第39話 安心の定義Part2
リビングに着くと、既にフェルマータはいた。ソファに座って紅茶なんか飲んでいる。
実に絵になる。というか実際に絵から出てきたような光景だった。
「フェルマータ」
私が呼びかけると彼女は無言で、斜め向かいにある一人掛けのソファを指した。私がソファに座ると、フェルマータは不機嫌そうな顔をした。
何かしてしまっただろうか、という気分になるのはこの豪邸において私が精神的に下にいるからなのか。
「どうかした?」
「いやなんでもな……いわけなーい!!」
ドカッとまるで火山が噴火したかのように、フェルマータは声を上げた。
「ホントにどうしたの?!」
何かフェルマータが怒っているみたいだが、私にはその理由が分からない。彼女に対してはよく分からないことだらけではあるが、これはその中でもとびきりだ。
「ノエル!」
ビシッとフェルマータが私を指さす。
私は自然と背筋をピンと立ててしまっていた。これでは完全に下っ端だ。一応ギルマスなのに。
「これから私の名前を呼ぶときは、フェル又はフェルちゃんと呼ぶように」
「……えっと……事情が読み込めないんだけど、もしかして本当に読み込みに異常が出てたりする?」
「このゲームで読み込み異常なんて、アーサーレベルが十人でもいないと起きないわよ」
それは……さぞかし酷い光景だろう。
「ははは。まあそこまでいけばあるだろうね。でもだとしたら何でいきなり呼び方を注意されるのか分からないんだけど」
「ずっと思ってたのよ。でも、何だかいちいち言うのも嫌だったから、いつかノエルの方から言ってくれるのを待ってたのよ。でもあなたったら、全然言ってこないじゃない。毎回フェルマータフェルマータって言いにくいと思わなかったの?」
「言いにくい名前だってことは自覚してたのね……。でも私に察する能力は無いんだから……あまりそこら辺を求めないでよ」
人を名字で呼ぶことすら私からしたら珍しいことなのに。あだ名なんて逆立ちしても無理だ。フェルマータは呆れたのか、軽くため息を吐いた。
「まあでもいいわ。分からないなら言ってあげる。これからは私のことはあだ名で呼ぶこと! 分かった? 分からないんだったら分かるまでぶっ殺すからね」
「分かったよフェル」
まさかぶっ殺すとは。絶交するからね、とかだったらまだ可愛げがあったのに。実にこのゲームらしい台詞選びだ。私も反射的にフェルと呼んでしまった。流石にフェルちゃんと呼ぶ勇気は無かった。
「……まさか私の人生で他人をあだ名で呼ぶ日がくるなんてね」
「いいわよねあだ名。そうだ。ノエルも何かあだ名付けてあげましょうか?」
「いいよ。私は。フェル的にはあだ名で呼び合うのって日常茶飯事なの?」
「そんなわけないでしょ。あだ名で呼ぶような人なんていないわ」
まあそうだろうな。フェルには友達に囲まれてわいわいやっているような印象は無い。
どちらかと言うと一人で達観しているタイプだ。そうであってほしいと思うのは私のエゴだろうか。
特に理由は無いんだけれども。
「フェルにはリアルの友達っているの?」
気付けばそんなことを聞いていた。かなり失礼だ、それに加えてリアルの詮索をするなんてマナー違反もしている。二重に失礼だった。
「随分と失礼な物言いに聞こえるけど……いいわ。だっていないもの。リアルの友人なんて」
それが当然のようにフェルは言った。
「……」
「きっとノエルも心を許せる友は少ないのでしょう?」
「まあ……ね」
心を許せる友。思いつくのは、一人だけだった。
「それでいいのよ。そういうものよ。人との付き合いなんてのはね。自分が許容できるライン、相手が許容できるラインを破る必要は無いのよ」
「……なるほど。フェルを友人に出来る人があまりいないってことか」
「そうなんだけど、なんか馬鹿にされてる気がするわ」
つーんとフェルは口を尖らせる。
話を聞いていけばいくほど、フェルという人間の人となりが気になってしまった。彼女はどうして彼女なのか。何故だろう、猛烈にそれが知りたい。
「……まあ何でもいいけどさ」
余り過干渉なのもどうだという話だ。これはゲームで、私達はアバターを介して一緒にいるのだから、リアルについて一々詮索しようとしたり気にするのはおかしい。そんなことは初めから分かっていたつもりだったが、まともなフレンドが出来てきたことで、そこら辺の認識が変わってしまったのだろうか。
「ノエル?」
「ああ、私はもう落ちるよ。そろそろ日も変わる時間だしね」
ずっと変わらない私のプレイスタイルだ。日が変わってしまうまでに眠りにつく。ゲームの為に生きている訳でもないのだから。
フェルにエイル達は一体何時までインしているのだろうか。一瞬気になったが、それだけ。質問をするほどのことでもなかった。
ソファに座っているフェルがテレビの電源を点けた。動画投稿サイトのホーム画面が映し出されていた。アカウントは彼女のアカウントらしく、いつも見ているのか動物の動画が並んでいた。猫、兎、兎、猫、兎。猫と兎ばっかりだ。
「いつもいつも律儀よね。感心するわ」
「ゲームはゲーム。終われば日常、だよ」
「ノエルはいいお母さんになりそうね」
「どうだろう。こんな面倒な母親、私は嫌だよ」
吐き捨てるように言うと、私はリビングから出た。
「またね、ノエル」
「うん。また」
ゲーム内の私の自室のベッドの上で寝転がってログアウトをすると、沈むようだった体が急に浮き上がるような感覚を感じた。
うちのベッドもそんなに安物ではないのだけど、むしろ普通の人が使うものよりも高価なものなんだけれど、しかしあのギルドホームのベッドに比べてしまうと、なんだかなと言った感じだ。
「うーん……あれが安心というのものなのか……」
安心とは自分が絶対に害されない聖域であること。
自分の部屋以外にもそういう空間が出来たのかもしれない、と思うと何かムズ痒いものがあった。
「……フェルとギルドまで作ってしまうとは、これは人間的にかなりレベルアップしたのでは……?」
人と関わることに執拗なまでの恐怖を抱いていた頃の私が今の私を見たら、どう思うだろうか。きっとどうも思わないだろう。
私という人間は、今も昔もそういう人間だ。




