9.黄金の月下に種子は流れ着く
さっきまで感じていたベッドの温もりから一変して、冷たい床の感触に驚き、目を開ける。
空には金色に輝く月が昇り、視界の端々にはレンガ造りの家から下げられているお洒落なランタンから、ろうそくの明かりが見える。
起き上がるとわたしが寝ていたのは、木造のベンチ。
茶色の木の板に黒い鉄の枠組みで、素朴だが安定感がある。
「夢の世界、また来れたんだ……」
抱いた安堵は、すぐに不安へと塗り替えられた。
思い出すのはお腹にナイフを刺されたメア。
アリスとナイトメア。
そしてわたし以外に見当たらない夢の世界。
イイダさんの事もあって、自然とこの状況への考えは悪い方へと向かっていく。
どう考えてもドッペルがわたしと入れ替わる為に、明晰夢を見せているとしか思えない。
(どうしよう。と、とりあえず何か行動しよう!)
ベンチから立ち上がって、周りを見渡す。
階段状に町が築かれている、古風な町。
ハロウィンの世界と言われれば納得してしまうこの世界は、物静かでいるだけで安心できる、穏やかさがあった。
一番上には厳かな城が建ち、この町全土を黙々と見守っている。
ドッペルの世界にしては、違和感がある。
二回しか会ったこと無いけど、どれも悪夢らしいよく分からない世界だったのに、この世界はどうだ。
ヨーロッパの城下町にでも旅行に来たのかと、ドッペルと関わる前なら思っていた。
(よし、この格好なら動きやすい)
わたしが今着ている服は薄桃色のカットソーにショートパンツ。
前は白のワンピースだったのに、活動しやすい服装になっている。
力が使えるかどうかの確認ついでに、手元にバレッタを作り出す。
パンタスは機能し、イメージした通りに赤のバレッタが現れる。
それを使い肩まで伸びた髪を後頭部で纏める。
「メアがいないけど、一人で何とかしなくちゃ」
考え込めばどんどん暗くなっていく気持ちを、走って紛らわせる。
建っている建物はどれももぬけの殻。
お店とからしい建物も有ったけど、全部扉は開かない。
鍵がかけられた西洋の町。
それがこの世界の印象だった。
どれも興味が湧きたてられる意匠なのに、どれもこれも閉じている。
「この辺りの建物が全部同じなら、後は……」
そびえ立つ城を見上げる。
この中でもっとも異彩を放っているのは、あの城だ。
この世界を作ったドッペルが、あそこにきっといるのだろう。
(……行って、どうするんだろう)
メアがいない。
何も出来ないなら先に走り出すなと、いつも美友ちゃんに怒られるのを、思い出す。
うん。
今度は、今度はちゃんと考えたよ。
美友ちゃん。
(……行ったらきっと)
きっとドッペルに良いようにされて、体を盗られる。
何もできず、ただ泣きじゃくって悪夢に捕まるだろう。
「そんなのは、駄目だよね。じゃあどうしよう」
考える。
オネロスとして力はほぼ無い。
メアがいないから変身も出来ない。
パンタスで何かを作る。
わたしは苦手だから有効手段では無い。
ふと視界の端に誰かが映ったので、そちらに振り向く。
道端の中心にいたのは、人間と同じく二本足で立っている灰色の狼。
しかも執事の格好をして、わたしに右手を胸に当てたお辞儀をしてきた。
凛々しい眼差しに左目には片眼鏡。
わたしよりも長身のかっこいい狼人間。
「失礼、お嬢さん。私の名前はウプウアウト。呼び方はどうぞご自由に。参考までに我が主は、私を駄犬かウートとお呼びします。どうぞお見知り置きを」
「は、はぁ……。じゃあウートさんで」
気のせいか、駄犬の部分だけをやたらと強調していた気がする。
他が落ち着いた声で話していた為に、尚更だった。
ウートさんと読んだときも、肩をすくめて残念そうにしていた。
「わたしは八重咲撫花です」
「ではヤエザキ様。こちらに馬車を用意しております。――ああ警戒なさらないで。我が主はオネロス。即ち私はポベトルなのです」
彼が指を鳴らすと、どこからか馬車が現れる。
ただし車を引く馬と御者には首がなく、断面からは黄色い炎が噴き出していた。
ナイトメアとアリスに比べれば、怖くない。
たぶん。
「悪夢狩りなのだから、それらしく死神が良いと。お嬢様はそう仰っていましたが、普通の方は引きますよね、これ」
「この世界には合ってると思いますよ」
趣のある世界にそれを確固とするファンタジーの夢の住人。
狼人間にデュラハン。
それにウートさんが言うには、オネロスは貴族辺りに該当するのだろうか。
なるほど確かに。
今でならこんな世界がいきなり現れたら抵抗があるだろうが、これまでの世界と比べれば現実に寄っていて受け入れやすい。
馬車も首の断面が見えていたらわたしも逃げ出していただろうが、黄色い炎がそれを緩和してくれている。
「それでは、どうぞ」
ウートさんは首無し馬に引かれた馬車の中へ入るように、畏まって馬車の扉を開けてくれる。
わたしを1人の客人として扱い、丁寧に礼を尽くしてくれているのは分かる。
でも、まだ本当に彼がポベトルなのかは確証がない。
仮にそうだったとしても、味方かどうかも分からない。
何せ前例がいるのだから。
「……困りましたね。やはり信用は無いようです。はてさて、私たちが貴女様の味方――少なくとも敵ではないことをどう証明したものか」
ウートさんはわたしの心情を察してくれたのか、苦笑して手を顎に当てる。
「自傷による証明は私的には有りなのですが、スプラッタはヤエザキ様のような可憐な少女には少々刺激が強すぎる。かといって口でご納得頂けるかというと、これまた難しい。私たちは異形の成りをしているので、警戒は当然」
うなるウートさんには申し訳ないが、わたし自身も信用する方法が思い付かない。
これをやったから信用する、と安易なことで安心を買えるほど今のわたしに余裕はない。
「では一つ一つ不安要素を無くして行きましょう。そうですね、まずは味方かどうかですが」
片膝で立ち、頭を下げるウートさん。
丁度わたしが頭に手を置きやすい位置まで姿勢を下げてくれる。
いったい何をするのだろうか。
「私に首輪をお付けください、ヤエザキ様。遠慮は要りません。私はこの通り犬ですので、むしろ望む所です」
「えっ……ああ、えっと……。ウートさんは狼、ですよね」
「違わず上に従う生き物です。さあ、どうぞ」
恐らくわたしが主導権を握って、下手なことを出来ないようにしろという事だろう。
正直もう今までの印象である程度の信用は置いている。
この人は紳士的で、わたしを案じて色んなことを考えて行動してくれている。
だけど、うん。
澄ました振る舞いで流していたけど、もう無理。
「ウートさんて、そういうのが好きなんですか?」
「いえいえ。穢れを知らぬ純な乙女に、私はそのような事を頼む趣味は御座いません。それはお嬢様の領分で御座います」
「好き自体は否定しないんですね」
生えている尻尾が大きく振られているので、本心なのだろう。
伏せられた表情もどこか嬉しそうで、この沈黙は肯定と取っていいだろう。
わたしとしては人間大の二足歩行狼に首輪は付けたくない。
普通の狼なら可愛いと思うのだが、ウートさんの場合は狼の被り物をしている人と誤認しそうで、嫌悪感がある。
「分かりました。馬車に乗ります。首輪は付けるどころかウートさんには何もしません」
「左様ですか。それでは、どうぞヤエザキ様」
諦めて肩を落とすわたしは、ウートさんに誘導されて馬車に乗る。
今後もこういう事をされたら簡単に乗っちゃうのかな、わたし。
馬車の内装は意外にも広かった。
内は中央にテーブルが置かれた四人乗り。
ウートさんとわたしは対面で座る。
ウートさんが御者側で、わたしが後方の席に座る。
扉が閉められると、馬車は徐々に加速を始める。
過ぎていく町並みは車ほどではなく、景色を悠々と楽しめる速度だ。
まるでパレードの中心にいる車に乗っているような感覚があり、建てられている建物も珍しいのもあり外を眺めていると、食器が準備されている音が聞こえてくる。
音もせず揺らめく黄金の炎が食器を作り出し、ウートさんはそれを慣れた手つきで準備を進めていく。
あっという間に用意されたのはあまり馴染みの無いお茶で、車内にはかすかに甘い香りが漂い始める。
「ジンジャーティーで御座います。蜂蜜を少々入れましたので、飲みやすいかと」
手前に差し出されたティーカップの中には、淡い黄色のお茶。
ジンジャーは確かしょうがだったはず。
そう思いそっと口を付けると、広がるのはハチミツの甘さ。
さっき少々と言ったのは何だったのかと言うくらい、甘く飲みやすい。
ほぅ、と息を吐くとじわじわと体温が上がっているのが感じ取れる。
「この世界は少々気温が低いですからね。常に夜で温度が上がりませんから、次に来るときは秋辺りの服装をオススメしますよ」
女性は体を冷やしてはいけません、と言葉を添えてウートさんは指を鳴らす。
するとわたしの肩に灰色のコートが掛けられる。
メアがいないことに動転していたせいか、気温をようやく自覚する。
言われた通り、この格好をするには少し寒い。
動いていないと余計だった。
「ありがとうございます。ウートさん」
「どう致しまして。――いやはやヤエザキ様は素直な方だ。お嬢様ならただ一言お礼を言うのみでしょう。そういう所が私は魅力だとは思いますが」
「え、それちゃんとお礼は言えていますよね?」
態度が違うのですと思いを馳せるウートさんには、これ以上言及する気にはならなかった。
「では雑談は程々に、ヤエザキ様がこの世界にいる理由や私たちの事など。情報を交換いたしましょう」
思いを噛みしめたウートさんは柔らかな笑みを浮かべる。
ひずめが石畳を踏みしめ車輪と共に走る中、わたしは新たな夢の世界で出会った狼人間に、以前の出来事を話すのだった。