26 奇襲
セーフティゾーンに入った途端、スティーブさんと思われる叫び声が聞こえてきた。
「ジャン! ああ、なんてことだ!」
俺と龍之介は顔を見合わせると、小さく頷き合って駆け出す。
「ジャン、飲め! おい、しっかりしろ、飲んでくれよ……!」
心臓がぎゅっとするような悲痛な声が、絶えず聞こえていた。ジャンさんに何かがあったんだ!
昨日見た血痕が、脳裏を過る。
ハッと気付いた。
「龍之介! まさかお前が見た二人組って!」
唇を噛み締めている龍之介が、泣きそうな顔で頷く。
逸る気持ちを抑えきれないまま、声のする方に全速力で向かった。――いた! 地面に力なく寝ているジャンさんと、そんなジャンさんを抱え上げて必死に呼びかけているスティーブさんの姿が視界に飛び込んでくる。
「スティーブさん!」
「どうしましたか!?」
二人がいる場所は、トイレの裏側、自販機がある場所だった。バタバタと駆け寄る。投げ出されたジャンさんの手足に力がこもっていないことに気付くと、言いようのない焦燥感が襲ってきた。
「ジャン! ジャン、頼むから飲んでくれ!」
俺たちに背中を向けて膝の上でジャンさんを抱き抱えているスティーブさんは、こちらを一切振り返らなかった。もしかして、俺たちが来たことも分かってないのかも。
「スティーブさん! ジャンさんの容態はっ!?」
声をかけても、返事はなかった。
回復薬を飲ませようとしているのか、繰り返しジャンさんに「飲んでくれ」と懇願している。
「ああ、また溢れて――ジャン! 畜生ッ!」
スティーブさんが毒づきながら顔を上げると、ポーチから小瓶に入った新しい回復薬を取り出し、口に含んだ。よく見ると、スティーブさんの足元には空の小瓶がいくつも転がっている。……え、そんな量を飲まないといけないほどの怪我なの?
ぐったりしているジャンさんに、スティーブさんは躊躇なく唇を合わせた。
一瞬「えっ!?」と驚いたけど、すぐにこれが口移しだと気付く。ジャンさんは、自力で飲めないほどの怪我を負っているか、気絶しているかのどちらかなんだ。
コク、コク、という嚥下の音が、微かに周囲に響く。
間近で人がキスをしているところなんて、見たことがなかった。どこに目線をやったらいいか分かりかねて、結局重なっている二人の口元を凝視する。ふと横を見ると、俺の隣で龍之介も顔を真っ赤にして二人の様子を見ていた。
スティーブさんはゆっくり顔を離すと、ジャンさんの頬を愛おしそうな手つきで撫で始める。
「ジャン、ジャン……目を開けてくれ、頼むジャン……!」
スティーブさんが起き上がったことで、スティーブさんの影に隠れていたジャンさんの胴体が、少し見えた。赤いタンクトップを着ているのかと思ったら――違った。
「ひ……っ!」
鮮血に染まった白のタンクトップは、ジャンさんから出ていった血液の量を如実に表していた。クラリとふらつくと、龍之介が「亘っ!」と俺を抱き止めてくれた。
「わ、わりい」
「平気。寄りかかっていいから」
「うん……」
今回ばかりは、意地なんて張っている余裕はなかった。今すぐ安心できる何かに縋りつきたい。そして目の前にいる龍之介は、俺が心から気を許している相手だ。
龍ノ介の背中に腕を回し、力を込める。龍之介は一瞬ぴくりと反応したけど、すぐに腕で俺を包み込んでくれた。緊張と恐怖で冷えた肌に、龍之介の体温が染みていく。
「大丈夫、きっとジャンさんは大丈夫だから」
耳元で安心させるように囁く龍之介の優しさに、泣きたくなった。龍之介だって絶対怖い筈なのに、いつだって俺のことを優先して考えてくれている。
どうしたらこんなに優しくなれるんだよ。俺も龍之介みたいに、龍之介が心底安心できる場所になりたいよ――。
視界を滲ませながら、強く思った。
◇
ジャンさんは、暫くして目を覚ました。
自分を横抱きにして涙を流し続けているスティーブさんをぎょっとした顔で見た後、後ろで俺たちが不安そうな顔をして立っているのを見て、「……ああ、私は助かったのか」と掠れ声で呟く。
スティーブさんが、噛みつかんばかりの勢いで矢継ぎ早にジャンさんに尋ねた。
「ジャン……! どこも痛みはないか!? 一体何が起きたんだ! 何もかもが分からないんだ、どうしてお前が怪我を負う!?」
「スティーブ……落ち着け、お前の声が頭に響く」
ジャンさんの眉が、不快げに歪む。
「なあ、痛みはないのか!? もう大丈夫なのか!?」
涙を拭いもせず問い続けるスティーブさんを見て、ジャンさんが苦笑を浮かべた。
「スティーブ、落ち着け。私は平気だ。腹を刺された筈なんだが、痛みも違和感もない」
「あ……よかった……っ」
強張っていたスティーブさんの身体が、弛緩していく。
ジャンさんが、スティーブさんの頬を流れる涙に指を伸ばした。そっと拭ってみても、次々に流れてくるもんだからあっという間にジャンさんの手は濡れてしまう。ふ、と小さく笑うと、一向に泣き止まないスティーブさんに話しかけた。
「スティーブ、お前が助けてくれたんだろう? 助かった、感謝する」
「……ジャン!」
「うわっ」
スティーブさんはガバッとジャンさんを抱き寄せると、肩に顔を埋めて大声でうわんうわん泣き始めてしまった。
ジャンさんはスティーブさんの様子に驚いた様子だったけど、嬉しそうに微笑むとスティーブさんの背中に手を回す。
「……心配かけて、済まなかったな」
「えぐ……っ! も、こわ、かった、んだからな……!」
「悪かった。もっと大声を出せばよかったんだが、咄嗟のことで出なかった。見つけてくれてありがとう。命拾いしたよ」
「ジャン、ジャン……!」
スティーブさんの慟哭は暫く収まることはなく、ジャンさんもそんなスティーブさんを無理には引き離さなかった。
スティーブさんの嗚咽が収まってくるまで、二人は固く抱き合ったままだった。
◇
落ち着いたところで、ジャンさんが事の経緯を説明してくれることになった。
先にセーフティゾーンに到着していたジャンさんたちはドーム内に他に人がいないかを確認した後、トイレに寄ってから自販機の前に集合することにした。
それまで、人の気配は全く感じていなかった。だけど女子トイレに入った瞬間、小柄な女性がジャンさんに襲いかかってきたらしい。派手な柄のシャツを着ていて、髪の色は茶金。ちょっとキツイ顔立ちの、十代半ばから後半くらいに見えたそうだ。
「手にサバイバルナイフを持っているのが見えたので咄嗟にナイフを蹴飛ばしたら、慌てていたよ」
「ジャンは体力作りにキックボクシングを習っているからな」
何故か自慢げに顔を仰け反らせるスティーブさん。
「すげ、格好いい! それでそれで!?」
「それで――狭い空間だと動きづらいだろう。だから急いでトイレの外に飛び出したんだが、そこに別の男が待ち受けていてな。捕まりそうになって急いで方向転換したんだ」
その男は、きっとナイフで襲ってきた女性のペアの人だろう。背が高くガッチリとした体格で、二十代後半から三十代前半に見えたそうだ。きっちりとスーツを着こなしている姿は、妙な迫力があったという。
「あ、それでトイレの裏側の自販機の方にいたのか」
「ああ。それでな、ナイフを持ち直してトイレから出てきた女が男のことを「ドメニコ」、男は女のことを「マリオ」と呼んでいた。――イタリア人だろう」
「イタリア……!」
ジャンさんが、重々しく頷いた。
「男の方も、堅気には思えない雰囲気だった。これは私の勝手な憶測だが、彼らはイタリアンマフィアじゃないかと思う」
「マフィア……マジでか」
「主従でいえば、女の方が偉そうな態度を取っていて、男は女を気遣うような口調だったよ」
イタリアンマフィアって、本場のマフィアじゃないか。遭遇したのが俺だったら、一発退場になっていた気しかしない。背中が心許なくなって、ぶるりと震えた。
「『フロア転移陣を持ってるか』と聞かれたので、『お前に渡すものはない』と答えたら激昂してな。ナイフを振り翳して襲ってきた女に、男が『むやみに殺しては駄目です!』と止めたんだが、女が暴れてナイフが私に刺さってしまった」
「ひ……っ」
「男が『カッとなるなとドンから言い渡されているでしょう!』と女の手を捻ったところで私が蹴りを入れると、男が女を腕に抱えて逃走していったんだ。で、スティーブを呼ばないとと思っている内に意識が薄れて……このざまだ」
スティーブさんが、恨みがましい目でジャンさんを見る。
「俺の方には、音が殆ど届いてなかったんだ。気が付いたのは、トイレから出た時だ。ジャンが血を流して倒れているのを見て、心臓が止まるかと思ったよ」
スティーブさんは肩を竦めると、力なく笑った。
次話は明日の朝投稿します。
しかし終わらない……!目指せ今月末完結してますが、終わらなくても完結しますので……




