18 スティーブさんとジャンさん
フロア転移陣。
アホドラゴンに口頭で説明を受けてはいたものの、これまでアイテム欄に表示はあってもグレーになっていて、中身を確認できなかったものだ。
今回入手したことで、文字が黒くなり選択可能となった。龍之介とジャンさんが、画面タップして詳細を表示していく。
内容を読んだ二人の顔が、同時に歪められた。
「これは……っ」
「なかなか厄介ですね……」
書かれていたのは、アイテムの定義だった。
『フロア転移陣:各階にひとつだけ存在するレアアイテム。ペアに割り振られた休憩所からダンジョンに出る際、所持するペアは進む階を選択することができます。他のペアへの譲渡可能。使用すると消滅します。入手、保持、使用は開示されません。尚、視聴者はフロア転移陣の入手や使用状況を他のペアに伝えられません。コメントは自動的に削除されます』
俺も龍之介のスマホから確認したけど、何が厄介なのかがさっぱり分からない。辛うじて、視聴者が情報を他の配信者に漏らせないことだけは理解できた。
横目でスティーブさんを見る。納得した表情で二人の言葉に頷いているので、もしかしてこの場で理解してないのって俺だけ? くっ、自分のアホな脳みそが恨めしい……!
「……成程。入手しても使わず持っておくことができるんだな。状態が開示されないのは、この為だろう」
ジャンさんが、ふむ、と顎に手を当てながら呟く。
「え? どういうこと?」
もう全然言ってることが分からない。素直に尋ねると、龍之介が代わりに教えてくれた。
「こっそり持っておかないと、配信者同士の奪い合いになるかもしれないだろ。だから自分が持っていてもバレない代わりに、誰がどの階で入手したかも分からない、つまりない物を一日探し回る可能性もあるってことだよ」
「成程……?」
「ただ闇雲に使わないで、頭を使えってことだな!」
スティーブさんの言葉に、俺はがっくりと項垂れる。
「頭使うって、俺が一番苦手なやつじゃん……っ」
「亘には僕がついてるから、落ち込まないで? ね?」
頭をよしよしされても、気分は晴れない。一切否定されないところが、また腹が立った。
――これじゃ、完全に俺が足を引っ張るのは確定じゃないか。女体化然り、運動神経然り、頭脳然り。何ひとつ助けになっていない。自分のダメダメっぷりが、さすがに嫌になった。
「結局どうするのがベストなんだろうな?」
肩を竦めながら、スティーブさんが疑問を口にする。眉根を寄せたジャンさんが、俺たちを見回した。
「――現時点でベストな選択は、ひとつしかないだろう? スティーブが分かっていない筈がない」
ジャンさんが、半ば睨むような目つきでスティーブさんを見る。
スティーブさんはそんなジャンさんに様になるウインクを返すと、「さすが俺のバディだ」と答えたのだった。
◇
現時点でのベストな選択。
それは、すぐにフロア転移陣は使用せず、明日地下二階で新たなフロア転移陣を入手した上で、三日目にマンハッタンペアと俺たちが同時に地下四階に転移する――というものだった。
ペアだけで戦うよりも四人総当たりで挑んだ方が効率がいいのは、先ほどのバトルで証明されている。
そして地下四階、地下五階で他の配信者とエンカウントすることなくフロア転移陣を入手。地下六階を飛ばし、地下七階へ進むという作戦だった。
「この方法なら、三階と六階のフロア転移陣を見つけられたとしても、追いつかれない。うまく見つけてこれを繰り返していけば、追いつけないくらい引き離すことができるだろうな」
俺は尊敬の眼差しでジャンさんを見た。
「ジャンさん、頭いい……!」
ジャンさんが、口元を恥ずかしそうに隠す。
「……取捨選択して残っただけの話だ。それにスティーブは最初から考えていたことだ。私など、まだまだスティーブの足元にも及ばない」
どこか照れくさそうに答えるジャンさんが、なんだか可愛い。大人な色気を持つ美女だけに、素直に喜ばない姿が萌えるというか。
そんなジャンさんを見守るように見ているスティーブさんは、嬉しそうに頬を緩めていた。ペアがベタ褒められて、ついニヤけちゃったのかもしれない。
方針が決まった俺たちは、互いの連絡先をスマホで交換し合い、後はひたすら地下二階に続く階段を探した。
もうスライムの集団が降ってくることはなく、地道に倒しつつの道中だ。はじめとは違って、会話する余裕も生まれてきていた。
龍之介は、頑なにあの破廉恥なノルマについて触れようとしない。なので、俺が日本を代表して尋ねてみることにした。
「なあ二人とも。あのノルマのことなんだけどさ」
「ああ……あの訳の分からない内容のものか」
ジャンさんがうんざりした表情に変わる。
「そう、あれ。ドラゴンの奴さ、一体どういうつもりなのかな? 二人は何か分かった?」
これには、スティーブさんが肩を竦めながら答えてくれた。
「いんや、さっぱり。一番最初の時に成分がどうのと言っていたのも、それが今後どう絡んでくるのかもさっぱりだ。だけどノルマの内容を見るに、とりあえずペア同士をイチャイチャさせたいんだろうとは思ってるよ」
ふむ、とジャンさんが身体の前で腕を組んだ。そうすると、形のいい胸が強調されて格好いいなーとは思う。でも、見られてラッキーとかは思えないんだ。……まさか俺、脳みそまで女になっちゃったのか? 嘘だろ勘弁してくれよ。
「ノルマを達成しないと強制リタイアだったか。と考えると、ペアに仲違いさせたい訳ではないんだろうが……目的が不明だな」
顔を火照らせている龍之介が、ここでようやく意見を述べる。
「とにかく、フロア転移陣を使わなければ、僕たちは最後まで……しかも視聴者にバレまくりなんて、僕は絶対御免です、そんなの。プライバシーの侵害だ」
「俺だって嫌だよ。それにさ、証拠写真は撮るとか言ってただろ? ふざけんなって感じだよな」
すると、龍之介がキッと俺に振り向いた。
「勿論だよ! 僕は亘を不特定多数の男たちのオカズには絶対させないっ!」
「おい、お前何言ってんだ」
ぺちんと龍之介の後頭部を叩いたけど、「僕は真面目に言ってるんだよ!」と怒られてしまった。……でもまあ考えてみたら、俺の女体ボディって結構スタイルいいし?
確か、ノルマの中には、裸で風呂とか布団に入るとかがあった筈だ。その証拠写真を全世界に見られたら……うん、十分オカズになっちゃうかも。うげー。
ジャンさんが真面目そうな表情で頷く。
「オカズにするかどうかはともかくとして、バディである私たちが不埒な関係になったら、スティーブ、お前が一番困るだろう?」
「え、ジャン?」
「せめて後半のノルマは避けられるよう、ここは協力しあってできるだけ優位に立つのが一番なのは間違いない」
ジャンさんの言葉に、スティーブさんがピクリと反応した。
「……どういう意味」
ジャンさんが、微笑みを向ける。
「お前は今度、ボスが紹介した女性と、結婚を前提とした交際を始めるそうじゃないか」
スティーブさんが、驚いたように目を見開いた。掠れ声で、問い返す。
「……は? え、ま、待って、どうしてお前がそれを」
動揺しているのか、目線が泳ぎまくっている。
「会社で取引のある資産家のお嬢さんなんだって? 交際期間中に先方の両親に認められたら、結婚まで確定なんだろう?」
「……!」
「実はね、ボスから私たちの仕事の状況を聞かれた際に聞いたんだ。先方が将来跡を継げるお婿さん候補を探していたから、スティーブを紹介したところいい雰囲気だとね」
「ジャン……」
スティーブさんの様子は明らかにおかしいのに、ジャンさんは気付いていないのか、穏やかに続ける。
「ハネムーンのタイミングとか、繁忙期に被らないようにしたいんだってさ。ボスも気が早いって笑っていたけどね。知っていて黙っていたことは、申し訳ない」
「待ってくれ、俺は……!」
明らかに焦り始めたスティーブさんの肩を、笑顔のジャンさんが軽く叩いた。
「スティーブ。いくら中身が私とはいえ、今の私は女性の身体だ。そんな奴とよからぬ関係になったと知られたら、お前が一番困るのは分かっているから」
そんなジャンさんの言葉にスティーブさんは、はくはくと声なく口だけを動かす。ジャンさんはそれをどう受け取ったのか、さらりと続けた。
「私はそういった相手はいないからダメージは少ないが、スティーブは違う。バディであるお前の未来がかかってるんだ、協力するのは当然だろう?」
「……」
「……スティーブ、どうした? 知られていたのがそんなにショックだったか?」
だけど、ジャンさんが何度も問いかけても、何も答えず。
結局スティーブさんは、地下二階への階段が見つかって一緒に下るその時まで、もうひと言も発することはなかった。
次話は夜に投稿します。