第8話 ランダル平原
エンジェルダストに使用する機器はnoreというVRヘッドセットだ。パソコンと繋いで色々と設定するもので、私のノエルというアバターもそういう仕組みでnoreに登録されている。【黒兎】としてのノエルはエンジェルダストのものだが、例えば他のVRゲームを遊んでも、私のプレイヤーネームはノエルとなるのだ。
パソコンの画面には私の心拍とか、精神状態を表したグラフが表示されていて、これに少しでも障害が起こると、強制ログアウトされる仕組みになっている。いわゆるセーフティ機能の一環だ。これがあるからこそ、noreは発売が認められたというのもあって、セーフティ機能が強化されるアップデートはあれど、それが無くなることは絶対に無い。
ゲーム内で言えば、視界が散りついてノイズのようなものが走り始め、ノイズが視界一杯に広がって気付けば、ベッドに寝ている自分の視界に戻ると言った感じだ。最初こそはちょっとした恐怖体験だが、他プレイヤーに話しかけられたり、NPCとクエストで話しかけなくてはいけなくなった時とかにしょっちゅう強制ログアウトしている私からしたらもう慣れたものだ。
「さてと……」
クーラーを適温で入れて、ラフな格好に着替えたらVRヘッドセットを着けてベッドに横になる。ゲーム中はこっちの体は完全に無防備なので、セキュリティ対策として部屋の鍵も窓の鍵もばっちりだ。我が家のあちこちにはセンサーのようなものがあって来客が来たりなど、家族以外の人が入って来ると、PCを通してnoreに情報が転送される仕組みがある。ゲーム内にいながら誰が来たかとかインターホンのカメラ映像を見ることも出来るのだ。
「行きますか!」
目を瞑る。私の頭に付いているnoreが起動する音が聞こえる。
意識が落ちていく。
深海に落ちていくような感覚。暗いところをひたすら落下する。
私を構成するものが全てそぎ落とされていく。
体の感覚が消えて、五感だけが鋭敏化する。
そして段々と見えてくるのは、もう見慣れたエンジェルダストの世界。
「……!」
意識が覚醒した時には、既に私は廃墟都市ルミナリエにいて、篠宮綾香からノエルへとなっていた。この感覚だけは、まだ慣れない。
「ふぅ……」
ノエルは現在、黒いうさ耳フードのコートに、全体的に黒色で赤い差し色を入れたコスチュームだ。上昇パラメータもAGIが高めで、瞬間移動スキル【縮地】の効果を頑張れば真似できる程度にはスピードが速い。
これが私が【黒兎】と呼ばれてしまう所以。異名があるのは嬉しいのだが、これのせいで起こる面倒もある。特に誰かに話しかけられた時なんかもう一発強制ログアウトだ。
最近、私がハマっているのは料理スキルだ。
モンスターを倒したり、お店で買ったりして、手に入れた食材アイテムによって料理は何が出来るかが変わる。しかし料理をするにもレシピを入手する必要がある。その中には普通にファミレスとかでも食べれそうな物から、海外旅行しないと食べられないんじゃないかというような珍味まであるらしい。
「今日もまだ見ぬレシピを見つけるぞー。おー!」
私だってPKしてばかりではない。ルミナリエを囲う森を探索したり、最近はその森の外にまで活動領域を広げている。
森の外はだだっ広い平原で、吹きすさぶ風がとても気持ちいい場所だ。見晴しが良すぎるので、他プレイヤーとの遭遇率も相当に高いのが難点だが。
今日も私はルミナリエ近郊の森の外にある【ランダル平原】へと来ていた。この平原は様々な所へ繋がるエリアらしく、ルミナリエ以外のタウンフィールドへも繋がっているという。他の街にはそこにしかないアイテムやら武具もあるらしい。
そういうものを売ったり素材にしたりすれば、ゆくゆくはお金も稼げるのだ。
私には目の下のたんこぶもあった。それはプレイヤーを倒している内にいつの間にか手に入れていた二つの武器だ。エンジェルダストには死亡すると、デスペナルティとして複数のアイテムをその場に落としてしまうという機能がある。アイテムだったり装備だったり。仲間がいれば拾っておいては貰えるのだが、私みたいなソロプレイヤーは一度落としたらもう二度と手に入らない。
入手した武器は大槌の【ストーンヘッド】と大砲の【ブリッツカノン】。どちらも一度使ってみたが、ソロプレイ向きではないので、売ろうかと思ったのだが、これがなんと全然金にならないときた。仕方ないので、解体して素材に変えてしまおう、武器からなら何か取れるかもと思ったが、鍛冶系統のスキルはどうやらルミナリエでは習得できないらしい。
それが出来るのが【ランダル平原】から繋がる【ジエンマ廃坑街】だ。鉄と火と鉱山の街。鉱山を通る廃坑の中に作られた街だとか。面白そうだが、普通に怖い。
私は現在【ジエンマ廃坑街】を目指して【ランダル平原】を歩いていた。
「でもこんな日はピクニックとか出来たら気持ちいいだろうなぁ。PKされるかもだけど」
そこそこの人数がいれば、他のプレイヤーも危ないと思って近付いては来ないらしいが、ソロだとどうしてもカモだと思われてしまう。
森を抜けるまでも何度かPK集団に襲われては返り討ちにしてきたが、こうもしつこいと流石に怠くなる。しかし気を抜けば殺されてしまうので、気を抜くわけにもいかず。私は精神を擦り減らしながら移動していた。
「せめて、もう一人いれば……」
戦闘と休憩を分担出来そうだ。でも、私のコミュ力ではそれは無理だ。伊織からはフレンドを作れと言われたが、そこまでの間柄の相手は難しいだろう。
それにPKである私がまともなお付き合いを出来るとは思えない。PKを繰り返したことで、私のプレイヤーアイコンはとっくに赤い。レッドプレイヤーは危険なので近寄るなとチュートリアルでも言われるくらいで、しかも私は黒兎なんて異名まで貰っているのだ。今更フレンドを作るのはかなり難しいだろう。顔も割れてしまっているし。
「そもそもフレンドを作るにも、ノエルには人脈がないんだよね……」
モヒカン頭とかクラリエさんは顔見知り程度で、人脈と言えるかは曖昧なラインだ。伊織なら知り合いから友人になる方法を108個は瞬時に浮かぶだろうが、私にそこまでのコミュ力は存在しない。それは篠宮綾香でもノエルでも同じことだ。
「……ノエルでも無理なものは無理なんですー」
しかし本当に疲れてきた。ヴァーチャルの世界とはいえ、疲労は存在する。現実で篠宮綾香が眠気を起こせば、それはノエルにも伝わるし、ノエルが戦闘で集中し過ぎてその反動で頭痛を起こせば、篠宮綾香に戻ったところでそのままだ。
1時間寝ると強制的にログアウトされるらしいが、上手くタイマーをセットして30分仮眠をしよう。どうせ周りも結構暗くなってきている。黒い装備の私は目立たないはずだ。
そして私は岩場の隅に隠れるように体を丸めると目を瞑った。
「ふあああ。おやすみなさい……」