第7話 朝食は歴史講義の後で
「ユキ、ユキ! 起きて! 消して!」
異世界に来て三日目の朝は、エルヴィナの悲鳴から始まった。
目を開いてみれば、窓にかかっていたカーテンが見事に炎上している。
揺れる炎を見ながら、ユキは自分の脳内を整理していた。
(そう、ここは魔法学園。昨日合格して、さっそく寮の部屋をもらったんだよね。学生一人当たり一部屋だけど、結構広いからエルヴィナと一緒に住むには特に問題ないし、家具も大体そろってる。食事は出ないらしいけど、外の広場の屋台でいくらでも買えるし、いい環境だよね)
そんな事を考えているうちにも、炎はその勢いを増している。エルヴィナはタオルでバサバサ叩いて消そうとしているが、あまり効果は無いようだ。
「……なんで?」
「クゥちゃんがブレス吐いたのぅ!」
朝っぱらから炎の息でカーテンを燃やした子竜は、流石にマズいことをしたとわかっているのか視線をそらしている。
仕方ないなと肩をすくめて、ユキは水の魔法の構成を編む。
昨日さんざんリエル先生に叩き込まれたおかげで、5属性の初歩魔法の構成は暗記できた。しかし、呪文名に少し迷ったのが失敗だった。
「アクアスプラッシュ!」
ちょっと集まりすぎた水の精霊力が塊として実体化。超スピードで飛ぶ水塊は、辛うじて避けるのが間に合ったエルヴィナをかすめ、燃えるカーテンを窓枠ごと破壊する。
一拍置いて、窓の外で鎧戸の残骸が地面に落ちる音がする。
「ユキ……」
床にへたりこんだエルヴィナは、流石にちょっと責める目でユキを見ながら飛び上がる。
「ええと、ごめん、エルヴィナ」
「はぁ……ケガ人はいないみたいだね」
窓から見下ろすが、鎧戸の残骸の周りに人はいない。学校の中庭側で助かったというところだろう。逆側の広場なら、今日も朝から屋台が出ているはずだ。
「部屋の中はあたしが直しておくから、あれ拾ってきて」
「うん、わかった。ついでに朝ご飯買ってくるね」
寝巻の上から黒いローブを羽織る。魔術学園の制服として昨日与えられたものだ。ついでに当面の生活費ももらえたので、朝ご飯を買うお金には不自由しない。
これ以上やらかさないようにとクゥちゃんを連れて部屋を飛び出したところで人にぶつかった。
「うわっ、すみません」
「いや、大丈夫だよ。アサガ・ユキマサくん。ケガは無いかね」
ユキにぶつかられても小揺るぎもしなかった巨漢はその厳つい顔に凄みのある笑みを浮かべる。
「良ければ、朝食に付き合ってくれんかね。ワシのおごりだ」
数分後、ホカホカと湯気の香る粥のお椀を抱えてユキはテーブルに着いた。
屋台の粥だが、食べていきたい人用にテーブルがいくつか用意されているのだ。
「ありがとうございます。ええと……」
まだ、相手の名を聞いていなかったことを思い出す。
厳つい巨漢は、砕いたナッツを粥に乗せつつ、自己紹介する。
「ワシはオーグル・ブルツカット、この魔術学園の学園長だよ」
「あ、ええと、それはその」
教師だろうとは思っていたが、思ったより一回り大物だ。
うろたえるユキに、学園長はガハハと笑って見せた。
「気にすることは無い。始祖エルフに比べれば、なんという事もない下っ端だよ」
そういって、粥を一さじ口に含む。ユキもつられて粥を食べると、肉系の出汁の旨味が口の中に広がる。
「あ、ズルい。先に食べ始めないでよぅ」
トッピングに迷っていたエルヴィナもテーブルに着く。クゥちゃんは、学園長からもらった砕く前のナッツにかじりついている。
「元々、朝食は学生と取ることにしているのだが、昨日リエル先生から報告を受けてね」
そう話しながら、学園長は粥の中から肉団子をすくい、クゥちゃんの前に差し出す。クゥちゃんは遠慮なしにそれにかじりついた。
「ロキという名前の存在は君の世界にも言い伝えられていたということだが、詳しく話してもらえないか」
そう言われてユキはうろたえる。別に神話を特別調べたことがあるわけでもない。ゲームや映画に出てきた名前を知っている程度だ。それでも、なんとか記憶を掘り返す。
「ええと、一部の地域の神話です。神様の一人で、ものすごく悪戯者。ある神様をだまして別の神様を殺させたりとか、そういう話です。俺のいた地域の話じゃないからあまり詳しくは無いんで、知ってるのはこれぐらいですね」
「フム……符合するところも無いでは無いが、偶然かもしれんな」
「この世界のロキの事を気にしてるんですか」
「そうだ。君の世界ではお話の中の存在であったから良いが、こちらではそうもいかなくてな」
学園長は、2個目の肉団子をクゥちゃんにやると、短く呪文を唱えた。構成がちらりと見えたが、風の精霊力を使っていることぐらいしか読み取れないうちに発動が終わる。
ユキには何の効果かわからなかったが、学園長は発動した魔法に満足したらしく、教師の顔で歴史の講義を始めた。
「ロキは、始祖エルフの中では最も年若い世代の一人だ。もっとも、ロキより前から生きておるのは、今や始祖エルフでも10人かそこら。竜が2,3体ぐらいじゃろう。そうなった原因にも、奴の関与がある」
「魔竜グモウスの宝物庫から、黄金の盃を盗み出したのが、ロキが歴史に名を遺した最初の悪戯になる。グモウスはその盃を己の魂の入れ物にすることで、ただでさえ精強なその肉体を不死のものとしていた。それを盗まれるとは、つまり心臓に刃を当てられているに等しい。当然グモウスは怒り狂い、盃を盗んだ犯人を捜すためにエルフもドワーフも構わず攻撃を仕掛けた。不死なるグモウスを封じるため、エルフとドワーフは異例の連合軍を組んだ。封印が成った時、立っていられた英雄は参加者の1割にも満たなかったという」
「始祖エルフの中で最も強力であったグリムニルとドワーフ皇帝ヨシュアを仲たがいさせたのもロキだった。共に魔竜討伐を率いた盟友は、ロキの讒言に惑わされて、各々の種族を巻き込んだ大戦争を引き起こすほどに憎み合うこととなった。最期に互いに互いの首をはねるまでな」
「大戦争の後に残された始祖エルフたちは精霊王らと協力して聖樹を作り上げた。聖樹から与えられる恵みが世界を癒し、その麓ではエルフ・ドワーフ・人間が手を取り合う理想都市が築かれた。世界にとって、最も幸せだった時代だと言われておる。しかしその時代も理想都市も、新たな魔竜ナズヘグルの出現で終わりを迎えた。ロキはこの魔竜を退治するにあたって大きな貢献をした。戦士らに魔法の武器を与え、人間やドワーフらに参戦を促し、自らも多数の英雄らを率いて戦場に立った。両親を失ったエルフの幼子を養子として引き取りすらした。誰もが、かつての悪戯者は完全に改心したのだと思っていた」
この段を語る時、学園長の顔はそれまでよりも強く歪んでいた。彼にとっても歴史でしかない事と、実際に体験した事との違いだろう。
一拍の間をおいて、学園長は講義を続ける。
「だが、それすらもロキの陰謀だったのだ。ロキが様々な陰謀を巡らし、精霊王らを一人ずつ排除し、あるいは支配し、聖樹そのものを魔物化させて魔竜を作り上げたことが分かっておる」
「精霊王がいれば、魔物にならないんですか?」
思わず口にしたユキの質問に、学園長は頷いて答えた。
「そうだ。生物が身に余る魔力をため込むと魔物となる。精霊たちは、その魔力を吸い取り、あるいは元素力に変えて発散させることで魔物の発生を抑え、弱体化させることができるのだ」
「だから、普通は精霊王になると、なるべく田舎の方に行くの。人里近くだと、魔物になっても早いうちに倒されるから大丈夫なんだけど、人が少ない田舎の方だと手が付けられないほど強くなっちゃうかもしれないから」
精霊王になったばかりのエルヴィナが補足する。彼女もいつかは田舎の方で魔物の抑制に努めるのだろう。
「ともあれ、もうロキを排除するしかないとエルフ・ドワーフ・人間はもちろん竜までも引き込んだ共同戦線が形成された。しかし、ロキは作戦実行直前に姿を消し、まるで手がかりがないまま3年ほどが経過している。君がいるこの世界の現在はそういう状況だ」
ユキは講義の内容を反芻し、陰鬱な気持ちになった。
夢で会った時からいけ好かない奴だとは感じていたが、まさかここまでとは。
「俺の身体は、そんなとんでもない事をした悪人のものなんですね……」
「君が悪いことをしたわけではない。しかし、気を付けた方がいいのは事実だ」
そういって、学園長はさじを取り上げて空中で振る。
次の瞬間、市場の喧騒が戻ってきた。魔法で音を遮断していたのだろう。
(つまり、聞かれるとまずい話だったって事か……)
「大丈夫」
黙り込んでしまったユキの右手を、エルヴィナの小さな手が握る。
「ユキはユキだよ」
「クァァ!」
クゥちゃんも、分かっているのかいないのかユキの左手に前足をのせて鳴いた。
「良い仲間を持ったな、ユキくん。君を君として見てくれる仲間をもっと増やしなさい。学園はそのためにある」
そういってほほ笑むと、学園長は食事を再開した。
ユキたちもならって、再度粥を口に運ぶ。
しかし、粥はすっかり冷めていた。
2連続説明回は良くなかったなぁと思いつつも、ロキの悪人っぷりは説明しておきたかったのでこういう構成に。
次回はスカッとアクションの予定です。