48.嗤う悪夢と青銅
混沌とした世界で一人と一匹が殺し合う。
鈍い青緑の空に赤い三日月が昇り、青銅でできた迷宮で、揺らめく暗色の炎の体を走らせる巨大な猫。
対する人物は、闘牛師の如く猫の巨躯を避けては手に持つ細剣で体を刻んでいく。
「ネームレスじゃないけれど、ちょっとは相手を考えた方がいいよ、ナイトメア。ボクは前々から言ってたよ、君も食べてみたいって」
「私が手伝ったら速攻でカタが着くのに、ホントにホントに頭悪いなクソが」
「ボクは今君を食べたいんだ。その後でナデカを食べて、悪夢になった人間たちを食べて。最後には……。分かるかい、ナイトメア。君は前菜なんだよ」
「それならこっちも同じだよ。遊びに付き合えないなら不幸にするまで。お前の余裕はいつまでだい? 早くしないと同族食らい最大の不幸がこっちに来てるよ。」
同族を食べたい、他人を不幸にしたい。
悪夢の欲求を抑えられない二人が、相手へ思い思いの言葉を紡いでいく。
二人の考えはある点においては一緒で。
昔からそれだけは変わらない。
どちらも最終地点は同じ場所。
そこへ向かって走り続けて、道中の障害物を排除する順番を前後させているだけ。
「君はネームレスが不幸になれば良いんだろう? ならここで死んでも問題はない」
「アイツの不幸をこの目で見たいって、何度も何度も言ってるだろう。いい加減覚えろクソ野郎。――お前はここで死んでいいのか? 大人しく雑魚悪夢を食べてた方が身のためだぞ」
「生憎と欲に素直が美徳と思っててね。主菜が間近と思うといても立ってもいられないんだ! ……それにほら、君が死ねば不幸なんて一切ない」
鼻息を荒くし、下半身を膨らませる男装の麗人にナイトメアは舌打ちする。
藍花たちが来る前に、一番面白そうな話に乗ろうとしたが相手は自分以上に欲に正直。
利点を考えず衝動に身を任せた行動が、少しずつナイトメアを追い込んでいく。
二人の力はさほど離れてはいない。
ナイトメアが巨体で追い込んでいるように見えて、実際は身軽なエンプーサが剣を振るう度に有利になっていく。
お互いに支配下の悪夢は使えず、拮抗した力は世界にも現れている。
力量は同じ、目的も同じ。
ならばそのバランスを崩すのは意思の力。
頬掠めた細剣を目で追うナイトメアは、周囲に作られた多数のナイフに気付かず、滅多刺しにされていく。
「――不幸不幸と、そういう君が一番哀れじゃないかな。中身がない。そんなんじゃネームレスには傷一つ付けられないよ」
「にゃは、にゅはは。ならならお前の攻撃は無駄の無駄。何せ中身がないから響かない。意思? 感情? 何それ馬鹿じゃないの」
炎の体が溶けていく。
真っ赤に笑う三日月だけを残して、ナイトメアは嘲笑う。
振るわれる細剣は虚しく宙を切り、絶えることの無い笑い声が、エンプーサの周りを彷徨いていく。
「あの時も私を殺すとか言ってたけど、実際殺り合ったらこの様か。お前の言葉じゃ私を殺せない。足りないんだよ熱量が」
何もしない、何もできない。
ただ笑うだけの顔を攻撃しても、エンプーサの力は伝わらない。
崩れる事の無い笑顔に、エンプーサは次第に顔を引きつらせていく。
「あー段々詰まらなくなってきた。この程度でアイツを食べようとしてたのか。ならならここは一つ、下らない俗物同士で喜劇を見ようか」
眼前に現れた猫の仮面を、エンプーサは叩き割る。
ふと見覚えのある物だと思った矢先に、エンプーサの背筋へ悪寒が走る。
金色と藍色の光が世界に亀裂を生み出していく。
空は曇天となり、赤い月すら覆って灰色に染める。
地面は綻び、白と赤の市松模様を浮かび上がらせる。
何かにぶつかったエンプーサが見上げると、降り注ぐのはカードとチェスの駒。
「復讐劇は好きかな、エンプーサ。復讐者が今来たよ。大切なものを失えば終わりではないと、悪夢の先を夢見てね」
「うるさいよ、ナイトメア」
ゆっくりと向かってくる足音に、大きな金属を引きずり削る音。
浮かぶ仮面に集まる、藍色の花びらとトランプたち。
白の女王である駒を囲んでは、どす黒い繭を作り出して閉じ込めていく。
繭から飛び出るのは鋭利な刃。
開けられた隙間からは、満面の笑みを浮かべる真紅の三日月。
不思議の国へと堕ち、鏡写しとなった笑いの無い少女は握る大鎌に力をこめる。
血に染まり、嘘を吐いて、大切なものを無くしてしまった自分は笑えない。
全てを奪った相手と同じ、そんな資格はどこにも無い。
それでも笑っても良いと言うのなら。
黒の世界が無くなったその先で――
『それは失礼、飼い主よ。ならば早速始めようか、悪夢の花を摘み取る為』
「お前を殺す、"捕食者"!」
愛しい花と優しい月。
二人の前で、不器用ながら笑う練習から始めよう。
*
「良いのですか、お嬢様。藍花様はともかくメア様に着いていかなくて」
「世界を繋げるときに見た光景、あそこへ行く資格は私にはないわ。当然メアも一人だけじゃ無理ね」
「かと言って私だけが同行しても大差がなく、お嬢様を一人にする訳にも行きませんから。……これが順当、ということですか」
「……私だって、力になれないのは歯がゆいわよ」
壊れた街が黄金の輝きで直っていく様を見ながら、私とウートは見送った二人の話をしていく。
四人で話し合った結果、ナイトメアの後を追うのは藍花。
撫花の下へはメアだけが行くことになった。
とにかく場所を突き止めようと、藍花のモルフェスを起点に私のパンタスで世界を繋げてみた結果、それまで考えていた作戦が呆気なく一つにまで絞られた。
夜空に空いた穴から見えたのは、対になる二つの世界。
赤と青緑が目まぐるしく入り混じる混濁とした世界と、一面砂しか存在しない静かな世界。
砂の世界は、否応も無く誰の下にいるのか分かってしまう。
自分ではあそこには行けない、だから藍花と一緒にナイトメアの所へ行こうとしたのに。
下手な笑顔で拒否されてしまった。
「……姉妹揃って、馬鹿なんだから」
ウートにも聞こえない声を漏らす。
体が、唇が、アイツの暖かさを今でも覚えている。
どれだけ見た目が変わっても、あの二人の根底は変わっていない。
自分よりも他人が大好きで、その為になら自己犠牲を厭わない。
自分がどれだけ傷付いても、苦しくても、隣にいる大切な人が笑えるのなら構わない。
藍花も、撫花も、ずっとずっとそうして来たんだって。
期せずして二人の隣にいてしまった私は分かってしまった。
「責任、取んなさいよ藍花」
空に昇る月へ、二人に想いが届けと祈りを込める。
私を帰る場所と言ったんだから。
撫花と一緒に手を繋いで、下手になった笑顔で――




