46.笑いのない花
月が見下ろす世界に言い様の無い違和感が起きる。
お姉ちゃんを追いかける足が止まり、ウートさんもわたしと同じ方向を見て立ち止まる。
何時からいたのだろう。
いったいどうやって音すらなくこの世界に現れたのか。
考えても答えが出なくて、いることが当たり前の存在にようやく話しかける。
「あなたは、何なんですか……」
「悪夢、ドッペルゲンガー、ドリームマン、夢魔。少なくと味方では無いかな」
平然と建物の上でわたしたちを待ち構える身長の高い男性は、口が見当たらないのに声を発し始める。
それどころか顔にあるべきはずのものが全てなくて、色白の皮膚だけが黒髪の下を染めている。
本でしか見たことの無い服装で、肌以外は真っ黒。
――顔の無い白と黒の悪夢。
『どういうことメア。何であんたがここにいるメア』
「えっ、メアの知ってる人?」
「それはまた。メア様の知人となると」
考えられるのは、前にメアが言っていた生まれてすぐ会ったっていうポベトル。
味方では無いって自分で言った以上、メアの知り合いだとしても油断ができない。
「知人というなら私はモモカ――今は撫花だったね。君ともそうだよ」
『はぁ!? 会った時からよく分からない事をよく言う奴だと思ってたメアけど、お前が何でナデカと知り合い何だメア!』
モモカ、と呼ばれた時に懐かしい声が頭の中をよぎる。
ちょっと背伸びした同じ声の女の子が、何度も何度もそう呼んでくれた。
「色々とあるからね。自己紹介させてもらおうか」
わたしもウートさんも彼の前から動くことができなかった。
怖いとか、意外といい人なのかもとか、言葉で言い表せる感情じゃなかった。
ただ分からない。
目の前の人の形をしたナニカが、人の言葉を話しているだけで悪夢ですらないと思い始めるほどに。
この世に全知全能の救世主のような神様がいるとして、突然目の前に現れたら人はきっとこんな感じになるのかもしれない。
「名前は好きに呼んでくれ、拘りは無いし分かればそれでいい。よく言われるのは"名無し"かな。――それで今この場で私を分かりやすく言うのなら、私は悪夢そのもので、メアに知識を教えた者で、撫花の生みの親と言った所かな」
「本当に色々と面白い話をするわね、貴方」
ネームレスの周りに黄色の炎が何個も灯されて、伸びた鎖が彼を縛り上げていく。
彼は抵抗することなく縛られ、上を見上げると椅子に座った優月さんがゆっくりと空から降りてくる。
「"冥幽夜会"の仕切り役、それどころか悪夢絡みの事件全般が貴方の仕業って考えていいかしら」
「合ってるよ、夜会は私が作ったものだ。そして事件というか私の試みは、何も全て人々に影響は及ぼしている訳じゃないよ」
「あら、素直に話すのね。少しは勿体ぶるのかと思ってたのに」
「確かにそうする事が面白い時はあるけれど、今は違う。とりあえず聞きたいのはさっきの発言の真意だろう?」
「ええ。出来れば手短に」
わたしとメアが口を挟めない勢いで話が進んでいく。
つまりはネームレスが冥幽夜会を作った悪夢で、色んな事件を起こしていて、わたしたちの疑問に全部答えてくれるっていう事?
ウートさんも呆気に取られているみたいで、自分はどうしたものかと顎に手を当てて悩んでいる。
「まず生まれたばかりのメアに会ったのは私なのは間違いない。面白そうだからオネロス関連ばかりを話したよ。私自身はポベトルの経験は無かったけれどね。ちなみにオネロスを生み出して、悪夢退治を勧めたのは私だ」
『最悪メア。初めて会ったのが諸悪の根源とか』
「最初のオネロスは確か……四千年ぐらい前だったかな? それはさておき、撫花の生みの親というのは人間にしたという意味で、誕生自体は自然発生の悪夢と何ら変わりは無いよ」
私の中に敵を前にしているとは思えないぐらいの安堵が起こる。
正直に言って、このドッペルが私の本当の父親とか言われたらどうしようかと思った。
「そして私自身が悪夢そのものっていうのは、こういう事だよ」
世界が、停まる。
間違いなく言葉通りに、わたしたちのいるこの夢の世界が停止する。
体も心も止まっていて、それなのに彼の動きだけは伝わってくる。
優月さんの作った鎖を飴細工のように砕いて、彼はのんびりとその場に座り込む。
「この世界は誰かが見ている夢である。そんな話を聞いた時に私は思わず空を見上げたよ。生き物が眠るようになってからずっとこの世界にいて、いったい自分は何なんだって考え続けて。その答えを簡潔に言葉にすると、こうなる訳さ。私は悪夢そのものだと」
話が終わると全身から汗が噴き出る。
優月さんが再び鎖を伸ばし、ウートさんが合わせて殴りかかるのにそこまでの時間はかからなかった。
それらが無駄に終わるのも、また同じ。
鎖は彼に触れる前に炎そのものが消されて、ウートさんが殴ってもビクともしない。
彼に傷が付くどころか、殴ったウートさんが痛そうに右手を抑える。
「こうでもしないと納得しないと思ったからやっただけで、争う気は無いよ」
「……分かったわ。今の貴方は話をするだけなのね。だったらもうどいてくれる?」
「好きに行きなよ。初めから邪魔をする気は無かったし」
ネームレスが右手で指し示すのは、青い光と黒い煙が立ち昇る街。
確かに立ち止まったのはわたしたちの方からで、彼は目の前に現れただけ。
だけどいきなり出てきて素通りできるわけないと思う。
「それじゃあ気をつけて。特に撫花は」
彼を横切り走り去ろうとするわたしたちに、ネームレスはそう言い残して姿を消す。
何となくだけど、ここにいないわたしの苦手な人に似ている気がする。
突然現れて、好き勝手言って、またいなくなる。
「アイツの言うこと一々気にしてられないわ。今は藍花とプーケよ」
「……恐れながらお嬢様はお近づきにならぬように。あそこは正に、修羅場そのものです」
街が変わっていくのを越える速さで、暗色の炎が青い光と共に広がっている。
遠目で見えるのは、無我夢中で男の人?に斬りかかるお姉ちゃんと、喪服のドレスを着た女性。
前に見た姿とは違うけれど、羊の角があるからあれがプーケさんだ。
『ナデカ、いくらなんでもあそこに飛び込むのは無茶があり過ぎるメア。だから――』
「行くよ、メア」
『そうメアよねぇー』
足元に花びらが集まり、桃色の蝶の羽を作り出す。
強風が飛び交う中、大剣を振るうお姉ちゃんから離れる男性に向かって屋根を蹴る。
瞬間移動を組み合わせて、一気に距離を詰める。
男性は右腕がなく、特にわたしを見ていた訳ではないのに、突き出した右拳をあっさりと避けられる。
『気づいてたメアっ!』
「いやあからさまに力を使われたら、そりゃ気付くでしょう。君はアレだね、昔と大差ない」
わたしに向けて突き出される左手の細剣。
けれど体に刺さるよりも先に、わたしの体はさらに遠くの建物にまで瞬間移動していた。
屋根に降りたときに黄色い炎が残っていたから、優月さんのおかげだ。
「クソっ、やりづらい。"鍵姫"の真価は他人のサポートか」
気が付いたら、お姉ちゃんもプーケさんも黄色い粒子をまとっていた。
空中に鎖や扉の足場が作られて、男性の邪魔もしている。
『あれがエンプーサって奴メアね。……あれって男メア? 女メア?』
「わたしも男の人かと思ったけれど、女性みたいだね」
遠目だと男性に見えたけど、体つきはハッキリと女性のものだった。
服装や髪型のせいだろう。
「さてと、えーとナデカだっけ? 死神の妹。ボクちょーと君を食べたいんだけど、死神とプーケ止めてくれないかな」
「えっ……食べ……」
『ダメに決まってるメア!』
一瞬だけこちらに来た視線が、背筋を凍らせる。
さらにお姉ちゃんの攻撃は激しくなり、目では追い付けないぐらい数多くの剣を振るっている。
エンプーサさんも避けきれておらず、時間が経つ度に青い粒子を噴く傷が増えている。
「そっか。なら無理矢理やるしかないか。――是非とも悪夢になった両親との味比べをしたいしね」
暗く燃える炎に囲まれても、軽薄に笑うエンプーサさん。
わたしの中で黒く濁ったものを感じた以上に、どす黒く吐き気のする想いが伝わってくる。
「……血塗れた女王の処刑台」
お姉ちゃんの大剣にセットされる、見たこともないカード。
真っ赤な三日月がへばりつく、赤い赤い道化師。
溢れる花びらと粒子が大剣を飲み込んでいく。
藍色から真っ赤になり、脈打つ度に濁って黒くなっていく。
出来上がったのは、赤く脈打つ黒い大鎌。
憎悪が、殺意が、存在してはいけない悪意が。
想いが圧縮された武器を、軽々とお姉ちゃんはエンプーサに向ける。
「死ね。撫花には触れさせない」
「そう上手くいくかな?」
『っ……! まずいメア、ナデカ早く逃げるメア!』
「……えっ?」
エンプーサの走ってくる方向は、わたし。
それを追いかけるお姉ちゃんだけど、あの大鎌をそのまま振るったら、どうなるのだろう。
分からない。
エンプーサごとわたしが巻き込まれるかもしれない。
それなら逃げなくちゃいけないのに、お姉ちゃんの武器を見たせいで足がすくんで動けない。
優月さんの瞬間移動が始まったのか、黄色の粒子が集まってくるけれど、それ以上の速さで二人が迫ってくる。
迫るエンプーサが、いやらしく笑う。
「――学習しないね、死神。深追いしすぎだ」
目の前に現れた黒い影から、大鎌の刃が飛び出てくる。
噴き出す青い粒子は瞬く間に空へと還っていく。
軽快に着地をする音が、わたしの後ろから聞こえてくる。
「死神の奥の手を食らった感じはどうだい、プーケ」
「……中々良いよ。これならエンプを殺せそう」
引き抜かれる刃。
力無く崩れ落ちる影をわたしは慌てて受け止める。
お腹から止めどなく溢れる粒子を手で塞いでも、全然止まらない。
「やっぱり姉妹なんだね、死神もナデカも。善意も悪意も不器用なくらい真っ直ぐで」
お姉ちゃんが大鎌を落とす音が聞こえる。
尻餅つく音も聞こえるし、わたしへ何かを言おうとしているのも伝わってくる。
だけどそれ以上に目の前が霞んで、胸が苦しくて、プーケさん以外の声が聞こえてこない。
ううん、違う。
今は、今だけは。
プーケさん以外のものなんていらないと思ってしまう。
「アタシはこれでいいよ、ナデカ。何でとかどうしてとか言わないで。これで人の夢に、切ない夢へとなれるのなら。今まで好きだった人全員に会えるのなら。これでいいよ」
「でもっ……」
「これがアタシの本当に欲しかったものだから。願うのなら、ずっと永遠に。このままでいたいけど、それが無理だからずっとずっと夢見てた」
誰かを好きになって、想いを交わして。
死んじゃうことが夢だなんて、わたしは嫌だ。
プーケさんとは全然お話しできてない。
何も知らないし、これからだって思っていたのに。
お姉ちゃんに紹介して、優月さんと一緒にぎゅっとされて、メアやスカイと一緒に遊んで。
みんな落ち着けば、色々とできると思ってたのに。
「だからさ。夢が叶ったから、次の夢、見ても良いよね?」
「次の……うん、良いよ……!」
「ネームレスが言ってたんだ。人間になれば……ナデカやユヅキと……一緒に……」
黒い羊の角を残して、プーケの体は青い光に変わっていく。
渦巻いている心の音が、とても痛くて苦しくて吐きそうになる。
お姉ちゃんは悪くない。
両親の仇で、ずっと憎んできた相手で、わたしだったらこれ以上に酷いことになっている。
優月さんにウートさん、メアも。
わたしたち全員に何かをできた訳ではない。
だったら一番悪いのは、憎むべきなのはエンプーサさん?
そう言いたい、そう思いたい。
なのに何でどうして、あの人を恨むのがこんなにも痛いの?
『いやいやまったく、血の繋がりって凄いねぇ◼◼。これでも心の奥底から憎みきれないって、不器用越えて才能だよ』
にたにた笑う赤い三日月。
心の端に触れてきて、鮮やかな撫子色を濃淡な赤紫に染めていく。
憎みたいのに、憎めない。
なら話は簡単だ。
人と人を繋ぐ優しい花よ、悪意と繋がればきっと。
――きっと憎悪と共に殺せるよ。
『ナデカ、どうしたメア?』
「変身――悪夢賛花」
猫のない笑いがわたしの顔へと張り付く。
血と涙と想いを、拭い去って前を見よう。
笑えてるかな、笑えているよね。
だって今から嫌いな人に本心を言えるんだから。




