44.悪夢の先へ
青緑の世界では異物であるエンプーサ以外の3人へ、カマキリたちは襲いかからない。
上位者への恐怖か、それともエンプーサからの指示なのか。
今も変わらず蟲毒の循環を繰り返している。
「いやいや、待ってよネームレス。女の子? 君の口からそんな言葉が出てくること自体がビックリなんだけど」
「……ただの生き物か、それとも悪夢か。どれなの?」
興味を持ったのは2人。
エンプーサは男へ似合わないと半ば笑いつつ話しかけ、プーケは純粋な疑問として首をかしげて問いかける。
男はたいした抑揚の変化もなく、話を続ける。
「心外だな、エンプ。そう称するのが相応しいからそう言っただけさ。そしてプーケ。実に惜しい答えだね」
「惜しいってどういう意味」
「相手はただの生き物と悪夢の混血児。生き物と入れ替わるDoppelと掛かっていて面白いだろ」
「――あー、アレね。何だ生きてたんだ」
独りでに納得し始めるエンプーサ。
更に首をかしげるプーケとは違い、ザントは目を伏せては静かに自ら出した答えを口にしていく。
「つまりは、貴様が作った実験体の出来を見物か。オレには関係が無いな」
棺を背負い3人へ背を向けるザント。
しかしその歩みは、男のたった一言で引き止められる。
「君らの言う、"死神"の妹だとしてもザントは帰るかい?」
「……相も変わらず苛立たしいほど口が回るな、名無し」
「そう、ザントのお気に入り。ナイトメアのオネロス、"死神"こと有栖川藍花をコピーした花の悪夢。それが今回のお祭りの目玉」
男に表情は生まれない。
けれども両腕を広げて嬉々として語る彼からは、大いに笑っている事が見て取れる。
「モモカ――いや、今は八重咲撫花と呼ばれている少女。3人とも知っている子だよ」
「ナデカが悪夢とか何を言っているのネームレス。馬鹿な事を言わないで」
「プーケの言いたい事は分かるよ。あの子は今、人間そのもの。証拠は関係者の記憶しか無いから、君が納得できないのは当然」
でもね……
そう付け加える男の言葉を、プーケは苦い顔をして待つことになる。
顔が無い、表情が無い、声にこもった感情をそのまま受け取って良いのか分からない。
穏やかに笑っていることを彷彿とさせる声も、虚空に描いた夢のように儚く感じる。
「それで良いんだよ。これから私たちは悪夢では無くなるのだから。――悪夢が生物から生まれ、生物と入れ替わり、単身で生物となっていく。そう、悪夢は現実に行けるんだよ」
プーケだけが、何を言っているのか分からないと立ち尽くす。
エンプーサは詰まらなそうに欠伸をし、ザントは依然沈黙したまま。
生物が夢を見ることで生まれる悪夢が、生みの親である生物と入れ替わる術を手に入れた上、入れ替わる事無く生物として現実に誕生する。
そんな夢物語を、顔の無い男は平然と口にしていく。
「プーケと撫花は友達なんだろう? 人間になれば今以上にあの子と一緒に居られる。一緒に学校に通ったり、休日に遊びに出かけたり。もちろん"鍵姫"の明日見優月とも一緒になれるはずだ。こんな夢が叶うのは面白いと思わないか?」
「それは……」
口ごもるプーケは、男の示した提案に思わぬ魅力を感じてしまう。
友達と一緒に眠りにつけるというのは、彼女にとって見届ける以上に心惹かれる事柄で。
けれども男の言葉が真実か分からない為、うまく言葉を見つけられない。
「ザントはそうだね。長い付き合いだ。君が天命を全うする事を願っているよ」
「言葉を持たぬのなら疾くと口を結べ、名無し。此度の余興はオレには何ら関りは無い」
投げかけた言葉を切って捨てるザントに、男は肩をすくめる。
最後の一人、エンプーサへ顔を向ける男は彼の徐々に崩れていく表情を見るや否や、言葉を紡ぎ出すことを止める。
「"鍵姫"の名前が出るって事は、あの子がそうだったんだ。――どうりでそそる訳だ。ボクまださ、人間の血が混ざった悪夢は食べたことないんだ」
「ここは抑えてくれエンプ。また4年前と同じことをされると私も困る」
「あれはナイトメア狙いだったんだけど、つい先走ってしまってね。うんそうだね、そうなると」
卑しく歪む笑みがプーケへと向けられる。
唇を這う舌、荒れる呼吸、熱を帯びて溶けた瞳に彼女を映しながらエンプーサは近寄っていく。
一歩一歩近寄るたびに青ざめていくプーケの肩を、エンプーサは右手で抱き寄せる。
空いた左手を彼女の顎に当てて上を向かせては、頬を赤く染める。
「君はアレの友達なんだよね、プーケ。なら君を――アレの前で食べたらどんな風に泣くと思う?」
「……ッ!」
エンプーサを押しのけるプーケは、一目散に背を向けて走り出す。
揺らめく黒い風を生み出しては身を包み、青緑の世界から彼女の姿は消えてなくなる。
笑いの止まらないエンプーサは左足から体を白に輝く青銅へと変えていく。
全身を青銅に変えたエンプーサは、白から鈍い緑に変色してく体を土へ還すように崩していく。
取り残されたのは、二人のやり取りを何も言わず見ていたザントと男だけ。
「一応聞くけど、ザントは見に行くかい?」
「知らん。奴らがどうなろうと関係ない。貴様の言う混血があの娘だと言うのなら、語るに及ばず」
「そうか」
お互いに背を向けて世界から姿を消す。
残る青緑の世界はカマキリたちを残して少しずつ、少しずつ幕を下ろしていく。




