10 DAY1の始まり
緑色に光る小部屋の中に、ドラゴンの場違いなほどに明るい声が響き渡った。
『今日はバトルや宝箱の取り方のチュートリアルデーだよ! 腕のスマホが鳴ったらチュートリアルが始まるから確認してね! 準備ができたら、赤いボタンを押すとダンジョン探索スタートになるよ! じゃあみんなのハートの数が増えることを祈ってるね!』
腹が立つほど明るいな。イラッとしていると、ブツッと途切れた後、何も聞こえなくなった。相変わらずの唐突具合には、もうツッコむ気すら起きない。
ベッドの上に座り込んでいた俺と龍之介は、何とも言えない表情で顔を見合わせた。
「♡が増えることってどういう意味かな。検索したら出てくる?」
「ふ、深く考えなくてもいいんじゃないかな? ダンジョン踏破には関係ないと思うし」
龍之介が、ふい、と目を逸らす。胡乱げな目で龍之介を見た。
「関係ないってどうして言い切れるんだよ。お前もしかしてハートの意味がなにか分かってんのか?」
龍之介は「滅相もない」とばかりに首をぷるぷる横に振る。
……なーんか昨日から怪しいんだよな。頭もいい龍之介のことだから、俺じゃ気付かない小さなヒントから何か情報を得たんじゃないかって思うんだけど、なんせ石橋を叩いてそっと渡る派だから確証がないことは口にしないのがなあ。
慎重過ぎるのも、場合によっては困りものだ。融通が利かないっていうかさ。
だけどこうなってしまうと、龍之介が譲らないのは長年の付き合いでよく知っている。とりあえず直接ダンジョン踏破に必要な内容ではとりあえずないみたいだから、まあいっか。
基本深く気にしない俺はさっさと頭を切り替えると、腕に抱いていたキューをどピンクなベッドの上に置いた。
「とりあえず顔洗って着替えて飯食おうぜ」
「うん、そうしよう」
龍之介も立ち上がる。
二人とも、右腕にスマホバンドを装着した。ホーム画面中央には、『DAY1開始 ミッション:ダンジョン地下一階を踏破すること。チュートリアル編』と書いてある。
画面の上部分には、俺の名前とレベル、状態が小さな字で表記されていた。画面の下、枠外に記載されたポイント残数は、0になっている。
「龍之介の読みが当たったな。昨日はポイント欄は『∞』になってたもんな」
夜のどの時点でDAY1に切り替わるか分からなかった俺たちは、ポイントがなくなることを予想して、昨夜の内に朝用のおにぎりを無料交換しておいたんだ。俺だったら絶対思いつかない。さすがは龍之介だ。
「折角なら昨日のうちにバンバン交換しとけばよかったのかな?」
「でも、レベル1で交換できるのって、食べ物とアメニティグッズしかなかったじゃん」
「ゲームあるあるだよなー」
ダンジョン内で飲水を入手できるかも分からないので、ペットボトルの水も箱で交換済だ。これも勿論、龍之介のアイデアだった。
ドラゴンがポイントは翌日に持ち越せないようなことを言ってたから、「だったら品物に変えておいたらいいんじゃないか」と思ったらしい。俺ひとりだったら、マジで初日で餓死してたかも。
ちなみにダンジョン探索用に携帯食もほしかったけど、残念ながらおにぎりやサンドイッチといった日持ちしないものしかなかった。とりあえず、おにぎりをそれぞれふたつ昼用に取っておいてある。
「そういや、配信ってもう開始してるのかな?」
元が女じゃないから恥じらいは少なめではあるけど、着替えている場面を配信されるのはさすがに御免だ。
キューはぱちくりと時折瞬きをしながらこっちをじっと見ているだけで、何を考えているかまでは分からない。
と、スマホを睨むような険しい目つきで見ていた龍之介が、「あ、目のマークに斜め線が入ってるよ。マイクのマークにも斜め線が入ってるからそういう意味かも」と言い出す。と、キューが「その通り!」とでも言わんばかりに、ベッドの上で元気よく「キュッキュッ!」と跳ねた。
若干龍之介からは距離を置いているけど、あまり警戒心が強くないのか、さっきの怯えはもう見えない。
「キューもそうだって言ってるからそうなんじゃん?」
「言ってることが分かるの?」
驚き顔の龍之介に、首を横に振ってみせる。
「いや何となく?」
てへ、と頭を掻くと、龍之介がへにょりとした微笑を浮かべた。
「……亘が亘でよかった」
「は? お前また俺のこと馬鹿にしてんだろ」
唇を尖らせると、龍之介が子供の頭を撫でるようにワシャワシャと俺の頭を撫でる。
「してないよ。僕だけだったら焦って頭が一杯になって、すぐにメンタルやられて駄目になっただろうなって思っただけ」
超慎重派の龍之介。いつも穏やかでドンと構えているように見えるし、俺のことだって即座に守ろうとしてくれている。
……だけどひょっとしたら、平気そうに見えているだけで、実は怖がってたりするんじゃ。
じっと目を見つめる。不思議そうな様子を見せながらも顔を綻ばせる龍之介を見ていたら、こう庇護欲っていうの? がじわりと湧き起こってきた。
龍之介の二の腕に手を当てる。
「わ、亘……?」
「龍之介、俺がついてるから大丈夫だぞ」
「え、どうしたの突然」
「大丈夫、みなまで言うな。俺と一緒にダンジョンを踏破してやろうぜ、な!」
バンバンと二の腕を叩くと、龍之介はやっぱりちょっと不思議そうな表情を浮かべた後。
「――うん!」
これ以上ないくらいの爽やかな笑顔を、惜しげもなく浮かべたのだった。
◇
ということで、 いよいよDAY1のスタートだ。
龍之介が「もう絶対これ! あ、ハーフパンツの下にも絶対これ穿いてね!」と俺に黒のスポーツブラとスパッツを渡してきたので、今の俺はランニングでもしてそうな格好だった。
クローゼットの中には、下着や普段着はあったけど、鎧やマントみたいなものは一切入っていなかった。龍之介情報によると、ポイント交換カタログの中に防具欄もあったっぽい。俺? 画面を眺めてたら眠くなっちゃって、あは、ははは。
ウエストポーチがあったのでそれも身に付けて、いよいよ出発だ。
緊張な面持ちの龍之介が俺の手首を握り締め、キューが俺の肩に止まった状態で赤いボタンの前に立つ。
「じゃあ、押すから――」
慎重に手を伸ばしていく龍之介に痺れを切らした俺は、横からサッと手を伸ばした。
「焦れったいな! ちゃっちゃと押そうぜ」
「あっ! ちょっと亘!?」
ポチッとボタンを押した直後、パカッと床に穴が開く。
「うっそ! また落とされんのかよ!」
「亘!」
龍之介にむぎゅっと抱き寄せられながら、俺たちは今日も落下していったのだった。
今日も多分夜に一話投稿します。