冬にこたつでみる夢は、
あ、やっぱりここにあった······
こたつの中から丸まった靴下を取り出し、この家の女主人であるひろこは小さなため息をこぼしました。消防士のパパと育ち盛りの小さな王子さまであるユイト。3人で暮らすには少々手狭なアパートですが、それに加え毎年冬に我が物顔で居間を占拠する王様ーまたの名をこたつーがひろこの悩みの種でした。
ここへ越してきて最初の冬、エアコンもあるのだし何より見栄えが悪いわ、とこたつの設置をやんわり拒否したのはひろこ。でもこれがなくちゃ冬が越せないだろ、と笑って譲らなかったのはパパでした。今までこたつなんてなくたって生きてこられたもの。ひろこはそう口を尖らせながらも初めてのこたつに恐る恐るつま先をつっこみ、結局その冬中こたつでダラダラと過ごす羽目になりました。
そんなわけで、その冬以来こたつを目にするとひろこは何となく後ろめたいような気分になるのですが、今日のため息の原因はそれとはまた別です。
今日は靴下に家計簿、昨日は布団たたき、一昨日はユイトの学校で配られたプリントだったわ······
ここのところ、家中ひっくり返しあちこち探しても見つからなかったものが、どうしてか次々こたつの中から出てくるのです。靴下やプリントはともかく、家計簿も布団たたきも、「あるべきものをあるべき場所に」がモットーのひろこの城において、そんなところで見つかるはずがありません。
だとすると、やっぱりユイトのいたずらかしら。
今日こそつきとめなくては、とひろこは心に決めました。
ざわざわ······ざわざわ······
ユイトの帰りを待つ間、ついこたつでうとうとしてしまったひろこは、誰かの囁くような声でふと目を覚ましました。
ユイトが帰ってきたのかしら。それにしては声が少し低いような······
うつらうつらする頭でひろこは考えます。
どこから聴こえてくるのかしら、この声······テレビはつけていないはずだし······『さがしものはないかい?』さがしもの······?『そうさ、さがしものだよ。何でも良い。失くしたものでも、追い求めているものでも。何かさがしたいものはないかな』
失くしたもの······その言葉を聞いて頭によぎったのは、遠い昔に諦めた夢でした。ダンサーになりたくて、レッスンに明け暮れた日々。パパに出会ってユイトが生まれて、家事に育児にと忙しない毎日の中でいつの間にか失くしてしまったものに違いありません。
『なるほど、なるほど。他にはないかい?何か欲しいもの』
欲しいもの······そうね、小さくても良いから家が欲しい。こたつのかわりに、アイボリー色のテーブルがリビングの中央にちょこんと置いてある可愛らしいおうち。それから、日々を楽しむ余裕のある生活······。どうして毎日私だけが早起きをして、ねぼすけのパパと怪獣みたいな寝相の王子さまを起こしてなんとか顔を洗わせてごはんを食べさせて仕事や学校へ送り込まないといけないの。一度で良いから、優雅で落ち着いた朝をむかえてみたい。
『ふむ、なるほどなるほど。それならこたつをめくって覗いてごらん、さがしものがみつかるから。ほんの少し手を伸ばしてみるだけで良い。そうしたらもうそれは君のものだ』
まだうとうとする頭でひろこは考えます。そんなことあるかしら······でも、少しだけ。ほんの少しだけ、覗いてみるくらいいいんじゃない?
ひろこは夢うつつのまま、こたつ布団を持ち上げそうっと覗きました。するとどうでしょう。そこには見慣れたこたつのオレンジの光はなく、かわりにスポットライトに照らされてステージで踊る自分の姿がありました。嘘みたい。思わず息を呑んだひろこに、続けて声は語りかけます。『もっとよくみてごらん。その奥には何が見える?』奥······。ひろこが踊るステージの奥に、小さな家が見えました。リビングにはすらっと背が高く優しそうな男の人がいて、ぽかぽか湯気があがるシチューをアイボリー色のテーブルにのせようとしています。テーブルには利発そうな男の子もいて、宿題を片付けているようでした。揃いの椅子は1、2、3脚あります。やがて食事の支度が整ったのか2人はテーブルにつき、魅入られたように覗き込むひろこに向かって手招きしました。『いま手を伸ばせば、あの生活はすべて君のものだ』謎の声がもう一度語りかけます。手を······伸ばせば。
「ただいまあ」
ユイトです。
その声にひろこは我に返り、こたつを覗いていたはずの顔が天板の上にあること、つまり突っ伏してうたた寝をしてしまっていたことに気がつきました。何だ、夢だったのね······それにしてもリアルな夢だった。思わず手を伸ばしかけたもの、と苦笑しつつ立ち上がると、ちょうど手洗いを終えたユイトが居間に入ってくるところでした。
「ママ、おこたでお昼寝してたの?」
ほっぺに跡がついてるよ、と笑うユイトがいつも以上にいとおしく感じ、抱きしめました。くすぐったそうに身を捩ったユイトの後ろには脱ぎ散らかしたジャンパーやら靴下やら、蓋の開いたランドセルやらが散乱しています。夢で覗いた生活がちらと頭を過ぎりましたが、それでもお日様の匂いがするこの王子さまが私の人生唯一のさがしものだったに違いない、ともう一度強く抱きしめました。
「ママ、ぼく今夜ハンバーグが食べたいな」
いいわね、そうしましょうか。
台所に向かう、何となくいつもより優しい気がするママの背中を横目で見送ってユイトはこたつに潜り込みます。
こたつの上にはみかんが2つ。1つは皮を剥いてこたつの中に放り込み、もう1つの皮を剥きながらユイトは呟きました。
「明日授業参観だから、女優さんみたいなママを探してるんだけど。」
ユイトの呟きと貰ったみかんに応えるようにこたつ布団はほんの少し持ち上がり、またすぐにもとの通りに戻ったのでした。