12 チュートリアルバトル開始
俺の強調された胸に照れまくる幼馴染みの様子に困り果てていると。
正面の穴の奥から、バイーン、バイーンという、重そうなゴムが跳ねるような何とも緊張感のない音が聞こえてくるじゃないか。目を凝らして見ていると、デカくて丸い物が跳ねながらこちらに近付いてきているのが分かった。
「龍之介……なにあれ」
「えっ!? あ、ええっ!?」
何とも言えない呑気な音をさせつつ俺たちの前にやってきたのは、沼色をした、俺くらいの高さまであるぷよんぷよんしたスライムだった。
……沼色の中身は半分濁っている。なんかさ、もっとこうさ、あるじゃん普通? 水色とかさ、青とかさ! まあ、あのアホドラゴンが作り出した生命体なんだとしたら、ある意味納得だけど。
それにしても。
「……でけえし怖えよ……チュートリアルレベルじゃなくね?」
思わず呟きが漏れた。龍之介は視線をスライムから逸らさないまま、顔を引きつらせて小さく頷く。
「あれを倒せたとしても、中の液体は絶対に被りたくないよ」
「激しく同意だな」
とりあえず、可愛い要素がゼロだった。ゲームとかで見かけるような愛らしい姿じゃないんだ。俺の理想のスライム像を返せよ。もうこれ夢に見るレベルだよ。
粘土をぶしゅっと潰して皺を寄せたような、人相の悪い目鼻口。そんでやっぱり目玉は目玉。リアルに血走っているのはキューと一緒だ。て、なんで全部そこだけ妙にリアルなんだよ。もっと可愛さを寄越せ。
睨み合いが暫し続いた。と、スマホがピコーンと音を立てる。機械的な女性の声が、スマホから聞こえてきた。
『チュートリアルバトルを開始します。対象はスライムLv1。鑑定機能は投げ銭10で行えます。投げ銭ポイントが足りていません。攻撃をしますか。剣を抜いて下さい。魔法は現在覚えていません。攻撃をしますか――』
「うっせ! エンドレスかよ!」
「攻撃の前に鑑定しないとじゃない!? でも、投げ銭!? どこで見るの!?」
二人して慌ててスマホを覗き込む。すると、画面にコメントが流れていた。
「あれ。これってもしや、視聴者のコメントってやつか!?」
どうやら、早速配信が始まっているらしい。キューの姿を探す。スライムと俺たちの丁度真横の宙に浮いていた。瞳孔が赤く光ってるので、あれが撮影中の合図なのかもしれない。
「そうかも……っ、悪い亘! 書いてある内容を読み上げて! 何かヒントがあるかもしれない!」
龍之介はスラリと背中から長剣を抜くと、正面に構えた。そっか、二人して画面に注目していたら、モンスターに襲われてジ・エンドもあるもんな。
「分かった! ええと……っ」
次々に流れていくコメントを、できる範囲で読み上げていく。
【名無し】え、いきなりバトル始まるの?
【名無し】あれで最弱だって。えげつなw
【通行人A】なあ、投げ銭ってどこでやるの?
【名無し】下に投げ銭てボタンあるよ
チャリーン! 【通行人A】が投げ銭を贈りました
【名無し】できた
【名無し】え、一回千円、キャリア支払いかカード払いってなにこれ
【名無し】は、ふざけんな
【名無し】俺現金主義だからできないや
ここまで読んで、俺は怒鳴った。
「はあっ!? この状況で金取るのかよ!? あのクソドラゴン、一体何考えてんだよ!」
「亘! 投げ銭はいくら溜まってる!?」
「えっ、ええと……! 1しかないよ!」
コメントを読んでいる間も、延々と機械的な女性の声が『攻撃をしますか。剣を抜いて下さい』と言い続けている。うっせえな。龍之介の方のスマホはというと、『戦いを選択しますか。切りかかって下さい。魔法は現在覚えていません』と繰り返している。こっちもこっちでしつこい。
「くそ……! 切りかかるしかないかっ」
決死の表情の龍之介が、剣を構えた。スライムはぶよぶよと上下に弾んでいる。時折白目がひっくり返るのが普通に気持ち悪い。
「ま、待てよ! 闇雲に切りかかってもどうなるか分かんないぞ!」
これじゃ、いつもと立場が逆だ。いつにない龍之介の自暴自棄にも思える言動に、俺は焦りを抑えることができなくなっていた。
「だけど鑑定はできないだろ! 俺は――亘を守りたいんだ!」
龍之介が叫んだ、次の瞬間。
チャリーン、と投げ銭の音がスマホから響いてきた。
【亘の母】が投げ銭を贈りました
「……え」
それを皮切りに、次々に投げ銭の音が連続する。
チャリーン、チャリーン、チャリーン
【亘の父】が投げ銭を贈りました
【龍ちゃんのパパ】が投げ銭を贈りました
【龍ちゃんのママ】が投げ銭を贈りました
「お前、家じゃ龍ちゃんなの!? それにパパママって呼んでるの!? 俺の前じゃ親父とか言ってたじゃん!」
「そこはあえて触れないでほしかった!」
龍之介が腹の底から叫んだ。あ、ごめん。
チャリーン
音がしたので、スマホに視線を戻す。
【男バス女マネ雪】が投げ銭を贈りました
【男バス女マネ雪】亘先輩、可愛い! スタイルいいじゃん!
【男バス元女マネさっちー】やっぱり谷口はこっちじゃん! くっそ、生粋女子より女子なんだけど!
チャリーン
【男バス元女マネさっちー】が投げ銭を贈りました
「あー! さっちーと雪ちゃんじゃん! おーい!」
俺の男バスマネ仲間だ。駄目駄目な俺の面倒を見てくれた、姉的存在でもある。同い年と年下だけど。
ぴょんぴょん跳ねながら、キューに向かって笑顔で手を振った。
【男バス元女マネさっちー】谷口がんばれー! 姉ちゃんは見守ってるぞ!
【男バス女マネ雪】亘先輩、乳揺れまくりじゃん! やば!
雪ちゃんのコメントの数秒後。
唐突に投げ銭の音が連続して鳴り始めた!
チャリチャリチャリチャリチャリチャリ…………!
【名無し】が投げ銭を贈りました
【名無し】が投げ銭を贈りました
【名無し】が投げ銭を贈りました
【男バス三年ひいくん】が投げ銭を贈りました
【名無し】が投げ銭を贈りました
・
・
・
「わ、な、ナニコレ!?」
ひとり三年レギュラーが混じってたけど、すぐに流れていってもう分からない。物凄い量の投げ銭の通知が鳴り止まない状態になっていた。
「龍之介! これなら【鑑定】が――」
「こらーっ! 亘の胸を見て喜ぶなー!」
龍之介は聞いちゃいなかった。こめかみに青筋を立てて怒鳴っている。
そんな龍之介は、キッと睨みながら俺の元に駆け寄ってきたかと思うと、キューから見えないように俺を龍ノ介の背に庇った。
そのままの勢いで、龍之介が叫ぶ。
「【鑑定】!」
叫び声に呼応して、龍之介のスマホが光を放った! 光はサーチライトのようにスライムを照らしていたけど、現れた時と同様に唐突にフッと消えてしまう。
『鑑定結果です。弱点は火魔法。正面から物理的に攻撃すると、腐った液体が前に噴射します。腐った液体は状態異常【食欲減退】効果が一日続きます。物理攻撃は後ろに回り込みましょう』
「――あっぶねえ! 突っ込まなくてよかったな龍之介!」
ていうかなんて内容だよ! あのアホドラゴン、やっぱりネジが一本どころじゃなく数本抜けてるぞ! 作ってるもんがヤバい!
「う、うん」
龍之介の顔色は、心なしか青いようだ。【鑑定】が間に合わなければ、正面から腐った液体を引っ被ってた訳だからな……分かる。分かるよ、龍之介。
「じゃあ、後ろに回り込んで切る!」
「俺も手伝うよ!」
すらりと双剣を抜いた。龍之介が持っているのよりも細くて短い分、小回りは利きそうだ。
龍之介と目を合わせて頷き合う。
「僕が正面に引きつけてから、一気に回り込む!」
「じゃあ俺は……頑張って回り込む!」
「うん、それでいいよ!」
自慢じゃないが、運動神経には自信がない。囮役に向いてないのは自分でもよく分かっていた。鈍足だし。
「行くぞ、龍之介!」
「おう!」
二人同時に、スライムに向かって駆け出した。
次話は夜に投稿します。