22 ジャンさんの悩み
結局、マンハッタンペアの二人とは、中心にあったセーフティゾーンで再会した。
そういえば、地下一階のセーフティゾーンも地図の中心部にあった。もしかしたら、全フロアそうだったりして? だったら明日からの待ち合わせが楽になるんだけどな。
「いやー、昨日はごめんな? 考えをうまく言葉にできなくて考え込んでたんだけど、後でジャンに感じが悪かったと言われて反省したよ!」
昨日の別れ際、不機嫌な様子を隠しもしていなかったスティーブさんは、今日は打って変わってご機嫌だった。
「えっ、そうだったんですか。すみません、てっきり何か気分を害されることでもあったのかと勘違いしていて」
「あは、リューノスケはいい子だね。心配させてごめんな?」
「いえ、そんな」
男性二人がにこやかに会話を続ける中、ジャンさんは終始無言だった。今度はこっちか。だけど昨日のむっつり寡黙だったスティーブさんとは違って、明らかに挙動不審げにソワソワしている。そして目の下が少しくすんでいるような。
あれ、もしかして寝不足? そして先ほどからチラチラと俺の方ばかりを見ている。
俺はピンときた。
「ジャンさん、ソワソワしちゃって、もしかしてトイレだろ!」
「えっ? あ、ああ、そうなんだ。どうも女子トイレにひとりで行くのは抵抗があって」
ジャンさんが、ホッとした様子で肩の力を抜く。
「俺もその気持ち、すっげー分かるよ……なんかさ、いけないことしてる気分になるよね」
「そうだね……未だに気持ちが追いつかないよ」
「同じく」
目を合わせて、どちらからともなく微笑み合った。ジャンさんは、きっと俺に何か話したいことがあるに違いない。それは願ったり叶ったりだった。実は俺もこっそり聞きたいことがあったんだよね。
「ジャンさん、じゃあ一緒に行こうよ」
「はは、そうだな。――二人とも、少し離れるけど心配しなくていいから」
昨日なかなか戻ってこなかった俺たちを心配したメンズ二人は、わざわざトイレの前までやってきて声を張り上げていた。こうでも言っておかないと、女子トークをしている最中にまた来かねない。
「分かった、いってらっしゃい」
「何かあったらすぐに呼んで!」
にこやかに手を上げるスティーブさんとやっぱりおかんで心配性な龍之介の二人に見送られながら、女子トイレに向かった。
ジャンさんに近付いて、小声で尋ねる。
「なあジャンさん。ちょっと聞きたかったんだけど」
「うん? どうした」
真夏の空のような青い瞳が、優しい弧を描いた。黒い短髪は今日もオールバックにされていて、安定の格好よさだ。
「股ってさ、どの程度まで洗うもんなんだろう……知ってる? 中まで洗ったら内臓だし? と思って表面だけに留めてるんだけどさ」
途端に無の表情に変わったジャンさん。
「……済まない、私も正解は分からない。とりあえず、怖いので表面だけに留めているが」
それでも真摯に答えてくれるあたりに、誠実な人柄が現れている。
「あ、やっぱりそう? ならよかった! いやさー、さすがに龍之介には聞けないじゃん?」
「そうだな……」
ジャンさんの目が、死んだ魚の目みたいになってしまった。あれ? もしかしてこういったデリケートな話ってしちゃ駄目な感じだった?
「あ、なんかごめんね? 下ネタなつもりじゃなかったんだけど、ちょっと不安で」
「いや、気にしないでくれ……」
トイレに到着したので、奥に進んでいく。個室トイレはふたつだけだけど、中はそこそこ広い。着替えができるスペースなんてのもあるから、着替えが必要になった時はトイレに駆け込めってことか、と頭の中にメモを取った。
ジャンさんは個室の中には進まず、洗面台に両手をついて正面の鏡をじっと見つめている。明るい照明の下で見ると、目の下のクマがかなりくっきり見えた。
「……ジャンさん? 本当にどうしたの? なんか様子が変だよ。寝不足っぽいけど」
「ワタル……あの、だな」
ボソボソ、とジャンさんが喋る。ん? こころなしか顔が赤いような。
「うん? どうしたの、聞くよ!」
「昨日のノルマは、そちらはどうだった……?」
「へ? ああ、手を繋いで寝るってやつね!」
俺たちが取った方法をざっと説明すると、ジャンさんが「そうか、そうすればよかったのか……!」と何やら目から鱗っぽい感想を述べる。
「それにしても、ひと晩手を繋ぎながら寝るなど、こう……落ち着かなくなかったか?」
「え? いや、別に? 俺と龍之介は子供の時から一緒だし、今更手を繋ぐ程度なにも感じないかな!」
「そうか、幼馴染みだものな……そうか、そうか」
ジャンさんは、何かをひとりで納得しているように頷いた。
「ちなみにさ、ジャンさんたちはどうやったの?」
俺の質問に、ジャンさんがグッと顎を引っ込める。目が泳ぎまくっているんだけど大丈夫かな。
迷っていた風のジャンさんが、ぽそりと話し始めた。
「その……ただ繋ぐだけでは解けるだろうからと、私が横向きに寝転がった後ろからスティーブが抱きつき、脇の下から腕を通して私の手を握っていた、んだが……」
「あ、バックハグってやつ? 少し後のノルマにあったよね」
「そ、そうだ。それをスティーブが提案してきたんだが、その……」
「その? あのさ、遠慮しないで言っていいよ! 俺、こう見えても結構口は固い方だからさ!」
「し、信じるぞ……!」
困ったような、泣きそうな顔になっていたジャンさんが、くるりと振り返り――言った。
「スティーブの奴はすぐに寝てしまったんだが、その……腰のモノが終始当たっていて、なんなら何度か擦り付けられて」
「……お、おう」
吹き出しそうになった。スティーブさん、なにやっちゃってんの!?
「寝ぼけていたんだろうが、服の中に繋いでない方の手が入り込んできて、ひ、ひと晩中胸を弄られて、その、手は離せないし、スティーブは気持ちよさそうに寝ているし、で寝られなくて……っ」
「……それ本当にスティーブさん寝てた?」
「声をかけても返事はなかった!」
それってただ単に寝たふりしていただけじゃね? と思ってしまった。
「ノルマ達成の証拠写真が閲覧可能になっていたので見てみたんだが、服の中から胸を掴んでいるところが写っているのにスティーブは何も触れないので、どうしたらいいものかと……!」
「あーうん、ああ……」
それ確信犯だよ、ジャンさん。というか写真の閲覧なんてできたんだ。知らなかった……あとでこっそり見てみよ。
そもそも、スティーブさんはジャンさんが大好きで、もっと自分に懐いてほしいようなことを普通に語っていた。更に、ジャンさんの泣いた跡を見た時の激しい感情。それに昨日の最後は、考え込んでいたって言ってたけど、あれってジャンさんに対する建前だったりして。ほら、ジャンさんって言葉をそのまま信じちゃうようなクソ真面目なところがあるからさ。
スティーブさんが黙る前にしていたのは、スティーブさんが会社の上司の紹介で資産家の女性と結婚を前提としたお付き合いを始めるという話だ。バディを組んでいるジャンさんに話していなかったのは、「言う必要がない」からだと普通なら考えると思う。要は、仕事とプライベートは別ってやつね。
だけど、それだとスティーブさんのジャンさんに対する好意と辻褄が合わなくなるんだ。
で、今の話と総合して、俺は気付いてしまったかもしれない。スティーブさんは、実はジャンさんのことが恋愛的な意味合いで好きだったりして? と。
つまり、スティーブさんが昨日怒ったように見えたのは、もしかしたら上司に紹介されてうまく断れないでいたところにジャンさんに応援するようなことを言われて、腹を立てちゃったんじゃないか。そこからの、鈍感でピュアピュアなジャンさんを振り向かせる作戦に切り替えたと考えると、必要以上に触りまくったことにも説明がつく。
「ス、スティーブにそのことを抗議するのもどうかと思うし……っ」
顔が真っ赤になってるジャンさんって可愛いよね。振り向かせる過程でからかって照れたり困ったりする顔を見たいって願望は、俺もなんか分かるかもしれない。
俺の場合はこれまで「ちょっと気になる」程度の淡い恋しかしたことがなかったし、みんな俺が近付くと隣の龍之介に惚れちゃって、龍之介に告って振られるがパターン化してたから、詳しくは分からないけど。
「ど、どうしたらいいと思う……!?」
正直言って、恋愛もろくに分かっていない俺が言えることは少ない。だけど、スティーブさんの想いがもし俺の予想通りだとしたら、少し応援してあげたいかもって思った。
だから。
「それはね、本人にちゃんと言って、本意を確認した方がいいよ。だってバディなら言いたいことは言えないとじゃん?」
「……! バディなら……!」
俺の言葉をどう受け取ったかまでは分からない。だけどジャンさんは暫く考え込んだ後、「……ありがとう、ワタル」と微笑んだのだった。
次話は夜に投稿します。




