノシュテット。両国の関係上そうはならないと思いたいけれど、もし襲われたならば、我が国から連れてきた一団など一溜りもないでしょう。
私が連れていく者達だけを残し、ノシュテット王家のお世話になることが最適解である──と、兄達とはここでお別れしました。
兄には啖呵を切り笑顔で別れましたが、虚勢に過ぎません。ルシャールは小国、私が連れて来れたのは侍女が二人、護衛が三人と僅か五人。
しかもマルクス様とお会いしたのは、この更に四年前の、私との婚約が結ばれた時のみなのです。
頂いた手紙には『こちらへ来るのを楽しみにしている』と書いてありましたが……言葉通りに受け取って大丈夫でしょうか。
募る不安をよそに、マルクス様は馬車が止まるや否や、儀礼的手順を飛ばして真っ先に駆け寄り、扉を開けてくださいました。
そしてあの言葉です。
私は本当に歓迎されていたのです。
これまで受けた教育と王女としての矜恃を奮い立たせてここまで来ましたが、安堵からその場で泣いてしまいました。
自力で馬車から降りることは叶わず、マルクス様に抱き抱えられて降りたことは、私の人生の中でも一、二を争う黒歴史です。
長々語ってしまいましたが、マルクス様は私を大事にしてくださっています。
その一方──一度も褥を共にしたことはないのです。
今夜こそは、と意気込んだ私ははしたないとは思いつつも、マルクス様の寝所に忍びこんだのです。
侍女のアンナの手引きもあり、目論見は見事に成功しました。しかし待っていたのは甘い時間ではなく、このお言葉でした。
「──サフィ、私達は白い結婚だ」
「ッ!!」
なんということでしょう……!
「これは──契約で──」
マルクス様はなにか仰っていましたが、途切れ途切れしか私の耳には入ってきませんでした。
『白い結婚』というお言葉に、まさに私の頭の中も真っ白になってしまったのです。
「あっ?! サフィ?!」
私は寝巻きのまま部屋を飛び出しました。
薄暗い夜の廊下を無我夢中で走り、自分でもどこをどう走ったかわからないまま着いたのは、城の端にある時計塔の管理室。そこのソファに掛けられたブランケットを引っ張って、全身に巻き付けるように包まると、部屋片隅で蹲り泣きました。
『白い結婚』は知っていますが、私との婚姻がそうだとは知りませんでした。
元々、これは姉の婚約であり婚姻でした。
祖国ルシャールと違い大国であるノシュテットとの婚約は政略的なモノではありますが、誉れでもあります。
しかし姉は第一王女という身の責も忘れて護衛騎士に情を傾け、あろうことか純潔を捧げてしまったのです。
幸いまだ婚約期間中だったので、二人は牢に入れられ、処遇はマルクス様に一任することになりました。
父は二人を秘密裏に処し、病に倒れたことにすることも考えたものの、ノシュテットが情報に敏い国であることをふまえ『隠蔽するのは逆に心象が良くない、処すにせよこちらの非を詳らかにし、謝罪と然るべき対応を行ってからの方がよい』との結論に至ったようです。
マルクス様は『事を荒立てたくない』と仰り、姉と護衛騎士は死んだことにされ幽閉……とは言っても、片田舎の小さな家での蟄居であり、結婚も許されたのです。
尤も名前を変えて平民に堕とされ、妊娠もできないようにされましたし、自給自足の生活に姉がどれだけ耐えられるのかはわかりません。ですが、騎士だった男性が付いていますから、案外なんとかなるのではないでしょうか。騎士の実家である伯爵家はおとがめなしなのを含め、大変寛大な措置と言えるでしょう。
そして、姉の代わりに私がマルクス様の婚約者となったのです。
この出来事による自身の婚約について、不安や懸念はあれど姉に対する気持ちは特にありませんでした。
正直なところ、両親や兄達に比べ姉とは交流があまりなく、どういった方かよくわからないのです。今や『儚げでお綺麗な方だった』ということくらいしか覚えておりません。
(もしかして……マルクス様は姉を愛していたのかしら……)
『マルクス様はとても寛大な方』……そう思っていた私は、愚かにもその可能性に全く気付いておりませんでした。
なにしろこの婚約期間。本来の姉の予定ならすぐ嫁がなければところを、私の為にわざわざ設けてくださったのです。
マルクス様の『社交界デビューもまだの子供の姫君を祖国から連れ出し、家族から引き離すのは申し訳ない』『ノシュテットとルシャールでは言語やマナーが異なる』とのお気遣いから。
ノシュテットは大国だけあり戦も多いそう。
マルクス様は第三王子ですが、お若いながらに軍を率いていらっしゃいます。その為四年の婚約期間中にお会いすることはままなりませんでした。
ですが頻繁に手紙を出す私に、一言二言であっても、必ずお返事をくださいました。
誕生日や記念日には素敵な贈り物も必ず届きました。
(自惚れていたのね……)
私はマルクス様をお慕いしております。
それこそ八年前に出会った日から、既に。
初顔合わせに緊張した、デビュタントもまだの私の淑女の礼。それはただの貴族家の娘ならまだしも、王族として褒められる程のモノでもなかったでしょう。ですがマルクス様は優しく、紳士が淑女にするように手を取り指先に口付けを落としたのです。
そこでようやくお姿をきちんと見ることができました。流麗な所作と紡がれた柔らかなお言葉だけでもう既に私の心はときめいておりましたが、麗しくも逞しいお姿は王子様そのもの。
肩書きだけではなく、絵本の偶像の王子様が本の中から飛び出してきたかのようでした。
だから私も、マルクス様の婚約者として相応しくなる為に頑張ってきたつもりでした。
こちらに来て再会してから、再び恋に落ちた私は今度は妻として相応しくなろうと、頑張ってきたつもりでした。
ここに来た当時の私は確かに子供でしたが、あれから四年。もう子供ではありません。
なのに、なのに……!
ひとしきり泣いたあと、少し冷静になった私はマルクス様のお言葉を思い出しました。
(……先程『契約』と仰っていたわ……)
政略結婚である以上、しかも姉があんな不始末を仕出かした後です。この婚約・婚姻に関する契約は多岐に渡って結ばれております。私も学びました。
しかし『白い結婚』に関しては知らなかったのです。
『白い結婚』自体は知っています。
ノシュテット出身の侍女ルレイヤが「言語の修得を早める為に、楽しく学びましょう」と貸してくれた沢山の小説の中のひとつにありました。夫婦となっても妻は純潔のまま……褥を共にしない結婚のことです。
小説の中では、それを理由に婚姻は無効となりました。
(最初からそうだったのね……)
抱いて下さらないのは、私が美しくないからでしょうか。
姉のことはあまり覚えておりませんが、それでも『美しい女性』だったことは、しっかりと覚えているのです。
「サフィ」
その声と同時に、頭からブランケットを被り蹲る私の身体がふわりと宙に浮きました。
「床に座っていたら冷えてしまうよ。 私のお姫様、ほら、可愛い顔を見せて」
ソファに座ったマルクス様は、膝の上に乗せた私の被るブランケットを剥がそうとします。みっともない泣き顔を見られないように身体を捻り、マルクス様の胸へ顔を埋めました。ラベンダーを練りこんだ石鹸は、祖国ルーシェルの物。懐かしい匂いがしました。
──今がチャンスではないかしら?
子供のような態度をとってはいますが、もう大分頭が冷えていた私はそう思いました。
いざ、小説に出てくるヒロインを参考に、なるべく愛らしく見えるように上目遣いで囁くように懇願するのです!
「マルクス様……抱いてくださいませ」
「サフィ……」
マルクス様はギュッと抱きしめてくださいました。ですが、そうではありません!
「誤魔化さないでくださいませ! 私、もう子供じゃありませんのよ!」
「サフィ……」
私が涙を浮かべて怒ると、マルクス様は気まずさからか視線を外しました。
「サフィ……生憎だが、
我が国で14はまだ子供だ」
★★★
「私、もう月のモノもありますわ! それに先日社交界デビューも果たしましたでしょう!」
「うん、とても愛らしかったね。 だが成人は16なんだ。 君が学んだ資料が古いのかもしれないな」
確かにかなり昔は14だったらしいが、出産の危険性など諸々の問題から16に引き上がっている。
(もしかしたら、婚約時のサフィの年齢から敢えて古い資料で教えたのかもしれんな……)
なにしろ婚約時、サフィ──サファイア王女はまだ6歳。『なるべく早く大人になる自覚を』と考えてそうした可能性はある。
「でも『白い結婚』なのでしょう……?!」
「そりゃあ勿論」
「もう私、嫁いで四年になりますのよ!」
「ん? うん、そうだね??」
「ほら! マルクス様は私を国にお戻しになるおつもりなのですわぁぁ~!!」
「んん……?」
ちょっとなに言ってるかわからない。(困惑)
泣いているサフィを宥めつつ話を聞くと、『白い結婚』に対する認識が大分間違っていた。
なんでも、小説では『白い結婚』は夫が『他に愛する人がいる』などと宣い、妻と離縁をする為に行うものなのだとか。
……言ってることはわかっても、結局意味はよくわからなかった。
なんの為に結婚するんだ? それは。
(まあ創作物に文句を言っても仕方ない。 それよりも)
──誰だよ、サフィに余計な物を渡したのは。
これに尽きる。
ちょっと頭が痛い案件である。
小説だけではない。少し前の寝室での出来事もそう。手引きした奴がいるが、心当たりがありすぎる。容疑者多数。
薄暗くしたばかりの部屋の中、布団を捲ったらサフィがいた時の私の衝撃たるや。真っ直ぐに仰向けになり、固くなっているサフィは、パッと見黒い塊であり『うわなんかいる!』とあやうく腰を抜かしそうになった。
そのままの姿勢で『優しくしてください……』等と言われても。勿論優しくはするが、求められている意味合いとは違くなるのは当然だろう。
子供にしか見えない。
まあ、違って見えてもそれはそれで困るけれども。
──婚約者が姉のガーネットから彼女へとすげ替えられた当時、まだ6歳の子供であったサフィ。当然恋心など持つ筈もないが、彼女を妻にすることに躊躇いはなかった。
ルシャール王家に一人だけ遅く生まれたこの王女を、国王夫妻は勿論、兄二人も殊の外可愛がっている。
ルシャールは小国だが、肥沃な大地と豊富な水源に恵まれており、安定した生産力を誇る。戦の多い我が国にとって、重要な交易相手と言える。
先王の頃ならば植民地支配だとか属国にするだとかしたのだろうが、ノシュテットは既に充分過ぎる程の大国であり、これ以上は持て余す。現に戦の殆どが、先王が手を広げた末の負の遺産と言っても過言ではない。
なんと言ってもルシャールの魅力は『安定した生産力』……かの国の安寧は我が国にとっても望むところ。ぞんざいに扱うつもりはないし、私と王女の婚姻契約の中には国の庇護も含まれている。
元々、王女との婚約・婚姻は政略的なモノ。
ただ第一王女ガーネットから第二王女サファイアへ、となったのは経緯も含め我が国にとっては当初より都合がいい。次代のことを鑑みても、姉よりも兄達から愛される、歳の離れた末妹の方が人質としての価値が高いのだから。
ガーネットと不貞相手に対する処遇が甘いのなど、そう大したことじゃない。むしろ労せず恩を売れて有難かったくらい。
「サフィ……そもそも『白い結婚』は婚姻契約の解除を前提として行うモノではない。 少なくとも我々の場合は『サフィが成人するまで手を出さない、という契約の結婚』のことだ」
「ええ!?」
サフィは驚きで、丸い目を更に丸くした。
可愛い。
政略結婚だからこそ、相手のことはそれなりに大事にはするつもりでいた。
愛する愛せない、と大事にするしないは別のこと。好きでなくとも信用できる有能な部下ならば、重用し能力に見合った仕事をしてもらい、相応の報酬を渡す。それとなんら変わりはしない。
だが勿論、関係性が良いに越したことはない。
なにが気に入ったか、サフィからは最初から割と好かれていた。
素直に好意を向けられて悪い気はしない。そしてやはり王女、無垢だがその辺の子供とは違い躾ができていて分別もついていた。滞在中は『邪魔にならないか』と遠慮がちに様子を窺いながら、構ってほしいところを見せる様が愛らしい。
元々姉との婚姻を半年後に控えていた身だ。
このまま連れて帰っても王家は文句を言えなかっただろうが、敢えて四年の婚約期間を新たに設けることにした。
「サフィ、四年前にも言ったろう? 私の妻は君だけで、愛し慈しむのも君だけだ」
「マルクス様……でもマルクス様は、お姉様を愛してらしたのではなくて?」
「ガーネット王女を? まさか」
「お姉様は美しかったもの」
「……」
サフィがガーネットの存在を気にしていたとは意外だ。今までそんな素振りはなかったのに。
(これも誰かになにかを吹き込まれたのなら、少し問題だな……)
ガーネットは王女らしくない女だった。
所作と見た目は美しかったが、矜恃だとか知性だとかを彼女から感じたことはない。お国柄の違いもあるだろうが、私にはあれが計算なのか自然なのかもよくわからなかった。
わかるのは、『控え目』という評判通りでありながら、実はかなり『我儘』だったのだろうな、ということくらい。
全てにおいて言葉少なで、穏やかに見える微笑みを浮かべながらこちらに『察して』と要求する、そんな女。それを思慮深いと感じたり、単純にそういう女が好きな者はいるので悪いとは別に思わないけれど、実のところ私は『面倒臭ぇな』と思っていた。
良からぬ輩と通じぬよう、こちらの手の見目の良い者を傍に侍らせておくべきか、と真面目に考えていた程。
正直、アレを娶らずにすんでホッとしていた。
見た目が美しいだけの女ならいくらでもいる。ルシャールの王女であること以外に、アレの価値などない。
「彼女は美しかったが、サフィの方が美しくなる。 でもまだ今の可愛いままでいて欲しいから、ゆっくり育ってくれないか?」
「そ、そんなお言葉では、誤魔化されませんから! 抱きたくないってことではないですか!」
まあサフィもサフィで面倒臭いようだけれど、質は大きく違う。感情はひとつじゃないが、彼女の場合私に対する思慕がメインだ。それがわかるから、嫉妬も背伸びも可愛らしい。
「それは違うよ。 大人になったサフィを抱くのは楽しみだが、今のサフィと健全に愛情を育むのも楽しいと思っているだけだよ。 なにしろ私の10代は戦とそれに備える日々で、健康的な恋愛なんてしている暇がなかったからね」
本音ではないが、それも嘘ではない。
まあ有り体に語るなら、不健康な恋愛なら多少はしたかもしれないし、今のサフィを邪な目で見たくはないといったところだが。
サフィは不本意かもしれないが、彼女に湧いた情は恋愛よりも強く私をこのお姫様に執着させ、大事にしなければという気持ちにさせている。
ルシャール滞在中の交流だけでなく、帰国後戦へと出向いた私の荒んだ心を癒してくれたのは、頻繁に来る彼女からの手紙だった。
他愛ない日常のこと、季節の移り変わり、そして私の身体を気遣う言葉。
少しずつ成長し美しくなっていく、拙い文と文字。
それは罠に嵌り苦渋を飲まされた時も、逆に卑怯な手を使い怨嗟の言葉を聞きながら人を殺めた時も、大事な仲間を亡くした時も、私に未来への希望を与えてくれた。
まだ幼い婚約者、サファイア姫。
それだけに当初は誰かに下げ渡すこと考えていた。勿論ガーネットとは違い、『いい相手がいたら』という前提だが。
しかし婚約期間の四年の間に、誰かに渡すなんてもう考えられなくなっていた。
再会した四年前。
泣いたサフィの涙が喜びと安堵からだと知ったあの時。柄にもなく私は『もし仮に政略に意味など成さなくなっても、一生大事にする』となどと神に誓ってしまった程、彼女を愛している。
それがどんな類の感情であるかなど、私にとっては然したる問題ではないのだが……
(まあ、サフィはそうじゃないのだろうな)
小さくても女性ということだ。
その気持ちは尊重しなければならない。
「焦らなくていいんだよ」と頭を撫でるも、サフィは納得していない様子で恨みがましい瞳で私を睨め付ける。
「……だって、マルクス様はおモテになるでしょう?」
「誰がそんなことを?」
「誰が見たってわかりますわ! デビュタントの夜は、会場中の女性の視線を独り占めでしたもの……!」
夜会やパーティーの類は極力避けてきたけれど、当然ながらデビュタントは避けられなかった。もうこれからは城に閉じ込めてばかりもいられないことを考えると、憂鬱でならない──それはさておき。
(サフィの私への評価が高過ぎる……)
考えたら最初から『絵本の王子様』扱いだったし、『優しく寛大』だの『逞しく聡明』だのととにかく物凄く私を褒めてくれる。
かつて貰った手紙からは、日々の彼女が窺い知れたがそこには『マルクス様に相応しくなる為に』とか『隣に立つのに恥ずかしくないように』だとかが必ず書かれていた。
そりゃあノシュテットがそこそこ大国なだけに、私も代々聡明な美姫を娶って生まれ継がれた子のひとりだが……今5人いる子の中で、『一番地味な殿下』と言われているのが私だ。
モテないとまでは言わないが、『会場中の女性の視線を独り占め』とかは有り得ない。
「……それはね、サフィ。 君の美しさへの羨望の眼差しだよ」
サフィが感じた視線が間違いでないなら、実際そうだと思う。美しい環境のルシャールで愛されて育ったサフィはとても美しい。
便利がいいとは言えないが、守りの堅い古城を手に入れて改装したのも、余計な虫を寄り付かせない為だ。
「私は君が思う程モテなければ、優しくも寛大でもない。 そう見えるならね、サフィ。 私が君の目にそう映りたいからなんだよ」
「マルクス様……」
「私は君が成長していく日々も大切にしたい。 だから焦らないで。 不安なら何度だってあの時の言葉を言うから」
「……一緒に寝るのはダメ?」
「それはダメだよ」
「なにもしないわ」
「サフィは子供じゃないからね」
「!」
そう言うと、彼女は嬉しそうに目を輝かせる。
「ああ、勿論他の男ともダメだし、『練習』だの『慣らす』だの言って身体に触れてこようとする男に近付いてはダメだぞ」
「ふふ。 マルクス様だけですわ!」
(やれやれ)
お姫様のご機嫌は直ったようだ。
泣いたせいで疲れたのか、サフィはうつらうつらと船を漕ぎ出した。そのまま横抱きにして、彼女の部屋のベッドまで運ぶ。
もう出会った頃のように、幼児特有のミルクのような香りはしないが、まだ欲望よりも穏やかな情が先に立つことに安堵する。
いずれはそうでなくなることを怖いと感じるのは、彼女の期待を裏切りたくないからだろう。
まだサフィと婚約した当時は私も16で、兵を率いるようになったばかり。ガーネットであれサフィであれ、娶ったルシャール王女を王宮へ預けて戦いに行くばかりの日々になることは目に見えていた。
遅かれ早かれ娶ったのがガーネットなら不貞を働いたのでは、と思う。それが娶る前でありルシャール国内であったのは運が良かった。
新たな婚約相手のサファイア王女に設けた四年の婚約期間は『サフィに情が湧いたから寂しい思いをさせたくない』という気持ちも確かにないではない。だが一番は、その方が彼女の身が安全に保て、しかも恩を売れるからだ。
ノシュテットでの足場を固める期間、と考えると四年は丁度良かった。
誰かがルシャールに目を付けることも考え、婚姻を早めることも想定して人を配置するのに、ガーネットの不貞相手の実家である伯爵家はそれなりに役に立っていた。
──サフィが思う程、私は別に優しくも寛大でもない。
『そう見えるならね、サフィ。 私が君の目にそう映りたいからなんだよ』
(詭弁だな……だが本心だ)
無垢な私のお姫様。
元々賢しい彼女だ。世界が広がれば、見えなかった諸々に気付いていく。
姉と違って王女としての自覚も矜恃もあるサフィが逃げることはないけれど、その時どんな瞳でこちらを見るのだろうか。
私はきっと、美しく成長を遂げた彼女を愛すのだろう。それは今とはまた違う、幸せなことに違いない。
だが──願わくば。
「……できるだけ、ゆっくり成長して」
残りの白い結婚期間の二年が、私と彼女の年齢差ぐらいの速度で進みますように。
まだあどけない寝顔のサフィの額に、そんな願いと愛を込めて唇を落とした。