第18話 竜との遭遇(ただしでっかい)
サブタイトルの伏線回収~♪
蝙蝠じみた巨大な翼が打ち下ろされるたび、直下に強風が吹き荒れる。
それに押されるようにして、竜の下から人が速やかに引いていった。
ほんのひと時前までは多数の客や学生でにぎわっていた円形広場に、竜が降り立つ。その体躯のわりには驚くほどそっと、しかし、ユキは一瞬足元が跳ねるような揺れを感じた。
真昼の太陽の下でも夕焼けのように赤く輝く鱗、ほとんど黒と見まがうほどの濃い赤の翼膜、蜥蜴のような顔からは6本の角が後方に突き出ており、威圧感を強化している。
だが、何よりも強い威圧感を発しているのは、角ではないし、鋭い牙でも人の背丈ほどもある爪でもない。
目だ。縦に裂けた瞳孔の真紅に染まった瞳が、この竜が怒り狂ってここに来たことを雄弁に語っていた。
逃げることすら忘れて巨竜を注視する人々。
巨竜は翼をたたみ、おもむろに口を開いた。
この瞬間、何人かは大音声が来ると思って耳をふさぎ、何人かは炎のブレスが来ると思って身をすくめた。
だが、何も放たれなかった。ユキが感じたのは、ただ下腹に響く振動。
「リー? ロキ?」
エルヴィナが呆然と呟く。
「ロキ!?」
「う、うん。あのドラゴンが、『リーよ。ロキはいるか』って」
巨竜は声を発していたのだ。ただ、人間やエルフの可聴域の下限を下回る低い低い声だったため、風の精霊王であるエルヴィナにしか聞こえなかったが。
巨竜もそれを悟ったのか、今度は人間にも聞こえる様に言い直す。
「ロキはおるかぁぁ! 我が孫の子を返してもらいに来たぞ!!」
静まり返っていた群衆が、一気にざわつく。
伝説でしか語られないような竜の到来に、伝説でしか会いたくない大悪党の名が重なったのだ。
何とか広場から逃げ出そうとする人の波をかき分け、ユキの隣にやってきたのはアーベルだった。接客中に抜けてきたらしく、長いドレスはそのままで、モトリが裾が汚れないよう引き上げている。
「なんでロキの名が出てくるんかは分からへんけど、あいつの言うとる『我が孫の子』ってのはクゥちゃんちゃうんか?」
「あ、えと、うん。多分」
「ほな、さっさと……」
「ロキはおらんか!!!」
アーベルの言葉にかぶせるように、巨竜は言葉と共に翼を動かす。
着陸時とは比べ物にならない、怒りに任せた動きで暴風が巻き起こされる。
「風よ、我らの盾となれ」
ユキは反射的に防御魔法を唱えた。打ち付けられた風で屋台が、観客や学生らが吹き飛ばされる中、ユキとエルヴィナ、アーベルの主従だけがそのまま立っている。
巨竜が頭を巡らせ、真正面からユキを睨みつけた。
「おるではないか、ロキよ。顔を変えておらんとは珍しい」
赤く燃える目に睨まれ、ユキは思わず喉を鳴らす。
初めから、そういうつもりだったのだ。多数の人間の中からロキを見つけ出すことは出来なくとも、反射的に防御魔法を使える相手に絞れば見つけ出すのはたやすい。
自分の失策に気づいて立ちすくむユキを庇うように、アーベルが一歩前に出る。
「待ちぃや、ドラゴン。こいつはロキやのうて」
「黙れ小娘! 憎きロキめの顔を、100年見ておらぬ程度で見間違いなどせんわっ! 今すぐ我が孫の子を返さぬならば、この人の街を焦土に変えてくれる!」
圧力すら伴う巨竜の怒りに、アーベルも押し戻される。
「ここで実は檻から抜け出してたクゥちゃんがやってきて万々歳ってわけにはいかないっすかね」
「それは流石に無理だよぅ。部屋に戻って檻を開けるしかないんだけど」
「ロキがこの場を離れることを許してはくれないでしょうね」
モトリの後ろに現れたのは、沈痛な顔をしたリエル先生だった。
「ユキくん、悪いんだけど、ここはロキとして……」
非情な提案をしようとしているリエル先生の言葉を、アーベルが無理やり遮る。
「ユキ、3分あったらクゥちゃんの檻を開けて、連れて戻ってこれるやろか」
「3分って! 相手は赤竜の長よ。教師陣全員で拘束魔法を使ったとしても!」
常識で考えれば、そうなるのだろう。それでもまっすぐ見つめられ、ユキはアーベルに答えを返す。
「戻ってくるのはできる。でもどうやって……」
アーベルは、ユキの問いに応えずに鉄のティアラの中央についた宝石をひねった。
魔晶石が魔力を吐き出し、ティアラの裏に掘られた魔術回路を走る。
鉄のティアラはたちまち形を変え、ドワーフを守る鉄鎧と化した。
「祖たる真竜の末裔よ、赤き竜の代表者、魔竜の央首フラズアンの祝福を受けし者、ホーゴックの孫、スコルテントの子たるイラズアよ」
人のいなくなった中庭に、朗々と響くアーベルの声。
それを聞いた巨竜がわずかに向き直る。
「いかにも。我はイラズア。ドワーフの娘子よ。古式に基づいて名乗るべし」
「魔竜殺しのヨシュア1世が末子、エフライムの血に連なる者。ティンカーの民を率いるグロム・ゴールドティンカーの娘、アーベル・ゴールドティンカー」
巨竜の瞳の赤が、輝きを減じる。怒りが収まり、別の感情が湧いているのだ。
「ああああ、聞きたいとは思ってたけど早すぎるっす!」
シリアスな主人とは対照的に、メイドの方は切り離されたスカートのすそを放り出して頭を抱える。
「どういうこと?」
「今のはドワーフと竜が1対1の決闘の申し込みするときの作法っす。そりゃまぁいつかは竜をも下す英雄になっていただきたいとは常々思っておりましたが!」
リエル先生もエルヴィナも顔を青ざめさせる。
十数年後なら、あるいはもっと若い竜が相手であれば、アーベルは英雄になれたかもしれない。しかし、今はまだ若すぎ、相手の竜は育ちすぎている。
他ならぬ巨竜自身も、そう思ったのかもしれない。
「良い名乗りだ。しかし、若いな。氏族の思惑かは知らぬが、ロキを庇って死を選ぶか?」
否と答えれば、あるいは先の名乗りすらなかったことにしてくれたかもしれない。
しかし、アーベルはそれを選ばなかった。
「竜の間では」
一旦言葉を切るアーベル。
面を下した状態で、その顔を外からうかがい知ることは出来ない。だが、ユキはその奥の、腹を決めた顔が見えた気がした。
「老いるとは挑戦者に背を向けるほど腑抜けになることか?」
「よぉ吠えた、小娘!」
挑発に応えた巨竜の一声が、戦いの始まりを告げる。




