23 血痕
地下二階をマンハッタンペアと隅々まで探索したけど、残念ながらモンスターの大群に遭遇することはなく、結果としてフロア転移陣の入手もできなかった。
最後に立ち寄ったセーフティゾーンで歩き疲れた足を投げ出しながら、スティーブさんが結論を出す。
「あー疲れた……もう歩きたくない……これはもう、他のペアに取られたと見ていいと思うよ……」
「その方がよさそうですね」
スティーブさんと俺がへたばっている中、龍之介だけはまだまだ元気そうだった。さすがは元男バスキャプテン。俺たちとは体力が違う。
「疲れたけど、このままここにいても仕方ないし……ジャンが戻ってきたら出発しようか」
「そうですね、そうしましょう」
「じゃあ俺も最後にトイレに行ってくるよ。ジャンさんにもそろそろ出発するからって伝えてくる」
「おう、よろしく頼む」
まだ重い身体を起こして、トイレに向かった。ジャンさんも大分疲れた様子だったけど、「私は日頃運動をしているから」と言うだけあって、俺やスティーブさんよりは全然元気だった。龍之介と回復薬を買ってきては届けてくれて、自分も飲み干した後に「念の為行っておく」と先にトイレに立ったのだ。
俺? 俺は回復薬が効いてくるのを待っていた。MP回復薬といい、効きが遅いんだよ。もっと一瞬で元気になればいいのに。
トイレに到着する。入口から入ってすぐのところに、ジャンさんが立っているのが見えた。
「ジャンさん? そろそろ出発しようってスティーブさんが――」
「ワ、ワタル……ッ」
俺を振り返ったジャンさんの顔色は、蒼白になっていた。
「ジャンさん!? どうしたの!」
慌てて駆け寄ると、ジャンさんが俺の肩に手を伸ばして掴んでくる。痛いくらいの強さで掴んでくる手のひらは、驚くほど冷たかった。
「あ、あそこ……っ」
「え? なに――ひっ」
ジャンさんが指を差したのは、着替えができる広いスペースだった。人が立てる台と真っ白い壁。
――そこに付着していたのは、大量の血痕だったのだ。
「な、なにこれ……っ」
ゾッとして、ジャンさんの腕を掴む。ジャンさんは俺の肩を抱き寄せると、安心させるように撫でてくれた。
「血の色が変化してきているところを見ると、何時間か前のものだと思う」
「お、俺たちがここから出て行った後から今までの間……ってこと?」
「そうだろうな」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、背中の高さにある大量の血の痕だ。それが力が抜けたように下に擦れていった後、床に血溜まりを作っている。
床には、血でできた大きめな靴跡。膝を突いたのか、地面を擦ったような痕も確認できた。
ジャンさんが、眉根を寄せる。
「靴跡は一方通行になっている。この出血量だったら、外に連れ出していたらこちら側に向かう足跡がついていただろう」
「え、ど、どういうこと?」
「つまり、ここで血まみれになった者と、恐らくは助けに来た者は、この場でリタイアを宣言したのだろうということだ」
「リタイア……」
ジャンさんが重々しく続けた。
「ワタルは、今朝出ていたランキングは確認したか?」
「へ? ランキングって?」
「……リューノスケは説明しなかったのか? あいつは分かっていたぞ?」
「え、そうなの? なんで教えてくれなかったんだろ?」
俺が下唇を突き出すと、ようやくジャンさんの顔に小さな笑みが浮かぶ。
「リューノスケは心配性だからな。多すぎる情報は時に混乱の元にもなるし、あえて言う必要は今はないと思ったのかもな」
「あー、なんか龍之介がやりそう、それ」
「だが、もう今は覚えておく必要が出てきたからな。今回チームAに参加しているのは、我々アメリカペア、ワタルたち日本ペア、それにイタリアペア、ブラジルペア、それと香港ペアだ。忘れるなよ」
「ん、分かった」
素直に頷いてみせた。まあその程度なら覚えられる。ていうかランキングってどこにあるんだろ?
「今羅列した最後の三ペアの内、どこかのペアが負傷してリタイアしたことになる。それは明日判明するだろうが」
俺の肩を掴むジャンさんの手の力が、強まった。
「……それと、彼らをリタイアするまで追い詰めたペアが、二ペアに絞られる」
「え? どういうこと? なに、どういうこと? 追い詰めたペアって」
ジャンさんが言っていることが分からなくて聞き返す。するとジャンさんは真剣な眼差しで、俺にも分かるように説明してくれた。
「ワタル。セーフティゾーンにはモンスターは入って来られない」
「うん? そうだな」
「つまり、誰かを傷つけられるのは、人の手以外ではあり得ないんだ」
「……あ」
ようやく俺にも理解が及んでくる。そうか、安全地帯の中で武器を手にしているのは、人間だけなんだ。
気付いた途端、背筋に悪寒が走った。
と同時に、問題点に気付く。
「――なあ! セーフティゾーンだと使い魔は撮影しないじゃないか!」
「ああ。だから犯人は誰か分からない。同じタイミングでセーフティゾーンに入ったペアである確率は高いから、いずれは視聴者のコメントから判明するとは思うが……」
顔色が青くなってきている自覚を持ちながら、ジャンさんを見上げた。
「え……それまでは、誰が犯人か分からないってこと……?」
ジャンさんがムスッとした表情で頷いた。
「そうだ。今後はセーフティゾーンも安全ではなくなる。襲ったペアと違う階に行くのが一番の回避方法だが、襲ったペアと無関係なペアのどちらがフロア転移陣を入手しているのかは不明だからな」
「そんな……!」
ひし、とジャンさんに抱きつく。
「とにかく、外の二人にもこのことを伝えなければ」
「ま、待って! 先にトイレに行っておきたいから、お願いだからドアの前で待ってて!」
潤んだ目で懇願すると。
「――ああ、勿論だワタル」
ジャンさんは俺の頬をペチペチと軽く叩くと、慈愛に満ちた笑みを浮かべたのだった。
◇
外に出てメンズ二人を呼び、実際にその目で血痕を見てもらった。
その時のスティーブさんと龍之介の表情といったら、倒れちゃうんじゃないかってくらい驚いて真っ青になっていた。だけどすぐさま立ち直ると、宣言する。
「女子トイレは危険だ……! 次からは俺たちがトイレの前でガードする!」
「ですね! 絶対に守り抜きましょう!」
「同志よ!」
「はい!」
固い握手を交わした二人を見て、俺とジャンさんは「音が外まで聞こえないといいね……」と頷き合った。
すでに隅々まで探索済だった為、地下三階に続く階段までは早かった。
「明日は諸々確認した上で、待ち合わせ場所を考えましょう」
「そうだな、最早セーフティゾーンは安全ではない。速やかに合流できる方向で行動しよう」
ジャンさんと龍之介が結論を出したところで、手を振りその日は別れる。
階段を下りる最中で光に包まれると、次の瞬間俺たち専用の休憩所に戻ってきた。
昨日と一緒なら、ここでキューが飛びついてくる筈だ。なのに今日はどうしたことか、キューが元気なくフラフラと飛んで、ベッドにぽすんと寝転んでしまったじゃないか。
「キュー? どうした、疲れたか?」
「キュー……」
違うよ、とでも言うようにふるふる横に震えたキュー。だけどその大きな眼球には、大粒の涙が溜まっている。
「えっ!? キュー、泣いてるの!? ど、どうした!? 寂しかったか!? よしよし、こっちおいで!」
「あ、また抱っこしてる」
恨みがましい龍之介の台詞には、怒鳴り返してやった。
「いいんだよ! キューが元気がないんだ! 心配だろ!」
「キュウ……」
「おーよしよし。そんな泣くなよ、ほら、いい子いい子」
膝の上に乗せて腕に抱いたまま頭を撫でてやっても、キューはなかなか泣き止まず。
やがて泣きつかれたのか静かな寝息を立てるまで、キューはずっと落ち込んだままだった。
次話は明日の朝投稿します。




