病室
「ラハ、入るぞ」
俺はガラガラと病室のドアを引いた。開けてから、ノックしてないことに気づいた。
「ノックなしに入ってくるとか。もし私が裸だったらどうするの?」
「毎日、脱ぎ散らされた下着を洗濯してるんだ。今更お前の裸とかインパクトねぇな」
俺はベットの横にある椅子を手繰り寄せて、そこに座った。備え付けのテーブルには、果物ナイフと一緒に林檎と梨が置かれている。
「ジキル、来たのか?」
「うん。さっきね。でも今は私のお使い」
「相変わらず人遣い荒いな」
俺はナイフを手繰り寄せて、果物の皮を剥く。
「剥けるの?」
「まぁな。こう見えて、案外器用なんだぜ?」
「なんか不恰好なやつできそう」
言ってろ。俺は次に言う言葉を探しながら、ナイフを滑らす。
何も駄弁るためにここに来たわけじゃない。
倉庫での大回りから早くも三日。幸い命に別状なかった俺の頭は冷静に一連の出来事を考え始めている。
まずどうしてあの店は狙われた? なんで俺は攫われて、ジョンは何者なんだ? 助けを呼びに行ってる間、ラハはあの化け物とどうやって戦った?
考えれば考えるほど、疑問点は湯水の如く溢れて、それは俺の中で不安という感情へと醸造されていって。
「聞きたいことはなに?」
ラハの予想通り、不恰好に切られたリンゴを一掴みしながら、彼女は問う。
「お喋りするために、来たわけじゃないでしょ?」
「やっぱり分かるか?」
「うん。いつもより二倍増しぐらい不安そうな顔してるし——なんでも聞いて」
お前はいつも俺の顔をどんな風に見てるんだ。
「じゃあまずは‥‥‥」
俺はナイフを置き、太腿に手を置く。
「お前のスリーサイズから、痛った!」
「そういうノリはいいから。真面目に。あと、それも剥いて」
俺は渋々投げられた梨を剥き始める。やれやれ、少し場を和ませようとしただけだろ。
ただまぁ、周りくどすぎるのは俺も苦手だ。
俺は一回唇を舐め、一番の疑問を口にする。
「ラハ、お前は何者なんだ?」
どうしてラハは街の人々に忌み嫌われる? どうしてサル・マカーノは彼女を狙う?
どうやって彼女は、あの夜、あの怪物を渡り合った?
結局のとこ、数ある疑問点はそこに終着する。
「それは、私の正体が知りたいってこと?」
この世の全てを見通したような紅い目が、俺の見定める。
「ああ。お前は、あの黒人と同じなのか? ていうか、あいつもあいつだ。あれも悪魔だったのか?」
「あれは悪魔人間。悪魔には人間に好意的な奴が居てね、そういう悪魔を自分の体に乗り写した人間のことを、私たちはそう呼んでいるの」
「悪魔と人間のハイブリッドって感じか——お前も、悪魔人間なのか?」
もう何を言われようとも準備はできてる。彼女重い過去も、事情も、何もかも受け止める権利と覚悟を今俺は持っている。
なぜなら俺はラハの助手だから。もう赤の他人なんかじゃないから。
「うん」
感情を表に出さない、ラハは短く答える。
「‥‥‥あっさり認めるんだな」
「まぁ、隠してもしょうがないからね」
「ずっと俺を騙していたのか?」
ラハはずっと俺に隠し事していた。俺はラハを相棒として信頼してたのに。その事実が、自然と俺の語気は鋭くしていって。
「いつから私が人間だって言った?」
「悪魔だって言ってもない」
「だって言ったら、きみ逃げるでしょ」
「前の俺ならな。今の俺なら、逃げねぇよ」
俺は剥きかけの梨を置き、ラハに向き直す。
「お前の中に悪魔が居るっていうのは正直、怖い。けどそれを理由に、お前と向き合わずに逃げるのは、もっと怖い」
彼女と向き合わずに、逃げる。それはすなわち、前の俺に戻ることを示す。
怠惰で何も掴めずに、燃え尽きた灰のような日々。そこに埋まる俺。思い出すだけで背筋が凍る。
「お前は望んで、悪魔人間になったのか?」
「なわけ。誰が好き好んで自分の体を悪魔に差し出すの?」
「だよな。お前にはお前なりの特別な事情があるわけだろ? だったら、その解決を、俺に手伝わせてくれ」
俺はラハの横顔を見つめ、務めて真面目にそう言った。こっからじゃ夕焼けに照らされたラハの横顔しか分からなくて、彼女の表情は見えない。
「マジで何なのよ、あんた」
「何って、お前の助手」
「そうじゃなくて‥‥‥私たちまだ会って一週間ちょっとだよ?」
「時間は関係ねぇよ。大切なのは俺がお前の助手で、お前は俺の雇い主ってことだけだ」
「なんでそんな助手のポジション固執する? 勤勉なタイプでもないのに」
三度そう聞かれると上手く説明できないけど、無理矢理、言葉にするのなら。
「意地、だな。俺は元の世界じゃラハみたいな芯の通った生き方は出来ないし、してこなかった。今でもそれは後悔してるし、その生き方が後の自分の首を絞めていたんだ」
例えば人間関係から逃げて。例えば恋人から逃げて。例えば勉強から逃げて。例えば社会に溶け込むことに逃げて。
逃げて、逃げて、逃げて。俺の人生は戦わずに、幕を下ろした。
ただ幸か偶然か、こっちの世界に転移して、ラハと出会った。自分とそう変わらない少女が、どういうわけか悪魔から逃げずに立ち向かっている。
彼女の生き方が素直に羨ましかった。もし自分もああいう生き方ができたら。
俺がラハの助手に固執するのは、俺の一方的なエゴだし、意地だ。ただ、一回通すって決めた意地は無理でも通したい。
たとえ自己満足と言われようが、ラハに煙たがれようが俺はあの頃の俺とは違うんだ。ラハの助手として、仕事を全うしたい。
「だからそういう自分を変えたくて、俺はお前の助手をしてるんだ」
「‥‥‥それって君のわがままじゃん」
「ああそうだ。そうだとも。わがままですとも。けど、最初に俺を拾って、バイトとして雇ってやるって言ったのはお前だぞ?」
「私が始めたっていうの?」
「まぁ、そういうことになるな。この際、悪魔人間だとかそういうのはどうでもいい。サル・マカーノが邪魔なら二人で倒せばいい。街の連中がウザいならどっか二人で知らないとこへ旅に出ればいいだろ」
「はぁ‥‥‥」
ラハは呆れて物も言えなみたいな様子だ。さすがに旅出よう発言は踏み込みすぎたか。
「どうしても、私の助手は離れないわけだ」
「お前が死なない限り永久就職だな」
一年前前の俺が聞いたら即倒しそうなワードだけどな。
「なんか、カミングアウトしたこっちが疲れた」
「俺の熱意が伝わったろ」
ラハはしばらく瞠目する。たっぷりとそうして、部屋の静寂吸い取った後、静かに瞼を開けた。
「うん。君の気持ちは分かった」
「じゃあこれからも二人で」
「出てって」
「え?」
俺はつい聞き返してしまう。今の流れ的に、二人の絆が深まるパターンだろ。
「出て行って。しばらく一人にして」
突き殺すような鋭利な視線は、これ以上俺に言葉を紡がせない。
ラハに限らず、心を閉ざした女子は鉄壁の城塞だ。
打つ手なし。俺は回れ右して病室を出た。




