異世界から来た聖女様が『甘々』すぎてツラい
※しいなここみ様主催『砂糖菓子みたいなラヴ・ストーリー企画』参加作品です。
赤龍の月、七の日。
今日から3日間、コルベント王国では盛大に『復興祭』が催される。
王都の大通り沿いには様々な屋台が並び、呼び込みの声や人々が楽しげに語らう声、大道芸人の技への喝采など、朝から大変な賑わいだ。
『おい、〇〇伯爵様の馬車のお通りだ、道を空けよ!』
時折、護民官が人々を誘導し、空いた道の中央を貴族たちの馬車が通っていく。貴族たちは、これから王宮で開かれる夜会に出席するのだ。
「チクショウ、いいなあ。王宮の夜会ともなると、相当に旨い酒や料理が出るんだろうな」
「あんな偉ぇ人たちの中じゃ、味なんてわかりゃしねえよ。こっちの方が気楽でいいや。それに、夜には俺たちにも振る舞い酒があるってことだしな」
「あ、でも夜会には『聖女様』も見えられるんでしょ? 私も一度くらいは間近でそのお顔を拝見してみたいわぁ」
そんな軽口をかわす民たちには想像もできるまい。
馬車の中の貴族たち──特に中高年の男性貴族のほとんどが、眉間に皺を寄せて苦い表情を浮かべていることを。
王国は永年の間、辺境から大挙して押し寄せる魔物の脅威に苦しんでいた。
だが3年半ほど前のある日、事態が急変した。
どういう神の気まぐれか、異世界からサトミという17歳の少女がこの世界に転移してきたのだ。
サトミは魔物たちに極めて有効な『聖魔法』を身につけていた。その絶大な力と、サイラス王子率いる討伐隊の活躍により、ついに3年前の今日、魔物が次々と出現する『門』の封印に成功したのだった。
サトミの功績はそれだけではなかった。彼女のもたらした異世界の知識は、多くの分野で革新をもたらした。医療や農業・商業、教育や食文化にいたるまで、サトミの知識は疲弊した王国の復興の大きな力となったのだ。
そんな『聖女』サトミと、恋仲となったサイラス王子がいずれ結婚して、この王国の次代を担っていく。──そんな予想に異を唱える国民はほとんどいなかった。
2年前。
『門』の封印からちょうど1年後に、第1回の『復興祭』が大々的に開催され、それに合わせてサイラス王子とサトミの婚儀が執り行われた。
そして、聖堂での婚儀の後、貴族やその夫人たちの前に姿を現わしたサトミのドレス姿は、人々にセンセーションを巻き起こしたのだ。
この国の貴婦人たちは、コルセットでウエストを無理やり引きしめ、スカートには骨組みを入れてボリュームを出す。これが常識である。
だが、サトミのドレスは身体のラインがはっきりとわかる『マーメイド・ライン』のドレスで、肩から先もほぼ剥き出しになっている『ノー・スリーブ』だ。肩にふんわりとボリュームを持たせるパフ・スリーブであるべきなのに。
しかも、あろうことかその裸の腕を、王子の腕に絡ませるように押しつけているのだ!
何と破廉恥な──!? あれでは商売女が媚びを売るようなものではないか!
皆が一斉に眉をひそめたが、やがてその印象は徐々に変わっていった。
この国の平均的な女性に比べてサトミはかなり小柄で、はっきり言って起伏に乏しい体型だ。
だが、このドレスを着ることで胸のふくらみが強調され、それなりに女性らしさが際立たされている。そして屈託のない笑顔を浮かべて、全身で王子への愛を現わしている様子からは、いやらしさではなく清潔な色香というべきものがにじみ出している。
──最初の衝撃から脱け出すと、貴族たちはそのファッションを、いかにも異世界から来た聖女サトミに相応しいいでたちだと好意的に受け止めるようになっていった。
そして夜会の次の日から、貴婦人たちは新しい流行に乗ろうと、こぞってサトミ風の新しいドレスをあつらえようとしたのだが──残念ながらこの形のドレスが流行ることはなかった。
男たちは自分の妻や娘、恋人がこのような格好で人前に出ることを、頑として許さなかった。
あれは小柄でスレンダーなサトミだからこそ似合うスタイルであって、より大柄で豊満なこの国の女性が着たら、色気過剰のとんでもなく下品になってしまいかねなかったからだ。
ただ、しっかりと腕を組むデート・スタイルと、暑い時期の女性の普段着としてノー・スリーブが流行ることだけは、男たちには止めようもなかったのだが。
昨年。
第2回の『復興祭』は、歴史の浅い祭典でもあり婚礼などの儀式もないため、格式張らないおおらかな夜会となった。
貴族夫妻だけでなくその令息令嬢たちも出席し、ダンスや立食での軽食など、人々は大いに楽しんでいた。
今宵のサトミは、王国風を少し取り入れたドレスだ。去年より奇抜なドレスだったらどうなることかとやきもきしていた中高年の貴族たちも、こっそり胸を撫でおろしていたのだ。
だが──またしても騒ぎは起こってしまった。
『きゃぁぁぁぁっ!』
突然、若い娘たちの黄色い歓声がホールに響きわたった。
何事かと皆が一斉に振り返ると、そこには王子とサトミが料理の皿とフォークを手にしたまま、うっとりと見つめ合うように向かい合っていた。
いったい何が? ──い、いや、あの体勢は──まさか⁉
そして皆が見つめる中、王子が自分の皿の料理をフォークに刺し──サトミの口元に近づけたのである!
「じゃあ、次は僕が──サトミ、あーん」
何ということだ! あれははるか記憶の彼方、病気で寝込んでしまった幼きころに母親がやってくれたアレではないか!?
あんなことを、大の大人が公衆の面前でするなど、そんな馬鹿な──!
『きゃぁぁぁぁっ! 素敵ーっ!』
またしても女性たちの歓声が沸き上がる中、王子の近習たちが慌ててすっ飛んできた。
「殿下、サトミ様っ! 人前ではおやめくださいと、あれほどお願いしたではないですか!」
「あら、何がいけないの? 夫婦が『甘々』であることに、何も恥ずかしいことなんてないわ。
──はい、サイラス。もうひと口──あーん」
む、無理だ、このふたりに制止の言葉は届かない。そして──もし、こんなことが女性たちの間で流行してしまったら──!?
男たちの間に戦慄が走る。
娘や孫娘ならともかく、もし糟糠の妻にこんなことを強要されてしまったら──羞恥心で死んでしまう!
多くの貴族たちが、申し合わせたように一斉にきびすを返して夜会から退出し始めた。
何としても、ほとぼりが冷めるまで妻から逃れるべく、遠隔地での仕事を手配せねば──!
そして、今年。
多くの男性貴族たちは、あれから結局、妻からの『あーん』をやらされてしまっていた。使用人も家族もいないところで、という条件だけは死守したものの、それでも男たちにとってそれは、悶絶するほどに恥ずかしく耐えがたい時間であった。
──サトミ様、今年こそは妙なものを流行らせないでくださいませ!
それは、男たち共通の切実な願いであっただろう。
やがて夜会が始まると、ある噂が広まってきた。
「何? サトミ様がご懐妊なされただと!?」
「ええ、どうやら最近、あまり体調もすぐれないようで──」
「お世継が出来たとなれば、めでたいことだ」
「これで、あの奇矯なお振る舞いも控えてくださるとよいのだが」
男たちが、ほんの少しの明るい予感に胸を撫でおろしていると、触れ係の声がホールに響いた。
「サイラス王太子殿下、並びにサトミ妃殿下のご来場です!」
そして大きく開け放たれた扉からふたりがホールに入ってきた時──男たちは絶望のどん底に叩き落された。
サイラス王子は、身重のサトミを気遣うように背中と膝の裏に手を回して抱き上げ──『お姫様だっこ』の形で登場してきたのだ!
『む、無理だっ──!』
湧き上がる女性たちの歓声の影で、男たちが声にならない悲鳴を上げる。
あれは新婚の時、男が新妻を初夜の床にいざなう時の特別な体勢だ。『あーん』などよりはるかに恥ずかしい上に──何より物理的に厳しすぎる。
若い頃ならともかく、歳を重ねてたっぷり肉のついた妻を抱きかかえたりすれば──間違いなく腰が死ぬ!
何とかして逃れる術はないか──!?
今年もまた、男たちは必死で頭を働かせ続けるのだった。
ちなみにこの年、主に中高年の男性貴族や騎士たちから、怪我による長期休養や引退を申し出る件数が激増した。
その原因のほとんどが、極めて重い何かを持ちあげたことによる腰痛であったことは言うまでもない。