第41話 悪手纏い(アイム・ア・ルーザー)Part2
家に帰って適当にお昼を済ませてから、私は伊織に電話をかけた。ワンコールで出てきた伊織は色々と私に興味深い情報をもたらした。
まあお昼食べながら、アップデートの情報は見ていたんだけども。
「イベントかぁ」
「そ。今回で第四回目」
それはイベントの開催告知でもあるアップデートだった。既に三回は開かれているプレイヤー対抗のイベントで、それはサバイバルゲームだったりレースだったり宝探しだったりと、中々バラエティに富んでいる。
「今回はチームでのサバイバルなんだよね。私には縁が無いと思うけど」
チームでのサバイバルとはつまり専用マップに複数のチームが降り立って激しい生存競争を行うゲームだ。最後に残ってるメンバーが多いチームが勝ちとなる。
「そう? チームメンバーは最低四人。最大八人だから綾香でもどうにかなると思うけど」
「まあ……ギリギリ?」
エイルとリュドミラとフェルで四人だ。いや本当にギリギリだ。イベントの日のそれぞれの予定とかもあるだろうし、これは参加は不可能だろう。
「今回は参加しないよ。そんなことよりも伊織っていつ頃ゲームやるの?」
「んー。早ければ今日。今、端末のセットアップしてるから」
「そうなの?! そういうことは早く行ってよ」
「前に電話したとき、一週間後にはやれる! って堂々と宣言したつもりなんスけど」
「あ……」
そういえば、そうだった。あれは何話の出来事だったろうか。
特に思い出せないが、それでいいだろう。
私は伊織との電話を切ると、すぐに自室へと向かった。
もう何度も使ってるVRヘッドセットを被って、エンジェルダストの世界へとログインした。
「んー……」
とても寝心地のいいベッドの感触になると共に、私はノエルになっていた。
「さて……今日はどうしますか」
一階に降りてみると予想通りというかやはりというか誰かいた。
「フェル」
「ノエル。もう来たのね」
フェルはリビングのソファに座って紅茶を飲んでいた。
何か前にも見たような気がする。
「うん、まあ今日は誰か殺りに行こうと思ってるんだ」
「ノエルっていつも私のことをヤバい奴みたいに言ってるけど、私から見たらあなたも大概よ」
「え……マジで……」
「自覚無い辺りが余計にマズイわね。どこかで恨みを買っても知らないわよ」
「それはもう多分数えきれないと言いますか」
「流石PKKね。いつか私とも戦いましょ」
「ああ、うん。そうだフェルってイベントってやるの?」
「……うーん、考え中。参加メンバーの当てはあるけど、面倒だしね」
「そっか」
フェルも参加しないなら、別に参加する理由はない。
イベントとかなら彼女と戦う絶好の機会だと思ったのだが。
「ノエルがやるなら、考えるわ」
「私も考え中」
「ふーん」
イベントに参加するのも楽しそうではあるのだが、そもそもフェルと戦うには彼女と敵チームになる必要がある。私が頼れるフレンドは二人。エイルとリュドミラだ。伊織は今から始めても一週間後のイベントには間に合わないだろう。
つまりどうしようもないということだ。
ギルドホームを出た後、私はルミナリエの街に繋がる小道を通る。小道はルミナリエ近郊の森のフィールド内という扱いになっている為、低確率で魔物も出てくる危険な道だ。しかも振り返れば森の奥に見える私たちのギルドホームつまり洋館がある風景は何かホラーゲームみたいで怖い。
「こんな道、夜に通りたくは無いな」
「全くだね」
「?!」
突然、聞こえてきた声に私は身構えた。尾けられていたか。ギルドホームから出た所から尾けられていたのか。
「こんな暗い道に女の子が一人。ゲームだからいいけど、これがリアルなら結構危険だよね」
男の声だ。
喉に絡みつくような嫌な雰囲気の高い声をした男だ。
しかしどこにいるかが分からない。気配がしない。敵対感知スキルが発動しないということは、見られてすらいないということ。木の陰にいるだとか、そっぽ向いているだとかはあるかもしれないが、それだとしても数々の奇襲を受けてきた私が、他プレイヤーの接近に気付かないのは考えにくい。
「……誰、どこにいるの?」
「それは悪手だよ。アニメや漫画でもそうだろ。焦ったり困ったり狼狽えたりは自分を窮地にいざなっている様なものだ」
「アニメや漫画じゃなくて、これはゲームだよ」
私はすぐ近くにある木の上に飛び乗った。そこから周囲を見渡すが、誰もいるようには見えない。完全に見えている訳ではないが、例えばあの木の陰だとか、岩の陰に隠れているなら、警戒している状態なら流石に分かるはずだ。
「……絶対に誰かいるはず。それなのに、何で?」
ルミナリエの街まではおよそ10mほど。仮に敵対プレイヤーがいるとしても、街に入ってしまえば関係のない話となる。何らかのスキルでこちらの索敵が妨害されているのだとしても、街ではそれらは一切効果を成さない。不意打ちでやられる心配もない。
「逃げよう。情報が無さ過ぎる」
そう判断した私は木から飛び降りた。
リアルの私ならどう考えても不可能な高さだが、ノエルの能力ならば問題なく着地できる。縮地の瞬間に地面を蹴って超高速移動を実現する【アクセルジャンプ】ならば10m程度一瞬だ。
「よく分からないけど、姿の見えない敵とか不気味過ぎる……! 逃げるが勝ち」
「へぇ、いい判断だ。でも、本当に逃げられるの?」
声は煽って来るが、私は気にせず逃げる。
はずだったのだが。
「んなっ……」
地面に着いた時に異変は起きた。いや、初めて異変に気付いたと言うべきか。ノエルのステータスならばこの程度の高さで着地に失敗することなどありえない。
それなのに私は失敗した。地面に着いた瞬間、着地した足に痺れが起きて、そのまま地面に倒れ込んだ。視界が赤く染まっていた。
見ればかなりのHPを消費していた。
おかしい。まるで弱体化したみたいだ。しかし単純にデバフとして扱うには少しおかしい。
高所落下は高いAGIがあれば出来る。私のAGIでは多少デバフをかけられた程度で、ここまで弱ることも無い。
「だとすると、敵は何か特殊なスキルを使っているということになる」
考えられるのは一つだ。ユニークスキル。習得条件もその総数も不明のスキル群。
「ユニーク持ちに襲撃されてるって訳か……冗談じゃない」
逃げねば殺される。それは確実だ。しかしこうしている今も段々とアバターを動かす力が弱まっているのを感じる。
「まずはHPの回復だ」
ポーチから適当に回復薬を取り出すとそれを一気にあおった。清涼感のある味が口の中に広がってHPがいっきに全快した。
「って全快した?!」
私のHPは平均から見ても低い方ではあるが、私の持っている回復薬は店売りのかなり質の低いものだ。当然、全回復するには何本か飲まなければならない。
「異変が起きてる……。失敗した着地、動かないアバター、最大値の減ったHP……これはステータスを下げるスキルか!」
恐らく索敵が機能しないのもこれだろう。索敵や細かな動きに必要案DEXも下げられているのだ。
「厄介だ。こっちは弱ってて、敵に殺されるのを待つだけなんて……」
「まるで俎板の鯉だ。そう思ったかい」
「?」
声がすぐ後ろで聞こえた。瞬間、ガクンと膝から力が抜けかけた。
アバターが重い。全ての行動にラグが入ったかのような感じだ。
振り向くと、そこには男がいた。長い前髪、女性だと言っても通用しそうな童顔。しかし声や仕草は完全に男子のものだ。
首が隠れる黒いコートに黒いズボン。なるほど。私への対策は怠っていないらしい。
「やあノエルさん」
男は右手にククリナイフを装備していた。私も見たことがあるやつだ。店で売っているかなり質の悪い物だった気がする。
「奇襲には慣れていたつもりだけど、こういう形で来るのは意外だったよ。で、意外ついでに逃がしてくれるとありがたいんだけど……」
「そうはいかないな。だって僕は君を殺す為にこうして待ち構えていたんだから」
「……」
男がククリナイフを振りかぶる。さっさと逃げたいところだが、アバターが思い通りに動かない。
「あなたのスキルは、他人を弱体化させるスキル……みたいだね。でも、ここまで私に近付いて危ないとは思わないの?」
「思わないさ。だって君が全く動けないのは僕が一番理解している」
「ああ、そう……!」
私は左腰のラピッドナイフを抜くと、それを男に向かって投擲した。恐ろしい程不格好で、見ていられないほどにノロいスピードで飛んでいくナイフは、それでも確実な精度で男の肩を貫いた。しかし浅い。そこまでダメージにはなっていないはずだ。
「っ……まさか投げてくるとは……!」
忌々し気な顔をして男は肩に刺さったナイフを放り投げた。今の状態では取りに行くことは不可能だ。魔剣ベイリンでなくラピッドナイフを投げたのは正解かもしれない。
「次は、こっちを投げるけど……」
私は魔剣ベイリンを抜くフリをする。男は苦し気に笑いながら言った。
「やればいいさ。僕は最初から勝てるとは思っちゃいない」
「だったら遠慮な……く……」
瞬間、アバターの左腕に奇妙な違和感を感じた。全く動かないのだ。私の脳から送られる命令が、伝わっていないような。
そしてその違和感は幻痛という形で表れる。
「……っあ。痛い! 何、これぇ……左腕が、折れた……ような……」
「ような、じゃない。よく見るんだ」
私は自分のステータスを見た。そこには骨折という状態異常に私がかかっていることを示すアイコンがあった。
「何コレ?!」
「ステータスが伴わない状態で、質のいい武器を無理矢理使ったりすると低確率で起こる状態異常さ。回復できるアイテムはない。街に行けば医療施設だとかで簡単に治せるけど、今の君にその選択肢はない」
HPも減っていた。なるほど。ラピッドナイフを投げたのは本当に正解だった。投げたのが魔剣ベイリンなら。レジェンダリー武器だったなら、今頃私は死んでいただろう。
「つまり、手詰まりって訳か……」
打てる手は無い。魔剣ベイリンを振るわけにはいかないし、恐らくSTRも下がっているだろう。殴ったところで勝てる見込みはない。
だが、それがどうした。
勝ちの目は必ずどこかにあるはずだ。
私は決して絶望の声なんかに耳を貸してはやらない。
注意深く奴の行動を見ていると、奴の行動にもおかしなところがあるのが分かった。
まず一つ。奴は目と鼻の先まで接近しているのに即座に私を始末しない。最終手段として魔剣ベイリンの投擲がある以上、奴としても速くケリをつけたいはず。
そしてもう一つ。奴の装備だ。ククリナイフは短剣カテゴリの中でも一番か二番くらいに性能が低い武器だった。私もかなり初期のころは一瞬だけ使っていた記憶がある。
そんなものを何故使っているのかというところだ。
男が口を開いた。
「考えているね」
「……」
「手詰まりだって言う割には命乞いだとか口汚く罵ったりだとかしていない。澄んだ顔をしている。まだ負けちゃいないって顔だ。そして君はこう思っている。僕のスキルに何か穴があるはずだと」
「……」
何らかの要因で私にトドメを刺せないのか、演説好きなのかイマイチ判断が分かれるところだ。後者なら容赦なく魔剣ベイリンをブチ当てて、リスポーンしたギルドホームから速攻でアイテムを回収に来ればいい。だが前者の場合まだ敵のスキルに何かあるということなので、不用意な攻撃は避けたいところだ。
「残念だけど、僕のスキルに死角はない。あるとすればそれは僕自身さ。だって僕は足手まといだからね」
「随分な自己評価だこと。その足手まとい君に追い詰められている私は何だっての」
「さあね」
男は私の胸をヤクザキックの要領で蹴飛ばす。私は右手を振ったがもちろんガードなんて出来るはずもなく容赦なく蹴り飛ばされた。男のSTRも低いのかHPはまだ残っているが、二発目を食らえば致命傷だ。そのまま私はさっき上った木に背中をぶつけそのまま地面に落ちた。蹴られた時よりもHPの減りは激しかった。
貧弱になった足は、立ち上がる力も失っていた。
「トドメだ。ノエルさん」
男は冷酷に冷徹に冷静に私に近付く。ククリナイフを振りかぶる。
「最後に……私を殺した相手の名前は覚えておきたい」
私の言葉に男はハッとなった。それは余裕なのかそれとも彼なりの流儀なのか。
「確かに。戦場の礼儀かもね。僕の名前はマコト。せっかくだ。君を殺そうとする理由も話しておこうか。僕が所属するギルドにとって君はちょっと邪魔なんだ。だから殺しに来た。分かる? つまりもうPKKはするなって警告だよ」
それは私にゲームをやめろと言っているのに近い。PKが殺されて困るギルドなんてPK専門のギルドくらいだ。つまりレッドプレイヤーが揃うギルドということ。
これは報復か何かなのか。しかしは私は彼の警告を受けてやる気は全くなかった。
「絶対に嫌」
「だよね。ここで君を殺したらその後で、君を指名手配にする。そうしたらどうなると思う? 全てのプレイヤーが君を狙って殺しに来るよ。そうなると流石の黒兎も……」
そこまで言って男は言葉を切った。次の句が思い浮かばないなんてことでは無い。驚愕で言葉を切ったのだ。
「右腰の短剣が無い……」
彼は気付いた。私の右腰に差してある魔剣ベイリンが消えていることに。そしてそれが意味する彼にとっては恐ろしいことを。
「流石の黒兎も……何?」
「ま、まさか?!」
彼はすぐに上空を見た。そうそこにある。
蹴られた時、どうにか上にぶん投げた魔剣ベイリンがあった。生えている木よりも更に高い。魔剣ベイリンはおそらくあと十数秒もすれば地面に落ちてくるだろう。切っ先を下に向けたまま、真下にいるマコトに向かって。
「避けたければ今すぐここから離れればいい。でもここで離れて私を殺せるかは、補償しないけどさ」
奴のスキルが何かは知らない。だけど近付かれてから弱体化が激しくなっていったのはずっと疑問点だったのだ。だから対象との距離がスキルの発動トリガーになることは既に予想していた。事実蹴られたあの瞬間は魔剣ベイリンを投げても私は死ななかった。
「そして、あなたがここまで私を殺すのに苦労してることについてだけど、あなたもかなりステータスが低いんでしょ。多分だけと、今の私と同じくらい。それで見かけ動けてるように見せつけてるのは見事としか言いようがないけどさ。近付いた対象の弱体化。いや近付いた対象のステータスを自分と同じにする。これがあなたのスキル。どう? 違うってなら違うって言えばいい」
「……」
「こんなちょっと歩くだけでも足が重いAGIじゃ、俊敏な動きは出来ないでしょ。ナイフを避ければいい。でもその隙に私はあっちに落ちてるラピッドナイフを拾ってあなたに向けて投げるから」
動かなければ死ぬ。動けば私に殺される。それがマコトの状況だった。かなりギリギリのところで、私は最悪の状況を打開する手を打っていたのだ。気付かれるのがもう少し早ければ敵に思考の隙を与えていた。
マコトは諦めたようにククリナイフを投げ捨てた。そして両手を挙げて言った。
「僕の【悪手纏い】を完璧に見抜くなんて流石ノエルさんだ! 実に主人公らしいね」
「は?」
マコトは私に拍手喝さいを送る。その上で、彼は言った。
「でも上に投げたナイフが僕に当たるかは、まだ分からないよね」
「私、実は運がいい方なの」
「僕を倒す方法が運? こりゃ傑作だ」
マコトは笑う。何だかそれが酷く不気味に見えた。
「うん。こうして負けてしまった以上は仕方ないか。君の指名手配はやめておくよ。そんなことをしたら多分潰されるのは僕らの方だ」
おっかないお嬢様もいるしね、と彼は小声で言った。多分、フェルのことだろう。
「それは良かった」
「でも、多分他のメンバーはそれじゃあ納得しないと思うんだよね。だって僕足手まといだしさ。これは確証を持って言えるけど仮にここで僕が買ったとして、僕がノエルを殺したって言っても誰も信じてくれないよ」
「マジか……それ勝ち損じゃない。スキル解きなさいって。殺さないであげるから。デスぺナは御免でしょ」
「デスペナルティは嫌だけどね。でもどうせならここで殺されておくよ。噂に名高い黒兎に殺されたとなれば僕のクソみたいな敗北歴にも箔は付くだろうからね」
「ネガティブ寄りのポジティブか。理解できないわ」
上を見れば魔剣ベイリンが落ちてきていた。あの軌道は確実にマコトを貫くだろう。マコトも見上げていた。自分を刺し殺そうとする凶器をじっと見ていられるなんて正気の沙汰とは思えなかった。
「最後に。僕達は今度のイベント【Dust to Dust】。第四次DDに参加するつもりなんだ。そこでならもしかしたら他のメンバーとも会えるかもしれない。交渉の余地はあるかもしれないよ。してどうなるかは別としてね」
「第四次DD……。DDは略称だよね。tはどこに行ったんだ……?」
「は?! いや今そこは関係な……」
関係ないだろと言いかけ、マコトの脳天に魔剣ベイリンが刺さった。彼のアバターが力を無くしてドサリと倒れる。私のアバターを包み込んでいた倦怠感の様な重さが消えた。
目の前にはマコトの死体が。そして彼が持っていたククリナイフが落ちていた。
「こんなのいらないっての。面倒な癖にドロップ品は見合わない。アレは最悪の敵だ。間違いない」
彼の死体にそう吐き捨てると、私は頭が重くなるような疲労感を抱えて、ルミナリエの街に入った。
今日はもうPKKはしないでスイーツ巡りだ。




