第50話 Baptism-戦いの洗礼-
廃墟のビル街に銃声が轟いた時、男は身をすくめていた。
リュドミラ本人は知る由も無いが、彼女が異様に思ったこの一帯にプレイヤーが少ない理由はこの男にあった。男は弓を構えて。窓から廃墟の街を見ていた。遠くを見る【鷹の目】スキルが映し出す視界にはいくつものプレイヤーの亡骸があった。大量のドロップアイテムもあるが、あれを拾いに行くのは少し面倒だ。なにせ100m以上もの距離があるからだ。
100mは優に超える距離の超遠距離狙撃。プレイヤーのステータスがもろに武器性能に出る弓だからこそ可能なものだ。リュドミラほどの腕前でも120mを超えると当たるかどうかは運に任せるところな辺りが銃と弓の性能差だ。
それをこともなげに行うこの男の名前はディラン。以前、ノエルに絡んだところをフェルマータに止められた男性プレイヤーだ。
「……あの娘、ドロップアイテム目掛けて一直線に走ってやがる」
ディランの存在に気付いているのか。いや、他のプレイヤーが見当たらないから安心しているのか。
どちらにせよ愚かだ。
「確かアレはノエルのところの銃使い。リュドミラとかいう奴だよな……。何で一人なんだ?」
ディランは思った。自分の所のチームならいざ知らず。仲良し同士で組んでいるであろう彼女たちが単独行動wをしている意味が分からなかった。ノエルが潜んでいるのか。いや、囮にするなら遠距離戦闘を得意とするリュドミラではなくノエルを囮にするだろう。
「安心しきってるって感じかね……いいだろう。それなら遠慮なくやらせてもらうだけだ」
ディランが構えた弓が狙う先にはリュドミラがいる。肉眼では見えないような距離だが、男のステータスならば問題はない。弦を持つ手を離すと、矢は真っ直ぐに飛んでいった。
男が放った矢は綺麗な弧を描いて、リュドミラの肩を射抜く。頭に当たらなかったのは咄嗟にリュドミラが回避したのか、自分が外したのか……。どっちにしてもあの一撃は結構応えたはずだ。
最初の一発を当てた時点で男は勝利を確信していた。
「次で仕留める」
彼女は銃使い。ならば一度やられた時点でどういう行動に出るかは分かる。
彼女が吹き飛ばされた建物の窓を注視すると、ちらりと頭が見えた。
「まあそうくるよなぁ。だけどそれは愚策だって分かってるか?」
ディランは二射目をつがえる。さっきの矢は何の状態異常も起きないものだったが、今度は違う。頭に当たれば即死。体に当てても猛毒で殺す。
一瞬、リュドミラと目が合ったような錯覚を感じた。
「……?!」
だがそんなはずはない。【鷹の目】スキルを使っても彼女の目など見えないのだから。しかしこの嫌な予感は何なのか。背中がぞわりとする感覚。勝っているように見えて、追い詰められているようにすら思えた。
ディランは首を振る。いや、現状勝っているのは自分だ。まさかこんな一瞬でリュドミラが隠れているディランを見つけるはずがない。
「そうだ。こんなに速く気付けるはずがない。そんな強力なサーチスキルを持っているなんて話は聞いていない」
二射目の矢を放つ。数秒もすれば彼女の脳天を自分の矢が貫くはずだと思いながら。
遥か遠くからこちらに向かって来る光。その光を私は狙っていた。
敵の居場所が分からない上に恐らく向こうからは場所を把握されている以上、こちらから探して回るのは愚策そのものだ。こういう時こそ、落ち着いて隙を見るのだとエイルから教えられた。
そして今まさに敵は隙を見せた。敵の放った矢がその先に敵がいると教えてくれる。放たれた矢は私の頭の横を通り抜けた。部屋の壁に着弾して紫色のエフェクトを放つ。どうやら毒矢だ。
「さっきのは本当に牽制だったみたいだ」
恐らく敵は私が矢を避けたことは分かっているだろう。ならばすぐに第三射が来るはずだ。窓に身を乗り出して、銃を構える。スコープもスキルの助けも無く、敵の姿が見えている訳ではない。だが、どういう訳か私には敵のいる位置が掴めていた。
私が狙う位置に鈍い光が出現する。その瞬間、私は引き金を引いた。
空気を震わす音を立てながら、弾丸が発射する。弾丸は途中で鈍い光を貫き、そのままその奥にいる標的へと届く。
私の視界のログには弾丸が当たったことを示す文言が現れた。しかしどうやらまだ倒しきれてはいない。敵は九死に一生を得たようだ。
「敵はどう出るか」
動いて、別の場所から狙撃してくるか。又は、そのまま第四射を狙ってくるか……。敵がどう私を捕捉しているのかが分からないので、下手に動くわけにもいかない。
しかしいくら待っていても、敵からの第四射がくる感じはない。
ついさっき倒したプレイヤーのドロップアイテムを奪っていったらしき、プレイヤーの存在もある。あまりここに長居はしたくない。
ふと周囲がやけに騒がしいと思った。何かの音が途切れることなくなり続けている。周囲を見渡すが人影らしきものはない。【敵対感知】スキルの反応もない。しかしやけに聞き覚えのある音だ。夏とかによく聞くような……とか思ってると音の正体を見つけた。それはどこかから入って来た蠅だった。気が散るったらない。
「……」
だが、ゲーム内に蝿がいるというのはおかしいのではないか。
私の周囲を飛び交う蠅に得体のしれない気持ちの悪さを覚えた、私は銃を構え蠅を照準に収める。これだけ近付いているとシステムが勝手に補正してくれるので、大体の向きさえ合っていれば、後は私のステータス次第だ。
「蠅に対して、気にし過ぎかもしれないけど……念には念を……」
外にいるかもしれない敵のこともそうだが、この蠅も何か臭い。まるで私の照準から避けるかのように動いているのだ。モンスターでも敵対状態でもないのにそんな挙動をする個体はいない。これはどう見てもプレイヤーだ。それに蠅になるスキルの持ち主がいることはノエルから聞いていた。
「……なるほど」
つまり遠距離戦では埒が明かないから接近してきたということだろうか。しかしいつまでも蠅のままで私と戦えるとでも思っているのだろうか。
「どうやら気付かれたようだな。しかしもう遅いぞ女」
「喋った……! あの蠅喋れるの?!」
「いやこれはスキルで変身した姿であって、蠅が喋っている訳ではない」
そう言うと蠅は青白い光を放ち、男の姿へと変わる。茶色い髪を撫であげた見た目の何というかうさんくささの抜けない男性アバターだ。背中には大きな弓がしょってあった。
「これが俺の本当の姿。どうだ? イカすだろ?」
「その背中の弓……あなたが私の肩を射抜いた人か……」
「見た目についてはスルーかよ?!」
そんなことを言われても困る。格好いいとは思うが、それだけで。別に特段口に出すほどのものでもない。とか言うのは流石に失礼だ。
困り果てている私を見て、男はふっと笑った。
「どうやらこの俺の格好良さに惚れてしまったようだな。まあ無理もない。何時間もかけて作り上げたこの美しい顔! ダビデ像もかくやの肉体美ッ! 君みたいな普通の女の子が混乱するのも仕方がないってもんだ」
「はは」
どうしよう。こうして対面した以上戦うんだろうけど。こちらからしかけてもいいものなのか……。ここでこうして話している時間も惜しいのだけれど……。
話す、という言葉で私は思い出した。そう言えば、マコトとかいうプレイヤーの情報を探るんだった。
「少しだけ聞いてもいい?」
「? 美しさの秘訣か? それはだな……努力と根性! だ。一ミリ程度の差で大きくバランスが変わるからな」
「聞いてない……。 ってそうじゃなくて、マコトっていうプレイヤー知らない?」
「マコト? それはウチのチームにいる奴だが……あんなのが好みなのか? あの陰気そうなのが? 君は変わっているんだな」
「……」
多分、この男が言うマコトは、ノエルが探しているマコトだ。ということはノエルがこのイベントに参加した理由である。ノエルに懸賞金をかけるという話も知っているかもしれない。
「ねえノエルに懸賞金をかけるって本当なの?」
男は何を言ってるんだとでも言いたげな顔で私を見た。
「あの黒兎に懸賞金? 何の話だよ。それにかけたってアレを倒せる奴がいるか。アーサーとかウチの姫様くらいだろアレと真っ正面から戦えんのは」
「おかしいな……あなたのチームのマコトから聞いてた話なんだけど」
「だとしても俺は知らねえな」
「そう」
私はアクケルテを構えた。一歩踏み込めば近接武器の射程圏内のこの狭い部屋では、とてもではないが、使い勝手が悪い武器だ。でもそれは相手も同じことだ。
私の行動を見て、男の顔から笑みが消える。そして手を前にかざすと、背中の弓が消え、かざした手に剣が握られていた。柄に赤い石がついた片手剣だ。武器を複数持ち。つまりはコーディリアリングを奴は装備しているということだ。
「……剣も使えたのか」
「得意ってほどじゃないけどな。それでも数秒程度ならトップクラスの奴とだって斬り合えるんだぜ」
「これは劣勢かもね」
「その割には冷静だな。いや、顔には出ないタイプなのかな?」
「実はそうなんだよね。友達にも何考えてるのか分からないってよく言われてる」
「ふーん」
男は腰を落として剣を構えた。剣を両手で頭の上で持ち、剣先を私に向けている。防御を考えていない構え。つまり一撃狙いということだ。
「俺の名前はディラン」
「リュドミラ」
もう言葉はいらないと言わんばかりにディランが突っ込んできた。ダンと地面を鳴らし、剣を私に向けて突き刺してくる。それを横に飛んで回避し、銃を構えた時にはディランが目の前に。
「っ……」
「この狭い室内でその長銃は使い難いだろ」
そういうそちらはよくもまあ室内でそんな剣を振り回せるなと思ったが、口に出せるような状況でもなかった。一瞬でも気を抜けば一撃で持っていかれる状態なのだ。
確かに長銃では戦いにくい。動きながらだとなかなか銃を撃てない。立ち止まる隙を見つけるのも、一苦労だ。
「やっぱり、この武器じゃ……ダメか……」
「……この武器?」
水平に薙ぐように振るわれる剣をバク宙で回避し、装備画面から装備セットの切り替えを行う。するとアクケルテは消えて、一丁のピストルが現れた。
【プラウダ】という名前の回転式拳銃だ。装弾数は六発。使い切ると、一秒程のリロード時間を要するが、一発ごとの破壊力が高い名銃である。
「リボルバーか。そりゃあそうか。自分が苦手な接近戦の対策をしないわけないよなぁ」
ディランが剣を振るう前に私は六発の弾丸を一息に撃ち尽くした。
「遠距離狙撃だけじゃないってことか……よ!」
ディランはその弾丸の全てを一薙ぎに払う。
「この至近距離で弾丸を弾けるなんて……口だけ野郎じゃないってことか」
「口だけ野郎……ぼけっとした顔で言うこと言うんだな……」
私は無言で弾丸を六発ばら撒く。
「うおわ!! 弾で会話するタイプ?!」
ディランは弾丸を弾き飛ばした。弾き飛ばされた弾丸は、そのまま部屋の外にまでいったものや部屋の床に落ちたもの、天井付近にいったものまで様々だ。
「だけど、頼みの綱のリボルバーも俺が相手じゃ、役不足みたいだな。現実じゃこうはいかないが、エンジェルダストのアバターは反射神経も強化されている。気張れば弾丸を撃ち落とすくらい造作もないってことだ」
「……」
ああ、これはもうダメだ。ここまでされちゃ子供だって分かる。もう詰みだって。彼の剣が私の体を貫くだろう。斬られるのかもしれないが、どちらにしたって終わりだ。エイルならば数発は耐えられるだろうけど、もう一度矢を撃たれた私のHPでは彼の剣を受けられない。
ああもういいや。これは無理だって。私は天井を仰ぎ見て、肩の力を抜いた。
「もう少し、やれるとは思ってたんだけどな」
「いやいい線は行ってたさ。俺はこうして接近するつもりはなかった。弓を得意とする者、つまり狙撃手としては俺は君に負けたよ。この勝利はただ運が良かったようなもの」
「そんな慰めはいらないよ。勝ちは勝ち。負けは負け。こうなった以上、全て受け止める」
「……君は、本当に強い人みたいだ。言い訳はしないってことか」
「自分に正直に生きたいだけだよ」
目標とする人が出来たのはこのゲームを初めて最大の成果だ。目標とはいいものだ。目標があれば、人はどこへだって進める。
ディランは私のすぐ近くまで近付いてきた。彼の剣が私の姿を反射する。
「そうか。じゃあお前はここで負けとなる訳だ。ウチの姫様は、ノエルとだけではなく、これはノエルのチームと自分のチームの戦いでもあると言っていたが……これでちょっとは俺の面目も保てるかね」
ディランは吐き捨てるように言いながら、天井を仰ぎ見ようとした。
「さっきあなたは言った。弾丸も気張れば撃ち落とせると」
「……?」
私の言葉の意味、意図がディランには伝わらなかったようだ。
「撃ち落せる弾丸ってさ、見えている弾丸だけだよね」
「……? お前は、何を言ってるんだ」
「例え話だよ。例えばの話。例えば、あなたの視界に入ってない弾丸。それを撃ち落とすのは無理だよねって話」
私の言葉にディランは何を言おうとしているか分かったようだ。トッププレイヤーとやりあえると豪語する実力は確かなようだ。だけどもう遅い。
既に弾丸は動いている。天井まで弾かれた弾丸は、向きをディランに向いた状態で固定した。私が持つスキル【弾道固定】。撃ち出した弾丸の固定。固定したところからの再発射を可能とするスキルだ。
弾丸は弾かれても動いている状態と変わりないので固定が可能だ。ディランもこのスキルを警戒していたのだろうが、まさか弾かれた弾丸を固定するとは思ってもいなかったようだ。
天井から降り注ぐ弾丸が、地面を蹴ってバックステップしたディランの右太腿を撃ち抜いた。
「っ……!!」
「このゲームは勝つか負けるかしかない。相手を殺しきるまで油断しちゃダメだよ」




